ネコとモリフクロウとエンフォーサー
まだ時間が早いせいか、地下高速鉄道の駅コンコースにはほとんど人がいない。ホームへと続く自動改札の横に小さな窓口があって、そこにはこの駅で唯一の係員とおぼしき初老の男性が一人、退屈そうに腰かけていた。
「指定列車の変更をお願いします」
僕は猫背でぼうっとコンコースを眺めているその男性に切符を渡した。
「はい。承ります。どの列車に変更しましょうか」
初老の男性は、それまで猫背だった姿勢をぴんとただし、脇にある端末モニターに、くるっと向き直った。そのギャップがなんだかとても新鮮で、妙な驚きを感じた。
『潜在的に人間を排除するための思考しか持たない個体が、ある種の理性を獲得した場合そうなってしまうでしょうか。どのようにすれば効率的に人間を排除できるかそれを冷静に思考するはずです』
矢部と名乗った例の研究者の言葉があまりにも衝撃で、それ以降の演題発表などはまるで頭に入ってこなかった。大会長講演も、正直どうでもよくなり、僕は学会会場をこっそり抜け出してきたのだ。だから、予定していた帰りの高速列車発車時刻まで、まだかなりの時間があった。
「17時30分発の関東インターシティ-行きには空席がありますか?」
「ええ、はいはい。ございますよ。窓側、通路側、どちらになさいますか」
端末のモニターを素早くタッチしながら、慣れた手つきで画面に情報を入力していく。見た目からは想像もできない切れのある動きで、やはりそのギャップに驚いてしまう。
とはいえ、妙なところで感心している場合ではなかった。僕の実験そのものが、とても大きな危険をはらんでいるかもしれないのだ。いや、そもそもこの研究自体を継続してはいけないのかもしれない。
「窓側でお願いします」
ドローンの攻撃性を低下させ、それを飼いならそうという研究は、もはや全く違った方向に進んでいる可能性がある。ドローンを飼いならしているつもりが、知性を植え付けてより危険な何かに仕立てあげてしまったかもしれない。この件については取り急ぎ、村沢にはメールをしておいた。少なくともリクは強化ガラスの外側に出すべきではないのだ。
「はい、窓側のお席取れました」
カタカタと音を立てて、変更したての切符が小さなプリンターから印字されて出てくると、初老の男性はその切符をカウンター越しに差し出した。
「えっと確認します。17時30分発、モリフクロウ18号『関東インターシティ-』行きです。座席は15号車3番のD、ああ窓側ですよ。全車両禁煙となっておりますので、おタバコは車両デッキにてお願いいたします。5番線からの発車となりますので、お乗り間違いの無いよう」
鮮やかだ。これがプロの仕事というもの。
「ありがとう。あなたの仕事はとっても最高でした。もう一つ伺いたいのですが、このあたりにお土産屋さんってありますか?」
「ええ、ちょうどこの真後ろにありますよ。小さいですけど」
「お薦めのお土産とかってありますかね」
なんとなく、お土産を買って帰らないと、奈津のほっぺたがふくれることは想像にたやすい。
「そうですねぇ。このあたりは大した特産品もないんで、特におすすめもないんですが……。ああ、そうそう。海が近いでしょう。食べ物とかじゃないんですけど、皆さん、あれを買っていきますよ。なんつったかなぁ……」
気のせいか、初老の男性の背筋はだんだんと猫背になって行くように見えた。
「あ、そうそう、拡張現実アクアリウムですよ。よろしかったら見ていくと良いでしょう」
「アクアリウム……。あ、どうもありがとう。行ってみます」
「素敵な旅を」
男性の背中はもう完全に猫そのものだった。相変わらずコンコースには人がほとんどいない。
★
鉄道窓口の裏手には確かに小さな売店があった。最初に通りかかった時は、駅弁を売っている店かと思ったが、店内は意外にも奥まで続いていて、キーホルダーやら、ちょっとしたお菓子などが売られていた。
拡張現実アクアリウムなるものも、そんな細々した商品に紛れて無造作に陳列されていた。外見は小さな黒い箱のようなものだが、端末に接続することで、水生生物の飼育設備をバーチャルで再現するらしい。箱の裏には簡単な説明が書いてある。様々なモードがあって、熱帯魚や川魚モード……。深海魚モードは面白そうだ。スケールの大きなことに太平洋モードなんてものもある。個人的には「信濃川の調べ」というモードが気になったが、おそらくこれでカツオも見れるだろう。
「水族館に行かなくてもこれで……いや、怒られるな。まあ、とりあえず買っていこう」
そう呟いて、拡張現実アクアリウムを一つ手に取る。狭い通路を進み、売店出口付近の自動会計システムでお金を払い店を出ると、そこには見慣れた顔があった。
「ここにいたか稲守。探したよ」
息を切らしながら目の前に立っていたのは、
「端末に連絡くれればよかったのに」
「それがさ、今日はなんていうか、ついていないんだよ。これ見てくれ」
そう言って御堂が鞄から取り出したのは、液晶パネルが完全に割れてしまっている携帯端末だった。彼の説明によると、階段から端末を落としてしまい、落下した端末に付近にたまたま居合わせた大柄な男に踏まれてしまったらしい。なかなか無残な姿の携帯端末に同情するより他ない。
「まあ、とにかく会えてよかった。少し、話いいか?」
また例の話か、と思ったが、大変な思いでここまで来てくれたであろう、彼の気持ちを無視するわけにもいかず、僕らは売店の向かいにある駅待合室に入った。
「コーヒーでいいか?」
御堂は待合室奥にあった自動販売機で缶コーヒーを二つ購入すると、そのうちの一本を僕によこしてきた。
「ありがとう」
プルトップを開け、一口飲みこむと空腹の腹に冷たいコーヒーがしみ込んでいく。
「犬での実験始まったんだってな。村沢から報告を受けている。お前の研究成果を見ていると、なんだか本当にドローンを飼いならせそうな気がしてきよ」
いや、そうでもない可能性がつい先ほど鮮やかに提起された。この学会で貴重な意見をもらえたことは素直にありがたい。これから安全性基準に関するガイドラインの改訂を申請しなくてはいけないだろうし、下手をしたらこの研究そのものを中止しなくてはいけない。
「いや、正直いろいろな問題がある」
ため息とともにコーヒーの香りが鼻を抜けていく。
「そうか。まあ、どんなことにも問題はつきものなんだが……」
御堂はそう言って鞄の中からクリアファイルを取り出す。
「なんというか、お前の答えは分かっているんだが、一応話を……と思ってな。第五世代エンフォーサー、レシアス級。知っているよな?」
レシアス級……。久しぶりに聞いた。あれはもう五年ほど前になるだろうか。まだ僕が工学研究科の院生だったころだ。
「あのプロジェクトには僕も参加していた」
「そう、稲守。エンフォーサーのあの青い瞳は、お前の研究成果がなければ開発できなかった」
レシアス級の視認装置、つまり≪瞳≫は僕が大学院時代に設計したものだ。その基幹システムに関する研究論文がそのまま学位論文となった。今でも自分の研究分野が生物学と工学の間を行ったり来たりしているのは、慣れ親しんだ工学という分野を自分から切り離すのが怖いからだ。未知の領域で実績を残せるほどの何かを僕はまだ手にしていない。
「そのレシアス級がどうした?」
「経産局はレシアス級に、ある機能を実装しようとしている」
「ある機能?」
「そうだ。ヒトと同じような感情をシミュレートした情動コントロールシステムをインストールする計画で、既にいくつかのプロジェクトが動き出している」
ヒトの情動アクティビティはネット上の振る舞いや、一定レベルの物理的監視下で、常に情報収集されている。そして、それは経済産業局のホストコンピューターで統合解析され、エンフォーサーの基本的な行動原理である一般意志として数値化される。
もともとは治安維持や政治的価値判断のために実装されたシステムであったが、対ドローン戦略に関心が集まる今では、一般意志の執行と言えば、ドローンの適正な排除を意味する。
「エンフォーサーの行動原理は一般意志のみだからこそ、その安全性が担保されているんじゃないのか?」
一般意志は常に正しい。かつてルソーはそう言ったそうだ。国家を作った目的、つまり公共の幸福にしたがって、国家のもろもろの力を指導できるのは、一般意志だけなんだと……。
「一般意志はヒト個人の特殊意志が互いに差異を抱えたまま公共の場に現れることによって一気に成立すると考えられている。端的に言えば、一般意志とは均されたみんなの望みに近い。だからエンフォーサーがヒトに危害を加えることなどありえない。それはその通りだ」
「だから、アシモフとは違うんだろう?」
「まあ、そうなんだが」と言って御堂は苦笑した。
「ただな、稲守。今後、エンフォーサーはよりヒトと密接なコミュニケーションをとっていく必要がある。ドローンに対抗するための手段として、エンフォーサーには今以上に中心的な役割が与えられるからだ。そこで、ヒトの情動をより理解するためのシステム開発が急がれている。やはり感情の存在が不可欠なんだよ。この世界で生きていくためにはね。お前には是非、この開発チームに入ってほしいんだ。もちろん現職と掛け持ちでかまわない」
ヒューマノイドに感情はいらない、エンフォーサー開発当初、田邊重工内部にはそうしたコンセンサスがあったはずだ。感情は正義の執行において非効率的な要素でしかない。実際のところ、僕自身もその意見には概ね賛成している。
「御堂、僕の専門は心理学じゃない」
感情なんてあやふやなものを、機械に宿したら、それはドローンと何が違うっていうんだろう。エンフォーサーはやはり
「あはは、そう言うと思っていたよ。まあ、今すぐ決めろとは言わない。気が向いたら連絡してくれ。ところで……。村沢は元気か?」
なぜここで村沢の話題が……。
――相変わらず空気の読めないやつだ。
「まあ、元気そうだった」
「そうか。彼女によろしく伝えおいてくれ。そういえば、お前らなんで別れたんだっけ?」
古傷をえぐるような発言………。御堂はヒトの情動を読むのが昔から苦手だ。そんな彼がヒトの感情を読むことができるエンフォーサーを作ろうとしている。そう、世の中は壮大な矛盾に満ちている。
「価値観の……違いってやつか………」
「まあ、ヒトの価値観は多かれ少なかれ、すれ違うもんだ」
御堂は空になったコーヒーの缶を、目の前に置いてあったごみ箱に投げ入れると、スッと席を立ち、「じゃ、またな」と言って去っていた。
残っていたコーヒーを飲みほし、御堂がそうしたように僕もゴミ箱に空き缶を放る。村沢の話題が出て、研究室のことが少し気がかりになった。やはり電話で直接知らせるべきだろうか。
スーツの胸ポケットから、携帯端末を取り出した時、ちょうどそのタイミングで着信を知らせるバイブレーションが作動した。表示されている発信元は村沢の携帯端末。
「はい、稲守……。村沢? どうした、ちょっと落ち着け……。一体……何があった……」
――act.7:『ネコとモリフクロウとエンフォーサー』
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