7 昔の仲間

 川崎市の鶴見駅裏には、鷹目組が縄張りにしていた小さなシマがあった。日本中の下町をそっくり集団移転したみたいな場末の雑踏が続く貧相な町並みの中に、かつて鷹目組が事務所を構えていた雑居ビルがあった。1階から5階まで、マッサージルームや日焼けサロンがテナントに入ったファッションビルだった。懐かしいギラギラネオンを見上げていると、児玉はやっと晴れ晴れした気分になった。

 「お兄さん、マッサージどう」呼び込みのタイ人女性が片言の日本語でまとわりついてきた。それを無視して事務所のあった5階まで非常階段を上がった。エレベータは使うなといつも親分に戒められていたのでそれが癖になっていた。

 半月前まで鷹目組の事務所があったスペースは新たなテナントに改装中だった。「アジアン洗体エステ フェニックス」と作りかけの看板に書かれていた。組事務所はどうなったんだ。一瞬頭が空っぽになった。

 「なあ、あんた、ここにあった組事務所がどこに移ったか知らねえか」児玉は改装工事をしている男に声をかけた。

 「知らねえけど、組はつぶれたんじゃねえの」

 「いい加減なこと抜かすな」

 「喧嘩売ってんならいつでも買うけど」男は腕っ節に自信がありそうだった。

 「この店のオーナー誰だ」

 「知るかよ」

 「ちっ」児玉は争うのは時間のムダだとあきらめて階段を下りた。

 「ちょっとあんたたち、なにすんのよ」

 雑居ビルの薄汚れた階段を降りると、路上で待っていたナオが酔漢にからまれていた。ミニのスリップドレスを被ったナオは、川崎の風俗街でも目立った。薄っぺらな背中を反り気味にして、胸ばかりアンバランスに発達したボディを支える様は、まさにセクシー爆弾だった。

 「ねえちゃん、いくらだよ」絡んでいるのは初老の酔っぱらいだった。

 「あたしを誰だと思ってんの」

 「あ? ただだとは思ってねえけど」ナオの啖呵に酔漢は見当外れの応答をした。

 「おい」後ろから児玉がナオの腕を掴んだ。

 「なにすんのよ」ナオは児玉の手を振りほどいた。

 「俺だよ」

 「ああ、あんた」

 「行くぞ」児玉は酔漢を無視してナオの手を引いた。筋力のないナオの体がゴム人形にように揺れた。

 「用事済んだのね」

 「逆だ。組がなくなってた。たった半月だぜ。いってえどうなんてんだ」児玉は路傍の空き缶をやけっぱちに蹴飛ばした。

 児玉は顔見知りのおでんの屋台を見つけて寄り込んだ。親父も児玉の顔を覚えていて、ちょっとびっくりした顔で出迎えた。

 「あんたのレコかい。別嬪さんじゃねえか。いい脚してんなあ」

 「なによ、脚しか褒めるとこないの?」

 「おっぱいなら、うちのかみさんのほうがでっけえからな」

 「おやっさんも言うよねえ」

 「ここのおでん、うめえんだ」

 「あたし、おじゃがが好きだよ」

 「おやっさん、ビール。オメエはどうする」

 「あたし、コーラ」

 「そっか、夜はまた運転か。いまマッポうるせえかんな。免停なったんじゃシャレになんねえかんな」

 「ごめんね。それにあたし、お酒弱いから」

 「あいよ」親父は適当におでんを合い盛りにして出した。

 「川崎で変わらないのはここだけだね、おやっさん」

 「そうかい。どこもちっとも変わらないよ。てえか半月ぶりで変わるわけもあるめえ」

 「変わったよ。鷹目組がなくなった」

 「オメエ、それは言いっこなしだ」

 「今はどこが仕切ってんだ」児玉は屋台に下がっているはずの鑑札を覗いた。思ったとおり鷹目組の大紋はなかった。

 「どこんなったってミカジメは同じだよ。悪いこたあ言わねえ。ここらうろつかねえほうがいい。俺もオメエぐれえん時は悪さしたけどよ、潮時を知らねえと大ケガするぜ」

 親父がそう言い終わるか終わらぬかのうち、児玉の後ろに男が2人立ちふさがった。鷹目組の残党の落合と結城だった。

 「おやっさんまた来るわ」児玉はこんにゃくを一口食っただけで小銭を置いて立ち上がった。

 「てめえ、のこのこ帰ってきやがって」屋台を離れたとたん、落合が児玉をののしった。

 「兄貴、捜したんですよ」

 「なにが兄貴だ、ばかやろう。てめえが親分をばらしたせいで、うちの組がどうなったと思う」

 「あれは俺のせいじゃ…」

 「ちょっとあんたたち、いきなりなによ。仲間なんじゃないの」ナオが割って入ろうとした。

 「黙ってろ、この巨乳デブ」

 「言ったわねえ」ナオがディオールのバッグをふりあげて男たちを威嚇した。

 「おい、どいてろ」児玉がナオを庇おうとした時、落合がナイフを構えてつっこんできた。とっさのことで受身がとれなかった。

 「あにい、マジなんすか」児玉は自分の脇腹を見た。パーカーに開いた傷口から血が噴出していた。

 「キャー」ナオの叫び声が、遠のく意識の中でかすかに聞こえた。傷の痛みより、情けないことに血を見たショックで貧血になったのだ。落合と結城は怖くなって逃げ出した。

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