6 仮面ライダー
「じ、ぶ~んの、したこ、と~に、おど~ろ、い~て、なき、たく、な、る~」鼻歌を口ずさみながら、エルメスこと神崎梨花は、国土交通省が名誉にかけて復旧させたばかりの国道を突っ走っていた。赤いデコダンプには「美神連合朱雀隊」のチーム名が鮮やかに踊っていた。僅かに開けた窓から、風切音に混ざって沿道に植わった菜の花の甘い香りが漂ってきた。コンビニに赤ダンプを停め、ラークマイルドを買いに店内に入った。居あわせた店員や客の視線が一斉に集まった。つなぎ姿の女ドライバーが珍しいってわけじゃない。リカは朱雀隊きっての美形だった。
セブンの駐車場を出たとたん着信音が鳴った。
「今夜、品川でパニオンの仕事あるってけど、やる?」ディオールこと篠沢クルミからだった。今夜はむりだと断った。コンパニオンの日当は1晩2万、悪くはないが、産廃の不法投棄なら1晩10万になる。携帯を切ると無線に着信があった。
「は~い、もしもし~…もしも~し」ひどいノイズで誰の声か聞き取れなかった。あきらめて電源を切った。
黒い影が不意にフロントウィンドウの前をかすめ、リカは反射的にブレーキペダルをめいっぱい踏み込んだ。ハイドロの衝撃で車体がガクガク揺れた。
クマ? イノシシ? それともまさかヒト? 産廃を満載した赤ダンプは横滑りになって急停止した。重心が上がっているからあやうく転倒するところだった。心臓が破裂しそうなほど脈動しているのに、額からは血の気が引いていた。やっちゃったかな。運転席から飛び降りて、おそるおそるシャーシの下を覗き込んでみたが、なにもなかった。そんなはずないわ。焦げ臭いタイヤの痕跡が後方に黒々と残っていた。痕跡を辿ってみたが、漆黒の闇の中に血の匂いはなかった。ま、いっか。リカは運転席に戻った。
途中でグッチこと昭島ナオのピンクダンプと合流して穴(廃棄物の捨て場)に向かった。笹木興業自社処分場の看板があったが、他社物を受けているもぐり処分場、つまり不法投棄現場なのは知っていた。敷地はもともとテニスコート2面程度だったが、奥の山林へと勝手に拡張されていた。道路側は高さ3メートルの万能塀でぐるりと目隠しされていた。鋼鉄の扉が開けられ、入口をふさぐように停っていた黒いアルトが、2台のダンプを見るとゆっくりバックして道を開けた。場内にダンプを入れると、中年の男がアルトから降りて先頭の赤ダンプに近づいてきた。
「5万円キャッシュだ」男が運転席のリカを見上げながら言った。
「高くない? こないだは3万だったよ」リカは不満そうにまん丸に膨らませた頬をサイドウィンドウから覗かせた。
「やならよそへ行きな。こっから上はまだ国道が閉鎖だ。おかげでこのごろ、オデコ(警察官)がうろうろしてて、穴もやりにくくなったからよ」
「いいわ、じゃよそ探すわ」リカがサイドウィンドウを上げようとしたその時、ユンボ(バックフォーまたはパワーショベルの通称)のサーチライトが灯り、アームが旋回して退路をふさいだ。
門扉の近くに黒いステーションワゴンが滑り込むように停り、ヤクザがかったジャージを着た男が2人降りてきた。
「誰にことわってここ入ってんだよ」男の1人がすごんだ。
「捨てずに帰るとこよ。ユンボどけてよ」
「金払ってけよ。1台15万だぜ」
「なに言ってんのよ。捨ててないのになんで払うのよ」
「捨てなくったって段取りにいろいろかかってんだ。弁償してもらわねえとな」
「あんたたち朱雀隊と知ってアヤつけてんの」
「女だと思って甘くしてもらえると思ったら大間違いだぜ」
男たちに囲まれる前に逃げたほうがいいと悟ったリカは、反対側のドアから飛び降りて林の中に走った。
「ちっ、逃げ足のはええこった。あっちのダンプはどうだ」
男たちはナオのピンクダンプに向かった。トラブルに気づかず、のんきにiPodを聴いていたナオは、あえなく運転席から引きずり降ろされてしまった。
「なにすんのよ」
「赤ダンプの女は逃げちまったからよ。あんたに落とし前をつけてもらうわ」
「ふざけないでよ。あたしを誰だと思ってんの。朱雀隊のグッチとはあたしのこと…」
「なんだそれ。スマタ隊? オメエら知ってっか」
「なんでもいいからやっちまおうぜ」若い方の男がじれったそうに言った。
「やだ、離してよ」
じたばたするナオを男がその場に押し倒し、季節外れの薄手のブラウスを引きちぎった。たちまち朱雀隊随一の放漫な胸が飛び出した。
「ほう、こりゃたまげた」男たちはIカップのブラからこぼれ落ちそうなバストに舌なめずりした。
「おい、オメエら」頭上からふいに男の声が下りてきた。
「オメエ、誰だ?」男たちは唖然として4メートル近いダンプの荷台を見上げた。
「仮面ライダーってとこかな」
「ふざけるな。降りてきやがれ」
「いいけど」荷台の上で身を翻したかと思うと、児玉はひらりと着地した。
「女、離してやれよ」
「なんだてめえ」男が2人がかりで児玉に掴みかかった。
児玉は1人を一本背負いで投げ飛ばし、もう1人を内股で倒して顔面に肘打ちを食らわせた。鼻骨が折れる不気味な音がした。
「いえて、いてえ、いてえ」男は激痛に地面を転げ回った。
「しっかりしろ、ばかたれ」アルトに乗って先乗りしていた年嵩の男が、地面に転がった男の脇を蹴飛ばした。
「覚えてやがれ」児玉に投げ飛ばされた男たちが、捨て台詞をはきながら乗ってきた4WDへと退却した。
「オメエ、なかなかやるな。今回は勘弁してやらあ」年嵩の男もアルトに引き上げた。
勝負があっさりついたのに驚きながら、ナオはボタンの飛んだブラウスを両手で引き合わせて立ち上がった。布地がひきつって豊満なバストがいっそう強調された。児玉はナオの蠱惑的な肢体よりリカが逃げた山の方を気にしていた。
「あんたさ、助けに来んの遅いわよ。マルニのブラウスが台無しじゃんよ。これ高いのよ。どうしてくれんのよ。正義のヒーロー気取るんならさ、もっと早く出てきてよね」
「オメエがやられんのが早すぎんだろう」
「ざけないでよ。不意をつかれただけで、あたし、やられてないかんね」ナオは口を尖らせた。
「朱雀隊とやらのお手並み拝見だと思って見物してたけど、やっぱ女は女だな。あと5秒もあればパンツも脱がされたろう」
「悪かったわね。でもあんた喧嘩上等じゃん」
「前のダンプの女、冷てえな。オメエをあっさり捨てて逃げたな」
「2人とも捕まるよりかましよ」
「なるほどそれも知恵だな」
ナオと児玉は捨て場の隅に置かれた丸太に並んで座り、リカが帰ってくるのを待った。児玉はマルボロに火を点けた。空き家で湿気ていない煙草をたまたま見つけたから吸っていただけだが、ナオには赤箱のマルボロをぞんざいに吸う児玉の指先が妙にかっこよく見えた。
「ねえ、あたしとエルメスと、どっちが好み?」
「なんだそれ」
「あたしはグッチことナオ、赤ダンプのほうはエルメスことリカよ」
「よくわかんねえけど、俺、そそそろ逃げた女捜してくるわ」児玉は林の中に歩き出した。
「待ってよ、あたしも行くよ」
「そのサンダルじゃむりじゃねえか。よくそれでダンプ転がしてんな」児玉はナオの赤いピンヒールミュールを笑いながら見下ろした。
「大丈夫よ、これディアナの安物よ、別にだめんなっても痛くないさ」
「靴じゃなく足がいてえだろ」
「やだ、置いてかないでよう。ったくもー」
ナオは児玉を追いかけようとしたものの、藪にヒールを潜らせ、3歩で断念してしまった。
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