世界の終りのその淵で

星崎ゆうき

1.ボクの瞳に映し出されるキミの情動

今日が昨日にならず明日が来ないのだとしても

 いつものように、それはこの空虚な地表が闇に包まれたころに動き出す。きっと分かっているんだ。ヒトと呼ばれる生物は、光に照らされた世界でしか、この空間を認識できないことを……。だからヒトを排除しようとする彼らはこの闇を好む。


 でもボクたちの瞳はヒトのそれとは違う。光が一筋も届かない闇に包まれた世界だろうが、暗緑色に縁どられたクリアな視界を維持できるんだ。確かにボクの視覚認識システムを「目」とか「瞳」と呼ぶべきかについては、いささかの議論があるかもしれない。ただ、少なくともボクたちのそれは、構造も外見もヒトの瞳とても良く似ている。外見上分かる唯一の差異をあげるとすれば、それはしばしば決定的な差異なのだけど、瞳の周りを縁取る虹彩が青い蛍光を放つこと。


 「昨日調整はしておいたけれど、あまり無理しないで。君の瞳は第5世代だ。製造からずいぶんと月日が流れているから」


 ボクの耳を塞ぐようにして取り付けられた冷たい金属製のイヤーマフは、整備技官との通信システムを備えている。ボクの聴覚システムを揺らすのは稲守亮いなもり りょうの声。落ち着いたキミの声は、高ぶるボクの情動システム駆動系をじんわりと優しく包んでくれるんだ。


「うん」


 ボクは小声で答え、そして宵闇に目を凝らす。キミの言う“昨日”ってなんだろう。ボクにはヒトが話す言葉があまり良く理解できない。いや、正確にはそれがどんな事態や現象を指示しているのか、ヒトと同じように実感できないということ。


『“昨日”と“今日”それを区別しているものは何? 』いつだったかボクはキミにそう聞いたことがあったね。『記憶へのけじめ……』キミはそう言って、金属片ばかりが地表を覆うこの世界を、モニター越しに眺めていたんだ。ボクはヒトのいう記憶というものすら良く分かっていないよ。


「調子が悪いようだったら、また改めて調整するから」


 キミの声はいつだって優しい。分かっているさ、ボクの瞳は耐用年数間近なのだろう。目の奥に感じる鈍い痛みから、そうなんだろうな、とは感じていたよ。エンフォーサー人型一般意志執行インターフェイスと呼ばれるボクらの耐用年数は、起動からおよそ10年といわれている。



 ヒトをこの無機質で空虚な世界から排除しつつあるのは、ヒトが生み出した産業であり、文化であり、そして英知でもある。ヒトは自ら作り出した高度な技術によって今まさに滅びようとしている。この極東の大地でもそれは目前に迫っている。


 ヒトの意志とは切り離されたそれは、疑似的な主体性のようなものまとい、自らを増殖させ、そして自らと相いれないものを独自の判断基準で破壊していく。そこにヒトの価値判断など入り込む余地はない。


 地表に降り積もり、そして散乱し、瓦解していく金属塊や強化プラスチックの破片はみな、人類が過去に作り出したドローンと呼ばれる人工知能一体型の自律思考システムロボットによって破壊された人類の英知だったもの……。宵闇の向こう側に点滅する、ドローンの視聴覚認識インターフェイスの赤い光は、地表に舞う流星のようだ。


「レシアス。標的との距離はおよそ10メートル。射程内に入ったら、アシストするからそこで待機」


 ボクをレシアスと呼んでくれるのはキミだけだ。ヒトはたいていボクたちを単にエンフォーサーと呼ぶ。整備技官ですら個体識別番号で呼ぶのが常だ。エンフォーサーはもともと国家の治安維持のために作られたヒューマノイドだと言われているけれど、そんな話は随分と昔のことらしいので、詳しいことは知らない。この世界で治安なんていう概念はとうに消滅しているし、この世界に存在する正義とは排除に対する抗いに他ならない。


 地表に散乱する無秩序な金属が、意志を持つ金属塊ドローンによって踏みにじられていく。その時に発せられる奇妙な音が不断にこだましている世界。この星に降り注ぐ強力な紫外線も相まって、生身のヒトが生活できるような環境ではない。イヤーマフを装着していてもボクの聴覚システムには、金属と金属がぶつかり合い、そして押しつぶされる低音と高音が入りまじった断続音が届いてくる。どこからともなく響いてくるそれを、ヒトは“不気味な音”と呼ぶ。


 ヒトの意志が介在せず、それにも関わらず自律的にうごめくもの……。ヒトは古来、そういう存在を神と崇めてきたが、ボクの目の前に迫るドローンはそういう意味では神に近い存在だともいえる。



 ボクの視界に狙撃目標を識別する赤いマーキングが複数表示された。キミが戦術データリンクで転送してくれたのだろう。標的の数が多いのだけれど、たとえボクが撃ち漏らしたとしても、横にいるエンフォーサーたちが全て掃討してくれるんだと思う。それでもキミが識別してくれた標的はボクが全て破壊したい。ボクの存在意義……。ボクがキミと時間を共有するための唯一の理由。


 腕に取り付けられたイーリスの照準を赤いマーキングに合わせるように構える。強力な電磁パルスを発射し、標的の駆動系を完全に破壊するその重厚な金属塊は、機械が機械を壊すためだけに作られた戦術兵器。イーリスと名付けられたそれは、ボクの身長ほどもある巨大な銃火器のような外観をしている。冷たい金属で覆われた外装が、僕の右腕とインターフェイスを介して接続され、整備技官が転送する戦術データリンクと連動して駆動する。かつてヒトが、欲望や憎悪、あるいは愛や希望のためにヒトを殺してきたように、ボクたち機械は、ドローンという名の機械を破壊するんだ。


 ボクの青い瞳が標的をロックする。視界に映り込むのは灰色のドローン。その高さは2メートルほど。むき出しのパイプがいくつか飛び出していて、そこから水蒸気が立ち上っている。どんな駆動系を備えているか、もはやだれにも分からないくらい自律的に進化しているのが、この世界を破壊し尽しているドローンと呼ばれる存在だ。


 前方に延びる二本のアームには大型の自動小銃のようなものが接続されており、同型の巨体は後方に四体確認できる。


「旧自衛隊の装備を模したいわゆる汎用型だと思う。登録データベースに載っている仕様からは多少は進化してるかもしれないけれど、もともと電磁パルスには弱い形式だよ。動きも素早くないからそれほど脅威はないはずだけど、十分気を付けて」


 キミの声が少しだけ緊張しているのが分かる。ボクの情動アクティビティ計測システムは、ヒトの感情を数値化して伝えてくれるんだ。ヒトの心を読み、彼らとの対話を円滑に実行するために実装された機能だけれど、この世界ではあまり役に立ちそうもない、エンフォーサーの仲間内ではそんなふうに言われている。でもボクにとってはとても大切な機能なんだ。


「わかった」


 イーリスが駆動する振動を右腕に感じながら、そのシークエンスが終了するまでのわずかな時間で、ボクの電子頭脳は目標の効率的な破壊プロセスをはじき出す。右手の指に掛けたトリガーを引くと、ボクの虹彩と同じ青色の蛍光がパット闇を照らし、発射された電磁パルスが瞬時に前方のドローンを破壊していく。


 一瞬にして内部の作動系が焼き尽くされたドローンは、背負っている金属の塊から黒煙を上げゆっくりと地表へ崩れ落ちていく。轟音をなびかせうずくまっていくその巨体の内部系統には、大量のガソリンが積んであったのだろう。勢いよく燃え上がる炎は夜空を真っ赤に染めていく。その茜に照らされるのは後続のドローン四体。でもボクが右腕のイーリスを使うまでもなく、残りのドローンもが次々炎上し黒煙をまき散らしていった。ボクの傍らに並んでいた仲間のエンフォーサーがイーリスを起動させたんだ。



 空はさらに赤く、そして熱気を帯びていく中で、ボクは自分の存在意義がまた少し薄れてしまうように感じた。ボクがボクであること足らしめるのは、この地表にうごめくヒトとは独立した意志を持つ金属塊を破壊することだけ。ただそれだけのことがボクのアイデンティティを基礎づけ、そしてボクとキミの時間を生み出してくれる。


 ヒトが悲しみによって、あるいは絶望によって涙を流すことがどういうことなのかボクは知らないし、それを理解することもできない。でもヒトの情動アクティビティから“悲しい”とか“虚しい”というような心情がどういう数値を形作るのかを知っている。それはキミが言っていた“昨日”が、どこまでも永遠と続いていくような、今日が明日に変わらないような、そんな闇を形作っている気がするんだ。今のボクに心情などというものが存在するのであれば、それはどんな形をしているんだろう。


熱気を帯びた空気がボクの前髪をくすぐっている。もうじき夜明けだ。


――act.1:『今日が昨日にならず明日が来ないのだとしても』

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