誤謬の先にあるもの

「稲守先生、サンプル外骨格及び被験個体ビーグルの搬入は既に完了しています。なお融合個体を含めた研究サンプルはBSL4施設外への持ち出しが禁止されておりますのでご注意ください」


 田邊重工株式会社から派遣されている保安要員は事務的な口調で説明を終えると、「二重のセキュリティになっています。これを」と言って僕にセキュリティー解除のためのカードキーを手渡し、守衛室へ戻って行った。


 南関東州立大学は、小規模ながら高度安全実験施設BSL4を備えている。田邉重工との共同施設だが、今はもう実験棟の多くが稼働していない。


「愛想ないねぇ」


 後ろでそう呟いたのは奈津だ。ついてくるなと言っても聞くようなタイプじゃないし、彼女の好奇心をコントロールできるほど、僕はネゴシエーションが得意なタイプでもない。手渡されたカードキーを首から下げているネームタグの裏に入れると、施設内の地下へ向かうエレベーターに乗り込んだ。


「先生、緊張している?」


 狭いエレベーターの中で、斜め下から見上げるようにして僕を見つめる奈津の視線にドキリとする。からかっているのか、真面目なのか、時に良く分からない彼女の振る舞いを気にし始めたのはいつの頃からだろう。


「いや、別にそんなこともないけど……。経産局から派遣されてきた監視役が……。いや、なんでもないよ」


 外骨格を人工的に生命体に融合させる実験はマウス以外では初めての試みだ。経済産業局は、その安全基準に関するガイドラインを急遽作成し、同時にこの施設にも一人の監視官をよこしてきた。事前に通知されていたガイドラインと、いくつかの資料には、この研究事案に対する監視官として村沢恵子むらさわ けいこの名前が記載されてあった。


 村沢は同じく経産局にいる御堂の一つ先輩。まあ、つまりは僕の先輩でもあるのだけど、彼女とはあまり良い思い出がない。正直、こんなところで再開するなんて思ってもいなかった。


「ふうん、知り合いなんだ?」


 僕が何も答えないでいると、奈津は興味なさそうな表情をつくり「先生、最近つまんない」とつぶやきながら、小さなため息をついた。


 エレベーターの電光掲示が地下五階を示しているところで僕らは降りる。扉が開くと、無機質な壁に囲まれた通路の脇に、一人の女性が立っていた。


「稲守くん、久しぶり」


 ああ、やっぱり……。長いストレートの髪も、切れ長の鋭い目も、ヒールにスカートに白衣という装いも、あの頃と何も変わらない村沢恵子だ。


「変わらないね」


思わずそう呟いてから後悔する。


「それは良い意味で? それとも悪い意味で?」


予想どおりの切り替えし。


「もちろん、良い意味のつもりなんだけど……」


 そんな村沢は表情一つ変えずに、「彼女は?」と言って、僕の後方を指さした。


「ああ、うちの助手だよ。えっと長瀬……」

「長瀬奈津です。稲守先生の彼女です」


 平然とそう言った奈津を前に、村沢は手にしていたいくつかの資料をどさっと床に撒き散し、ひきつった表情で僕に視線を向ける。


「い、いや、違うんだ」

「先生、違うって何?」


 呆気にとられる僕らを尻目に、口元にほんの少し笑みを浮かべた奈津は床に落ちた資料を拾い集め、それを村沢に手渡す。無言で受け取った村沢は白衣のポケットから端末を取りだした。


「えっと、助手なんて聞いていないわ。研究員名簿に登録されてない者はここから先、立ち入り禁止よ」


 なんとか平然をつくろっていたが、村沢の声は動揺を含んでいた。


「おかしいな。大学には申請を出しておいたはずだけど……」

 

 研究助手として奈津の登録申請を出していたはずなのだが、受理に手間取っているのだろうか…… 。村沢は端末を白衣のポケットにしまうと、資料を抱え直して小さくため息をつく。


「いずれにせよ、登録が確認できないので、彼女にはここで待機してもらうか、帰ってもらうより他ないわね」


 淡々と言い放った彼女は、スッと踵を返し、後方にある扉のセキュリティーをカードキーで解除すると、その先へ足を向けた。


「君は相変わらず、厳格だな」

「そういう性格なので」という彼女の言葉を残し、扉が閉まる。その直後、僕の後ろで「ケチっ」と呟く奈津の声。


「そんなわけなんで」


 そう言って、僕は村沢と同じようにカードキーを壁に取り付けられているセキュリティ端末のリーダーに通す。


「先に帰っていて大丈夫だから」


 振り返ると奈津は子供がそうするように頬を膨らましてこちらを睨んでいた。そんな奈津を一人残し、僕は扉の先の村沢を足早に追った。


 かつてここではバイオテロを想定した天然痘やエボラ出血熱ウイルスなどの研究と、そうした感染症に対する治療設備が稼働していた。現在では医療系の設備を除き、実験棟は全て閉鎖されていたが、今回、外骨格と生命体の融合実験に際して再稼働許可が下りたのだ。


 速足で歩いて、ようやく村井の後ろ姿に追いつくと、彼女は僕を振り向き「元気にしてた?」と声をかけてきた。


「ああ。まあまあ……かな。君の方はどう?」


「別にどうってこともないけど……。これでも医者だから忙しいのよ」


「そうか」


「あなた、いつからロリコン?」


「は? いや、奈津はそういうんじゃない」


「どうだか……。さて、ここ」


 村沢は鋼鉄製の扉の前で立ち止まると、扉横の端末に白い手をかざす。指紋認証システムになっているらしくタッチパネルに親指を押し付けるとアラーム音と共にロックが解除された。


サンプル外骨格非検体ビーグルは既に搬入済み。経産局の規定通り、この研究には私も参加させてもらうわ」


 扉が開くと、前面に強化ガラス製の壁が見えた。手前に端末が設置されたデスクが置かれており、被験体のバイタルなどを計測するための医療機器も搬入されていた。


「動物実験というには物々しい設備よね。まあ、当たり前だけど」

「動物実験……か」


 動物実験というものは壮大な誤謬ごびゅうの上に成り立っている。例えば、抗うつ薬を評価するための動物実験にマウスの強制水泳試験と呼ばれるものがある。


 この試験では、一定の大きさの水槽に水を張り、マウスを強制的に泳がせて、そこで生じるマウスの無働時間を、抗うつ薬を投与した場合と投与しない場合で比較計測するのだ。抗うつ薬を飲んだマウスで無働時間に至るまでの時間が長ければ、『薬の効果あり』と判定する。


 しかし、マウスの無働時間が、ヒトのうつ状態と同じと言えるのだろうか。泳ぐことをあきらめたマウスの感情がヒトの抑うつ感情と一致するかどうか、という問題はそれはそれで興味深いところではある。


 それはともかく、そもそも、マウスとヒトとが同じ苦痛を感じ得ないという前提がないと動物実験は倫理的に成立しない。ヒトと同じ苦痛を動物が感じ得るのなら、そこにはヒトと同じだけの倫理的配慮が課せられ、とてもこんな実験などできないからだ。


 ならば、無働時間はヒトのうつ症状とはまるで異なっているということを前提に実験を行っていることになる。したがって、無働時間の延伸が観察されたとしても、それは抗うつ効果ではありえない。ではいったいなんなのか? 


 これから僕のやろうとしている実験にどんな意義や価値があるのだろうか……。


――act.2:『誤謬の先にあるもの』

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