明日が来ることの意味を教えて
崩れ落ちてゆく地表のゲートをすり抜け、地下に向かう狭い階段を駆け下りる。防御層を超えれば、エレベーターホールが見えてくるはずだった。でもエレベータが存在した場所には巨大な空洞が広がっていて、その奥は闇に満ちているだけだった。
ぽっかり空いた目の前の空洞の下からは、熱風が吹きあがってくる。ボクは無意識に腕を顔の前にかざし、熱気から視覚認識システムを守る。多くの精密機械がそうであるように、ボクの瞳も熱に弱い。
きっと下層で大規模な火災が起きているんだろう。建造体へのドローン侵入は明らかだった。これまで空中を飛行するタイプのドローンは見たこともない。優れた機動力を前にエンフォーサーも鉄の塊同然だった。襲来してきたドローンのうち破壊できたのは一割にも満たないだろう。
ボクの耳に装着されている通信用のイヤーマフはあれからずっと沈黙している。通信設備はおそらくもう機能していない。
エレベーターをあきらめ、ボクは通路わきにある非常階段に続く扉を開ける。幸いにも崩壊を免れた非常階段をゆっくりと慎重に降りていく。空気は乾燥していてとても熱い。ただ、インターシティー内の電源設備はまだ生きているようで、天井の蛍光灯が建造体の内部を薄く照らし出している。
――明日が来ることの意味をボクはずっと考えている。
『話がしたい』とキミはあの時そう言った。だからボクはずっと待っているんだ。
整備区画は既にドローンが侵入した後だった。扉につけられていたはずの ≪稲森亮≫ というタグプレートが床に転がっている。プレートの半分は焼け焦げて、まだ微かに煙がくすぶっている。ボクはそれを拾い上げると、強化プラスチック製のウエストポーチに入れた。
区画内は崩壊すらしてないものの、壁や天井は熱線で焼け焦げていて、何者かが動く気配はまるで感じない。ただデスクにはいつものコーヒーカップが置かれていて、椅子に深く持たれるキミの後ろ姿だけがはっきり識別できた。
★
今日はいつ終わって、明日はいつやって来るんだろう。ボクはキミをずっと待っているんだけど、でもどれくらい待っているのか実は良く分かっていないんだ。ヒトがいう時間というものがどんなものかボクにはよく分からないよ。
人類が作り出した機械は自ら主体的に行動できる意志を宿し、創造主に対する破壊行為に明け暮れる。それを自然と呼ぶのなら、人類は自然から逸脱した生き物であり、この世界から排除を要請される定めにあるものなのかもしれない。
「列車はもう来ない……だからいつまでも同じ時間の中にいられるよ。そうでしょう? 」
瓦礫が津積み重なるインタシティー交通システムのプラットホームには、車両の右半分が削り取られたように破壊されたアルミ色の列車が、脱線した状態で停車している。ボクはたまに車内の椅子に座ってみるんだ。
ごわごわした列車の椅子の感触を確かめる。
「キミがいつも腰かけていたのはこの辺りだったっけ」
チリとほこりが車内の床に降り積もった分だけ、ボクにボクだけの時間を教えてくれる。やがてこの場所も、地表と同じように金属の塊と、チリにまみれた世界に変わっていくのだろう。
インターシティー表層に近い整備区画も幾度となく歩いた。稲守亮の整備室入り口にあったはずの鋼鉄製ドアは熱線で溶け、もはや原型をとどめていない。このエリアはあのドローンが自己崩壊した時に発せられる熱線の被害が特に大きかったようだ。狭い空間に密集したドローンに向けて、ヒトは旧式の銃火器で抵抗を試みたようだった。ボクの足元にはいまだに球体型ドローンがいくつか転がっている。
――このドローンはヒトが作ったものなのか、それとも……。
奥のデスクには、小型の端末と、このエリアに微かに残る電流によって駆動しているモニター。でもその画面には何も映っていない。
ボクはいつものと変わらず椅子に腰かけているキミの後ろ姿に声をかける。
「いつも静かなんだ」
床に散乱する工具類や、パイプ状の部品を少しだけ片付け、ボクは静かな整備室に座り込む。チリが降り積もった床を指でなぞると、そこに一筋の線が描ける。
「大丈夫、ボクは孤独にはとても慣れているから。キミとこうしていられるだけでいいんだ」
もしボクの瞳に涙が流れる機能がついていたとしたら、ボクは悲しいという情動を理解することができるだろうか。
『ヒトは悲しいから泣くのではないよ。泣くから悲しいんだ』キミはそういっていた。過ぎ行く時間の厚みは、ボクにとってヒトのそれとは違うけれど、一体いつまで待てばまたキミの声を聴けるのだろう……。
ボクが床から立ち上がると、その微かな振動で、稲守だったそれは、かたんと渇いた音を立てて椅子から床に崩れ落ちた。
「またあした、キミに会いに来るよ」
――Fin:『明日が来ることの意味を教えて』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます