第5話 ひよこクラブ⑤

 「貴様らはゴミムシだ!」

「ゴミムシの分際で一般隊員と同じように扱ってもらえると思うな!」

「お前らはヒヨコですらねーんだよ。全員有精卵だと思ってんじゃねーだろうな?」

「俺らはゴミムシを言葉の分かるヒヨコにまで育て上げなきゃならん。気の毒だと思わないか?」


親にだってここまで罵倒された事のある人間はいないだろう(いたらそれは虐待だ)。

新隊員教育隊2区隊の新隊員たちは、今まさに営内班長ほか助教と呼ばれる上官達から説教をされてる最中だった。戦闘帽を深く被り、拳を握りしめ助教たちは整列した新隊員の間をゆっくりと歩く。

「俺らが優しいからって、勘違いしちまったか?悪ぃな、フレンドシップキャンペーンはさっき終わったんだ」

「ここは【株式会社:陸上自衛隊】じゃねーんだよ!」

「国民の皆さまからお預かりした税金で俺らは飯食ってんのに、お前らはのんびり飯食いやがって。この穀潰ごくつぶしどもめ!」

2区隊3班の班長、【花田3曹】は班員の横にしゃがむと、

「どうした、つらいか?辞めたくなったか?辛けりゃ辞めても構わんぞ。帰ってパパママに慰めてもらえよ」

「い・・いやです!」

班員が半ば怒りを込めつつ反論する。

それを花田3曹は「なんだその態度は!!」

とは怒鳴りつけず、ただ『ふっ』と一瞬だけ笑みを浮かべると、

「いやなら腕立て続けろや!なに休んでやがんだ!」

そう、新隊員たちは正座させられていたのではなく、自衛隊お馴染みのペナルティ

【腕立て伏せ(別命プッシュアップ)】をやらされながら説教を浴びせられていたのだ!


つい昨日のこと。


『私は、我が国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法および法令を遵守し、一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身を鍛え、技能を磨き、政治的活動に関与せず、責任感を持って専心職務の遂行に当たり、事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め、もって国民の負託にこたえることを誓います』

班長達から手渡された紙には【宣誓書】というタイトルが書かれており、さっきの文章がそれに続く。

【教場】とよばれる部屋に集められた新隊員たちは、書かれている文章を読んで、何か異様な物々しさを感じていた。

ある者は、何回も読み返す。

ある者は、サッと目を通し平静を装ってはいるが口数は少ない。

武村は一読して、文章の下にある【氏名】と【印】の欄がある事が気になった。

班長達から筆記具と印鑑の携行を伝えられていたからだ。

社会人経験のある武村は、自分の名前と印を打つ書類には何かしらの責任が生まれる事を知っていた。委任状然り、借用書然り。なので、と書かれたこの紙にサインした者は、そこに書かれた事を守らなければならない、という事だ。

「これ、よく分からんけど白紙委任状より恐ろしいような気がする・・」

武村の脳内にアラートが鳴り響く中、区隊付くたいづきの【金本2曹】が教場に入って来た。

「全員、読み終わったか?君たちはまだ自衛官でも候補生でもない民間人だ。

しかし、この宣誓書にサインして初めて自衛官への道がスタートする事となる。全員が着隊するまでの数日、多少なりとも部隊の空気に触れた事と思う。中にはひょっとしたら、気が変わった者もいるかも知れん。

もしいたら、今ならまだ間に合う。サインせずこの場で【宣誓拒否】という事で退室して構わん。荷物をまとめて家に帰りなさい」

何人かがパッと顔を上げる。『家に帰りなさい』に反応したのだろう。

「地本からどう聞かされてるか知らんが、訓練は辛いし自由な時間も少ない。給料だって民間に比べたら少ない方だ。自衛隊で働くことが賢い選択だとは、とても思えん。だからここで帰ったとしても、何ら君たちの価値を落すものではない」

金本2曹の話を、新隊員たちは真っ直ぐ目を向けて聞き入る。

「しかし、サイン・・署名したら話は別だ。そこに書かれている文章の事は守ってもらう。『やっぱツラいから辞~めた』は通用せん。・・武村君」

突然の指名に武村は驚き「は、はい!」と飛び跳ねる。

「君は今期の新隊員の中で比較的年長者だ。どうだ、社会人生活の中で署名と印を求められる書類ってのは、軽いものか?」

未だに動揺が抜けきらない武村は、少し息を落ち着かせつつ答えた。

「い、いえ、そんな軽くはないと思います。自筆のサインとハンコは署名した人間が書かれている事に責任を持つ、という意味だと思います」

この回答は正しかったのか?

「そうだ」

金本2曹が肯定した。

「武村君の言う通り、署名したら責任は負わなければならない。これは自衛隊のみならず社会の常識だ。もう一度言う、気が変わったりためらいがある者は今すぐ退室しなさい」

しん・・と教場内が静まる。皆、下を向いたり宣誓書を読み返したりしているが、出ていこうとする者はいない。

「全員・・承諾したと見て良いのかな?」

金本2曹は新隊員たちを見渡すが、その目つきは鋭かった。何人かは息を呑んだと思う。そして、

「よし!じゃあ宣誓書の下にある欄に自分の名前と、あと印鑑を押してくれ。字は絶対に間違るなよ!たまにいるんだよ、あわてんぼうさんがな」

中条3曹の言葉に教場内の空気は一気に緩み、新隊員たちはペンを走らせた。

「朱肉は置いてある物を使ってくれ。私物はなるだけ使わないように。インクが薄かったりすると大変だからな」

「練習が必要な者は、紙を用意してあるから申し出ろ」

「時間は十分にとってあるから焦らないで書け」

班長達は新隊員を慌てさせないよう、声は抑えめだ。

「中条3曹!書けました!」

まるでテストの答案用紙を書き終えた生徒のように、井口は挙手をした。

「お、書けたか!じゃあ点検するからな」

中条3曹は宣誓書をジッと見つめ、

「よし、オッケー!他の奴らが書き終えるまで待っててくれ」

そう言い終えると次々に班員たちが確認を求めだした。武村も書き終え、判を押す。中条3曹の点検を受ける順番に並ぶと、視線を感じて振り向く。

その先には、教壇の上に立つ金本2曹が腕を組み口元だけ笑みを浮かべ、宣誓書の確認を班長にせがむ新隊員たちを見下ろしていたのだった。


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