夜空君…………?



「千雪、待って!」


後ろから走ってくる気配。

わたしは捕まらないように走りながら、自分の部屋に向かう。

その為に、階段を上がっていた時……


「あっ……」


足が滑る感覚がしたかと思うと、次に浮遊感がわたしを襲う


落ちたと気が付いた時には、もうどうしようもない。


「っと、大丈夫?」


でも、次にわたしが聞いたのは、床に叩きつけられる音じゃなくて、大好きな人の声だった。

その体温が、伝わってくるほど近い。

わたしは、もう何も考えられなくなってしまった。


「千雪?」


夜空君の声がして、やっと思考が元に戻る。

そして、今になって恐怖が襲ってくる。

でも、夜空君がこんなに近くにいるからか、大丈夫なくらい。


わたしが夜空君にお礼を言おうと、振り返った時……


わたしの近くには、夜空君の顔があった。

この距離で見るのは初めてじゃないのに、心は落ち着かない。体は過剰に反応する。


『あと一歩だよ!少しのきっかけがあれば大丈夫だって!』


昨日、風花ちゃんに言われたことがフラッシュバックのように思い出される。

それと同時に、自分の心臓がドクンと大きく鳴る


『不意に顔が近づいたでも、転んだ拍子にでも、何かのお礼でも。その気になれば問題ない!』


夜空君が抱き留めてくれたから、顔が近づいた?

わたしが階段で転んだから?

助けてくれたお礼?


もう、理由なんかどうでもよかった。

ただ……


『こんな優良物件、おさえとかないとほかの女に取られちゃうよ!?それでもいいの!?』


その言葉だけが、胸に刺さって、痛くて。

そうなるのが、怖すぎて。


そう言えば、星空深夜の歌詞に、こんなのがあった。


『失くしたくない場所がある』

『ただ隣にいてくれる

それだけであたしは生きていけて

同時に後悔もして』


そうだ。

これから先、後悔するかもしれない。

けど、あの歌が表すのはそんなことじゃないと思う。

だって、あの曲名は、『菫青石を抱えて』。

菫青石は、アイオライトともいわれる宝石。

アイオライトには色々な意味があるけど、その中には『結婚に導く』という意味も、『初めての愛』という石言葉もあるらしい。



歌の中の『彼女』は気が付かないだけで、幸せへの切符を抱えていたのだと思う。


『これでいいの?』と問いかける女の子は、好きな男の子が自分なんかと一緒じゃあ幸せになれないと思っている。

でも、その二人は『アイオライト』という石に守られていて、そんな心配はいらない。


わたしは、その主人公に似ているかもしれない。

夜空君のことが好きだけど、告白して今の関係を失うのが怖い。


誰かに取られるなんて、本当にあるかもわからないものを怖がっている。


好きだよって言ってほしいだけだけど、それが難しいんだ。


でも、それならきっと……って思うのは、わたしが若すぎるからかな。

歌の歌詞に自分を重ねてしまうのは、わたしがおかしいのかな?


けれど、今はそれでもいい。






わたしは、少し遠かった夜空君の顔を両手で近づける。


そして、夜空君の唇にゆっくりと自分の唇を重ねて……

















唇を奪った。















今のがわたしにとって、正真正銘のファーストキス。




けれど、わたしはキスをしてから冷静になった。いや、なってしまった。


冷静になって襲ってきたのは、自分に対する嫌悪。


夜空君の許可を取らずに、こんなことをしてしまった自分が嫌になる。

取り返しのつかないことをしておいて、後悔する自分が嫌になる。

ここで「好き」の一言が言えない自分が嫌になる。


沢山の自分に対する『嫌』がたまっていく。

好きだったものを自分の勝手で汚してしまった自分が。


せめて、謝ろう。

そう思い、夜空君の顔を見ると、次の言葉は出てこなかった。



その表情は、わたしが見たこともない表情。


様々なものが混ざったような、けれど、何かに気が付いたような。


『初めて』の表情だった。


だから、わたしは夜空君が離れていってしまうのを、手を掴んで止められなかった。




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