お別れの一コマ 〜一コマシリーズ5
阪木洋一
引っ越し
朝の通学中、通用門を潜って校庭を歩いていた時のことである。
「あ、好恵先輩……と、拝島先輩?」
「――――」
「…………」
会話の内容は聞こえないが。
優雅に語る拝島委員長の話を、好恵先輩は眠たそうな半眼ながらもコクコクと頷き、時たま小さく笑っている。
遠目から見ても、親しげな様子だ。
聞いた話、同学年の好恵先輩と拝島委員長は一年生の時に同じクラスの友達であったらしく、今でも交流があるんだとか。
「……ううむ」
さて、どうしよう。
折角、好恵先輩を見かけたのだから声をかけたいのだけど、なんだかかけ辛い。
ただ、二人がどんな話をしているのかについては気になったので、陽太はもう少し近づいてみたのだが、
「ところで好恵。引っ越しの準備は順調なの?」
「……うん。日曜日には、新しい住所になる」
「――――」
え?
今、なんと?
引っ越し?
陽太、そのワードだけで硬直するも……すぐさま首を振って、
「……いや。待て、待て待て、落ち着けオレ。聞き間違いだろ、うん。そうに、ち、ち、ち、違いねェ」
動揺による鼓動を押さえつつも。
歩みを再開して、今一度二人の会話の聞こえる範囲に入った、瞬間、
「引っ越した後の新居は楽しみ?」
「……いいところだし、それに、学校が近くだから」
「確かに、好恵はこれまでちょっと離れたところから電車通いだったし。新たな環境、上手く行くといいわね」
「……うん。上手く行くと思う、きっと」
「……………………」
聞き間違いでは、なかった。
好恵先輩は、来週に引っ越してしまうらしい。
つまりは、学校も転校で。
――先輩とは、お別れになる。
あまりにも急な事実だったのに、陽太は、校庭で立ち尽くしかなかった。
「おー、平坂、どした?」
同じ部活の、兄貴分として慕う先輩が話しかけてきても。
「む? なんじゃ、ヨータが朝から塩の柱になっておるぞ」
「おお、いつもの茹でダコ状態とは、また違う感じだねぇ。今回は赤いというより……白い?」
「平坂くん、遅刻するよ」
同じ部活のクラスメートの女子達が、身体のあちこちをツツいてきても。
陽太は、微動だに出来ない。
「うーむ、しょうがない。運ぶかー」
「そだね。ゆっきー、そっち持って。信さんはこっちね」
「っとと、よし行くぞ。いちにーの、さん」
「……なんだか、シュールじゃのう」
と、三人がかりで教室に運ばれても。
やはり、陽太は、微動だに出来ない。
で。
授業が始まるまでに、陽太は、ほんのわずかに回復しつつも。
――授業中。
「平坂、この問題、答えて見ろ」
「……わかんないッス」
「少しは考えろ!?」
――体育の時間。
「パス行ったぞ、平坂!」
「…………」
「うおっ!? モロに顔面にぶつかった!? 何やってんだ平坂っつーか、大丈夫か!?」
「…………」
「ものともしてねェ!? それでいてボーッとしたまま走ってる!? ある意味すげぇ!?」
「…………」
「おおぅい!? 自分がゴールに入ってどうする!? 平坂、平坂ーっ!?」
――昼休みも。
「平坂、今回はパン買ってきてやったぞ。まあ、食え」
「…………」
「お、食べはするんだな。もう一個食うか?」
「…………」
「おお、吸い込まれていく。なんかシュレッダーみたいだな。もっと行っとくか」
「…………ゴフゥ!?」
「って、喉に詰まらせてる!? しかもどんどん顔色がやべェ!? 平坂戻ってこーい!?」
――放課後になっても。
「……………………」
陽太は、ボーッと上の空のままであった。
「平坂、まだ調子戻らないのか?」
「たまにこう言うことがあるけど、今日は相当にキてるな」
「まさかとは思うが、あの美人な先輩と何かあったか?」
「いつもリア充爆発しろとか思ってるけど、ああなってくると居たたまれなくなってくるぞ」
「この調子では、部活動の時に困るのう。どうしたものか」
「あの先輩絡みとなると、恋愛関連だから、
「藍沙ちゃん、今日はバイトだって。もう帰った後だよ」
『ううむ……』
一年六組の面々、いろいろと思案を巡らすも、打つ手はないようであった。
そして陽太は、その心配が聞こえずに、未だにボーッとしたまま。
「……情けねェな、ったく」
まるで腑抜けみたいだというのは、陽太自身、重々承知している。
でも、やっぱり。
ずっと想ってきた先輩とのお別れが近づいているとなると、陽太は、どうすればいいかわからない。
残り時間がわずかなら、自分に出来ることは、一体何か?
正直、自信はまだないけど、ここは腹を括るしかないのか?
でも、もし受け入れてもらえなかったら?
だが、いや、しかし……。
そう言う思考の堂々巡りを、今日一日ずっと繰り返して。
「……ああ」
ふと、陽太は彼女と初めて会った時のことを思いだす。
無自覚ながらも、先輩のことを傷つけて。
だからこそ、放っておけなくて。
拒絶されてもいいから、向き合おうと思って。
結果、ちょっとした空回りと共に、仲良くなれて。
それで。
生まれて初めて、あの人に恋をして――
「そっか。そうだよな」
このままでは、終われない。
あの時の自分から、もう一歩、前に進んでみよう。
例え、お別れになるとしても。
受け入れてもらえなかったとしても。
後悔だけはせずに、前へ。
普段、何かと勝負を仕掛けては全敗しているけど。
あの時も、思ったように。
――これは、自分の中にある迷いとの勝負だ。
「よし!」
立ち上がる。
一年六組の面々が『お?』と反応するよりも早く、陽太は、教室を出て走り出す。
『廊下を走るな』と注意されるも、気にも留めない。
まだ、放課後になってからは十分くらいしか経っていないはず。
全力で走りさえすれば、なんとか――
「居た……!」
東緒頭校から徒歩十分の距離にある最寄り駅、その改札前で、目的の女生徒を見つける。
何度も見たその背中を、陽太は間違ったりはしない。
「好恵先輩っ!」
改札を抜けようかとするところで、陽太は彼女の名前を呼ぶ。
女生徒――小森好恵は歩を止め、振り返ると、
「……陽太くん?」
ちょっと驚いたようで。
それでいて、少しだけ、眠そうな半眼の丸みのある顔を綻ばせた。
ああ、こんな時でも可愛いな――などと、目を奪われている場合ではない。
「ハァ、ハァ、間に合って、良かった」
「……? どうしたの?」
「あの、好恵先輩、聞きたいことが、あるッス」
「……なに?」
「引っ越すって、本当ッスか!?」
迷いはない。
率直に疑問をぶつける。
でも、少し、ほんの少しだけ――間違いであって欲しいと、陽太は願ったのだが、
「……本当だよ。日曜日には、新しいところに移るの。そういえば、陽太くんにはまだ言ってなかったね」
「――――!」
また少し驚いた様子ながらも、好恵先輩は答えてくれた。
その事実を改めて聞いて、やはり、陽太はショックを隠せない。
彼女とはお別れになる、と言う事実が辛い。
でも。
それでも、だ。
言いたいことを言うと、陽太は決めてきた。
「好恵先輩」
「……うん」
「最初にした約束、覚えてるッスか? ピンチになったら、いつでもオレのことを呼んで欲しいって。どこからでも、すぐにカッ飛んでいくって」
「……うん、覚えてる」
「それ、これからも覚えてて欲しいッス。迷惑とかそんなこと、全然考えなくて良い。オレがそうしたいから! だから、遠慮なく……呼んで欲しいッス!」
「……勿論だよ。わたし、陽太くんには何度も助けられてるから」
「はい! 好恵先輩が転校しても、好恵先輩に会えない日が続いても、オレ、先輩のこといつまでもどこまでも応援してるッスから!」
「……ん?」
「そんくらい、オレ、先輩のこと――」
「……陽太くん、ちょっと待って」
「好……え、は、はい、何ッスか?」
精一杯の勇気と共に、その言葉を言い掛けたところで。
好恵先輩がきょとんと首を傾げながら制止したので、ついつい、陽太は止まってしまったのだが。
「――わたし、転校しないよ?」
「…………はい?」
続いて飛び出した彼女の言葉に、今度は陽太がきょとんとする番だった。
え?
引っ越すからには、転校は……あれ?
なんで?
…………いや、待て、これは。
もしかすると――
「……わたし、来週から緒頭町に住むことになったの」
「――――」
「……今は、別の地区から電車で来てるけど……引っ越したら、学校にはすぐ近くになる、ね」
「――――」
その、もしかすると、だった。
かつてと同じく。
全ては、平坂陽太の、完璧なまでの空回りである。
「はあああああああああああぁぁぁ…………」
リアルに、頭を抱えながら膝から崩れ落ちた。
やばい。
恥ずかしい。
超がつくほど恥ずかしい。
もう少し。
ほんのもう少し視野を広くして考えれば、こんなオチなどすぐに思い至ったものを。
迷わない、後悔しないと決めたというのに、この体たらく。
もう、何やってんだよ、オレ……だめだ、死にてェ……穴があったらすぐに入って、どこまでも突き進んで、
などと、得体の知れないところまで自虐スパイラルを続けたところで。
「……ぷっ」
そんな、吹き出す声が聞こえた。
「?」
自虐スパイラルな自分にどうにか渇を入れて、陽太は顔を上げたところ。
「……ぷっ、ふふ、あはは」
なんと。
いつもぼんやりしてて、いつも眠たげな眼をしてて、いつも物静かな好恵先輩が。
肩を揺らして、笑っていた。
「……ごめん、ごめんね、陽太くん。ちょっと、可笑しくて」
謝りながらも、小さく笑うことはやめない好恵先輩。
普通、そんな風に笑われたら、ムッとなるか、自虐モードに入る陽太なのだが。
今は、ただただ、彼女の笑い顔に、目を奪われるしかない。
――見たことがないくらいに明るくて、何度も見たように可愛くて。
そんな、彼女の新たな表情に。
陽太の胸中にある自虐スパイラルは、いつしか雲が晴れるかのように消えてなくなってて、
「は、はは……」
「ふふ、ふふふ……」
最初は苦笑、そして、心から笑うに至る。
そうして、お互いに。
しばらく、気の済むまで、ささやかに笑い合った。
で。
空回りも解決と言うことで、結局その日は解散となって。
陽太、休日の土日は部活で結構忙しなく過ごしたためか、好恵先輩にはコンタクトをとれず、好恵先輩も連絡をしてこなかったから、話さないままで。
その週明けの朝。
「行ってきまーす……くそう。
部活の疲労を残したまま、少々重い身体を引きずるかのように、陽太は自宅を出たところ。
「……あ、おはよう、陽太くん」
「………………え」
自宅の、その数件隣の家の玄関から。
――意中の先輩である、小森好恵が姿を現したのに。
陽太の目は、文字通り点になった。
「……今日はいい天気だね、陽太くん」
「えっと……ちょっと、待ってください? 何故に? 好恵先輩が? ここに?」
「……? 引っ越してきたの、陽太くんの家の近所だよ?」
「!!!!!!?」
え、え、え、ええええええええええええええええええええええ……。
陽太、これまでの人生の中で一番に驚いた。
確かに。
三年前から空き家になっていたのは知っていたし、何度か、仲の良さげな夫婦が休日にこの家を見に来ていたという話も聞いていて、ただ休日は部活だったのでその詳細をまるで知らなかったのだが。
まさか。
まさか、好恵先輩の、ご家族だったとは……!
「……実は、わたしも昨日知って、驚いたんだけど」
「? けど?」
「……陽太くんと一緒に通学できるから、嬉しい方が大きいかも」
「――――」
ゴトリ、と陽太の中で音が鳴った。
確かに、彼女の言うことは、陽太にとってもご尤もであるが。
――そんなことを平然と言えてしまう彼女に。
陽太は、乙女のように顔を赤くしながら、うずくまるしかなかった。
「……陽太くん、一緒に、学校行こ?」
「…………」
「……? 陽太くん?」
「…………はい」
やばい。
あまりのことに、思考の整理が追いつかない。
でも、兎にも角にも、好恵先輩の言うとおり、学校には行かないといけないわけで、何とか復活して、陽太は足を前に踏み出す。
そんな自分の隣を――好恵先輩は、歩いてくれる。
嗚呼。
嬉しい。
嬉しいけど、その、なんというか、たまらん。
どうしたらいい。
これが毎日続くって、オレ、耐えられるの……?
などと、陽太は思ったりするが。
――頑張るしか、ないよな。
先日も思ったように。
いろいろ迷わないと決めた今、これから続く毎日に、何とか慣れていくしかない……否、慣れていこう。
頑張れ、オレ。
負けるな、オレ。
そして、いつかは――
「……さっきも言ったけど、いい天気だね」
「そ、そうッスね」
「……この道を通るの、なんだか、とっても新鮮」
「ん、すぐに慣れると思うッスよ。それにオレ、近道知ってるんで」
「……ありがと。そういえば陽太くん」
「あ、はい、何スか?」
「……この前なんだけど、何か言いかけてなかった?」
「え、この前って」
「……陽太くんが、わたしが転校するって勘違いしてた日」
「――――!?」
「……応援するって言った、その後に。確か『す』って言ってて、その続きがよくわからなくて」
「ぐ……あ……!」
「……何て、言おうとしてたの?」
「えっと、その……!」
「……?」
「す、す、す、『す』んげー応援してるって言おうと思ってたッス!」
「……そうなんだ。ふふ、ありがとね、陽太くん」
「う……あ、ぐ…………は、はい」
訂正。
早くも、いろいろ耐えられなくなって。
心が折れそうになる陽太であった。
お別れの一コマ 〜一コマシリーズ5 阪木洋一 @sakaki41
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます