4.具現化する星の意志

時は金なり、自由は奇なり

 斉藤シゲさんの電子カルテに記載されている年齢は86歳。一応、診察を始める前に現病歴と、直近の血液検査データも確認しておく。電子カルテのモニターから、斉藤さんに目を移すと、彼女はいつものように、背筋をピンっとして椅子に腰かけていた。問診票に視線を向けてみると『目が痛い』とだけ、太く達筆な字で書かれていた。そういえば今日は定期受診の日ではなかった。


「斉藤さん、今日はどうされました?」


「そんがさぁ、先生、目が痛くて、痛くて……。もうずっと涙が出てんのさ」


 関西弁ではないのだろうけれど、いったいどの地方の訛りなのだろうか。そんなことを考えながら斉藤さんの左目に顔を寄せる。確かに結膜が充血していて、眼瞼がんけんは涙でぬれていた。


「ちょっと見せて下さいねぇ」


 眼の痛みの原因は明らかだったが、一応、下まぶたを裏っかえしてみる。くるっとひっくり返された下側のまぶたは、健康的なピンク色をしていて、どうやら貧血もなさそうだ。


「先生、何でも関東地区は誰も生存してねえって話だべさ」


 数か月前、関東インターシティーはドローンにより壊滅的被害を受け、メディアは『生存者は確認できず』と繰り返し報道していた。


「おっかねだべさ」


 東北訛りなんだろうか。そう言って何度か瞬きを繰り返す斉藤さん。


――ああ、案の定、見失ってしまった。


「えっと、斉藤さん動かないで。ちゃんと目を開いていてください……そうですね、関東は大変なことになっているようで……」


 日本最大のインターシティーが一瞬で消滅してしまった。空中を浮遊するという新型ドローンを前に、対ドローン用戦術兵器、人型一般意志執行インターフェイスエンフォーサーは無力だったそうだ。


 数年前にとある学会で出会った、あの稲守いなもりという若き研究者。彼もあの地で亡くなったのだろうか。彼の喪失は、人類にとっても大きな損失だと言える。ドローンを薬物でコントロールするという彼の試みは、結局のところ完全に失敗してしまったようだったが、それでもあの発想はエンフォーサーによるドローンの武力排除よりよっぽど建設的だったように思う。


「あれでさ、先生。こりゃぁ、りょくない何とかってやつですかね」


 たまによく聞き取れないのだけど、斉藤さんはとにかくおしゃべりが好きだ。


「緑内障ですか? いえ、違いますよ」


「そうですか。ほんなら、あれですか、とかですか。ああ、それや、おっかないねぇ」


 原因がよく良く分からない、なんて言った日には、行きつくの先が大抵になってしまうから、とりあえず病名を付けておくと言う作業は大事だな思う。


「斉藤さん、動かないでください、もう少しですから」


「え、ああ。ごめんよ」


 さすがに診療の邪魔をしてしまったと思ったのだろうか。斉藤さんはシュンとしてしまった。そんな斉藤さんを横目で見ながら、なんだか申し訳ない気持ちで作業を続ける。


 関東インターシティがドローンに襲撃された最大の要因はエンフォーサーの存在だったと考えられている。ドローンの行動原理はヒトの排除にあるのではなく、エンフォーサーの排除にある、というのが近畿インターシティー上層部の見解だった。だからこの地にエンフォーサーは配備されていない。


「はい。取れました。まつ毛ですねぇ。痛かったでしょう」


ピンセットに挟まれた黒くて長めのまつげを斎藤さんに見せる。


「ほえぇ。先生は、まこと名医じゃ」


 臨床的なスキルと、医師の免許があるかどうかはまた別問題なのだが……。


「目薬はいらないと思いますけど、どうします?」


「先生がいらん言うとるのに、もらうわけにゃいかんじゃろ」


 広島弁なのか……。そう言って斉藤さんは診察室の椅子をゆっくり立ち上がった。相変わらず背筋が良い。


「それでは、また目が痛むようでしたら、いつでも来てください」


「ほいな、先生、ども」


 こくんと頭を下げた斉藤さんは、くるっと後ろを向くと、杖を突きながらゆっくり診察室を出ていった。おそらくあの杖は無くても十分に歩行は可能だと思うのだが、亡くなったご主人の形見なんだそうな。


「あ、斉藤さん、お大事に」という言葉と一緒に看護師があわただしく診察室に入ってくる。


「先生、村沢という方がお見えですが、どうします?」


「村沢? 誰だろうね。待合室に患者さんいなければ通してもらっていいよ」


まあ、この診療所の待合室に、有名ラーメン店のような行列ができるようなことはめったにないのだが……。


「わ、ちょ、ちょといきなりっ」看護師の驚く声と同時に、スーツ姿の女性が診察室に入ってきた。


「待っていてくださいと言ったのに……」そう言う看護師を遮るように、女性は勝手に自己紹介を始めだした。


「近畿経済産業局の村沢恵子むらさわ けいこと申します。あなたは、みなと診療所所長、矢部浩紀やべ ひろきに間違いないわね?」


 お役所の関係者らしく、なんだか上から目線な自己紹介だ。そして僕の名前は呼び捨てか……。かつて、経産局の技官とはよく行動を共にしたが、民間企業を馬鹿にしている連中が多かったのを覚えている。


「あ、ども。僕に何の用ですか?」そう言って、村沢に押しのけられてしまった看護師へ、手で大丈夫という合図を作り、「まあおかけください」と村沢を診察室の椅子に座るよう促す。


「これから、あなたには長期休暇を取ってもらいます」


 椅子に座るでもなく村沢と名乗った女性は話を続けた。仕事一筋でここまで来たエリートという感じか。イレギュラーを許容できないくらいな厳格さをひしひしと感じるこの口調。


――単純に、苦手だ。


「いや、そういうわけにもいかんのですよ」


 休暇を取りたくても取れないのがこの仕事であって、取れるものなら取りたいが、それが許されないところにこそいろいろな問題があるのだ。それを社会問題にしないのはあなた方お役人でしょう……。


「あなたしかいないのよ。一級社員は」


一級社員……。


「いったい、なんの話ですか?」


「経産局をなめないで。あなたは田邉重工の一級社員だったはずよ。正式な所属をここで言った方が良いかしら。ついでにあなたの所有している国家資格についても」


 残念ながら僕は国家資格なんてものは何一つ所有していない。


「僕はもう田邉重工を辞めた人間なんですよ。一級だろうが二級だろうが田邊重工とはなんの関係ないし、そもそもあの会社は既に本社を喪失していて、事実上、組織として成り立っていないじゃないですか」


 田邊重工株式会社は関東インターシティーと運命を共にしたようなものだ。僕は村沢から視線を外し、デスクの上に置かれた電子カルテに、斉藤さんの診療録を書き始める。そう、時は金なり……。


『時は金なり、自由は奇なり』


 認知症を患っていた僕の爺さんは、死ぬ直前までそうつぶやいていた。


「ティアマトが動き出そうとしている」


 ティアマト……。その言葉を聞いたのは何年振りだろうか。思わずキーボードを叩く手がスッと止まってしまった。そんなはずはない……。あれは永続的にシャットダウンされたはず。


「ここでは話せないことも多いわ。これからあなたにも一緒に来てもらう」


「あなた方に僕を連れ出す権限ないでしょう?」


 冷静を装っていたつもりだが、声は少し上ずっていたかもしれない。動揺を隠すというのはなかなかに大変なことだ。


「公務執行妨害、情報の隠匿、無資格診療、公文書偽造、薬事法違反、数え上げればきりがないけど……」


 何もかも、お見通しってわけか……。


――act.1:『時は金なり、自由は奇なり』

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