かすかな声、でも確かな声

 「まあ、いきなりエンフォーサーなんて言っても、ボクの話は信じてもらえないだろうね。でも、ほら、ボクは少なくとも君たちのようなヒトとは別のカテゴリーに存する思考体なんだよ」


 そう言い終わらないうちに、彼女の大きな瞳が青く発光していく。それは明らかにヒトの虹彩組織ではなく、有機的な要素を欠いた無機物で組み立てられた “パーツ”なのだと……。そう想わせるに十分なインパクトを持つ光景だった。彼女の外見は、ヒトと何も変わらないけれど、やはりヒトではなくエンフォーサーと呼ばれる何かなのだ。


――とにかく現実を受け入れ、冷静にならなくては。


「美郷も……。あいつも、一緒に連れていく」


 エンフォーサーと名乗った彼女は、首を少し斜めにかしげて「ゲゼルシャフトに残る生命反応はごくわずかだよ」と無表情でつぶやいた。ゲゼルシャフトとはおそらく僕らがコクーンと呼んでいるこの建造体のことを指している。そしてヒトではない彼女には、どういうわけか、この施設内の生存者数を計測することができるのだろう。


 だけれど、彼女の青い瞳の裏側に映し出されているものが何であれ、僕は美郷のところへ行くんだ。


「お前、僕を助けるのが任務なんだろう?」


「概ねそう。正確には君ではなく、ドローンの排除を受けているヒトの救出と、ドローンの殲滅を任務としている」


「なら一緒に来い。美郷もドローンの排除を受けているヒトのうちの一人だろう? 彼を探して救出する」


 まだ美郷は探索棟にいるはずだ。彼は居住エリアにいることの方がまれだった。エンフォーサーは無言のまましばらく僕を見つめていたが、ほどなくしてうなずいた。了解したということなのだろうか。僕は構わず、上層に向かう階段を登り始める。彼女がついてくるかどうかなんて正直どうでもよかったから、振り返って確認なんてしない。幸いにもあのドローンとかいう怪物は下層に向かったらしく、ここより上の階層にその気配を感じることは無かった。でもそれは同時に上層に生存しているヒトがごくわずかであることを示唆している。


 階段を上り、解析棟の奥へ向かう狭い廊下を右に折れると、そこには予想をはるかに超える悲惨な光景が広がっていた。床に倒れいているのはみなコクーンに居住していた僕らの仲間だ。壁には血しぶきが染みつき、頭部がない遺体や、天井の通気ダクトに引っかかった四肢……。その激しい遺体の損傷具合から、ここで行われた悲劇がいかに惨憺さんさんたるものだったかが想像できる。


「なんで、こんなこと……」


 血なまぐさい光景を前に僕の足は前に進まない。立ち止まるより他ない僕には、ただこぶしを握り締めている手に力を込めることくらいしかできなかった。


 ≪生≫はただそこにあるだけで尊厳を含んでいるはずだ。そう、誰にも侵害できない尊厳を。


「ドローンはヒトを排除する。ただそれだけのために動いているんだ。その理由を……」


 後方から聞こえるのはエンフォーサーの声。僕は彼女の言葉をさえぎるように後ろを振り返り、そして問いかけた。思考よりも感情が先走っている。あるいは事実を認識するのが怖かったのだろう。ドローンがヒトを排除する理由なんて今は知りたくない。


「ヒトの尊厳を蹂躙する、そんなことが許されるの?」


 下層から伝わる激しい振動が僕らを揺らし、響き渡る轟音は、狭い廊下の壁に反響していく。熱気を帯びた風が下層から吹き抜け、僕と彼女の髪をなびかせていく。


「尊厳か……君の話し方は彼に似ている」


「なんの話だ」


「いや、なんでもないよ……」


 そういってうつむいた彼女を気にも留めず、僕は前に向き直り、ゆっくり瞼を閉じる。このまま美郷を見捨ててはいけない。僕は前に進まなくては……。


 しばらく道なりに進むと、ほどなくして美郷の探索室が見えて来た。


――生きていてくれ。


そんな情動は祈りに近い。


 探索室の扉は力なく開いていて青白い光が廊下に漏れている。僕らは半開きの扉に手をかけ、薄暗い部屋の中に入っていった。室内の明かりは消えていたけど、端末のモニター類は起動していて、廊下に伸びていた青白い光はこのモニター類のLEDだった。


「美郷……」


 僕の問いかけに返事はなく、その代わりに端末のハードディスクがフォンと音をあげる。下層からの振動は相変わらず続いていて、大きな振動が来るたびにテーブルに乗っているマグカップがカタカタ音を立てる。


「美郷っ」


 今度はもう少し大きな声で呼んでみるけど、僕の声は、ただむなしく室内に響いただけだった。


「生命反応は微弱だけどあるよ。君の正面から右奥に進んだところ」


 瞳を青く発光させたエンフォーサーは、美郷がいつも座っていたソファーの裏を指さしている。僕は彼女の指さした方へ向け足を向けるが、あと半歩のところで転んでしまった。足が滑ったのだ。水で濡れているというような滑り方ではない。床に着いた手の違和感をもたらしているもの、それが何か僕はもう知っている。


「血……だ」


 結良のそれとは違い、冷え切った床の温度に近い。視線を手の平から視界の先に向けると仰向けで横たわる黒い影が見える。間違いない、美里だ。腹部がまだ少し上下に動いているのが分かる。


「楓……か」


かすかな声、でも確かな声。僕は美郷に駆け寄る。


「美郷っ」


思わずそう叫びながら、美郷の口元に耳を寄せた。


「に、げろ。それと……。ゆ、結良を……頼む」


――結良はもうこの世界にはいないんだ、美郷。ごめん。彼女を守れなかった。だからせめて……


「美郷っ、お前も一緒に来いっ」


 息絶えそうな美郷は右腕を持ち上げる。そんな彼の力ない手を僕は握り締める。


「ううっ」


 顔をしかめ、口から大量の血を吐き出しむせ返る彼の表情には、すぐ近くに死が迫っていることを容易にうかがわせた。


「しっかりしろ美郷。ここから出る方法があるんだ。だからもう大丈夫。しゃべらなくていいから。一緒に行こう」


 美郷の瞼がゆっくり開かれ、そこからのぞいた茶色の瞳を僕に向けると、かすかに笑みを浮かべた。


「外の≪世界≫、お前の夢だったろう? 一緒に見に行こう」


 そんな僕の言葉に彼は力なく首を振る。やがて再び瞼は閉じられ視線が消える。


「美郷っ」


「これを……、頼む」


 そういって美郷の手が僕の手の中で動き、小さな固いものを僕の手のひらに押し込んだ。


「すまない、この悲劇を……招いたのは、多分、俺だ…」


 そういった彼の呼吸が浅く早くなっていく。話すのも苦しいのだろう。呼吸を整えようとするけど、吐血は止まらない。


「お前のせいじゃない。だからもうしゃべるなっ……」


「すま、な……」


それきり腹部は動かなくなった。彼の腕からすっと力が抜けていく。


「美郷っ」


 僕の手に残された小さな固いものはメモリーチップだった。彼が例の映像ファイルを保存していたものだ。結良の解析でもうまく再生することはできなかったけれど、この中には大切な何か残されている、美郷はそう確信したのだろう。


「そのメモリーチップには、経済産業局の最重要機密事項に関するデータが保存されているみたいだ。そのファイル、どこで手に入れたの? いや……。そうか、彼が呼び寄せた、彼自身もそれに気づいていたんだね」


 エンフォーサーの青い瞳はメモリーチップに視線を合わせている。保存されているデータの種別まで認識できるのだろうか。確かに、解析棟で美郷が見せてくれた端末のモニターには、「経済産業局自律型思考システム研究開発センター」と表示されていた。あの時、美郷はもう一つ見つけたファイルのダウンロードを開始して、その直後に端末がブラックアウトしたんだ。


「あのファイルにアクセスすること自体がこの悲劇を招いたとでもいうのか?」


 涙が無意識にほほを伝っていく。その無意識が悲しみと呼ばれるものなのか、苦しみと呼ばれるものなのか、今の僕にはよくわからない。でもヒトの目という器官は光を認識する力ではなく、涙を流すことにこそ、その本質が存在するのだと思う。


「たぶんそうだと思う。ここの端末から経産局の機密データベースにアクセスしたことが、ゲゼルシャフトの異常稼働をインターシティーに知らせるエマージェンシーコードの発生につながったのかもしれない」


「インターシティーだ、ゲゼルシャフトだ、そんな御託は聞き飽きたよ。一体何だってんだっ。これだけの命が訳も分からないまま失われているんだっ! 」


「君たちが理解できないのも無理はない。そもそも君たちは実験体なんだからね。何かを理解するような前提知識は抹消されている。いずれにせよ、異常稼働のコードはヒトの存在をあのドローンに知らしめることになってしまった。本来であればヒトが来るはずだったのに、来るべきヒトはもうこの関東平野には存在しない、そういうことさ」


――act.5:『かすかな声、でも確かな声』

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