透明な呼び声

『ちょっと待ってくれ、そんなこと……。そんなことが倫理的に許されないはずだろっ』


 誰かの記憶を、誰かの望まない仕方で奪うなんて、そんなことは絶対に許されてはいけないんだ。それが、たとえヒトの未来を救うことに繋がるのだとしても。どんな記憶であっても、そこに存在するだけで尊い。


――いつから世界は、そんな尊さを軽んずるようになったのだろう。


『いや、矢部。お前も知っている通り、倫理審査は既に通過している。被験者本人も了承済みでインフォームドコンセントも取得されているんだ。もうお前の気持ちだけで、どうこうなる問題じゃない』


 インフォームドコンセント……。それは十分な情報を得た上での合意なんてことを意味する言葉だけど、僕が大嫌いな言葉の一つだ。勘違いしないでほしい。沢山の情報を提示されたうえで互いに納得した合意と言ったって、被験者の能動性が担保されているわけじゃない。それはむしろ、カツアゲ的状況と言った方が適切だ。こめかみに銃口を付けられた状況で、金を渡す行為と一体なにが違うというのだ。


『なぜ、結良、仁美結良ひとみ ゆらなんだ……』


『一般意志による適正考査だよ。最上級適正判定が出たんだ』 


 どいつもこいつも一般意志の言いなりかよ。この世界に抗いはないのか? 


『クソっ。記憶は……。一度失った記憶は戻せないのか?』


『ああ、それは現代の医科学技術では不可能だ』


『なんで、こんなことっ……』


――この世界はあまりにも理不尽だ。


 身体がふわっとする感覚を覚え、思わず目を開けると、ぼんやりとしていた視界が徐々にはっきりしてくる。寝不足が続いていたせいか、ついつい転寝うたたねをしてしまったらしい。


 僕と村沢を乗せた真っ黒なセダンは、近畿インターシティーの官庁街へ差し掛かっていた。久しぶりに見る都会は、あの頃と変わらないくらいに味気なさをたっぷり含んでいる灰色の街。でも、変わらないことは、決して悪いことじゃない。


「もうすぐ着くわ」


 運転席に座る村沢は、そう言って車窓越しを流れる景色に視線を泳がしていた。運転は自動操縦システムに任せているのだろう。スピードメーターに表示されている現在の走行スピードは法定速度を厳守している。実に彼女らしい運転スタイルだ。その脇のナビゲーションシステムに示された、この車の目的地であろう場所は、国家公安局の梅田ビルだった。


 仁美結良、ゲゼルシャフト第一号被験者。今でも時々夢に出てくる。それは大抵、眠りが浅い時だ。未だに夢に見たとしても、過去の時間は永遠に戻らない。その中に未練を宿してしまうのは簡単だけど、前に進むより他ない人生はそう簡単に上手くいかない。


「ゲゼルシャフト……。関東インターシティーのゲゼルシャフトがどうなったか、あなたは知っていますか?」


 エピソード記憶の大半を消去された状態でコールドスリープされた結良は、その後どうなってしまったのだろうか。数年後に実験が本格始動したことは聞いていたが、それは僕が田邊重工を去ってからの話だった。


「ゲゼルシャフト、なつかしい響きね。あの場所がドローンに襲われたことは、内部モニターシステムの記録で明らかになっているわ。つい最近のことよ」


 関東インターシティー最深部にあったあの実験施設ゲゼルシャフトを知る人間はそれほど多くはない。田邉重工の一級社員、あるいは経産局の人間であっても、ごくわずかなはずだ。


「あのゲゼルシャフト内にドローンが侵入できたと?」


 いつだったか設計図面を見たことがある。あそこは堅牢なシェルターのような施設だった。たとえドローンであってもそう簡単に侵入できる場所じゃない。


「どういうわけだか知らないけど内部からエマージェンシーコールが発せられて、上層のセキュリティーが緊急解除されたらしいわ。私も詳しい経緯は知らないのよ」


 エマージェンシーコールは内部からしか発信できない仕組みになっている。ということは被験者が意図的に発信したのか、それとも無意識のうちに発信してしまったのか。ただ、ゲゼルシャフトにはエンフォーサーは一体も配備されていなかったはずだ。


「ゲゼルシャフトがドローンに襲われたと言うのなら、ドローンの行動原理はエンフォーサーの排除にあるわけじゃない、そういうことになりますよね?」


「着いたわ。その話はあとで」


 会話を遮るように村沢は、膝の上に乗せた鞄から、小型の携帯通信端末を取り出すと、モニターを操作しながら「着きました」とだけ言って、すぐに通話を切断した。地下駐車場に侵入した車は、緩やかにカーブを描いて所定の駐車位置にピッタリ停車する。


 車のドアを開けると、スーツ姿の男が数人こちらに向かって駆けてくるのが見えた。公安局の職員たちだろう。彼らの襟元にはあまりセンスが良いとは言えない同局のピンバッチが薄暗い天井の灯りに反射して鈍く光っていた。


「村沢特務技官お待ちしておりました」


 敬礼すると僕の方にも視線を向け「あなたが矢部浩紀さんですね。こちらへ来てください」といって踵を返していく。


「まあ、かけたまえ」


 そう言って僕に座るよう促したのは、広田という背の高い大柄な男だった。公安局警備課長補佐という肩書を持つ彼は、村沢いわく、近畿インターシティー唯一の対ドローン戦力である、特別機動隊の指揮官でもあった。


 この部屋には村沢を始め、特別機動隊員と思われる、体格のよい男たち二十名ほどが詰めている。決して広い場所ではない。空調があまり良く効いていないせいか、これだけの人数が集まってると、かなり蒸し暑さを感じる。


「関東インターシティーからの救難信号を受けたのが、今から一週間ほど前だ。これはゲゼルシャフトにドローンが侵入したタイミングとほぼ同時期。状況確認のために、ヘリコプター三機で編成した救助リーム、クラウドタスクフォースを編成して同地へ急行した」


 一週間前!? 本当につい最近じゃないか……。関東インターシティーがドローンによって崩壊させられてから既に数か月も経過している。そのタイミングで救難信号が発せられていたのも驚きだったが、保守的な近畿インターシティーが救助隊を編成していたことも驚きだった。


「関東上空をホバリングしていたタスクフォースリーダーから、生存者一名を確認したとの報告を受けている」


 生存者……。ゲゼルシャフトが襲われたのと、救難信号発信が同じタイミングならば、発信者は被験者のうちの誰か、ということになるか……。


「ただ、その後救助チームからの通信は途絶。現在も彼らとのコンタクトは取れない状況にある」


「ドローンに襲われたのではないですか?」


 僕の後方から機動隊員の一人が疑問を投げかけた。確かにドローンに襲われて救助チームも生存者とやらも、既にこの世に存在しないと考えた方が自然ではある。


「その件については、様々な議論があったが、現時点でいまだ明確な結論は出ていない」


 議論の余地がそれほど多いとは思えないが、近畿地区はエンフォーサーとの兼ね合いもあって、意見が錯綜したのだろう……。


「エンフォーサーを同乗させていなかった救助部隊にドローンが攻撃を仕掛けるはずはないという意見もあったが、ゲゼルシャフトがドローンに襲われたことが明らかになった今となっては、その見解は否定されている」


 ゲゼルシャフトがドローンに襲われた以上、ドローンの行動原理はエンフォーサーの排除にあるわけじゃない、まあ、それが実証されたことになる。


「ただ、救助チームのヘリコプターは三機とも、未だ位置情報を発信し続けているんだ。それは通常の位置情報コールであり、救難信号ではない。機体の損傷は軽微かもしくは全くないことが予想されている。つまり、墜落しているわけでもドローンの攻撃を受けているわけでもない」


「その場所はどこなんですか?」


 今度は僕の真横に座る機動隊員が質問した。


「関東インターシティーから南に十五キロほど下った場所。旧行政区画で言うと、横浜エリアになるが、この場所から位置情報が発信され続けている」


「横浜……まさか、生外研」


――生外研。


 正式名称は田邊重工株式会社 横浜生命外個体研究所。まさしくドローン誕生の地。そして、ティアマトが眠る場所。半世紀以上も前に封鎖されており、今は電源も生きていないはず……。


――act.2:『透明な呼び声』

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