安堵の対極にあるもの、あるいは懸念

 「マウスとドローンの融合個体に対するチロシンキナーゼ阻害薬の有効性を検討した先行研究を、国立医学図書館のデータベースを使ってシステマティックに検索し、各研究データの統計量をランダムエフェクトモデルを用いてメタ分析してみました」


 僕がプロジェクターに映し出しているスライドには、チロシンキナーゼ阻害薬を投与されたドローン化マウスの生化学的パラメータが示されている。これまでに複数報告されている先行研究のデータを、統計的に統合解析したものだ。


 チロシンキナーゼ阻害薬投与と、ホルモンや炎症性物質など様々な生理活性物質の血中濃度が比較されているが、その中で唯一、著明に低下しているのがドローンの攻撃性を高めていると推測される血清エスアドレナリン濃度。


「様々な生理活性物質のうち、エスアドレナリンのみが有意に低下していることがお分かり頂けると思います。そこで、当研究室では、チロシンキナーゼ阻害薬の一つ、ソラゾミブのエスアドレナリン生合成阻害作用と、マウス融合個体の攻撃性への影響について検討してきましたので、主要なデータをいくつかご報告します」


 口頭発表は十五分程度。伝えられることはそう多くない。要点だけをかいつまんで、それでも分かりやすく説明する必要がある。研究資金の提供を継続的に受けるためには、これまでの実績を少しでも多くの関係者に理解してもらう必要があった。


「ドローンとの融合直後にソラゾミブを投与しますと、マウスのドローン化進展速度をわずかですが、統計的有意に抑制できました。また、ソラゾミブ投与個体は、非投与個体に比べて、90日後の生存割合は同等でしたが、攻撃性スコアが有意に低下することが示されました。さらに血中エスアドレンナリン濃度もソラゾミブ投与個体で低値でした」


 ここまで一気に話しを進めて、最後のまとめスライドを提示する。


「これらの結果は、ソラゾミブがドローンと哺乳類の融合に際して、ドローン化の進展抑制効果、及び融合個体における攻撃性低下効果を有し、またエスアドレナリンがドローンの攻撃性増強に寄与していることが示唆されます」


 会場にはそれほど多くの人が集まっているわけではない。対ドローン戦略は既にエンフォーサープロジェクトにシフトしている。今更ドローンを飼いならそうと考えている人間は少数派だ。


「その他、当研究室では犬を用いた実験を既に開始しており、これまでにビーグル犬とドローンの融合個体について、生化学的パラメータの改善、攻撃性スコアの改善を示唆するデータが得られています。マウスのでの研究成果から得られた理論は概ね支持されており、今後の研究結果が期待されています」


 スライドを終了し、マイクをスタンドに戻すと、端末の横に置いてあったペットボトルのミネラルウォーターを一口飲む。


「稲守先生、貴重な発表をありがとうございました。何かご質問などございますでしょうか」


 座長を務めるのは、今日知り合ったばかりの高沢たかざわという中年男性だ。彼も生物工学が専門だそうで、世界的にも有名な研究者らしい。もらった名刺には東都大学準教授という肩書の他、いくつかの研究施設長なんかの名称が、事細かに羅列されていた。しかし、残念ながら高沢という名前も彼の実績も、僕は何一つ知らない。


 知らないと言うことは、科学的探究においてわりと重要だ。問いというのはそれほど簡単じゃなくて、それは単にキミが知らないだけということはよくある。知らないことを”知らない”と知ること。ソクラテスの「無知の知」みたいな話だが、”知らない”を知っていることは、それでけですごいことだと思う。


 だから今日、高沢という男に出会えたのはきっと幸運なことなのだろう。とはいえ、僕はおそらくこの男とは二度と会わない気がする。それはヒトと初めてあった時になんとなく感じる空気で分かる。ああ、きっと僕とは合わない……。だいたい学会の重鎮にはろくな人間がいないということを僕は経験的に学んだ。


「稲守先生、貴重なお話をありがとうございます。田邉重工生命工学研究センターの矢部やべと申します。あの、一つだけ質問よろしいでしょうか」


 そう言って会場の後ろの方から、僕とほぼ同年代の痩身の男が席を立った。座長の高沢は腕時計をちらっとにらみ、少し顔をしかめると「手短にお願いします」とだけ言って発言を許した。


 会場に質問を振るのはただの形式。実際に質問が出る事なんてそれほど期待していない。最後に適当に座長意見でまとめ、早くこの場を切り上げる事。定刻どおりにセッションを終了すること、それだけに全力を尽くそうという空気がみなぎっている。学会っていったいなんだろうか。多くの場合、ここで繰り広げられているのはアカデミックな議論ではなく、単に自分の権威や実績を見せびらかす自慢大会のようなものだ。


「ありがとうございます。エスアドレナリンと言いましたかね。なかなかセンス良いネーミングだと思います。ところで、エスアドレナリンがドローンの攻撃性スコアと相関関係があることは分かるんですが、それは唯一の原因ではないですよね。ソラゾミブによって攻撃性が低下したことは、確かにエスアドレナリンの低下に起因するものなのかもしれませんが、それ以外の要因も多々考えられるはずです。犬を用いた実験を開始されているとのことで、何か新しい知見や、先生のご意見などをうかがうことができましたら幸いです」


 相関と因果のとり違い。まあ、動物実験レベルでは両者を判別しようがない。想定されていた質問だ。確かに、ソラゾミブがドローン体内において作用しているのはエスアドレナリンの生合成だけではないかもしれない。しかし、現状ではその理論仮説を支持する現象が一貫して観測されてることには違いないだろう。


「ご質問、ありがとうございます。確かに相関関係は示されましたが因果関係にあるかどうかまでは分かりません。ソラゾミブがエスアドレナリンの生合成を阻害することは、これまでの基礎研究からほぼ間違いないと思います。ただ、攻撃性については、エスアドレナリンが低下したものによるのか、あるいは他の要因が組み合わさっているのか、このあたりは今後の研究課題です」


 まあ、切り返しとしては、こんなところか。座長はさっきから時間ばかりを気にしている。僕の前に発表した演者が、持ち時間を二十分も超過したためだろう。この後、この会場では大会長講演を控えているだけに、焦る気持ちも分からぬでもない。


「いや、僕が懸念しているのは、エスアドレナリンが低下したことによって、むしろ融合個体が理性的な性格を獲得したではないかということです。攻撃性というのはあくまで個体の性質であって、生化学的、内分泌的な指標で示されるものではありません」


 待て待て、この矢部という男。いったい何を言っているのだろう。理性的な性格の獲得?


「あなただってそうでしょう? 機嫌が悪くて少々イライラしているからと言って、何かの生理活性物質が突発的に上昇するわけじゃない。イライラを表に出さないようにしているのは、血中を駆け巡っている物質ではなく、あなたの性格的なもの、あるいは理性と呼ばれる何かではないですか? もしソラゾミブを投与されたドローン個体が、その何かを獲得していたとしたら、この研究データは見かけ上のモノにすぎず、その本質はもしかしたらとても恐ろしいことにあるのではないかと思うんです」


「とても……恐ろしいこと?」


「はい。自らの意志で攻撃性をコントロールできるということ。それはヒトと友好関係にある生命個体であれば何も問題ないでしょう。事実、ヒト同士はそうやって信頼関係を獲得しています。でも、潜在的にヒトを排除するための思考しか持たない個体が、ある種の理性を獲得した場合どうなってしまうでしょうか? どのようにすれば効率的にヒトを排除できるか、それを冷静に思考するはずです。常に攻撃性を露呈していることはあまり得策ではない。いかがでしょう。僕の話はやや飛躍しすぎているかもしれませんが、そんなことも考えられるかなと思いました」


 論理的な言説、かつ反論の余地は少ない。その可能性は十分にあり得る。僕は返す言葉が見つからなかった。


「はい。では時間ですので、次の演者の方、お願いいたします」


 会場にはホッと安堵のため息交じりにそう言った座長、高沢の声だけが響く。


――act.6:『安堵の対極にあるもの、あるいは懸念』

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