運命との決別


 予想していた通り、三時間後くらいだった。周りが少し騒がしくなった気がする。

 しばらく待っていると、洞窟の外で煙が登っているのが見えた。

「そろそろ始まるみたいだよ。優はちゃんとやってくれたみたいだ」

「いよいよね」

 遠くにサイレンの音と誰かの叫び声が聞こえてくる。

「早く消すんだ!」

 少しづつ煙が洞窟の中にも入ってくる。

「これ、私達大丈夫だよね?」

「・・・風向きまでは考えてなかった。煙吸わないように伏せて」

 やがて、煙が大量に流れ込むようになってくる。

「どこかに穴が開いてるのか」

 ちょうど俺とともちゃんの牢は煙の通り道になっているらしかった。

 煙で視界が見えなくなってきたとき、誰かが洞窟に入ってきた。

「知香!」

 逢坂だった。

「火事だ!この辺りは危険だ!今開けるからな」

 隣の牢で鍵の音が聞こえる。

 しばらくすると、逢坂がともちゃんを抱いて洞窟の外へ出て行くところだった。

「おい!こっちも開けてくれよ!」

「逢坂さん、お願い、勇舞も出してあげて」

 逢坂は止まってこの牢の鍵を見た。

「駄目だ。この鍵は俺が持っているものじゃ開かない。すぐ開けてやる。まずは知香を運んでからだ」

 逢坂は姿勢を低くして煙を吸わないようにしながら去っていった。

 その姿を見ながら順調に進んでいることに安堵する。

「おっし、これでともちゃんの脱出は達成したな。後は俺が脱出するだけなんだが」

 煙の量はますます増えていき、天井の煙が次第に下がってきた。

「そろそろやばいかな」

 このままだと普通に立つことができなくなりそうな煙の量だった。

「勇舞!」

 声がして優が走ってくる。

 親父と広瀬さんも続いて駆けつけてくれた。

「星村君、待たせたな」

「快適そうな住まいだな」

 助けに来てくれるという確信はあったが、それでもちゃんと来てくれてほっとした。

「待っててね、今開けるから」

 優はそう言って、鍵を見て止まる。

「あ、鍵持ってない・・・」

 そう言って、親父と広瀬さんを見る。

「優ちゃん、ちょっとどいて」

 親父は腰にかけた工具セットから小型のハンマーを取り出した。

「勇舞が買えって言うから・・・四千円もしたんだぞ、この工具セット」

 そう言いながらハンマーを鍵の根本の部分に打ち付ける。

「俺はトンカチかレンチか、それで良いってメールに書いただろ」

「ここに来てから何か足りないじゃ済まされねんだよ。お、根本はだいぶもろくなってるな」

 ハンマーが木に叩きつけられると木片が飛び散った。

 何度か叩いてから、鍵をハンマーで引っ掛けて無理やり引っこ抜いた。

 閂が外され、俺は三時間ぶりに牢の外に出れた。ふらふらの俺は親父と広瀬さんに両肩を貸してもらって連れだされた。


 洞窟から出ると、そこは真っ白い世界だった。そこに代峰家の使用人らしき人物達が消火しようと入り乱れている。

「本物の火はわずかだが、これだけ煙が出ていればさすがに混乱するだろうな」

 親父は満足気だった。

「発煙筒、どのくらい買ったの?」

「何件かのホームセンターを回ってあるだけ買った。確か百本くらいだったな」

「それだけ点けたら十分だね」

「全部で七万くらいした。工具セットの分と合わせてお前の貯金から引いておくからな」

「おい」




 俺がカラカサ松で捕まった後、時間をずらして親父と広瀬さんがカラカサ松に到着したはずだ。その後、三人で山の裏手を戻ってくる。親父には予め発煙筒を出来る限り買ってくるように伝えておいた。

 発煙筒から大量の煙を出すと同時に村の消防署に通報を入れる。山火事となればいくら代峰家と言えど消防署の侵入を防ぐわけにはいかない。

 とは言え、消防隊が正面からここまで入ってくるの多少時間稼ぎをするだろう。ここには見られて都合が悪いものが多い。その間は待機しておいて、消防署の人間が来たら、それに紛れて親父たちも俺を助ける算段だ。

 消防署が消化活動をしているすぐそばで、しかも混乱した現場で部外者を捕まえたり暴行することはできないだろう。

 最後は、火災の負傷者を装って消防隊に運んでもらうか、もしくは火災現場から避難している体で堂々と正面から脱出する予定だ。




「しかしこれ、ちょっと多すぎたんじゃないか?」

 発煙筒の煙が多すぎて視界がほとんど効かない。

「確かに多かったかもな。だが、このくらいじゃないと脱出できなかったかもしれんぞ」

 消火している代峰家の人間は俺達に構うどころではなかった。

 消防車のサイレンの音が屋敷の方から聞こえ、それに叫び声と怒号が交じる。その混乱にまぎれて、代峰家の屋敷近くまでやってきた。

「よっしゃ、ようやくここまで来たな。星村君の体も心配やし、早く病院連れて行こう」

 広瀬さんが俺の肩を支え直したときだった。

 白い煙の中へ進んでいく代峰さんの姿が見えた。

 その目には強い意思がこもっていた。

 それを見た瞬間、頭に映像が浮かんだ。


 ビニールハウス内で代峰さんが倒れている姿だった。


 峰酒の力がまだ残っていたようだ。

「やばい、ちょっと俺行ってくる」

 親父と広瀬さんを振りほどくと煙の中へ向かう。

「おい!どこ行く気だ!」

 親父の怒鳴り声が聞こえて、すぐ後ろを走ってくる音がする。

「すぐ戻るから!」

「お前がいなくなったら意味ねーだろ!」

 しばらくは俺の後ろを走ってきていたが、やがて足音が遠くなっていく。一面の煙のせいで見失ったらしい。

「おいー!どこだー!勇舞!」

 俺は親父の声を無視してビニールハウスに進んだ。


 ビニールハウスの扉は開いていた。入っていくと羽音が一斉に聞こえてくる。

 室内には踏み込めず、そこで止まった。

 ビニールハウスの中央、女王蜂が囚われている檻の近くに代峰さんがいた。

 代峰さんと対峙して、神主と手を引かれている老婆のような女性がいた。恐らくあれが代峰さんのお母さんなのだろう。

 代峰さんとお母さんは特に何も体につけていないが、蜂達に刺されている様子はない。

 神主は体の露出した部分に峰酒を塗りつけて赤黒く染まっていた。


 羽音にまぎれて三人の話している言葉が僅かに聞こえてくる。

「お母さん、もうやめにしましょう。この神の使いも山に帰しましょう」

「咲季、私も・・・私のお母さんも、そのお母さんも・・・それを受け入れて、そしてこの村のためにその力を使ってきたんだよ」

 代峰さんがあれを解放しようとしているのだろう。彼女の手には日本刀があった。

「でも、こんなことを続けて良いはずがないよ。私達の代でやめにしよう」

「咲季、これを帰せば・・・お前も、母さんも苦しむことになるぞ」

「お父さん、大丈夫。呪いはなんとかなるわ」

「私だって、今まで散々なんとかしようとしてきたが・・・どうしてもできなかった」

 神主はそう言うと懐から黒い塊を取り出した。映画やゲームでよく見るが、現実世界では滅多に見ないはずのものだった。

 あんなものを持ち出すとは、やはり何かおかしい。

(呪われているのは肉体だけじゃないのかもしれない)

 代峰さんは銃を見ても平然としていた。撃たれないと高をくくっているのか、表情を全く変えていない。


 だが、俺はさっき峰酒がもたらす幻視で見ている。

(このままだと撃たれる!)

 しかし、蜂の群れを前にして躊躇していた。今は峰酒はない。このままこの中に入れば刺される恐れがある。もしこの蜂が普通の蜜蜂だとしても、数回刺されればアナフィラキシーショックを起こす可能性があった。

「いいえ、呪いは私達がなんとかしてみせるから」

 代峰さんは日本刀を抜くと檻に向かった。

「咲季、お前がこの蜂達を逃がそうと言うなら・・・」

 神主は銃を代峰さんに向けた。


 もう限界だった。

 俺は叫びながら蜂の群れの中に飛び込んだ。植えてある植物をなぎ倒しながら神主に突進する。

 走っている俺の横を黒い風が追い抜いた。

「松風!」

 黒い風はその勢いのまま神主の腕に食らいついた。

 悲鳴が上がり、銃がそばに落ちる。

 俺もそのまま走って行き、神主が拾い直そうとした銃を蹴ってどこかに飛ばした。


「危ないところだったね」

 俺が息を切らしながら言うと、代峰さんは平然と答えた。

「いいえ、私はあなたと松風が来てくれるのを知ってたから」

 彼女の青白い顔。その口にはかすかに赤いものが付いている。

「飲んだんだ・・・そっか、さすが、純正の巫女だ」

 俺の幻視よりも彼女のほうが正確な未来を見ていた。




 代峰さんは日本刀をゆっくりと振り上げる。居合をやっているというだけあって様になっている。

 日本刀はゆっくりと、しかし止まらずに、何度か檻に振り下ろされる。

 一瞬の後、木製の檻は一部が崩れ落ちた。それは中の女王蜂がぬけ出すのに十分な広さだった。

 女王蜂は最初は慎重に開いたスペースに近づく。

 それは恐る恐ると言った様子で羽を羽ばたかせた。

 バチバチと、羽ばたきとは思えない激しい音がする。

 やがて女王蜂は数十年ぶりに牢から飛び出した。

 しばらくビニールハウスの中を飛び回った後、それは代峰さんとお母さんの近くに降り立った。

 じっと女王蜂が二人を見る。二人も女王蜂を見つめた。

 やがて、女王蜂は飛び立ち、開いていた出口から出ていった。辺りで飛んでいた蜂達もその後を追い、一斉に飛び立つ。黒と黄色の帯が入り口から外へ続いた。




 すべての蜂が出て行くまでに二、三分かかっただろうか。ビニールハウスからは、蜂の羽音が消えて、静寂が訪れた。




「あの蜂達は女王蜂についていく習性があるみたいね」

「そうなんだ・・・これでもう峰酒は作れなくなるの?」

「ええ、後はこれを始末しないとね」

 代峰さんは脇においてあったポリタンクを持つと、周囲に液体をまきだした。灯油の匂いが辺りに満ちていく。ビニールハウスに生えている植物を焼き尽くすらしい。

「この植物って何なの?」

「これは大麻に似ているけど、その亜種ね。神事を取り仕切っていた代峰家では代々、自前で麻を栽培していたはずだけど、この地域の気候で少し変わった種類に変化していた。あの蜂達だけがこの植物から分泌する液を集めることができる蜂だったの」

 代峰さんは迷いなく答える。峰酒の力で色々見えたのだろう。

「じゃあ峰酒は、この植物の液を集めただけ?」

「いえ、集めた液体に、この植物とあの蜂達をすりつぶしたものを加えて、発酵と加熱をしてできるの」

「蜂・・・」

 峰酒のドロドロとした中に浮いていた固形物を思い出す。

 胸の奥から甘ったるい腐臭が喉の奥に登ってくる気がした。

(仲間の死体の匂いか。そりゃ蜂たちも寄ってこないわけだ)

「この地域の気候と虫食の習慣。それらの偶然が重なって出来たのが峰酒」

 辺りにポリタンクの液体をまきおえると、代峰さんはお母さんの手を取った。

「さ、ここをでましょう」


 全員が出終わると、代峰さんは入り口から適当な布を燃やして火種を作り、それを放った。

 火はまかれた灯油を伝ってあっという間にビニールハウス全体に広がった。植物も燃え始め、妙に甘い香りが漂ってくる。

 燃える様子を眺めながら離れていく。

 俺達が親父達と合流した時、ビニールハウスは焼けて骨組みだけになっているのが遠くから見えた。

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