アクトレイザーと私(下)

 れっらそふぁっみっふぁー ふぁ みっどっれー みれどっれー

 れっらそふぁっみっふぁー ふぁ みっどっれー みふぁみっれー

 れ♯どれっ ら♯そらっ ふぁみふぁっ

 ふぁーみれみーらー ふぁーみれみー

 ふぁーそら♭しれーそー ♯ふぁみ♯ふぁー


 れっらそふぁっみっふぁー ふぁ みっどれー みれどっれー……


 (上)では本編のことをほぼまったく書いていない、にもかかわらず古代祐三氏作曲の音楽についてアツい応援コメントが二つついた。いいですね! これこれぇ! 

 正直俺は、あまりゲームのクリエイターが誰で、音楽が誰で、ということには興味がなかったので(流石に「クロノトリガー」で鳥山明がキャラデザイン、とか、「LIVE A LIVE」で著名なアーティストがキャラデザイン、とかは知ってるし、オオって思いはしたが)、ここはノーマークだったのであるが、ググって見ると、イースとか、世界樹の迷宮とかを担当された方であるようで、オオー好みーって今更思ったし、そういう視点で発火する人がいることがわかってそれが良かったり。


 しかし! 敢えて言おう!

 アクトレイザーの本質は音楽ではない! ゲーム性だ!


 いやこれ本当に面白いので、なんかアーカイブとかで出来たらぜひ一度やってみていただきたい。ということで、前回ちょっと思い出話をしすぎてしまったが、今回はゲーム内容について語らせていただきたいと思う。


 このゲームを始めると、あなたの目の前には天使がいて、「かみさま、おはようございます」みたいなことを言ってくる。つまり俺は神で、天界で目覚めて、天使君に話しかけられているとこういう状況である。でどうも、俺はサタンに負けて封印されてしまったということで、このサタンとその配下に支配された地上を、神の名にかけて解放していく、というのがおおまかなストーリーである。


 で、天空の城から地上に降りることを選択すると、てーれーてーれーてーれーてーれーという音楽とともに地上に落ちていって、地上に残された「神の石像」(つまりこの神は偶像崇拝を禁じていなかったことになる)に俺が宿り、でそこに蔓延る悪をぶっ倒していくアクションパートが始まる。


 このアクションパートであるが、まあまあムズい。即死の針とか穴が結構ある。ただ、再開ポイントがわりにこまめに設定されるので、まあウオーって超えれば俺でもクリアはできる。

 マラーナのACT1の植物のボスとか結構強かった記憶があるが、ダメージを受けた後の無敵時間がわりに長いので、レベルを上げてHPを増やしてゴリ押せばまあまあなんとかなる。あとは魔法を活用すると楽なところは楽だったりもする。オーラの魔法とか強かった。

 

 というわけで、アクション自体のバランスも結構いいし、各ステージの曲もいい。まあ今更ネタバレもなにもないと思うので言うと、ラスボスは今まで戦ってきたボスたちとの連戦である。アツい。俺も結構強くなってるので、最初の方のやつらは楽勝だったりするが、苦しまされたアイツともまた戦わなくてはならない。苦しい戦いだが、これも乗り越えられない難しさではない。


 ふうん。なるほどね。そういうアクションゲームか。

 と早合点した皆さんに衝撃の事実をお伝えすると、違う。そこは本質ではない。


 最初俺は「フィルモア」という土地の石像に降り立って、そこの悪(ケンタウロスみたいなやつ)を撃破する。そうすると、その土地の神殿にべりべりべりべり、って雷が落ちて、そこに2人の人間が誕生するのである。


 ここから始まるクリエイションモード。これが面白い。たまらん。

 短く言うと「ポピュラス」なのであるが、今度は俺は天界からこの地上を見守り、実際の地上の管理は天使君に任せることになる。とはいえ俺はできる上司なので、部下をただ任せっきりにすることはしない。時には「かみのきせき」を起こして、地上を住みよいところにしていくのである。


 大まかな流れはこうだ。

 「道」を作れるように、土地を拓く。基本的には神のいかずちで木々を焼く。たまに日を照らして沼を干拓したり、雨を降らして毒地を清浄にしたりもするが、基本は焼く。

 焼いたら、「ここに道を敷くが良い」という指示を出す。指示を出すと、二人の人間が「アダムとイブですよ。生めや増やせでいいじゃないですか」といわんばかりに増やした人間たちが、頑張って道を作り、道が出来るとぼろりろりろん、という効果音とともにそこに家や畑が出来る。

 家や畑が出来て人口が増えると、人々の信仰心の高まりによって俺のレベルがあがる。また、人類の技術レベルも高まっていき、さっきまで道を敷けなかった川向こうに橋を渡せるようになったり、多くの人が住める家を作れるようになったりして、どんどん土地が豊かになっていく。たまには魔法とか、魔力の源とかを「ささげもの」としてもらったりする。


 で、この土地の悪の親玉はさっき俺が退治した、のではあるが、土地のあちこちには魔界と繋がっている魔法陣があり、そこから定期的に魔物が湧き出してくる。湧き出した魔物は人を攫って食べたり、せっかく建てた家を焼いたりする。俺の目が届くうちは、天使に指示して矢で魔物を射殺させることもできるが、この魔法陣が残っている限り、この地に安寧は訪れない。ということは、征服されてしまった世界全体に平和をもたらすのは難しいということになる。どうすればいいんだ。


 この魔法陣を封じるのは、人の力なんですね。アツい。人口が一定を超えると、「魔法陣を封印できるようになりました」、と言われる。言われるがままにそこに道を引くと、カンカンカン ボシュウといってその魔法陣は封印され、未来永劫魔物は湧き出さなくなってくる。一つの地に3つとか4つあるこれらの陣を全て封印すると、その地を支配していた真の巨悪が現れ、今度は俺がまた石像に生命を宿して(アクションパート2回目)、真の巨悪を撃破することで一つの地が真に平和になる――とこういうゲームである。

 

 いいでしょ?


 更に更に。フィルモアを安寧に導き、ブラッドプールの支配を開放し、また二人の男女を生み出して、一生懸命道を作る。魔物を退治する。魔法陣を封印する。その中で、フィルモアで得られた「橋」の技術を提供して、ブラッドプール(という名前だけあって、でかい湖があって、そこからは当然川が流れている)にも橋を架けていく。そうすっと、ここは水が豊富なので、タダの畑ではなくて、水田を作るようになる。この水田が作れる状態で、フィルモアに向かって「道を引く」と、フィルモアにも水田の技術が伝わり、今度はフィルモアの人口が増えるウォオー!! 相互! 作用! 人と人の交わり!!


 この後も、「争いが起こって人心が荒んだところに、他の地方で発展して「ささげもの」としてもらった音楽を聞かせて発展を促す」とか、「らしんばん」の技術を海沿いの町に渡すと遠洋航海が始まるとか、そういう、一個の土地は一回通り抜けておーしまい、じゃあないよさがある。たまには俺は神として、前に安寧に導いた土地を見回りにいってやらなければいけないし、そうすることで利得もある。


 全部で6つの土地を解放すると、「デスヘイム」という物騒な地が現れ、そこで俺は俺を封じたサタンと再度戦うことになる――とこういう話である。しかし、しっかりクリエイションをしていれば、レベルも上がってHPも高まっているし、魔法も結構使えるようになっているし、とにかくそういうわけで最初は手も足も出なかった(のであろう、封印されてたらしいし)サタンを倒し、それで世界は平和になる。いい話でしょう。完璧である。


 というわけで、俺はこのクリエイションモードが大好きなのだが、しかしどうも海外では不評だったようで、アクトレイザー2はただのアクションゲームになってしまったそうである。俺は「アクションゲームは本質ではない」とまで言い切ったが、本質はアクションゲームだったのかあ、という感じで、ちょっと片思い感はある。


 というところで、最初の質問に戻ろう。


 さて皆さん、支配が好きかな?


 好きなあなたにはうってつけだ。このゲームはまさに「支配」をするゲームだからである。神が本当にいるとして、その神がやってる行為を「支配」と呼ぶってのがニュアンスとして正しいかどうかは別として、人民の生殺与奪の権は全てあなたにゆだねられている。これが支配でなくしてなんだというのか?


 魔法陣の封印こそ人間の力を使わないとできないが、その他の全てはあなたが決めることである。ていうか、封印だってあなたが決めて道をひいてやらないと、みちびいてやらないとしてくれないわけで、全部が全部あなたが決めたことと言っていい。そんで、封印さえしてくれればこっちのもので、あとは2面のボスを倒せば、稲作も遠洋航海もほったらかしたっていいのである。

 あるいは、町の発展のため、古くて時代遅れで効率の悪い住居を、いかずちを以って焼き払うことだってできる。この町の創始者ですよ。多分。最も古い、最も辛い時代を共にすごした人が住んでいたあの家を、「でもその家だと人口増えないからなー」と言って焼き払う。気まぐれに地震を起こしてみてもいい。おそらく太古の昔からある秘島をいかずちで焼き払ってみてもいい。そこからあなたを強化するアイテムが出現することだってままあるのである。


 自分が強くなるために、いたずらに天災を起こして回る。暴虐な支配者でしょう。そういう支配者として、あなたは君臨することができる。


 とはいえ。とはいえである。これプレイヤーの実感としては、全然支配してる感はない。もちろんできるよ、圧倒的な支配プレイも可能ではある。でも、こっちとしては、むしろ隷属、小間使いになって、ああ木が邪魔でござンすか、へえ今焼き払いますからお待ちくだせえ。え、風車を回したいから風を起こせ? い、今SPが足りないので少しお待ちいただけますか……? ええっ羊の織物を!? い、頂けるんでやンすか!?

 みたいな気持ちの方が強い。


 少なくとも俺はどっちかというとそうだった気がする。というのは、確かに強いのは神であるところの俺、救ってやったのも俺、やることを示してるのも俺である。だけども、人間が増えないと困るのも、増えたら嬉しいのも、増えて強くなるのも、捧げ物を貰って嬉しいのもまた俺だからである。こうなってくると、支配ってなんだという話になる。


 俺の大好きな言葉にwin-winというのがあって、このなんかロボットの駆動音のような間抜けな響きが好きなのだが、その意味するところは一挙両得、みたいなことだと思う(違いますね)。確かに俺のが神だから強くて偉いんだろう。でも、結果的には俺の側が一生懸命尽くしているようなところもあって、でそれが心地良いというか楽しいというところもある。そのように考えると、例えば最初は圧倒的に俺が偉いとか、強いとか、そういうことから関わりが始まったとしても、逆にモノで釣られて言うことを言葉巧みに聞かされたんだとしても、そこになんか、双方ハッピーな関係が築かれることだってあるんじゃないか。あっていいんじゃあないか。


 俺は少なくとも、Tに支配されてて辛かった記憶はない。一緒にゲームをやって楽しかったし、何しろTが勧めてくれた「アクトレイザー」はこんなに面白かったのだ。


 そりゃあもちろん、何もない空間で、ひしめき合う人の中から、赤い糸かなんかで運命的に出会って、何もないけど二人いつまでも微笑んで、それだけで良かった、みたいな方が健全で、美しい関係だとは思うんだけど、ゲームで繋がる縁というのも悪くなかったと思う。



 アクトレイザーはセーブスロットが一つしかなくて、しかも弟の誕生日プレゼントで買ったゲームなので、所有権は弟にある。もちろん俺と弟は一緒にプレイしていたが、さすがに日曜にTの家に持ち出すのは気が引けた。ならばとTを呼ぼうにも、うちはその頃ともだちを呼ぶのに結構めんどいハードルがあった。


 それで結局俺は放課後Tの家で、昨日のアクトレイザーについて喋りながら別のゲームをすることがほとんどになって、実はだからTは結局アクトレイザーを(あんなに勧めていたのに)ほとんどプレイしていない。でも、あそこで話していたアクトレイザーの話は楽しかった。Tもそうだったらいいなと思う。

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