シトロン 〜美しいけれど意地悪な人〜

伊志田ぽた

第1話 いつもの帰り道

 これといつた取り柄もない僕は、当たり障りのない普通の高校を卒業後、遠方の大学に入学した。

 その大学自体に行きたかったのは勿論一番大きな理由ではあったのだけれど、ずっと地元地元で育ったものだから、少し外の世界を見てみたくなったという理由もあった。

 だからと、アルバイトをしながら一人暮らしをしているわけなのだ。


 講義とバイトが集中した日の翌日は、決まってシフトは入れていない。

 それはここ、借りているアパートからそう遠くない、大学からの帰り道にある喫茶店に寄るためだ。

 ここに来て早くも一度目の冬が到来しているが、僕は欠かさず週一のその日は通っている。


 いつもなら、人が少なく落ち着いていて、店の外装内装も相まって良い雰囲気なのだけれど、今日はどうしたことだろう。

 一本に並んだ人の列が、店先まで続いている。


 何でも、冬休みに入る前はいつもこうなのだとか。


 母親からのメッセージに簡単に返していると、すぐに僕の前まで店員がやって来た。


「あぁ、いつもの。今日もお一人?」


 端正な顔立ちに似合う、透き通った声の男性だ。


「ええ。忙しそうですね」


「この時期はどうしても。注文、いつもと変わらないようならすぐに用意するけど」


「じゃあ、頼みます」


「了解。ブレンドにサンドイッチね。どうぞ、一番奥に空いてる席があるから」


「ありがとうございます」


 店員が手で促す先、店の中へと入っていく。


 隙間なく埋まっている席。

 二人掛けとは言え、僕一人で占領して良いものか、些かの申し訳なさが襲った。

 程なくして運ばれて来た注文品と一緒に、


「まぁ気にしないで。お客なんだし」


 と優しい言葉をかけるのは、先の見知った店員だ。


「はぁ。ではお言葉に甘えて」


「おう、それで良いさ。ブレンドとサンドイッチね」


「ありがとうございます」


「ごゆっくり」


 最後に眩しい笑顔を残して、店員は忙しそうに店の奥へと消えていく。

 それを見送って僕は、言われた通り寛ごうとコーヒーカップを手に取り、一口。

 いつもより多くを口に含んだのは、時短をと考える遠慮からだろうか。


 それにしても、よく混んでいる。

 行列なんて短くも長くも、新装開店のパチンコ店かラーメン屋でしか見たことがないぞ。

 ここには、それだけの客を寄せるに足る魅力が何かがあるのだろうか。

 女性客の多さからそう考えると、その人たちが頼んでいるものが気になった。


 二つあるサンドイッチの一つを食べ終え、少し冷めたコーヒーを飲む。

 そんなことをしていると、店員がこちらにやって来た。

 呼び出してはいない筈なのだけれど。


「ごめん、本当に混んじゃってるみたいでさ。店長からの指示でやむなく相席を頼んでるんだけど、次のお客さん一人だから頼めないかな?」


 ということらしい。

 別に構わない、という言い方を出来る立場でなく、且つそれが少し気にかかっていた僕は、二つ返事でオーケーサインを出した。

 ありがとうと言って再び入口の方へ。

 感謝されるほどのことではないのだけれど。


 やがて戻って来た店員は、半歩後ろに若い女性を連れていた。

 歩きながら脱いでいく純白のコート、上は同色のニットに赤い膝上のスカートと黒のタイツを着込むのは、それに勝るとも劣らない透明感を持った肌だ。


「こちらへ。ごゆっくり」


 そう店員が促して引っ込むと、


「ありがとうございます。あと、すいません」


 女性は頭を下げて礼と謝罪を口にした。


「お構いなく。あなたの方こそ…と、それより、どうぞお席へ」


「あ、はい、ありがとうございます」


 背もたれにコートお小さなショルダーバッグを掛け、スカートを指先で伸ばす上品な所作でもって、椅子に腰を下ろした。

 と、計らずも視線はロックされてしまっていたようで「何か?」と首を傾げられる。


「いえ。画になるなと」


「お上手なことを」


 そう言いながらも、口元に手を添えて笑う女性はまんざらでもなさそうだ。


「えっと…すいません。先ほど、何か言いかけてませんでしたか?」


「そうでした。いえ、込み入った話ではないのですが。貴女の方こそ、男の僕と相席で良かったのかと思いまして。店員から、その旨の説明はあったでしょう?」


「そんなことでしたか」


 そんなこととは。

 女性からすれば、存外重要なことではなかろうか。


 と思う僕に、女性ははにかんで言った。


「遠目には、優しそうな人だなと思えたものですから」


「それは残念です。こうして近くにいる今、そうは思えませんか?」


「え、いえ、そんなことは…!」


「はは。冗談ですよ」


 笑ってそう言うと、女性は頰を膨らませて憤慨した。


 といった経緯を終えて、ようやくと店員を呼ぶ。

 注文したのはブレンドとトースト。女性人気ナンバーワンの商品セットだった。

 かしこまりました、と注文を厨房に届ける店員を見送ったところて、女性が「ふぅー…」と深いため息を吐いた。

 よく見れば、薄っすらと目の下に隈がある。


「寝不足で?」


「えぇ、少し。大学の課題に追われていまして」


「大学生…!?」


「え、えぇ」


 オーバーなリアクションで驚く僕に、女性は首を傾げている。

 この大人っぽさというか、オーラとかそんなものから、幾つも年上だと思っていたのだけれど、その実数個しか違わないとは。

 どういった魔法なのだろう。


「色々と忙しく、寝る時間があまり取れなくて」


「それは大変そうですね。よろしければ、僕は気にしないので、食後少し仮眠を取られてはいかがでしょう?」


「え、でも、今日は混んで…」


「いえ。少し客足も落ち着いて来ているようですから。ほら」


 と向けた視線の先、出入り口扉の前には、もう先の行列は無くなっていた。

 それを見て少し安心したのか、女性はやがて控えめに「そ、それなら」と、僕の進言を受け入れた。


「は、恥ずかしいので、その際にはこちらを見ないで頂けますと」


「無論そのつもりではありますが…敢えて言われると、その逆を行きたくなりますよね」


「貴方は多分、そんなことはしませんよ」


 そう言われると、どうにも抗えそうにはなかった。


 すぐに運ばれて来たトーストを食べ、コーヒーを二口ほど飲んだところまでは見ていたけれど。気が付けば、こっくりと頭を倒しながら小さく寝息を立てて眠っていた。

 疲労と寝不足は相当に溜まっていたらしい。


 空調で誤魔化していようとも、外気に近い窓際のここは少し冷えるからと、僕は女性が掛けていたコートを羽織らせて戻り、コーヒーを飲む。


「アイスコーヒーになってる…」


 それほど、外気は冷たかった。


 しかし気になるのは。


(細いな。これで寝不足って、身体に相当な負荷がかかってるんじゃないのか?)


 コートを羽織らせる際に触れた肩は小さく、背中は狭く、腕は細かった。

 華奢という言い方をすれば女の子っぽいけれど、それだけで片がつくものではないような。ちゃんと食べているのだろうか。


 と、僕が思ったところで意味はないのだけれど。

 どうにも、気になって仕方がない。




 途中からうつ伏せて寝ていた女性は、小一時間ほどすると、むくりと起き上がって辺りを見回した。

 数秒して「はっ…!」と目を見開き、しまった寝過ぎたと頰を叩く。


「す、すいせんぐっすりと…!」


 そう言って頭を下げる先には僕。


「気にしないでと言ったのはこちらですから。それと、敬語はよしてください」


「え…ど、どうして?」


「大学一回生なんですよ、僕。なら、いいとこタメか貴女の方が年上だ。今日限りの相席でも、ちょっと息がつまっちゃって」


「一回生さんだったんです…と、だったのね。私、二回生」


「やっぱり年上だ」


 僕が笑って見せると、女性も釣られて困ったようにはにかんだ。


「でも、それなら尚更…ごめんなさい、年下に気を遣わせちゃって」


「むしろ当然では。と、そうだ」


 会話途中で急に鞄を漁りだした僕を、女性ははてなを浮かべて見守る。

 ここへの道中、レポート課題のお供にと買っておいたものだ。


「アールグレイ。疲労回復にアロマテラピー効果、リラックスにはもってこいです。幾つかお待ちください。良ければ全部でも」


「紅茶…?」


「はい。自分で飲もうと思って買ったものですが……初対面で不躾ではありますが、些か貴女のことが気にかかってしまって」


「それは嬉しいけれど……いいの?」


「これでも男です。多少の無理や無茶程度、貴女の顔色の悪さには遠く及ばない」


「そこまで酷かったかしら……メイクで誤魔化せてない?」


「厚塗りでもないようですし、疲労は目に見えて分かりますね」


「う、そっか…」


 がくりと肩を落とし項垂れる表情は、肩まである艶やかな髪で隠れて見えない。


 心配かけちゃってごめんなさいと、結局紅茶は半分だけ貰うということで話は落ち着いた。

 少し晴れやかに見える顔でバッグに仕舞う様を見ていると、それだけで効果は出ているのかもしれないと思えて、こちらもちょっとだけ幸せな気持ちになった。


「さて。それじゃ、帰って課題片付けなきゃね。ありがと、えっと」


 言いかけ、言葉を詰まらせる。

 そういえば、


「名乗りもしない見ず知らずの男から紅茶貰うとか、下手すればホラーですよね」


「気にしなわよ。私、小野おの美也子みやこ


 そう言って、女性改め小野さんが手を差し出してくる。

 断る必要なくその手を取って、


新子あたらし素直もとなおです」


 繋いだ手を離す傍ら、小野さんが「もとなおってどんな字書くの?」と、珍しい名前だと言って来た。


「素直な人の素直で"もとなお"です」


「いい名前ね。じゃあ、すなお君でいいかな」


「呼ばれ慣れてますから別に構いません」


 元より、次いつ会うかすらも分からないのだから。


「じゃあ、すなお君。紅茶までありがとね」


「いえ。道中お気をつけて」


「はーい。それじゃ」


 短い別れの挨拶を置いて、小野さんはコートを着なおして店を出た。


 どうにも落ち着かない、僅かな胸の痛み。


 この日、僕の中で何かが流れ出した。

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