第5話 鳩叔父さん

ヤクザ氏いや山越さんと入れ替わるように中年の叔父さんが入って来た。最近ちょくちょく見かける顔だが、玲子目当てではなさそうで、何時も店の隅で週刊誌らしいものを読んでいる。昼間から喫茶店に通う人間ゆえ、まともな仕事を持っているとは考えにくい。何時の様にコーヒーをオーダーし、昼まで粘っている。他の客に迷惑を掛けないので、店の賑わいのためには良いのだが家庭のことが心配になる。


それとなく見に行くと鳥、それも鳩の本を読んでいる。私も昔、鳩を飼育して鳩レースを行った経験があるので、

「叔父さん、愛鳩の友ですか。私も昔、鳩飼ってたことがあるんです」

この一言で話が弾んだ。

 なお、鳩レースとは鳩が持つ帰巣性(未知の場所から自分の鳩小屋に帰って来る習性)を利用し、遠く離れた場所から鳩を放して、帰って来る速さ(距離を時間で割る)を争う競技である。愛鳩家は日本全国で5万人以上いると言われている。優秀な鳩は東京から1000㌔以上も離れた北海道から10時間程度で自分の鳩小屋に帰って来る。


「ホー兄さん、其れは奇遇やね。俺は優秀なレース鳩飼っているんだよ。鹿児島から帰還した鳩も10羽いるんだよ。沖縄から5時間で帰還した鳩も居るよ。最長は、福岡600㌔から帰還させたこともあるんだ」

私に胸を張った。

「それは凄いですね」

「僕なんか300㌔翌日帰還が最高記録です。400㌔は岐阜の小学校への迷い込みですは」

話が続いた。

「一度、遊びに行っていいですか」

「ああ良いよいつでも、最近は此処にいるか家だから。此処はいいね活気があって。それにあのねーちゃんは可愛い」

玲子を指差した。


私は何時もの様に「与論島慕情」のレコードを掛けなおした。ここに来てから店が開いている時は、この曲を30分間隔で流すことが要求されていた。店の中と言わず、外にも拡声器を使って船着場にいる人を対象に、この曲をがんがん流す。


「青い海原 群がる珊瑚 ハイビスカスが咲き乱れ 離れてともない 与論島 ・・・・・・・

・ ・・・・・与論島」

という歌詞と情緒的な曲で日本人には馴染みやすい歌だ。何故この歌を流すのか理解できていないが、毎回流すので自然に覚えてしまった。最近は鼻歌にまで出てくる。


珍しく玲子に女性から電話があり難しそうな話をしていた。

「何かあったの」

「姉から何時帰ると言うコール。真面目な人なんで、私の行動が許せないんです」

走ってトイレに消えた。

様子が変なので気になったが、神戸から関西汽船の大型船が入港し、客が一気に入って来たので、忙しさに感けて何時しか忘れてしまった。

これが後に私がミスを犯す伏線になった。今日は特に客が多くて気苦労もあって、5時を過ぎると疲労度は極限に達していた。明日は休みということもあり必死に堪えて6時を待って、3階に引き上げた。街に出る気力もなく1階で金大中事件の経緯を伝える特集をNHKでやっていたので食事を摂りながら見た。

日本政府の不甲斐なさ、弱腰が気になった。やはり、戦前のことがトラウマとなっているのだろうか。

こんなことを思いながら深い眠りについた。


私が眠っている時、玲子は枝手久島の男 町田信吾とその彼女の3人で名瀬市内の奄美観光ホテルで逢っていた。町田は地元の娘、私たちをバス停に送ってくれた女性と一緒になると玲子に報告しに来たのだ。昼間の電話はこの娘からの約束を求めるものだった。玲子は、私にも一緒に行って欲しかった様だが、私がシンドそうなので遠慮したとの事だ。


枝手久島の二人は私と玲子が恋仲と思い込んでいる様で、まずそこから話が始まっていた。玲子は町田さんが、本当に都会に復帰する気持ちが無いか重ねて聞いたが、彼の答えは島に残ると言うものだったとのことだ。玲子には残念という思いがありありと伺えたが、もしかすると、地元の彼女に嫉妬していたのかもしれない。

最後に玲子は、

「お二人ともお幸せに。すこやかに穏やかにしなやかに生きてください。私もしっかり生きるから」

多少嫌味を込めて気丈夫に言ったとの事だ。

そんな出来事が、私の窓から見えるホテルで行われていたとは知らなかった。


翌日、何時もより早く朝6時に起きて、例の鳩叔父さんのところを訪問した。鳩の舎外訓練即ち、鳩舎から鳩を出して飛行訓練をするのを見るためだ。奄美の青い空を70羽前後の鳩が大きく輪を描いて舞っていた。優秀な鳩の様で飛行高度も高く、飛行時間も約1時間と長い。鳩は急降下して鳩舎の屋根に到着後、鳩叔父さん、名前を岩田さんと言うの笛の合図で、急いで鳩舎に入り餌を貰っていた。鳩の呼び込みを終え、ここで岩田さんは一息入れて私を家に招き入れ、自らお茶を出してくれた。

「岩田さん、奥さんはいないんですか」   

「逃げられた」

「ホントですか」

「面目ない」

小声で言った。


鳩叔父さんは此処で自分の現状を話し出した。1940年生まれの33歳で子供は女の子ばかり3人いると言うが、酒癖が悪くて紬の職も失い、今は大工の見習いのようなことを細々として食いつないでいると言う。それに最近は、酒がたたって肝臓も今一で『疲れが抜けないんだ』が口癖だ。それでも酒は止められなくて、悪循環の繰り返しだった。


「岩田さん、定職に着けば酒を飲む時間も減って体にも良いと思うんですが」

「俺もそう思うが、なかなかうまくいかなくてな」

嘆いて見せた。

「生活費程度は家に入れているんですか」

「最近はぜんぜん。ゼロだね」

「それは困った問題ですね」

解決策を示せずこの話は終わった。鳩舎の掃除を手伝って、昼食の準備をしていると玄関でチャイムが鳴った。私が出ると玲子が待っていた。

「どうした」

「何してるのかなと見に来たの」

「よくわかったな」

「譲二さんに聞いたの。きっとここだろうて」

譲二が、何故知っていたんだろう。さすが鋭い観察力と感心する。


玲子も昼御飯はまだ食べていないとのことで、冷蔵庫から食材を取り出して器用にチャーハンを作った。これが案外美味しくて、これが出来るのなら喫茶店で出せば良いのにと思ったが、それは口には出さなかった。玲子は結構、良妻賢母になれるなと思ったが、亭主の心の持ちようにもよると思うが、嫁に貰った旦那は大変だろうなと想像した。


昼食後、私たち3人は鳩の放鳩訓練に島北部の佐仁に行くこととなった。私と岩田さんで鳩を捕まえて、籠にいれ、それを荷台に積んで出かけた。岩田さんが運転し、玲子が其の横に座り、私が後ろに座った。鳩の熱気が感じられ久しぶりに、この匂いを味わっていた。玲子に言わせると吐き気がする匂いとのことだが、これは鳩が好きでないと理解出来ないものだ。


途中、オリオンの缶ビールを3本買って佐仁には2時に到着した。ここで1時間鳩に地理と磁気を覚えさせるのだ。集落外れの土手に車を止めて、放鳩の準備をする。其の時間を割いてビールを飲みながら鳩談義に花が咲く。

「ヤンセンは素晴らしい鳩で銘系中の銘系」

岩田さんの主張だ。私は、

「粘りの今西系が好きですが、特に灰(ブルー)が素晴らしい」

私が反論すると、岩田さんは、

「でもヤンセンや、特に鹿児島から奄美に帰る(帰還する)には方向判定能力が高くないと方角が5度違っても帰りは海の中と言うことやからね。まずは方向判定なんや、つづいて羽根の強さなんや。羽根の強さはゴードンやね」

一気にまくし立てた。興奮すると少し早口になる様だ。

ここで出た名称は鳩の血統のことで、鳩は競馬と同じでブラッド(血の)スポーツと言われ、系統確立者の名前を取って鳩を語る。系統確立者は畏敬の念を持って尊敬され、しばしば系統の優秀性に言及される。


岩田さんは最近、人と話すことが無いので、訪問してくれて嬉しいと言った。何時は無口だが、今日は饒舌だと自分でも言った。それほどに嬉しかったのだろう。余りアルコールを飲んでいないのに顔を真っ赤にして、酔った様なそぶりだ。余り酒に強くないのか、体調が悪いのかと気になる。3人で海を見て時間を待った。

放鳩時間の午後3時になったので、各々が持ち場について一斉に籠の蓋を開くと鳩は一気に外に飛び出し、珊瑚礁の海の青と藍のグラディエーションと良くマッチした奄美の空を50羽の鳩が舞った。鳩は上空を3回旋回し名瀬目指して飛んで行った。


結局帰りは岩田さんが酔っているということで、免許不携帯ではあるが玲子が運転して名瀬に帰って来た。

家に帰ると早速、酒盛りが始まった。とにかく人が来てくれて嬉しいと言っての酒盛りだ。岩田さんは寂しいので、酒に逃げているのではないかと思った。

暫くすると岩田さんは電話を駆け、

「おい早苗か俺だ客が来ているんで、料理作りに来てくれんか」

来い、行かないのやり取りが数回あって結局来ることになって、15分もすると料理を持って現れた。

妻は早苗と名乗り、玲子と一緒に更に料理を作り出した。それは鶏飯と豚を中心とする郷土料理だった。


料理も準備出来て宴会が始まり、最初オリオンを飲んだ後、玲子の『天に・・・地に・・・人には黒糖焼酎で乾杯』という掛け声で定番の黒糖焼酎になった。

岩田さんは直ぐに酔っ払い、

「おれは明日から酒は止める」

すぐに早苗さんが、

「其の口上は何回聞いたことか。少しは飲んでもいいんだよ。仕事もそこそこでいいんだから」

このあと、私達が聞き取れない島口、即ち島(アイランドではなく地域、コロニーの意味)の言葉でまくし立てた。これが効いたみたいで、岩田さんは黙ってしまいついには眠ってしまった。この仕草に慣れているのか夫を無視して、妻は私たち2人の世話をかいがいしくしてくれる。

「この人も酒におぼれてね、紬の締めのいい職人だったんだよ。それで体を壊して、最近はめっきり酒に弱くなったんだ」

早苗は嘆き、玲子が、

「私も分かるんです。落ち込んでた時に付き合っていた人も、酒が飲めないのに、寂しさとジレンマから酒に溺れて才能を潰したんです。でも周りの人間に出来ることって限界あるんですよ」

私には理解できない会話で、人生経験の無さを痛感する。本当にボンボンだと思ってしまった。暫く玲子は妻の嘆きを聞いた。妻は亭主がこの様子なので5年前、一念発起して教習所で大島紬の織り方を学び、今ではひとり立ちして月に20万は稼ぐと言う。一日10時間、機の前に座るが其のストレスで金使いが荒くなり、酒も強くなった。妻が稼ぐにしたがって夫は働かなくなったとの事だ。

「本当に悪循環だ」

ポツリと言ったのが妙に説得力があった。

玲子に向かって、

「あんたの彼氏も大丈夫かい、男は怠け者で浮気もんだから目を放すと、何するかわからないんだからね」

「それは大丈夫みたいですが、でも少し怠け者で遊び人の方がいいとも思うんですが」

「玲子さん、恋人でもない人間のことを評論しないで下さいよ。今だに友達以上恋人未満の関係ですから」

「そうですか。でも友達は友達なんだ」

玲子が苦笑いした。これを見て妻も笑って立ち上がり料理の片づけを始めた。これに促されて、私たちは立ち上がりお暇した。

帰り際、早苗さんは

「これからもちょくちょく話相手になってあげてくださいね。寂しさがこうさせるんですよ。それに私がこれだから、ゆっくり話を聞けない性格なんです」

手を振って奥に消えた。


帰りの道すがら玲子は、

「あの夫婦どう思う」

「男にとっては最高。でも俺はあんな男にはなれないな。あそこまで自分に素直になれないんだ。自分を守る殻を取れないよ」

「よく自分を分析出来ているんだ。山田君はまず自分を安全な所に置いておいて、そこから人を見て論評するタイプだから。友達少ないでしょう」

事も無げに言ってのけた。

「玲子さんて優しい顔して、人の心にグサと来るような事を言うんですね。折角、良妻賢母になると思っていたのに、亭主のやる気をなくす駄目女と評価変更ですよ」

「其れで結構です。恋人未満君」


鳩レースの仕組みと醍醐味を説明していると玲子の宿に到着して、玲子の、

「真、少し話して行く。いい話あるかもしれないよ」

との誘いを断って、今日あった事を思い出しながら、

「小さく投げキッス する時もする時も こちらにおいでと 呼ぶ時も呼ぶ時も いつでもいつでも 彼は左利き・・・」

麻丘めぐみの歌を口ずさみながら3階の物置に帰った。

今日は夜に上りの船が入るみたいで、店の前はごった返していた。2階に行くと多くの客が船待ちでたむろしていた。

其の中の一人に常連の都会人がいたので、

「帰るの」

「うん現世復帰」

「ガンバ美枝子さん」

時間有ったら電話下さい。

「そんな事、言って玲子ちゃんに叱られないのかな。そんな事言って」

「なんで玲子のこと知っているんです」

「有名なんだからあちこちの店で、少しオーバに言えば名瀬にたむろする都会人の間ではね」

私は力の無い声で、

「この町は狭いからな。これから行動に気を付けなくては」

と言って美枝子を見ると、隣の男とまた話し出した。


今日は港が騒がしくて明るいので、星はそれほど綺麗ではなく、中々寝付けない。与論島慕情が終わったのは、船が出港して少したった11時30分過ぎだった。船の到着が1時間遅れたのだ。電気が消えて暗くなる迄の間、読んだ南海日日新聞には、奄美に来る人すなわち、奄美大島への入込み観光客の数が増えて年間20万人に迫っていること、大島紬が一反6万円になったと告げており、島経済は活性化していると伝えているが、韓国産紬の出現が懸念材料だと言う。韓国産紬のことが多くの紙面を割いて言及されている。

それにもまして問題なのは、人口の減少で奄美群島人口の減少に歯止めがかからず、昭和30年の20.5万人から16万人に減少したし、老人人口は全国平均7%に対して10%である。特筆すべきは日本の中心東京から見れば最辺境の地である沖縄県は年々人口が増加し、100万人を伺う勢いであり、老人人口も全国平均より低い6%だと言う。

このような地元の情報や話題を吸収し、暫くして眠りに就いた。


翌日8月13日(月)、下に降りていくと、若旦那(マスター)が、

「山田君、今日は一緒に来てくれる」

付いて行くと仕入れの助手だ。

市内を数箇所回ってみやげ物を買い込んで積み込むのだ。私の仕事は個数確認と積み込みだ。マスターが出す紙に書かれている個数と実際の個数を数えるが、ある時伝票に記入されている個数より実際に積み込んである個数が少ないので、それを正すと、

「それはそれでええんや。小さいことは余り気にするな」

マスターはつれなかった。

市内を回っている過程で、こんな事があったこともいつしか忘れてしまった。昼過ぎに店に戻ると其処は修羅場となっていた。


先日訪問した岩田さんを奥さんが、探しに店に来ているのだ。岩田さんを捕まえて、

「お金出しなさいよ。返しなさいよ。あれが無いと学費も給食代も修学旅行代金も払えないんだよ。子供が3人いるのに自覚ないのかい」

岩田さんは、

「鳩の代金として沖縄に送ったんや。もう後の祭りや」

その態度が立派と言うか悪びれたところが無いのが不思議だった。

話を総合すると、岩田さんは奥さんの紬の織り代20万円を勝手に持ち出して、沖縄から鳩3羽を購入したのだ。其のうち一羽は鳩レース先進国ベルギーで最も有名な鳩レース、バルセロナインタナショナル1100㌔レースに参加し入賞した鳩の直仔との事だ。

岩田さんはこの買い物は安いと信念を持っており、きっと良い雛鳩が取れて(作出出来て)高く売れるというようなことを言った。このあたりは信念を持っている様に思えた。趣味にはまった人間の行動として、理解出来ないことでもないが、どう考えても乱暴だ。


返せ返さないの押し問答が続くが埒が開かない。この状況に業を煮やしたのがたまたま客として来ていた、ヤクザの山越さんだ。

「静かにせんかい。客に迷惑じゃ、この喧嘩俺が買った。二人とも俺についてこい」

二人は山越さんに付いていった。私はママに促されて二人の後を、少し離れて付いて行った。着いたのはスナック“シャレード゙”の上の階にある組事務所だ。


其処は書物で読んだ雰囲気とよく似ていた。即ち、右から八幡大菩薩、正面に天照皇人神、左に春日大明神の垂れ幕があったことによって、博徒の流れを汲む組だと分かった。  其の脇には、『政治結社 日の丸決死隊』の張り紙があって要綱が記入されていた。

1. 皇室の敬戴

2. 行動の実践

3. 礼節の尊重

4. 信義の涵養

とあり脇に小さな文字で、一つ純忠言誕生を捨て義を取る、一つ淡白にして喜んで命令に従う。とあった。


私が、この張り紙に注目していることを知った親分は、

「山田君、これを読んでくれ」

決意を込めた言葉で命令した。これに促されて、先の二つに続いて、

「一つ気節に生き実行を尚ふ。一つ責任を重んじて功利に超越す。一つ質実剛健にして廉恥を知る」

「よく読めた 意味をゆうてみいや」

「詳細は分かりませんが概ね、自らを捨て義に生きる。我は利益を求めず其れを実行するという意味だと思います」

「少し要約しすぎとるが、今は概ねそれで良い。さて、さっきの話の様子から、二人にはそれぞれ言い分が有ると思うが、ワシの心情はこの掛け軸で分かってくれたと思う。今、ワシは気節に生き実行を尚ふの気持ちでここに望んでおるんだ」

ヤクザ氏は一息入れた。


この雰囲気で語る、山越さんの言葉には普段にもまして説得力があった。

「まず主人の言い分を聞こうか」

夫が、今回購入した鳩の優秀性を主張し、これを種鳩に鳩の商売に今後かけ一生懸命やるんで、家族には迷惑を掛けない、と言うようなことを言った。そして鳩の配合表(雄と雌の組合せ表)を示して今後の予定を述べた。それに、広い庭も有るし、自由が利き体の弱っている自分に向いていると述べた。

次に妻の主張を聞いた。妻が言うには、これは今月の生活費でこの金がないと生活出来ないと切々と訴えた。必死の形相とはこの事を言うのかと思う形相で、ヤクザ相手にも一歩も引かない強い決心が感じられた。


これ以上意見が出ないと見たのか、しばらくして山越さんが口を開いた。

「この喧嘩俺が10万円で買う。御主人には立派な事業計画もある様やし、夫の心意気を大事にしたい。しっかり事業して成功せいや。わかったか」

主人は軽く頷いた。

次に妻に向かって、

「生活費もいるだろうから、俺が10万出すから始末して当面はこれで生活してくれ。それにもっとしっかり亭主を管理せんとあかんがな。分かったか」

妻も軽く頷いた。夫をもっとしっかり管理せんといかんと言う言葉が心に響いたと後に言っていた。


「それで山田君。この裁きお前が証人や亭主の事業が失敗した時は、お前が俺に10万弁償するんや分かったか」

「この事業の成否は時間がかかるんです。まず、作出して其れを売って初めて成果が出るんです。最低でも3ヶ月はかかりますよ。私は旅人、それは無理ですよ」

それでもヤクザ氏は納得してない様なので、

「金がないと大阪に帰れないんです。本当に困るんです」

危機感を込めて言うと、

「何を御託並べてんだ。男ならここで持ち金、全部出せ」

一喝されてしまった。ここまで言われると仕方ないので財布から5万円出した。

「それでええ。もっと早よ聞き分けんかい。お前も亭主を良く監視するんやで」

「もうこれでええ。早よう帰って仕事せいや」

この言葉に促されて、夫婦は10万円をやくざ氏から受け取り、私が5万円をヤクザ氏に渡して組事務所を出た。

時間にして30分の出来事だった。親分の名裁きと言うことか、夫婦喧嘩は見事に収まった。私は5万円のことが気にかかって、明日から始末して旅費を工面しなくてはと算段をめぐらしていた。


店に帰り、切り盛りしていると親分が来て、

「これ取っとけや」

さっき私が出した5万円を返してくれた。最初は辞退したが、嬉しそうな顔を見て取って、小さく胸をこつかれて5万円を受け取った。

更に、

「美味しいもんでも食べに行こう。この前の礼や」

街に連れ出して御馳走してくれ、スナックにまでつれて行ってくれた。

そこで私は、日頃から聞きなれている与論島慕情を人前で始めて熱唱した。これには親分も喜び誉めてくれた。

店のママに向かって、

「こいつと居ると、死なした息子と一緒に酒飲んでるみたいやな。今日は気分良いで。息子の供養やな今日は・・・・」

私を見ながら十八番を歌い始めた。それは予想にたがわず上手だった。

山越さんがヤクザでなかったらいいのになあと思い始めている自分を確認していた。


翌日、昼休みに岩田さんの家に行くと沖縄から購入した鳩が届いていた。

「これで作出して事業を展開するんや」

岩田さんは何時になく張り切っていた。鳩を掴み特長を理解した上で、血統書を考慮して良い直子が取れるための配合表を作るのだ。これの良し悪しによって良い雛鳩が取れるか取れないかの分かれ道となる。

岩田さんは配合表を見せて私に盛んに意見を求めるので、

「奄美のように厳しい環境でレースを行うには、弱点を補う配合より長所を伸ばす配合が良いと思いますが」

「保証人の言うことは聞かんといかんチー」

傍にいた奥さんが言った。

岩田さんが返事しないので更に奥さんが、

「本当だ5万円は大金だものね」

更に重ねて、

「これを契機に家族一緒に住むことにしたんだ。家賃も助かるしね」

明るい声で言った。


「御夫婦で何時も話し合って仲良くなってくださいよ」

「あの人は口下手だから、それは余り期待してないんだ。とにかく健康が一番だよ」

「小さいことからやってくださいよ」

「あんたにいわれたら御終いだ。兄ちゃんこそ姉ちゃんと旨くやんなさいよ」

「そうですね」

「えらい元気ないね」

ここで岩田さんが、

「俺も反省したから、なるべく女房とは話をするよ。それとまたこの島に来た時は寄ってくれや、人が来ると自然と話も弾むし」

「ええその時は是非ともお邪魔します」

これでこの夫婦は大丈夫という感触を持った。

なんせ子供が3人もいるんだから、仲良くやってもらわないと。


私と岩田さんは、決めた通り雄雌を一つの箱に入れて番にする作業を行った。こうしておいて、秋の繁殖期に子を引きながらレースをして良い成績を出して、作出した雛鳩を高く売るのだ。結果が出るまで1年はかかる事業だが、岩田さんは嬉々として鳩の世話をしていた。

この日を境に岩田さんが店に来る回数は減って、来ても一時間もすると『にいちゃん頑張ってや』と口癖のように言って帰って行くのが常となった。


そして8月14日、奄美祭りがあり港でペーロン競争が行われ地域、職場の仲間がチームを組んで参加していた。若手をそろえた市役所チームが圧倒的に強く優勝をさらった。


店ではこれから行う奄美まつりパレードとそれに続く8月踊りの打ち合わせがあった。今年は本店と連携して、本格的に参加することになり皆張り切っていた。催しものは決まっていた。今年は竜宮城で譲二が浦島太郎となり玲子が乙姫代表、そして脇を地元の女子高生数名で固め、私はじめ数名が車の周りで店紹介のビラを配ると言うものだ。総経費5万円。そこそこの出費だ。乙姫代表の玲子はそれらしい衣装を買うために昨日、譲二と一緒に街に買いに行き、衣装は全て揃っているとの事だ。


4時過ぎに店を閉めて、衣装を着て集合場所である桟橋集会所を目指す。暫くして、涼しい風が吹いたり、いきなり雨が降ったりと落ち着かない天気となった。その雨もやがて止み無事パレードは出発した。

パレードは、ハブ隊と呼ばれる蛇踊りをアレンジしたもので始まり、鼓笛隊、おみこしさざなみバンド(市内の小学生で組織し、着用しているのは大島紬のベストと手に持っているのは“ちぢん(太鼓)”)、ミス大島紬、エメラルド那覇、踊り連、出し物と続く。


そして、私達の出番だ。車に乗り私たち男がガキ大将役になって車の周りを『お土産はニューヘブン』と叫びながら歩くのだ。これで効果があるのか大いに疑問だが、市主催ということもあり協賛しているのが正解だろう。譲二と玲子は良く似合い拍手を浴びていた。玲子は観客に投げキスなんかもしていた。透けて見えそうで見えない衣装が艶かしい。下にはしっかり服を着込んでいるのだが、チラリズムの効果か興をそそる。パレードは6時に終り店に引き上げて、8時から店を閉めて打ち上げを行うことになった。


此処まで話した時、花天にある近畿大学黒マグロ養殖場に着いた。義母宅を出てから名瀬~古仁屋経由でここに来た。30数年前と違いトンネルも掘られ、バスの乗り換えも無くなって3時間で来る事が出来た。

画家志望の女学生は一生懸命、私の話を聞いている。ここで一休みして、黒マグロの養殖場を見学する。この養殖場は世界一の技術レベルを誇り、商業ベースでの技術確立をめざして魚飼いを目指して活動している。近日中に近代マグロのブランドで市場に出すと担当者は胸を張った。


沖合いにある直径100mの大型生簀に船で向かう。ここで餌やりだ。餌を投げ込むと、それまで静まり返っていた海面がざわざわして来て、何処とも無く巨体の魚と言うよりイルカ状の黒マグロが現れて、餌の小魚を銜えて行く。誠に見事だ。途中で飽きた私たちは、生簀をお互いに反対側に回り出して途中で交差した。約50センチの幅を歩くことにはスリルがあった。そこでお互いに写真を撮った。

この女学生に、

「黒マグロの絵を描いて下さいよ」

「日本画の題材にはならない」

まことににべも無い。私がここに興味を持ったのは、養殖は奄美が奄美らしく生きる道だと思うのと、黒マグロ飼育にもっと電気科学的な手法が利用出来ると思ってのことだ。ここで私は貢献できると思っていた。今後もこの道を探って見たい。


見学後、集落を見て回って、バスに乗って名瀬に向かった。

「バスから見ると集落は寂れてるね」

「活気が無いし若い人もいない」

「厳しいね」

「そう厳しい、私が生きてる30年後はどうなっているのかな」

とバスの中で語り、鰹漁の話、カンツメの話をして昔の話を補足した。名瀬に戻り、この物語の舞台になった喫茶ニュヘブンを見に行ったが、それは当然の様に無くて、ジャズ喫茶になっていた。無理を言って中に入れてもらって、私が宿舎にしていた部屋を見た。ここで画家志望さんは、

「へーこんな狭くて汚い部屋なんだ。ショック」

画家さんは驚いたが、私は満足していた。


この後、鳩友達を訪ねて誘い、3人で街一番の洒落た居酒屋に行き、ブームの黒糖焼酎を玲子風の乾杯の言葉で、麗子が

「天に太陽、地にサトウキビ、人には黒糖焼酎で乾杯」

3人で乾杯した。

そして、そこでも私の昔話は続いた。

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