僕の情動に宿る君の声
耳鳴りのような高周波の音が三半規管をこだましていて、僕の聴覚はその機能を停止している。平衡感覚も危うい中、視界は色彩を失っていて時間感覚すら異常に感じる。闇に包まれた ≪天≫ からは、闇と同じ色をしたヒト型の金属塊が次々と降下してきて、金網上の床に着地すると、背部の巨大な翼を格納しながらコクーンの下層に向かっていく。その巨体からは想像もつかないほど機敏な動きで、黒光りする脚部を器用に折り曲げながら、しなやかに階段を下りていく姿は異様だ。
自分の手を額にそっと押し当てる。その手を視界にかざすと、真っ赤な血液がべっとりと付着していた。それは、さっきまで結良の全身をめぐっていた温かいもの。
「結良……」
声にならない音のようなものを喉から漏らすより他ない僕は、目の前の状況に思考の焦点を合わすことができない。結良の命を一瞬にして奪った巨大なヒト型金属は、その頭部らしきものをこちらに向け、赤い光を点滅させながら、少しずつ僕に近寄ってくるように見えた。
巨体を支えるにはあまりにも華奢な脚部が、うつぶせに倒れている結良の体に触れたその瞬間、思考が脳と身体を繋ぎ、僕の聴覚機能と視覚機能が回復する。
「触れるなっ」
足元に落ちていた銀色の細長い棒を握りしめ、近寄る黒い人型金属の脚部に狙いを定める。おそらく上層から一緒に落ちてきたであろうその棒は、先端が鋭利な構造をしていて、まるで槍のようだ。両腕に力を入れ、思い切り相手の脚部に突き立てると、キーンという耳をつんざくような音を立て、大腿に相当するであろう部位に食い込んだ。いや正確には複数の金属板の継ぎ目に突き刺さり、その内部存在すると思われる駆動系を少しだけ傷つけたにすぎないのかもしれない。それでも、ヒト型金属の動きが一瞬止まった。
僕は結良に駆け寄ると床と彼女の背中の間に両腕を入れ、そのまま抱えるようにして立ち上がる。目の前で静止しているヒト型金属はやがて、頭部を斜めに振ると、結良の命を消し去ったあの金属棒を両手に握りしめ、それを勢いよく振りかぶった。その瞬間、ひゅっとあおられる空気の流れが僕の前髪を揺らし、金属棒にへばりついていた結良の血液が髪に降りかかるのが分かる。
――振り下ろせばいい。
僕は目を閉じる。まだかすかに温もり残る結良の体を抱きしめ、その頬に顔を寄せる。
「君を守れなくて……ごめん……」
死を覚悟したその瞬間だった。突然、瞼の裏側からでも分かるほど真っ白な閃光と、同時に何かが焼け焦げる臭いを含んだ突風を受けて思わず目を見開いた。目の前に肉薄していた、あの黒いヒト型金属は床に膝をつき、うなだれた頭部から覗く頭頂部には、巨大な穴が開いている。それでも、本体の駆動系はまだ生きているようで、二本のアーム支えにして、ゆっくりと巨体を持ち上げていく。
首をもたげ ≪天≫ を見上げると、右腕に巨大な銃火器のようなものを装備している少女が急降下してくるのが見える。そんなあり得ない光景を前に僕はただ、その場に立ち尽くすことしかできない。
降下を続ける彼女は、立ち上がろうとしたヒト型金属に向け右腕の銃火器を突き立てた。その勢いを保ったまま、突き立てた銃火器を即座に引き抜くと、両足でヒト型金属を思いっきり蹴飛ばし、自身は床に着地する。とてもしなやかな動きで無駄がない。
床に飛び降りた少女は、右腕に装着された巨大な槍のような銃火器を、倒れかけたヒト型金属に向ける。やや右足を後ろにひき、彼女が腰を落とした瞬間、先ほどと同じ閃光なのだろう、真っ白というよりは青みがかった光がぱっと放たれ、ヒト型金属の腹部が吹き飛んだ。制御中枢システムを破壊されたヒト型金属はそのまま床に崩れ落ちていく。
あれだけの高エネルギーがヒト型金属を貫通し、コクーンの壁や床にも照射されているというのに、この建造体には傷一つついていない。
「君、ここにいたら死ぬよ」
少女は、僕を振り返ると、おもむろに左腕を伸ばし、その体型からは想像もつかない力で僕を抱える。その衝撃で結良の体がどさっと床に落下する。仰向けで床に横たわるその体は、彼女がいつも ≪天≫ を仰いでいる時のように、不思議な魅力を放ち続けていた。
「結良っ」
謎の少女に抱えられたまま、両腕を結良の方に伸ばして叫ぶ僕に、「その子の生命反応はもう停止しているよ」と感情の無い声が降りかかる。
「離せっ」
彼女の腕の中でもがいてみるけど、その腕力は想像もつかないほど強いものだった。大切な何かが、一瞬で消し飛んでしまった。自分の中に確かに存在したと思っていた軸なんて、ぐにゃりと曲がってしまって、もうどうにも戻らない。
「死にたいの? 」
もう生きている意味なんてないんじゃないか? そう答えたくなる僕の頭の中で、ふっと結良の声が響く
『どんなに小さくても希望はあるよ』
僕は結良の微かな笑顔が大好きだった。いつも無表情なくせに……。
『夢も希望もないと気づいたところから始めればいいじゃない』
いつだって彼女の言葉に励まされた。
『今がすべてじゃない。それは確かだよ』
――結良。
君がいない世界なんて、≪世界≫じゃない。
「いいから、離せっ」
さっきから轟音が鳴り響いている。下層の振動が、僕らのいるコクーン最上層の床を揺らす。
「君の情動パラメータは複雑だね。でもボクが従うのはヒトの一般意志であって君の声じゃない」
そう言って少女は僕を脇に抱えたまま、大きく飛び跳ねると、一気にコクーン下層へと向かった。それは階段を駆け下りるというよりは滑空していると言った方がいい。重力が抜けていくふわっとした感覚に吐き気を覚える。
「待てっ……。一体どこに向かってる?」
向かい風が容赦なく僕の喉を突きぬけていくから声も出しにくい。
「ゲゼルシャフトの中央制御室だよ。そこに脱出用のエレベーターがある」
「ゲゼルシャフト?」
一体なんの話だ? 脱出用エレベーター? ここから脱出なんてできるはずない。この施設から外に出る手段なんて存在しないことは僕らがよく知っている。
「ここから抜け出せるはずない。もし仮に抜け出せるのだとしたら、みんなもつれていく」
「もう手遅れだよ。君も見ただろう。侵入したドローンは三十体を超えている。生身のヒトが戦って勝てるような相手じゃないんだ」
ドローンとはあの黒いヒト型金属のことだろうか……。とにかくこの少女が話している言葉は意味不明だ。
「ドローンとか、ゲゼルシャフトとか……。君は一体何の話を……。 とにかく降ろせっ」
「さっきから……。そんなに降りたいの?」
彼女はそういうと、狭い階段の踊り場で急に止まると、冷たい床に僕を放り投げた。投げ出された僕はそのまま灰色の壁に左肩を打ちつける。強打というほどでもないけれど、鈍い痛みを肩から背中に感じながら僕はよろよろと立ちあがり、目の前の得体のしれない少女をにらみつける。一瞬で何もかも奪われたその感情を彼女にぶつけてしまいそうだ。自分が情けなくてふがいない。
――僕はなんて無力なんだ。
段上にいる彼女は僕らより明らかに年下のような外見をしている。だけれど、その身体能力はヒトとは思えない。僕は彼女の瞳が青く光っていることに今更ながら気が付いた。あれだけの身体能力といい、生身のヒトというには説得力がなさすぎる。
「お前、ヒトじゃないのか? 」
僕の問いに、彼女はふっと軽いため息をつき、面倒くさそうな表情を浮かべた。やはりヒトなのだろうか。機械にこんな高度な振る舞いは不可能だろう。
「ボクの任務は、一人でも多くのヒトをドローンから守り、少しでも多くのドローンを破壊することだよ。現状のユーティリティを適正に評価するなら、このまま君を連れてゲゼルシャフトを脱出すること、任務遂行に当たってはそれ以上もそれ以下もない」
「いったい……何者なんだ?」
下層から響く轟音と振動が狭い階段の踊り場にいる僕らを震わす。少し間をおいて彼女は答えた。
「人型一般意志執行インターフェイス。経済産業局の公式登録番号は118a-5。ボクを作った人類は、ボクらをエンフォーサーと呼んでいたよ」
――act.4:『僕の情動に宿る君の声』
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