15 偽名
相馬港の岸壁についたフェリーから、数千人の作業員が続々と降り立った。埠頭では人買いたちがチャーターしたバスが陣取り合戦をやっていた。バスを間違えたとしても作業員たちには関係ないが、手配した組の配分が違ってくる。人数が足らなければ約束した金をもらえないから、親方たちは必死だった。
「児玉」いきなり名前を呼ばれて振り返ると、留置場で一緒だった広瀬が立っていた。
「ああ」児玉は不意をつかれて言葉がなかった。
「オメエも命を売ったんか」
「俺は違いますよ。年齢がだめっす」児玉はしらばっくれた。
「じゃあ買う側か」
「そおっすね」
「オメエんとこはいくらで買うんだよ」
「8万すよ」
「ちっ、おんなじか」
「相棒の宇田川さんはどうしたんすか」
「やつはまだ60になんねえからな。詐欺師なんだから、歳ぐらいごまかせっつったんだけど、弱気になりやがってよ。それはそうと警察署が俺ら捜してるって知ってっか」
「いえ、知らないす」
「俺らの釈放を許可した検事、責任とって飛ばされたらしいぜ」
「ほんとすか」
「ああ、誰かが差したんだろうぜ」
「気の毒したっすね」
「人のことよか自分のこと心配しろや。捕まったら裁判だぜ。卯月って背の高けえ、しけた野郎覚えてっか」
「ええ」
「あいつ再犯で捕まったってよ。そいで釈放のことが問題になったんだわ」
「また強姦すか」
「なんだ知ってんのか」
「いえなんとなく」
「ああいうバカがいっから、こっちまでとばっちりだわな」
「児玉、ちょっとこい」九基が命令口調で言いながら児玉に近づいてきた。
「俺もう行きますよ。横瀬さんお達者で」
「ああ、オメエもな」
横瀬と別れると、児玉は九基の手招きする方向へ走った。
「あれで行くぜ」九基はバクバクのワゴン車を指差した。
「もしかして津波で流された車盗んだんすか」
「余計なこと聞くな」
ワゴンに乗り込むと、すでに先客が5人乗っていた。九基は児玉以外にも抜け人を集めていたのだ。もしかして九基に売られるのかと、一瞬不安がよぎったが、今さら引き返せなかった。最後の乗員となった児玉が乗り込むと、九基はキーをひねった。壊れかけたエンジンがワニの嗚咽のようなタイミングベルトの軋み音を発しながら始動した。
九基の運転するワゴン車は、一路福島市へ向かい、そこここの事業所に寄りこんでは作業員を預けていった。大半は地場の工務店か産廃の処分場だった。地震以来の特需で、作業員不足だったので、どこでも拒まれなかった。日当は8千円からせいぜい1万円、原発に比べたら8分の1以下だったが、放射能でむざむざ死ぬよりましだった。福島市を離れたワゴン車は、閉鎖された東北道沿いを南下して郡山市を経由し、猪苗代湖畔をひたすら西に走った。車内には児玉だけが残っていた。
「俺はどこ行くんすか」児玉は不安になって聞いた。
「オメエは特別だ。日当2万のとこ紹介してやるよ」
「ほんとすか」
「ああ、任せとけ」
九基が向かったのは会津若松市だった。市街地を抜けたワゴン車は、廃棄物が積まれた置場に入った。「産廃収集運搬業 脇実組」の看板が出ていた。
「着いたぜ。話は通してあっから、今日から働けや」
「て言われても、誰もいないじゃないすか」
「夜んなれば戻ってくるよ。ここで降りろ」
「へい」
「オメエ、まだわかんねえのか」
「え、なんすか」
「俺だよ」九基が相好を崩して笑った。
「はあ、もしかして宇田川さんすか」児玉は頓狂な声を上げた。「ぜんぜんわかんなかったすよ。横瀬さんだって騙されてましたよ」
「横瀬から原発に誘われた時に、この仕事思いついたんだ。原発に集まった連中の恐怖心をあおって横取りして、こっちの土建屋に斡旋すんだ。誰にも迷惑かけねえし、詐欺でもねえぞ。どこも人手がなくて困ってんだからよ」
「原発だってそうっしょ」
「あそこは人を人と思わねえ地獄だぞ。8万ぽっちじゃ安すぎるだろう。親分がいくらもらってっか知ってっか」
「1人何百万になるって聞きました」
「だろ。そこいくと俺の商売はまっとうだと思わねえか」
「紹介料はいくらなんすか」
「なにも知らねえばかやろうだなあ。1度払いの場合はよ、1か月分の給料が口利きの相場だぜ。リクナビだってみいんなそうなんだ」
「じゃ1人30万てとこすか」
「まあスクラップ同然の連中はそれくれえだな」
「5人で150万なら悪くないすね」
「だろう。オメエも知恵使えや。この地震はよ、一旗あげるにゃ絶好だぜ。じゃ、俺は行くぜ。ここの社長とは話ついてっから、ここで待ってろや」
「1つ聞いていいすか」
「なんだ」
「なんでそんなに横瀬とか、卯月とか、俺もそうすけど、あん時の連中のこと詳しいんすか。もう関係ねえでしょう」
「俺のこと知ってるやつのことは、俺も知っておかねえとならねえ。そういう性分なんだよ」宇田川は、児玉をゴミ山に置き去りにして行ってしまった。
脇実組の廃棄物置場には事務所はおろか物置すらなく、駐車場の片隅に廃棄物が無造作に積まれているだけだった。保管積替の許可はないんだろうと児玉は察した。手持ち無沙汰にゴミ山の上に登ってぼんやりしていると、ダンプが1台戻ってきて、積荷をダンプアウトし、小太りの男が降りた。
「オメエ、児玉ってやつか」男が児玉の名を呼んだ。骨太で浅黒い顔をした、いかにも田舎の土建屋といった趣の男だった。どうやら脇実組の社長のようだった。
「そおっす」児玉はゴミ山を飛び降りた。
「手が足りねえで困ってたんだわ。オメエ、大型は転がせんのか」
「ええ」
「免許はねえんだよな」
「まあ、そおっすけど」
「そっちはなんとかしてやる。ユンボのオペはできんだな」
「それも見よう見まねっすね」
「なるほどわかった。今夜からやれっか」
「え、今夜っすか」
「俺んとこはめんどくせえ書類なんかねえんだ。ダンプはそれを使え。ダンプで寝るか、やなら自分で寝泊りすっとこは探せ」脇田は道路を隔てた反対側の空地に停めた深枠の10トンダンプを指差した。
「わかりやした」
「全員戻ったらオメエの歓迎会やる。それからすぐ仕事だから酒はなしだ。俺んとこは酒とクスリは禁止だかんな。よう覚えとけや」
「仕事ってのは」
「この山を片せばいいんだ。オメエならわかんだろう」
「不法投棄っすか」
「人聞きの悪いこと言うな。福島でも宮城でもいいから、津波のガレキがあっとこに適当に置いてこいや。そうすりゃ、そのうち役所が片してくれんわ」
「それってやっぱ不法投棄じゃねえんすか」
「便乗投機って言うんだ。覚えとけや」
「へい」
「児玉、オメエ、ウダから日当2万でオペやると聞いたかもしんねえが、うちじゃ日当なんてものはねえんだ。こっから1台片すたんびに手間をやる。ダンプ持込みなら10万だけど、オメエはダンプがねえから5万でいいか」
「いいっすよ」
「ものわかりがいいやつはでえ好きだな。ほれ」脇田はダンプのキーを投げてよこした。キーにはユンボのマスターもついていた。
「ちょっと待ってろ」脇田は駐車場に停めてあった、どんな中古車屋にも売れそうにないボロボロのベンツから免許証を1枚取り出した。
「これでいいだろう。オメエ、これから無精ひげ生やせ。そうすりゃわかるめえ」脇田が投げてよこした免許証には「堂本賢治」と書かれていた。写真に写った精悍な顔立ちは児玉とどことなく似ていた。
「こいつはどうしたんすか」
「うちの運転手だったけどよ、津波で行方不明んなっちまったんだ。たまたま車検で免許証預かってたのが幸いしたわ。オメエ、これから余所では堂本で通せや。これはオメエと俺だけの秘密だぞ」
「こいつ身内はいねえんですか」
「さあなあ。俺は余計なことは聞かねえんだ」
「わかりやした」
児玉はダンプの運転席の座り心地を試した。30万キロ使ったポンコツだが、車検を取ったばかりで丸々1年転がせる。児玉には大したプレゼントだった。もう1つのプレゼントはうれしくもなかった。宇田川じゃあるまいし、名前を2つ持つのは面倒くさかった。
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