過去の幻影に抱かれる違和感

 生暖かい風が、ゆるりと僕らの間を吹き抜けていく。細かい砂のような金属の粉が舞い上がる地表は、ぼんやりとした太陽の光を反射し、ユラユラと光の模様を描き出す。


「これは……。ひどい」


 そんな幻想的な空間とは対照的に、絶望がほとばしった痕跡が鮮やかに残る、田邊重工株式会社 横浜生命外個体研究所の正面エントランス。経年劣化で崩れかけている大きな柱に、旧字体で刻まれた建造物名称は、生外研の由緒正しさを、問答無用で押し付けてくるような、そんな厚かましさを放っていた。


「全滅です……」


 救難信号が発信された関東インターシティーへ向かったクラウドタスクフォースと生存者一名は、おそらくこの地に到着するまでは無事だったのだろう。


「う、うっ」


 あまりに、悲惨な光景に口元を抑えてうずくまる村沢。この気候で一週間もたてば、生命活動を停止した蛋白質がどうなっていくかなんて、子供でも分かる話だ。周囲に立ち込める悪臭はそれだけで耐え難いものがあった。遺体の頚部や頭部は鋭利な突起物で串刺しにされており、状況的には即死だったのだろう。


「ヘリコプターは全機損傷なし。燃料も十分に残っています」


 坂上はこんな状況にあっても臆することなく、自分の任務を淡々とこなしている。迷彩色柄に染められた田邊重工製の軍用ヘリコプター三機は、確かに無傷であり、機体の損傷は全く見られなかった。操縦席の計器類にも異常を示唆した痕跡は見当たらず、この悲惨な状況はヘリの墜落や、飛行中にドローンの攻撃を受けたことが原因ではないことは明白だった。


「この地に着陸してから、一体何が起きたと言うのだ……」


 広田は唖然として周囲を見渡している。何もない関東平野に、地獄絵図のような光景がぽつんと存在している。まるで時間が止まっているかのような静寂がただただ不気味だ。



 でも、こんなにも荒れ果てた大地でさえ、微生物は確かに存在していて、生命活動の抜け殻を確実にアミノ酸に分解していく。希望も何もない大地、そんな価値観は『ヒトにとっての』という言葉を付する必要がある。価値なんてものはいつだって、”立場”という条件付きのものだ。金属砂の表面にうごめく微生物にとっては希望に満ち溢れている世界かもしれない。


「建物内を捜索する」


 気を取り直した広田が、正面エントランスから敷地奥に続く、灰色のアスファルトを歩き始めた。アスファルトは金属砂をかぶりつつも、真っ直ぐ地表に伸びていて、まるで僕らを建造物内に案内しているかのようだった。


「村沢さん、あれ……。隔壁、開いてますよ」


 生外研の入り口には巨大な鋼鉄製の隔壁があり、それを開くために旧式のセキュリティ-システムを作動させる必要があった。田邉重工一級社員の帰属登録番号と指紋認証で解除できるそのセキュリティーは、あろうことか、目の前で物理的に無力化されていた。


「どうやら、僕の出番はなさそう……ですかね」


 この状況は決して喜ばしいことではない。封鎖された研究施設のセキュリティーが解除されているのだ。そこからどんなが飛び出すのか、誰も予測できない。


「本当にまずいことになっているかもしれない」


 施設に侵入した何者かが存在する。それは疑いようがなかった。侵入した何者かが、ヒトなのか、ドローンなのか、それとも微生物なのか……、それは分からなかったが、とにかく非常事態であることに変わりない。


 先を歩く広田と坂上が、背中に担いでいた自動小銃を両手に構え直し、安全装置を解除する。目の前にドローンが現れた場合、自動小銃で対処できるかどうかは怪しいかったが、攻撃手段が何もないよりはマシだろう。少なくとも逃げるための時間稼ぎには役立つのかもしれない。


「ティアマト……。あの旧世代のクラウド型人工知能を、まさか本気で再起動させるつもりなのか」


 僕らは巨大な隔壁の前を通り過ぎ、鉄筋コンクリート製の研究所施設内に入った。電源が生きているかどうかは良く分からないけれど、配電盤を操作しても天井の照明は点灯せず、内部には薄暗さが立ちこめている。入り口には施設案内掲示がかけられていて、この建造物の平面図が大きく描かれていた。


「ティアマト制御室は地上三階、このロビーから資材室横の階段を登り、第二実験区画を抜けて、さらに上にあがるルート。ああ、もう一つあるな……」


 広田は平面図を確認し、侵入ルートを確認している。それほど大きな研究施設ではない。迷うことなく目的地へ行くことは可能だろうが、この施設内部にどんな脅威が潜んでいるか、誰にも分からないのだ。


「念のため二手に別れよう。坂上と村沢特務技官は資材室から、俺と矢部さんは第一研修室横から三階へ向かう」


 広田の指示に、坂上は「了解」と言うと、村沢とともに、ロビー奥の資材室方面へ向けてゆっくり歩き出していった。


「さて、俺らは、こちらから侵入しよう」


 先を歩く広田の後をついていく。狭い廊下の両脇には材料試験機室やら、溶接室、介護実習室、生体高分子化学研究室などと言った部屋が並んでいて、それらの名称の一貫性の無さから、一体誰が、どんな研究を、何のためにしていたのか想像することは困難だった。


 ほこりにまみれた自動販売機、剥がれ落ちた天井の壁紙。床に落下している照明器具。半世紀も放置された施設内は荒れ果てていた。破損している窓ガラスには鋼鉄製の金網が取り付けられている。


「まるで監獄の廃墟みたいな所だな」


 僕がそうつぶやいたときだった。広田はこちらを振り返り、口に指をあてて、立ち止まった。声を出すな、と言うことだろう。同時にハンドサインで、止まれと合図している。壁に隠れて、様子をうかがう広田が、小さな声で「あそこを見ろ」と言った。


 足音を立て無いよう、慎重に前に進みながら広田の指さす方に視線を向ける。適合判定室と書かれた部屋の扉前に、うつむきながら立っているその姿はドローンでも微生物でもない、ヒトそのもののように見えた。


「あ、あれは……」


 間違いない。あれは仁美結良ひとみ ゆらだ。あの当時と何も変わらない姿に少なからず不気味さを感じる。数年にわたりコールドスリープされていたので、容姿が変化していないのは理解できなくもない。しかし、なぜ彼女がこの場所にいるのだ。


「周囲にドローンの気配はないようだ。あれが、関東インターシティー唯一の生存者か……」


 広田はそう言うと、警戒を解いたのか、銃を背負い直して、彼女にゆっくり近づいていく。


「広田さん、何かおかしい」


「生存者を救出する」


 僕らの声に、前方に立っている結良がこちらに気付いた。うつむいていた顔を、ゆっくりともたげる。記憶の中の彼女と、目の前の現実がこれほどにも一致するというのは、やはり何かがおかしい。記憶は都合よく解釈され、そして改竄されていくものだ。そんな恣意的に歪められた過去の幻影が、現実に立ち現れる事こそ、大きな矛盾をはらんでいる。


「いや、彼女は、仁美結良はゲゼルシャフト一号被験者なんです。こんなところにいるはずがない」


「知り合いなのか? ゲゼルシャフトにいたからこそ、生存していたんだろう?」


 そうなのか。いや、確かに理論上はそうなるかもしれない。ゲゼルシャフトがシェルターの役割を果たしていた、そう考えることに違和感は少ない。でも、何かがおかしい。直観が『違う』と言っている。なぜだ。よく見ろ、彼女は本当に仁美結良なのか?


「広田さん……。彼女は、ヒトではない……」


 違和感を上手く言葉にできたときにはもう遅かった。仁美結良らしき何かは、広田に向けて、右腕を真っ直ぐに伸ばした。次の瞬間、広田の後頸部から銀色の細長い金属が勢いよく突き出した。


「広田さんっ」


 辺り一面に血しぶきが飛び散る。仁美結良の右腕から延びた細い金属棒は、広田の頑健な頚部を一突きに貫通していったのだ。声もなく、床に崩れ落ちる広田。その向こうで、視線を僕に向けているのは仁美結良を摸した何か……。


「久しぶり、矢部君」


 そう言って、彼女は少し首をかしげて、そして薄笑いを浮かべる。


「お、お前は……誰だ……」


結良の視線が僕の情動を揺さぶっていく。


――act.6:『過去の幻影に抱かれる違和感』

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