幻視


 時間を確認すると二時間が過ぎていた。

「よし、そろそろ出よう」

「うん」

 ともちゃんが言ったとおり、柔らかい土だったので掘るのは難しくはなかった。

 ビニールハウスの骨組みの下を通れるくらいになるまで掘る。意外と時間がかかったが予定通り外に出ることができた。


 辺りは真っ暗なままだった。周囲を確認しても、人影や懐中電灯の灯りは無い。

 ひとまず、ともちゃんに会いに行くことにした。

 洞窟の中はさっきと変わらなかった。慎重に誰もいないのを確認して一番奥の牢へ進む。

 ともちゃんはベッドに横たわっていた。

「ともちゃん、ともちゃん!戻ってきたよ」

 彼女は反応が鈍く、のろのろと起き出してきた。

「勇舞、もう時間か・・・よく戻ってきた。次なる策を授けよう」

 ともちゃんは笑ったつもりかもしれなかったが、苦しそうに顔を歪めているように見えた。目の焦点が定まっておらず、やつれて汚れた顔だった。

 ともちゃんは脇に置いてあったビンを取り、フタを開けた。辺りに甘い匂いが満ちる。

(また飲むつもりだ)

 さっきは緊急だったのでつい渡してしまったが、もう飲ませるわけにはいかない。

「待って!ちょっとこっちに来て」

「ん・・・なによ」

 少しめんどくさそうな顔をしつつも格子の近くまで来てくれた。

「手出して。飲んでる間、手を握ってるからさ。また倒れたら危ないから」

「そう・・・じゃあお願い」

 ともちゃんの手を握る。痩せて細くなっていた。以前はすべすべで綺麗だったのに、今は痩せて、土にまみれてガサガサしていた。

 彼女の手を軽く外に引いた。

「あっ」

 ふらふらだった彼女は簡単に格子に寄りかかってきた。

 格子の中に手を入れて彼女からビンを取った。

「ちょっと・・・なにすんのよ」

「これ以上飲ませるわけにはいかない。ともちゃん死んじゃうよ」

「勇舞・・・お前が脱出してくれないと私だって出れない。そうしないと・・・どの道死ぬんだから」

「ともちゃんを出すために、これ以上飲む必要はないよ」

「何言ってるの?どうやって、ここから出るの?さっき、飲んだ時に分かったけど・・・この辺り一帯は見張られてる。まずそれをなんとかしないと・・・出れないよ」

「これからうまいことを考えるよ」

「そんな簡単に言うけど・・・いい方法知ってるの?」


 その方法は、一つだけ心当たりがあった。


 ともちゃんから奪ったビンの中身を見る。ビンのちょうど半分くらい残っている。

 粘性の高い血のような液体は、よく見ると得体の知れない固形物も浮かんでいる。そのおどろおどろしい見た目に一瞬ためらいが生じる。

(もし、仮定が間違っていたら・・・しかし・・・)

 改めてともちゃんを見る。

 不健康そのものの体と顔にボロボロの衣類、そして血のような汚れの着いた口とTシャツ。まさに瀕死を絵に描いたような状態だ。

 そして優を見る。

 こちらも同じくらいボロボロの衣類に、峰酒を塗って汚れた体。疲れきった顔。

 二人とも限界が近いだろう。

(俺がやるしかない)

 大きくため息をつく。覚悟を決めた。

「脱出する方法は今から思いつく。こうやってね」

 俺はビンを口に当て、それを一気に傾けた。

「何してんの!」

 甘くて何かが腐ったような匂いが喉の奥に染みこんでいく。

 その匂いは、喉の奥、鼻の中、そして眼の奥にまで充満した気がする。

 ドロドロとした液体の中に、何かカサカサとしたものも含まれており、得体のしれないものを飲んでいるという実感が強くなる。

「優ちゃん!やめさせて!」

 優が俺のビンを取ろうとして手を伸ばしてくるのが見えた。優には申し訳なかったが、取られないように優を突き飛ばした。

 これは俺にしかできない。

 ともちゃんが巫女を務めれたなら、俺にも同じ血がわずかでも流れてるなら、峰酒が使えるはずだった。

(そう、一年前に飲んだように)

 胃に生ぬるい液体が染みこんでいくのが感じられる。

(そう言えば昨日は飯食ってないから吸収が早いかも)

 それを考えて、全部飲み干すつもりだったが、少し残すことにした。


 口にいれた分をすべて飲み込むと、何かが起こるという以前に、そもそもこの匂いと味で気分が悪くなってきた。

「いきなりそんな飲むやつがいるか!飲み過ぎだ!早く吐き出せ!」

 ともちゃんが叫ぶ。

「大丈夫・・・初心者だから分量を少し調整しておいたし・・・それにしても、まずいね、これ」

「優ちゃん!早く勇舞から吐き出させて!」

「う、うん!」

 優が俺の背中を強く叩いた。

「痛い、痛いって」

「なんで馬鹿なことしてんの!咲季の話聞いてたでしょ、あたしたちには毒だって!」

 優は全く手加減せずに俺の背中を叩き続ける。痛くて背骨が折れるんじゃないかと思った。

 そうしているうちに、妙に気持ち悪くなってきた。匂いで具合が悪いのとは違う。世界がぐるぐる回りだしてきた。俺はたまらず地面に倒れた。

「勇舞!」


 顔に固い土の感触がある。だが、倒れているのに世界が回っている感覚は止まらなかった。

(なるほど、確かに酔ってる感覚に近いかもしれない)


 音がバラバラでゆっくりなものに感じられる。左右から聞こえる音が、優の声が、ともちゃんの声が、全部違う方向から聞こえる。その一つ一つの音がすべて別のものとして認識できた。


 視界の端で優が見える。俺に覆いかぶさるようにしている優がゆっくりと大きく口を開けてしゃべろうとしているのが見える。ちょっとおかしくなった。やがて暗い洞窟が急に明るくなり、だんだん眩しく感じてきた。




「勇舞!勇舞!しっかりして!」

 突然、音が普通に戻った。目を開けると、さっきと変わらない暗い洞窟だった。

 顔にぼんやりとした痛みを感じる。倒れた時に地面にぶつけたのだろうか。

 だが、それは遠くの出来事のように感じられ、あまり深刻な痛みには感じなかった。

 口の中に土の感触がする。倒れた時に土が口に入ったかもしれない。

 体がだるく、そして鈍く感じる。頭と体の接続がゆるいような感じがする。頭で考えたとおりに体が動くのか不安になった。


「勇舞・・・大丈夫?」

 起き上がって、少し首と腕を動かすがちゃんと動いた。下を見ると、地面に赤黒い液体がこぼれている、どうやら俺は少し吐き出してしまったらしい。

「勇舞?」

「ああ・・・優・・・ありがとう。もう・・・大丈夫だよ」

 普通に話してるつもりなのに妙に喋るのが遅く感じる。あるいは俺の耳が少しおかしくなっているのかもしれない。

「本当?顔色すごく悪いよ」

「ああ・・・もしかしたら、本当は具合悪いのかも・・・でも、今は何も感じない」

「勇舞、今どんな感じ?どこにいる?」

 ともちゃんからおかしなことを聞かれて自分の感覚に集中する。

 気持ちは落ち着いていて妙な安心感があった。

 体がふわふわして高いところにいる感じがする。

 今なら何を聞かれても、何でも分かる気がした。

「高い所・・・にいるよ。ふわふわして気持ちがいい」

 それを聞くと、ともちゃんは少し笑った。

「そう。じゃあもう大丈夫ね」

「えっ?」

 優は俺とともちゃんを交互に見る。

「勇舞、脱出する方法と私をここから出す方法を考えて」

「うん・・・分かった」


 脱出方法を考えようとした。

 幾つもの方法が頭のなかに同時に浮かぶ。

 それぞれを並行でシミュレーションさせる。

 大半が捕まったり、ともちゃんを牢から出せない方法だった。

 数通りの方法だけが見込みがありそうだった。

 さらにそこから、峰酒製造所の女王蜂を逃がしてやることのできる方法を検討する。

 親父と広瀬さん、代峰さん、逢坂、神主がどう動くかも考慮した。

 頭の中で何人もの人物が驚くほどリアルに、確信を持って動いてくれる。

 やがて簡単で確実そうな方法が絞れた。

「うん・・・これなら・・・多分いけそう」

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