列車に飛び乗るキミが嫌い

 魚という生物が水から離れては生きていけないように、ヒトもまた地表から離れて生きていくことは困難だろう。だから今この世界で生きているヒトという種族は、もしかしたらヒトではないのかもしれない。本当のヒトは既に消滅しているのだとしたら、地下の巨大な建造物の中でひっそりと暮らしている彼らはヒトではなく何者なのだろうか……。


 地表を歩き回る自立した意志を持つ金属、ヒトはそれをドローンと呼ぶが、ドローンとヒトを区別するものがいったい何なのかさえボクには良く分からない。


 ボクは地表でのドローン掃討を終え、インターシティーと呼ばれる巨大な地下建造物の中を歩いている。金属音に近いボクの足音が、薄暗い空間に響いていくのが心地よい。地表に近いエリアは防御層と呼ばれ、万が一ドローンに侵入された際は自動で迎撃できるシステムが備わっているそうだ。


 さらに下層に降りるため、ボクは鉄パイプで急ごしらえしたような狭い階段を下りていく。その先には整備区画へ向かう小さなエレベーター軌道が設置されている。


 このインターシティで、ボクは会話をすることがほとんどない。ヒトたちもエンフォーサーを同類とは見てくれないし、エンフォーサーだって仕事以外でヒトと話をするようなことはしない。全く同じ外見をしていようが、この青い目と後頸部に刻まれた個体識別番号は明らかにヒトとの境界線を形作る。


『何階まで行きますか?』


 だからあの日、エレベーターの中でたまたま乗り合わせたキミに話しかけられたときはとても驚いた。キミだって、ボクがエンフォーサーであることは一目見て気づいたはずだ。キミの胸には経済産業局の整備技官であることを示すネームタグが付けられていたし、ボクの青い瞳に気づかないはずがない。


『6階まで……』


『君は今期配属のエンフォーサーだよね。確かレシアス……、だったかな。僕は稲守亮いなもり りょう


あの時、キミはなぜボクの名前を知っていたのだろうか。


『僕は整備技官だよ。今後、君のアシストを担当するかもしれないね』


 そう言ってボクの目の前に差し出されたキミの手が、何を意味するのか理解できずにしばらく戸惑っていたけれど、やがてキミはボクの手を半ば強引に握り「よろしく」とだけいった。


 ボクがインターシティーに配属されてから三年という月日がたっている。それは長いようであり、一瞬のようでもあり、ヒトのいう三年という時間の感覚がボクには良く分からないのだけれど、とにかく大切な時間だったんだと思う。


 ボクはいつもそうするように、小さなエレベーターに乗りこみ、地下10階で降りる。節電のためか、電燈は三つに一つしか点灯していない。そんな薄暗いエレベーターホールから、さらに奥に続く狭い廊下を抜けた先に整備区画がある。通気ダクトがむき出しの天井は煤とオイルで薄汚れていた。床には工具やエンフォーサーのカスタマイズ用の部品が転がり、足の踏み場もない。


 第一整備課 ≪稲守 亮≫ というタグが釣り下がった鋼鉄製のドアを開けてボクは整備室へ入る。白熱電灯に照らされた奥のデスクには、端末のモニターを眺めるキミが座っている。


「目の調子はどうだい?」


 ボクが部屋に入ったことに気付いたキミは、そう言って、飲みかけのコーヒーをデスクに置くと、ゆっくりボクに近づく。


「キミの整備のおかげで、何も問題ないよ」


「ちょっと見せてみて」


 キミはボクの頭からイヤーマフを外し、そっと顔を近づける。瞼の上を軽く押しながら、ボクの青い虹彩にペンライトで光を当てて瞳孔収縮アクチュエーターの作動状況をチェックしていく。


 キミの瞳は黒くてとてもきれいだ。その大きな瞳が上目づかいで、ボクの機械仕掛けの瞳を捉えている。視線、それはヒトだからこそ対象に向けることができる情動の線なのだと思う。


「大丈夫そうだね。良かった」


 そう言ってキミはボクの腕から冷たいイーリスを取り外すと、作業台の上にそっと置いた。電磁パルスが発射された砲身はすっかり冷めていたけれど、金属が熱せられた時に発生する独特の匂いが鼻をつく。


「こっちは明日までに調整しておくよ。君も気づいていると思うけど、ちょっとだけ右にずれるんだよね」


 イーリスとボクのアームを接続する四角いインターフェイスを取り外したキミはそう言った。男らしくないキミの白い手が、器用に金属製の上蓋を外し、内部の配線を確認していく。幾重にも複雑に絡まった配線は、ボクの視覚システムとイーリスの照準を接続する重要な部材だ。


「それは多分、ボクの癖だと思う。キミのせいじゃない」


「そうかな。まあ、大きな標的だと問題ないんだけどね」


 右目に接眼ルーペをはめ、いくつかのリード線を端末につなぎながら、キミはボクのイーリスを調整してくれる。モニターに映し出されるのはシークエンスの記録と、弾道補正のための膨大なタスクリスト。ボクにとっては意味不明な文字列が延々と続いているけれど、キミとともに過ごすこの時間を失いたくないと思うんだ。この時間を手に入れるためにボクは、あのドローンを壊し続ける。



 地表から戻ったのが夜明けだったから、きっと今は夕方なのかもしれない。ボクらエンフォーサーは眠らない。だけどヒトは眠るらしい。一度だけキミの寝顔を見たことがある。その安らかな表情を見ていると、ボクにも寝てしまいそうな感覚が分かるような気がした。


 少しだけ疲れた表情を抱えながらキミは「帰ろう」とだけ言った。ボクらは大抵いつも居住エリアまで一緒に帰る。エンフォーサーにはそれぞれ整備技官がついているけど、普通は必要以上の会話なんてしないし、仕事以外で行動を共にすることなんてありえない。だからボクたちは少なからず特殊な関係だったんだと思う。


 エンフォーサーの居住区画はヒトのそれとは隔てられている。ヒトは結局のところ機械を信用していない。その力を利用し、強大な力を手に入れた人類だったけれど、いつしかその力をもてあまし、力に支配され、そして今は滅び去ろうとしてる。そんな歴史がヒトの機械に対する認識を編み上げたのだろう。


 ヒトの居住区画へ向かう列車が発着する駅のホームは、今日という日の最後にボクたちが向かう場所。整備区画から居住区画を繋ぐ交通システムはエレベーターよりも大量の輸送を可能にする。ボクらがいるこのインターシティ―は、関東と呼ばれる地域においては、唯一ヒトが生存している場所なんだ。だからその規模は想像以上に大きい。地下と地表を繋ぐエレベーターだけでは、ヒトや物資の輸送はまかないきれない。


 交通システムが敷設されているエリアまで、ボクらは狭い階段を下りていく。天井に貼り付けられた蛍光灯が点灯しては消え、点灯しては消え、それを繰り返している。電燈の安定期から放たれる断続的な磁力振動音が少し耳障り。コンデンサが古くなっても替えがないほど、物資は不足しているし、電力も貴重なんだ。


 ボクらの足音がプラットホームに響く。電光掲示板には産業区画経由で居住区画まで向かう列車があと3分ほどで到着することが表示されているけれど、他にヒトの姿は見当たらない。


「ゆっくり休むといい」


 キミはそう言ってボクの頬に触れる。線路の向こう側から生暖かい風がプラットホームをすりぬけていくと、闇の向こうに列車の先頭車両が放つ前照灯の白い明かりがボクの視覚認識システムを刺激する。


「列車に飛び乗るキミが嫌い」


 ボクの声をかき消すように、金属音を響かせながらプラットホームに滑り込んでくる銀色の車両。先頭車両が押しのけた風を浴びながら、ボクらは列車の乗車位置に立つ。車内には居住エリアに向かう整備技官が数人。みな疲れた表情をまとい、うつむきながら携帯端末を覗き込んでいる。


 「またあした」 キミがそう言って車内に乗り込むとすぐに、油圧に駆動された列車のアルミ色のドアが閉まった。もうボクのこの声はキミに届かない。「明日って……何?」いつもそう問いかけているのだけど、キミは答えをくれない。


――act.2:『列車に飛び乗るキミが嫌い』

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