交錯する視線の果てに

「止まって」


 僕の少し前を無言で歩いていたエンフォーサーは、急に立ち止まり右腕に装着された槍状の銃火器を構えた。小柄な彼女の背中とは対照的な右腕。ドローンの腹部を吹き飛ばしたその武器は、右肘のあたりから接合されており、接合部にはどこかで見たようなエンブレムが刻印されていた。


――あのマークは確か……。


 そのエンブレムの斜め下には、小さなLEDランプが横に5つほど設置されていて、ピンク色の光を点滅させていた。その灯りは徐々に点滅速度を上げていくと、同時に微かな振動を湛えた銃火器の駆動音が大きくなっていき、やがてLEDランプは点滅をやめ連続的に点灯する。高エネルギーを照射するだけに、その起動シークエンが長めなのがこの武器の欠点なのだろう。


「来る」という彼女の小さな声と、腹部を突き上げるような重低音が僕の鼓膜を振るわしたのは同時だった。あっという間に青い閃光が視界を包んでいく。僕らの目の前を通過しかけたドローンに、電磁パルスが直撃したようだ。一瞬で闇色の金属外装がはじけ飛んでいく光景はどこか美しくさえある。


「行こう」


 閃光が消滅すると、まるで何事も無かったかのように、エンフォーサーは通路の先に向けて歩き出した。足元にころがるドローンは、胸部を貫通した電磁パルスによってそのコアを完全に破壊されているのだろう。身動き一つせずその起動を完全に停止している。


「この壁。傷ひとつ付いていない……」


 横たわるドローン後方の壁には、貫通した電磁パルスが確かに直撃したはずなのだが、かすり傷ひとつ付いていなかった。なめらかな金属様の壁は、相変わらず建造体の薄暗い照明を鈍く反射させている。あの銃火器の威力を初めて目の当たりにしたときも感じていたが、この壁は一体どれほど堅牢に作られているのだろう。


「ここの壁はイーリスでも破壊できないんだよ。外部とは完全に遮断された建造空間だからね。それが故にシェルターの役割を果たしていたなんて、今考えれば少し皮肉な話だけど」


 立ち止まる僕を振り返り、エンフォーサーはそう言った。イーリスとは彼女の右腕に装着された槍状の武器のことだろう。


「シェルターって。何のための……。コクーンの外側にある≪世界≫は一体、どんなだっていうんだ」


 僕の消え入りそうな声に、エンフォーサーは無感情な眼だけを残して口元をゆがませ「それは君の目で確かめた方が早いよ。ボクがを並べて説明するよりね」とだけ言った。


 頭の中をめぐる疑問符が、何一つ解決していない僕を尻目に、彼女はただ黙々と歩き続ける。


 美郷や結良を始め、コクーンに住んでいた人間は皆、外部の世界を夢見ていた。いつかここから出て自由に ≪世界≫ を歩いてみたい。誰もがそう思っていたんだ。


 端末からアクセスできた ≪世界≫ の画像は、形容しがたい多様な色彩であふれていた。≪天≫ は闇色ではなく、透明に近い青色。大地は冷たい灰色の金属床が一様に広がっているのではなく、茶色と緑が入りまじった複雑な濃淡を描いていて、上層から差し込む光を受けて時に茜色に輝いている。壁なんてどこにもなくて、空間は果てしなく続いているように見えた。結良だって、そして僕でさえあきらめかけた ≪世界≫ へのアクセス方法を、美郷は最後まで追いかけていたんだ。


「あそこが中央制御室だよ」


 立ち止まったエンフォーサーの視線の先には ≪始まりの部屋≫ の扉がある。この状況からなんとなく予想はしていた。この部屋には謎が多すぎるし、コクーンの中枢と呼べる階層はこの部屋をのぞいて存在しないから。


 でも、「あそこの扉は絶対に開かない」僕はため息交じりにそう言って視線をエンフォーサーに戻す。


 僕らの生活はあの部屋から始まった。それにもかかわらずあの部屋には決して戻れないんだ。そしてあの部屋にいたころの記憶は一切保持していない。そんな謎に満ちた空間に興味を抱かないわけない。


 コクーンにある端末で、≪始まりの部屋≫に関する情報を必死で検索し、時には力ずくであの扉をこじ開けようとした。だけれど、どんな努力もあの部屋の扉にはかなわなかった。


 そんな毎日が繰り返される中で、いつしか僕らは外の≪世界≫への希望を失いかけていたんだと思う。あの部屋に対する関心が薄れていくにつれて、ただただこの建造体に宿る“豊かさ”の享受で満ち足りた気分になっていた。もう、それで十分、という仕方で生きる事。それが僕らの日常だったんだ。


「楓くん、後ろっ」


 突如聞こえた馴染のある声に驚き、無意識に後方を振り返ったその瞬間、ドローンがなぎ払った金属棒が僕をかすめていった。


「いつの間に……」


 全く気配を感じなかった。体の割には華奢な脚部は、ドローンの巨体を機敏に移動させ、その重量からもたらされる衝撃を容易に吸収する。頬をかすめた金属棒は僕の顔の皮膚を切り裂いていったらしい。傷は浅いのだろうが鋭い痛みに思わず顔をしかめる。


「逃げてっ」


 桜木美都さくらぎみとの声が再度 ≪始まりの部屋≫ のあるエントランスに響く。その声に反応したドローンは桜木に向けて脚部の方向をしなやかに転回させた。やつの行動は機敏かつ予想できないほどに奇抜で残虐だ。ドローンが跳躍をしようとしたその時、僕の横にいたエンフォーサーはイーリスをドローンの背部に突き立てた。


 致命傷とはいかないまでも、背中に損傷を受けたドローンは床に膝をつく。その隙をついて、こちらに逃げてくる桜木に僕は手を伸ばす。


「桜木、逃げよう。とにかくここから脱出するんだ」


 横目で見たドローンの丸い頭部には、はっきりと目のようなものがついていた。その輪郭は外装と同じ闇色なので遠目からでは識別困難なのだが、赤く光る瞳の周囲に埋め込まれたそれは、確かに人間の目と酷似していた。


「脱出って……そんなこと……」


「大丈夫、彼女が……」


 そう言いかけた途端、ドローンの巨大なアームが、エンフォーサーをなぎ払い、その勢いで彼女の小柄な体は壁に激突した。すかさずドローンは壁にもたれるエンフォーサーに向け金属棒を投げつけた。まっすぐ飛んで行ったそれは彼女の肩に突き刺さる。


「おいっ。大丈夫かっ」


 僕は壁にもたれるエンフォーサーに駆け寄ると、肩に突き刺さった金属棒を引きぬいた。


「ボクとしたことが、ちょっと油断した。外界色覚センサーにガタ来ていたのを忘れていたよ。もうしばらく整備も受けていない」


 彼女はそのまま床に膝をついてしまった。致命傷という感じではなかったが、思いのほかダメージが大きいようだ。僕はエンフォーサーから引き抜いた金属棒を両手に構える。そんな僕の視線を押し返すようにドローンの赤い瞳何度か点滅している。状況を分析しているのだろうか。


「腹部を狙うんだ」


 そう言ったエンフォーサーは右足を引きずるようにして立ち上がり、イーリスを構え直した。


 あれが高エネルギーを放射させるまでにはまだ時間が必要なのだろう。エンフォーサー自身の戦闘力はあのイーリスという銃火器に依存している。彼女単体では機動力はあれど、ドローンにとってはそれほど大きな脅威ではない。


「分かったよ」


 両手に力をこめ、僕は目の前のドローンに向かって駆けだした。不思議なことに怖さや恐れみたいな感情は湧いてこなかった。ただただ大切な人が受けた苦しみを、悲しみを、その感情の先鉾をあのドローンにたたきつけてやりたいと、そんな情動が僕の振る舞いを規定している。


 きっと右のアームが僕をなぎ払おうとするだろう。その隙を狙って腹部にコイツを突き立てるんだ。


 僕の予想通り、ドローンは金属棒を持っていない方のアームで僕を薙ぎ払おうとしたが、その一瞬手前で大きく跳躍して攻撃をかわした。宙に浮いた僕の身体は、重力を受けてドローンの腹部へ勢いよく金属棒を突き立てる。


「お前にも苦しみが分かるか」


 複雑に金属板がより合わせられた腹部の強度は決して高くない。ザクッと音を立てて深部まで突き刺さった。おそらくドローンの弱点なのだろう。僕は突き立てられた金属棒を素早く抜くと、前かがみになったドローンの頭部をにらみつける。


 ドローンの赤い瞳が微かに動いたような気がした。やつにも感情はあるのだろうか。僕は至近距離からドローンの赤い瞳に金属棒を突き立てると、それはぐにゃりとへこみ、棒はそのまま頭部へ突き刺さっていく。


「これは……結良の分だ」


 痛みを感じているのかどうか、分からないけれど、大きくのけぞったドローンはそのまま床にあおむけに倒れ込む。まだ駆動音が聞こえるドローンの腹部によじ登ると、僕は足元にある金属外装の継ぎ目に向かって手にした棒を突き立てた。


「これは美郷の分……」


 金属棒はそのまま内部へ食い込み、バキバキと音を立てて、ドローンを駆動している心臓部構造を破壊したようだ。


「起動停止確認。生身でドローンを破壊するなんて、やるね」


 エンフォーサーはそう言うと片足を引きずりながら ≪始まりの部屋≫ の前に立って、扉の横にある白いボックスに左手をかざす。すると、ボックスの表面が中央で割れ、内部から小型のコンピューター端末が露出した。


「これは……」


「中央制御室のセキュリティーシステムだよ。経済産業局の限られたヒト、もしくは僕らエンフォーサーにしか解除できない」


 ここから外に出ればきっと何もかも明らかになるのだろう。このコクーンが作られた理由も、エンフォーサーやドローンがなぜ存在するのかも。だから今はただここからの脱出というタスクに集中すべきだ。問いは必要最低限にすべきと、僕は自分に言い聞かせる。エンフォーサーがは端末を手際よく操作すると、閉ざされていた冷たい真っ黒な扉は音もなく開いた。


「さあ、行こう。ドローンがやってくる前に」


 エンフォーサーの後に続いて僕も扉の内側に足を踏み入れていく。内部に入ると自動的に天井の照明が点灯した。見渡してみるけれど、この部屋の内部構造についての記憶はほとんどない。


「桜木、もう大丈夫……」


 僕が後方を振り返った視界の先にあったのは、目を見開いて恐怖におびえる桜木の瞳と、その後ろからこちらを凝視しているドローンの赤い視線だった。床には赤い鮮血がポタポタと音を立てるように滴っている。そのままゆっくり視線を上げれば、桜木の胸から血にまみれた銀色の金属棒が突き出していた。


「桜木……」


 桜木の後ろから忍び寄ったドローンがその金属棒で彼女を一突きにしたのだ。


「逃げて……」


 消え入りそうな桜木の声を前に、僕は身動き一つとれない。


 「彼女はもう生存困難だよ」というエンフォーサーの声が心を侵食する。ヒトの死が繰り返される現実を肯定しているかのようなエンフォーサーの声に、希望が如何にもろいものかという事を思い知らされる。


 放心している僕の目の前で、無情にも扉は閉まっていく。閉まりかけた扉の向こうで桜木の口元が微かに動くのが見えた。


「楓くん……ありがとう」


 完全に閉めらた扉にはイーリスに刻印されていたものと同じエンブレムが描かれていた。


――act.6:『交錯する視線の果てに』

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