第6話 ひよこクラブ⑥
その豹変は朝から始まった。
いつものように起床ラッパが鳴り、新隊員たちはのそのそと起きだしていると、廊下から『ガンガンガン!』というけたたましい金属音が鳴り響いた。
「2区隊起床!2区隊起床!点呼は舎前!」
各班の班長はカラの一斗缶を棒で叩き、笛を鳴らし、部屋を回っている。
明らかに昨日と違う状況に、新隊員たちは茫然としていた。
「お前らとっとと動けや!」
「おいおい、追い立てられた羊だってもっと早いぞ!」
「こらあ!まだ寝てんの誰だあぁ!?」
廊下から聞こえる怒声が、武村たち4班の居室に届く。
「え、何?どゆこと?」
「わからん」
武村と井口は戸惑いながらもジャージに着替える。一昨日着隊した村松、水木、増田もそれに倣って着替え始める。すると、ドアが急に開き
「おはよう」
中条3曹だ。迷彩服に戦闘帽、つま先が鏡の様に磨かれた戦闘靴。戦闘帽を深く被ってるためか、妙な威圧感があった。
「お前ら、舎前集合な。急げよ」
言うとすぐ隣の居室に行ってしまった。
口調はフレンドリーっぽく軽いもので、昨日と変わってないように見えたが
「なぁ、武村君」
「なに?」
「今の中条3曹、目が笑ってなかったな」
村松は、何か見てはいけないものを見てしまったような暗い表情をしていた。
ああ、とだけ武村は返事する。
「とにかく急ごう」
武村たちが階段を目指すと、他の新隊員たちも駆け足気味に階段を下りていく。昨日までであれば、皆気怠そうにのんびりとしていたものだが今日はそんな悠長な空気ではなかった。
そんな中、武村はある事に気付いた。武村の班はみな体育服装、つまりジャージに赤白帽という格好だが他の班はジャー戦(上戦闘服・下ジャージ)だったり上下戦闘服だったりと、服装がバラバラだったのだ。
「これって、何だかおかしくないか?」
「…………」
並んで階段を降りる村松が焦った様子で聞くが、武村は答えられなかった。班長からは何も言われてないし、他の班からも点呼時の服装が変わったとは聞いていない。何も問題ないはずだ。…多分。
『2区隊遅いぞ!1区隊もとっとと整列完了しろ!』
当直幹部である金本2曹は、状況の変化に驚き戸惑う新隊員たちに檄を飛ばす。
教育隊では通常、起床後は直ちに着替えて朝礼場で点呼を受ける。朝礼台には当直幹部が立ち、各班の代表の班員は『総員○名』と『事故の有無(欠席者)』を報告する。そして、区隊全班の報告が済めば当直より注意事項等が達されて「点呼終わり」となるのだが・・・。
金本2曹は険しい顔をしていた。
既に教育中隊全員が朝礼場に整列しているが、一向に点呼をする気配がない。班長達はというと、金本2曹と同じく厳しい視線を新隊員たちに送っていた。
たまりかねた一人の新隊員が、
「あ、あのう、点呼はいつ…」
と言い終える寸前に、当直幹部は拡声器をスッと構える。
『お前ら、舐めてるだろ』
怒声ではないが、感情が籠っていないようにも聞こえ、新隊員全員に緊張が走る。
『起床ラッパが鳴っても起きない奴。
着替えが遅い奴。
同期に声を掛けずに一人だけ朝礼場に降りてくる奴。
のんびり歩く奴。
今も飯の時間を気にして時計を見る奴…』
一つ一つ言われる度に、思い当たる事がある新隊員は顔を歪めるか、若しくは同期に『お前の事だろ?』という批判めいた視線を送られている。
『お前ら服装がバラバラだが、朝の点呼時の服装を班長に聞きに行った奴はどれだけいる?』
金本2曹の質問に、何人かの新隊員が手を上げた。手を上げた新隊員のいる班の服装は上下迷彩服に半長靴を履き、弾帯を腰に巻き、戦闘帽を被るという【甲武装】の格好だ。
『いいかお前ら。この班は一人の班員が班長に明日の予定をしっかり聞きに来たから、正しい服装で点呼を受ける事が出来るんだ』
金本2曹に褒められた班の班員たちは、うっすら照れ笑いをしている。
『この中で、誰が班長に聞きに行ったんだ?』
「はい、自分です!」
胸を反らし、力いっぱい手を上げるその新隊員の顔は、誇らしげだった。
『そうか』
そう言って金本2曹は朝礼台を降り、その新隊員の元まで歩み寄る。手を伸ばせば届くくらいの位置で立ち止まると、再び拡声器を構える。
『殆どの連中が班長に聞きに来なかった中、よくお前は聞きに行ったな。なにか理由でもあるのか?』
「はい!自分の親族が元自衛官でして、教育隊の事について色々と聞いていたからです!」
自信満々に答える新隊員に笑みを浮かべ、
『ほう、その人に色々聞いたのか。なるほど、予習は確かに大事だな。
じゃあお前は、その親族の方に感謝しなきゃな』
「はい!」
他の同期達がダメ出しされる中で、自分だけ褒められるという状況に新隊員は完全に舞い上がっていた。眼は輝き、鼻腔は膨らみ、恍惚している。
しかし…
『では、何故その教わった事をお前の区隊の奴らに伝えなかった?』
金本2曹の質問に、表情が一気に凍り付く。それは他の新隊員たちも同様だ。
『お前は班の人間には伝えたんだよな?』
「…はい」
『他の班には教えてやろうと思わなかったのか?』
「…………」
『お前は自分の班の人間としか話をしないのか?』
「いいえ…」
さっきまで持ち上げられていたのが嘘のように、今度は尋問に切り替わっている。
その新隊員は今は青ざめてしまっていて、声もかすれ気味だ。
『お前たちも』
今度は班全体に問いかける。
『こいつから教わった事を、他の班にも教えてやろうとは思わなかったのか?』
まさか話を振られると思わなかった班員たちは、お互いに顔を見合わすだけで質問には答えられない。
一般企業であれば、所属の長にその日の行動を聞いてそれを部署の人間に伝達できれば、充分合格をもらえるはずだ。しかし金本2曹は、それでは足らない、と言いたいらしい。
『
ここが自衛隊だという事は、新隊員の誰もが自覚してる、筈だった。
『お前たちは昨日、宣誓書にサインした。その時点で我々は【お客さん扱い】するのをやめた。まさかとは思うが、いつまでも”君付け”で呼ばれると思ってたのか?』
新隊員全員…ではないものの、大多数は楽観視していた。武村も同様だ。フレンドリーな班長達の態度に戸惑いつつも、『自衛隊も変わったのかな?』などと甘い希望的観測で今まで過ごしてきたのだ。
『えーと、誰だっかな?あぁ、お前。身内に元自がいるって言う…』
先程褒められた後に叩き落された新隊員が、怯えつつも金本2曹に顔を向ける。
『その元自の人にこの言葉は教わらなかったか?【連帯責任】って』
ゼロから始める自衛隊生活。 たけざわ かつや @Takezawa
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