もう一人の巫女


「この洞窟、かなり古そうだ」

 洞窟の入り口まで来て見ると、木板が幾つか地面に埋め込まれた通路ができている。木板はほとんど土に埋まり、大分年季が入っていることが分かった。

 中からは湿った、そして何か生臭い匂いが漂ってくる。

(こんな洞窟に何かいるのか?)

 中に入り、懐中電灯で照らしながら進むと、異様なものが目に入る。

「なんだこりゃ」

 洞窟の中は入り口から突き当りまで一直線だった。そしてその脇に小部屋のようなものが作られてある。だが、それは部屋ではなかった。

「なにこれ・・・牢屋?」

 それは穴を繰り抜いて、太い木の格子をはめたものだった。格子のうちの一部が開けれるようになっており、それはどう見ても牢屋だった。

「こんなものがなんで・・・」

 何に使うのか、あまり想像したくない。

 牢は四つほどあったが、そのうち三つは空だった。緊張しながら四つ目を覗く。

 三つ目までで何もないのだから匂いの元はここにあるに違いなかった。

 四つめの牢を見た時、優が声を漏らす。

「人・・・」

 その牢は今までの牢とは違い、中には簡易ベッドが置かれ、生活するためのものがある程度揃っているようだった。

 ベッドには横になっている人影があった。

 俺は一瞬どうするか迷ったが、ここに閉じ込められている以上は被害者だろう。

「大丈夫ですか」

 俺が声をかけても反応が無い。だが電灯を向けると眩しそうに手をかざした。

「誰・・・?」

 その声は低く、ガラガラとしていた。

「俺達はたまたまここに来て・・・」

 それは女性で、Tシャツにジーンズという格好だった。

 彼女は起き上がり、体を引きずるようにゆっくりとこっちに近づいてくる。電灯が眩しいらしく、手をかざしていたので、顔から電灯を外す。女の顔がちらりと見えた。


 長い髪、大きな目。

 俺は電灯を落としそうになった。

(そんなまさか・・・)

 その女は痩せて、汚れており、記憶の中の彼女とはあまりにも違う。だが、ひと目で分かった。いつも思い出していた。いつも夢で見ていた顔だった。


「ともちゃん・・・」

 女は動きを止めた。

「誰?あたしを知ってるの?」

「ともちゃん!」

「・・・もしかして、勇舞?」

 格子の間から中に手を入れて彼女に触れようとした。

「俺だよ、勇舞だよ!」

 女がこっちに歩いてくる。彼女は近くまで来ると俺の手を握った。

「勇舞?本当に勇舞?」

「ああ、ともちゃん生きてたんだね・・・」

 改めて近くで見ると、ともちゃんはひどい格好だった。

 服はボロボロで、髪はボサボサで伸び放題だし、顔も汚れて、ひどく痩せていた。

 それでもともちゃんだった。

「良かった、良かった・・・もう会えないかもって・・・」

「あたしも・・・本当に、勇舞が来てくれるなんて・・・」

 彼女の土汚れでガサガサになった手を強く握りしめる。もっと近くで触れたかったが、格子が邪魔だった。

「そうだ、代峰さん!ここの鍵ある?」

 俺は脇にある扉に目をやる。扉には閂がかけられ、それに錠前がかけられていた。

「うん、今探す」

 代峰さんが鍵の束を取り出し、一つ一つ合うかどうか確かめていく。

 だが、一周してもこの錠前に合う鍵はなかった。

「あそこにはこれしか鍵がなかったのに・・・」

「ここの鍵は逢坂が持ってる」

「・・・なんだって?」

「私が捕まった時、あいつが代峰の当主にお願いしてくれたから、私は殺されずにここに入れられたの・・・そんなわけでここの鍵を持ってるのもあいつよ」

「捕まった?」

「うん、まあ、色々あって一年前に峰酒をちょっぴり頂いてね・・・で、それがバレて代峰に捕まったの」

「そうだったんだ・・・」

 彼女の旺盛な好奇心と工場の同僚の話を思い出す。一年前の残業が続いていたというのも峰酒に関係して何かを調べていたのかもしれない。

「それはいいとして、勇舞と代峰の娘さんと・・・あなたは?」

「あ、あたし、志度優って言います。勇舞の・・・その・・・友達」

「そう、優ちゃんね。三人はなんでここにいるの?」

「話すと長くなるけど、代峰さんが急に巫女にさせられて、助けるために来たんだ」

 これまでのことをかいつまんで話した。

 そして今は、代峰さんとお母さんを助けようとしていること。

 神託をやめせようとしていること。

 そのために、峰酒を破棄して、そして再び作れないようにしようとしていたこと。

「それと今はもう一つ目的ができたよ。ともちゃんをここから出すこと」

「うん。ありがとう。でも、どうするのがいいかな・・・」


 そうして話しているとき、ついてきていた松風が唸り声を上げた。

「松風、どうしたの?」

 松風は洞窟の外の方を向いている。嫌な予感がした。

「もしかして、誰か来たのかもしれない」

 俺の言葉に優は一瞬緊張したが、すぐに洞窟の入り口まで行って外を覗く。そして慌てて戻ってきた。

「やばいよ!灯りがたくさんついてる」

「なんだって・・・もう近くに来てる?」

「いや、明るいのは屋敷のほう。でも、こっちに来るかも」

「もしかしたら、鍵が無くなってるのに気づいたのかも」

 あるいは、代峰さんが居なくなっていること、峰酒がなくなっていることが見回りで気づかれたのかもしれない。

「くそ、どうするか」

 捕まったら終わりだ。ともちゃんは生きていたが、逢坂が特別に頼んだからだ。それでもこんな牢に閉じ込められている。その上、これだけの峰酒を持っていたら言い逃れはできないだろう。

 かと言って、このまま山に入って逃げ切れるか?

 この暗闇の中、捕まらずにカラカサ松まで行けるか?

 しかし、この辺りで隠れれる場所は分からない。

「勇舞、どうしよう!」

 優が切羽詰まった顔になっている。

(そうだよ。せめて優が捕まる訳にはいかない)

 ここまで来たのは俺の判断であって、優を付き合わせてしまっている。それこそ、文字通り、死んでも優の安全は確保しなければならない。だが、焦った頭ではいい考えが浮かばなかった。

 逃げ出すなら早くしないと追いつかれる可能性が高くなる。もうこのまま山の中に入って、カラカサ松まで走るしか無いかもしれない。

(いざとなったら俺が捕まって優だけは逃がすしかないか・・・)


「勇舞、今、峰酒持ってるの?」

 ともちゃんが格子越しに聞いてくる。

「え、うん」

「そう、じゃあ貸して」

 彼女の細く痩せた腕が格子の隙間から伸びてくる。

「貸して、って何するの?」

 嫌な予感がして渡す気にはなれなかった。

「いいから。早くして。時間無い」

「やだよ。ともちゃん飲むつもりじゃない?」

「・・・そうだよ。今の私じゃ、状況もよく分からないけど、少し飲めば、多分何か思いつく」

 彼女の妙に不健康そうな痩せた体、白くて、そのくせ目だけは赤く充血した顔。

 薄々は思っていたが、やっぱりともちゃんは峰酒を飲んでいた。一年前のあの日もそうだった。

「駄目だよ。そんな体で飲ませるわけにはいかない」

「いいから!この一年、あたしも神託やってたんだよ。今更少し飲んだくらいじゃ変わりない。それより、勇舞と優ちゃんが捕まったら終わりでしょ!」

「でも・・・」

 果たして峰酒がどのくらい効果があるのか俺は知らない。峰酒を飲んだ直後の、あの代峰さんの様子を考えると俺の手は動こうとしなかった。

「勇舞!お前が捕まったらあたしも出れないんだぞ!」

 そうだった。今俺が捕まったら誰がともちゃんを助けるのか。

「ああ!わかったよ!」

 俺は鞄を開けると、半ば勢いで、ともちゃんに峰酒のビンを一つ渡した。


「よしよし。ようやく渡したな。さて、久しぶりだな・・・うー、くさ」

 ビンを開けると、ともちゃんは匂いを嗅いで顔をしかめる。だが、妙に嬉しそうな顔でもあった。

(もしかして、渡したのは失敗だったか)

 俺の心配をよそに、ともちゃんは一瞬だけためらったが、一気にビンを傾けて飲み始めた。

 どろどろした液体がビンの中で蠢き、彼女の口に入って喉が動く。口からあふれたものが喉を伝って、白いTシャツに赤い跡を残した。

「ああ・・・そんなに飲んだら・・・」

 代峰さんが心配そうな声を上げる。恐らく、かなり多い量なのだろう。ともちゃんはそんな声は気にせずビンを傾けている。

 満タンだったビンの半分くらいを飲んだ所で止めた。

「平気だよ。あたしはもうこのくらい飲まないと効かなくなってるから」

 それから、げふっ、と大きなゲップをする。

「久々に飲むときついね。やっぱまずいわ、これ」

 そう言って笑ったが、すぐに口を抑える。格子の内側に倒れるようにしてもたれた。

「ともちゃん!」

 近くで彼女を見ると、息が荒く顔が青ざめている。

「大丈夫・・・いつものことだから、少ししたら落ち着くから」

 そう言って荒い呼吸を続ける。峰酒のせいで、口の周りが赤く汚れ、青白い彼女の顔と相まって病的な顔になっていた。

「本当に大丈夫?」

 ともちゃんは苦しそうに目を閉じたまま頷いた。


 それから一分程度そうしていただろうか。彼女の呼吸が収まってきた。

 やがて、閉じていた彼女の目が開いて辺りを見回す。

(何か、雰囲気が違う)

 それからともちゃんは立ち上がった。

(ああ、この顔だ)

 妙にぼんやりとした目、白い無表情な顔に赤黒い液体。今日も夢で見た顔だった。

「これからすぐに何人も来るよ。早く隠れないといけない」

 ともちゃんは抑揚のない声で話し始めた。

「逃げようとしても山で捕まる。勇舞と優ちゃんはビニールハウスの中に入って。咲季さん、あなたは峰酒を持って捕まって。峰酒を持ちだそうとしたことで怒られるかもしれないけど、回収できればあなたはそれ以上の危険はないから。それと、勇舞、お父さんが近くにいるんでしょ?後で、今は帰れないから明け方に帰るって連絡しときなさい」

 ともちゃんはまるで何かを見てきたかのように確信を持った言い方だった。

(ともちゃんには何が見えてるんだろう)

「ビニールハウスの中は蜂が・・・」

「大丈夫、肌が露出してるところに峰酒を塗るの。そうすれば刺されずに済むから。急いで!」

 ともちゃんの声に圧倒され、俺と優は急いでビンを取り出して、ドロドロした甘ったるい液体を顔、首、腕などに薄く伸ばした。


 その時、ともちゃんが格子にもたれかかるようにして崩れ落ちた。

「大丈夫!?」

「うっぷ、やっぱり・・・ちょっと多かったか・・・うぇっ」

 ともちゃんは赤黒い液体を牢の中に吐き出していた。

「このくらいで拒否反応起こすとは情けない・・・うぅっ!ゲホッ」

 赤黒いものを吐き出した後は咳き込んでいたが、咳込みながらも俺達に指示を出してくる。

「二人がビニールハウスに入ったら咲季さんは外から鍵をかけて。二人は二時間くらい中で待って。そのくらいで見張りはいなくなるから。出てくるときはビニールの下を掘って出てきて。土は柔らかいから掘れるはず。そうしたらまた私の所にきて」

「でも、ともちゃんは?」

「大丈夫、後でちゃんと出れるようにするから」

 それから代峰さんを見つめた。

「咲季さん、あなたがこの因習を終わらせるの。あなたならあの中にいるものを解放できる。あなたの意思で終わらせるの」

「私の意思・・・はい!」

 代峰さんは驚いたが、すぐにしっかりした表情で力強く返事をした。

 そして松風にも向き直る。

「そこの・・・お前、今はあんまり暴れちゃ駄目だからね。後でお前いないといけないんだから、閉じ込められるようなことはするなよ」

 松風は理解できたのか分からないが、それでも一声吠えた。

「よし、さ、急いで!もう来てる!」

「うん・・・後でまた来るから。優、代峰さん、松風、行こう」

 俺達は洞窟を出た。

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