宵闇の朱に交錯する感情を

 レシアス……。誰が名づけたのか知らないけれど、ボクがこの世界を認識した時には既にそんな呼称がついていたんだ。エンフォーサー人型一般意志執行インターフェイスとしては珍しい女性型モデルらしいけれど、ヒトの性別と同じような情動がボクの中に存在しているわけではないし、そのように振舞うべき理由もない。


 ボクはただ、人類を殺傷するだけにうごめく金属の塊を破壊するために作られた国家の備品に過ぎない。ヒトへ危害を加えないよう、複数のヒトが無意識的に放っている情動アクティビティを計測して、それに無条件で従うように設計されている。この計測値を一般意志と言うそうだ。でもボクにとって情動アクティビティの計測はキミの意志だけでいい。キミの意志がいい。


 インターシティーは関東と呼ばれる地域において、ヒトが拠り所とする最後の生活圏。建造体は地下50階層まで掘り下げられており、最新層の行政区画から地表に向かって居住区画、産業区画、そして上層には整備区画、表層には防御層がある。エンフォーサーの居住エリアは整備区画と同階層にあって、非常事態に備えていつでも出撃できるようになっている。ヒトは機械を盾に機械におびえながら生きている。そんな矛盾を孕んだ世界になお幸福を求め続けるヒトは、なんて悲しい生き物なんだろうかと思う。


 ボクのシフトは基本的に夜間。夕方と呼ばれる時刻になると、ボクはあてがわれた部屋の洗面台に立ち、鏡に映しだされた自分の姿を眺めてみる。見た目は二十歳くらいの女性なのだという。でもボクはヒトではない。人工的につくられたヒトそっくりの表皮の下には、金属でできた無数の駆動アクチュエーターと、対衝撃用のシリコンパーツがめいっぱい埋め込まれている。頭部にはボクの志向の中枢である電子頭脳が、そして後頸部から背中にかけては電子頭脳がはじき出した行動モデルを実際に駆動するためのシーケンサーが人工骨格の内部に収められている。


 ボクは機械であるけれど機械になりきれない。それでもヒトではない何か……。キミはそんなボクをとして扱ってくれる。


「レシアス、今日のシフトが終わったら、少し話をしないか? 」


 出撃前にキミはそう言った。口数少ないキミがそんな風にいうことはめったにない。でも嬉しかったんだ。とても。ボクもキミと話がしたいと思った。


 ボクはゆっくりうなずくと、そのまま地表へ向かうエレベーターに乗り込む。腕に取り付けられた調整済みのイーリスは、その駆動を待っているかのように安全装置の確認ランプにピンク色を灯す。


 エレベーターを降り、さらに階段を上った先には、インターシティの鋼鉄製のエントランスゲートがそびえている。外の空気はほこりっぽくて、そして冷たい。仲間のエンフォーサーが続々とゲートの前に集まり、その開閉を待っている。気のせいか、今日は仲間の数が多い。


 ゆっくりと、地表に振動を加えながら開かれるゲートの先に、荒涼とした大地が延々と続いているのが見える。地表がいつもより明るいのは夜空に満月が輝いているからだ。瓦解の上に転がる無数の金属片が、月明かりを反射して輝いている。その光沢は宇宙に漂っている星々のように幻想的だ。


「レシアス、聞こえているかい?」


イヤーマフからボクの電子頭脳に響いてくるのはキミの透きとおる声。


「うん。視界にはドローンは見当たらないよ」


「ブリーフィングで説明があったように最近になって球体型のドローンがいくつかインターシティー周辺に集まっているようなんだ。地表を撮影した衛生からの映像データを送るよ」


 ボクの視界の右端に映像データが再生される。昼間の写真データなのだろう。黒く輝く球体がいくつか、地表を高速で動いている様子が映し出されている。出撃前のブリーフィングで小型ドローンの話は出ていたけれど、興味のないボクはまともに聞いていなかった。


「これは何?」


 もう少し真面目にブリーフィングに参加していればよかったと半ば後悔しながらキミの説明を待つ。


「おそらく直径は二メートルほどのドローンだと思う。武装形態は不明。動きも速いから、イーリスの起動シークエンス、ちょっと気になるよね。タイムラグの間に接近される恐れもある」


 イーリスが電磁パルスを発射する前には充電のためのシークエンスが必要なんだ。起動してからトリガーを引いて実際にパルスは発射されるまで若干のタイムラグがある。


「だから今日はエンフォーサーがいつもより多いんだね」


「できる限りアシストするけど、遭遇したら気を付けて」



 不気味にうごめく黒い球体型ドローン。その映像に映っていたドローンと同型の機影が、程なくボクの視界に捉えられる。でもそれは地表をうごめいているわけではなかった。


「あれは飛行している」


「そうか、上空からの映像では、飛行しているのか地表を動いているのか、その判別ができなかった。飛行しているとなると厄介だ」


 ボクの視界にはターゲットを補足するための赤いマーキングが表示されていくが、数が多すぎて、前方が真っ赤に染まっていく。


「ターゲットが多すぎて……」


「一度リセットする。レシアス、落ち着いて」


 ボクは落ち着いているさ。でもキミの声も落ち着いている。だから安心できるんだね。


「いいかい、僕がマーキングした標的のみを狙って」


 イーリスを構えると、キミの指示通りにボクは照準を定め、トリガーを引く。放たれた閃光は、上空を舞う黒い球体に吸い込まれ、空中で火花を散らしていく。朱に染まる夜空はとても綺麗だ。


 その閃光と轟音に、黒い球体型ドローンたちはボクらの存在を認識したらしい。派手な攻撃が彼らの関心を引かないはずない。あっという間に十数体の球体型ドローンが僕らの前方に集まって、その視覚システムであろう、赤いレーザー光をこちらに向けている。その瞬間、ボクの隣にいたエンフォーサーが赤い炎に包まれていくのが見えた。


「レシアス、退避命令が出たよ。すぐに戻るんだ」


 きっとこの時はすでに多方面で被害が出ていたのだろう。キミの声は落ち着いていたけれど、ボクは知っているよ。その声に宿る焦りと恐怖の感情を。


「大丈夫、ボクなら破壊できるから」


 イーリスから放たれる閃光は密集する球体型ドローンをまとめてこの世界から消し去る。蒸発していくように白い煙を放ちながら閃光に溶けていくドローンたちは見ていて美しくもあり儚くもある。


「これは命令だ、レシアス。数が多すぎる」


 確かにドローンの数は多い。初めは十数体だったはずなのに、目の前を浮遊するドローンの数は識別不能なほどに増えていた。その黒い球体から発せられる赤いレーザー光は次々とボクの仲間たちを炎に包んでいく。ためらいなく発せられるその光に、感情という要素がドローンたちに皆無なのが改めて理解できる。


 ヒトは感情があるがゆえに憎しみ、妬み、そして争いを繰り返してきたのかもしれない。だけれども無感情は、殺戮をためらいなしに遂行できてしまう狂気に変貌させる。一体どちらがまともなのだろうか。


 イーリスを酷使し続けたせいなのは分かっている。起動シークエンスのスピードが極端に落ち、ボクは事実上、無力化された。


「わかった。一度戻るよ」


 そういわざるを得ない自分に存在の意義は希薄だ。ボクは撤退していく仲間のエンフォーサーの後を追う。だけれど空中を舞う漆黒の機械の方が機動性は上のようだ。ドローンから放たれる赤いレーザーを浴び、次々と燃え上がる炎をまといながら地表に倒れていく仲間のエンフォーサーを横目に、ボクは自分の無力さを痛感し、そして、自分の存在の意味を失いつつあった。


 インターシティの地表ゲートからは自動迎撃システムが放つ電磁パルス砲弾が球体型ドローンに向けて発射されている。巨大な電磁パルスの青白い光に包まれ、地表に落下していく球体型ドローンは、地面で崩壊して真っ赤な閃光を放ち、周囲に熱線をまき散らしていく。その熱線に巻き込まれたエンフォーサーは、重厚な外装を無残に焼き尽くされ、次々に地面に倒れ込んでいく。


「このままじゃ、インターシティに侵入される」


「レシアス、大丈夫。分厚い防御層がインターシティを守ってくれるから。だから早く戻っておいで」


 球体型ドローンがインターシティのエントランスゲートを破壊し侵入していく様子がボクの視界に映し出されている。防御層なんて無力だと思う。ヒトはこの世界から排除される運命にあるんだろう。その理由がなぜなのか、ボクには良く分からないのだけれど、でも何かの存在理由なんて、そもそも存在しないんだと思う。


「キミも早く整備区画から逃げて」


「君を回収する。早く戻るんだ」


 ボクのイヤーマフに響く彼の声はいつだって優しい。辺りを見回せば、焼き尽くされた大地に起動しているエンフォーサーは存在しない。鋼鉄製のインターシティ―のエントランスゲートが球体型ドローンから放たれた赤い光に包まれ、ゆっくりと溶けていく。ぐにゃりと曲がる金属、その赤い光に照らされた地表には、破壊された無数のエンフォーサーたちが灰色の目をして転がっている。


――act.3:『宵闇の朱に交錯する感情を』

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