工作計画
代峰さんが落ち着いてきたときだった。
突然、松風がドアの方に吠え始めた。階下で玄関が開く音と誰かが上がってくる音がした。
「誰か来たみたい!隠れて!」
どこに隠れようかと部屋を見渡す。迷っている時間は無かったので、最初に目についたベッドの下に俺と優は入った。隠れて数秒後、ドアが荒くノックされた。
「誰?」
「逢坂です」
聞いたことのある声だった。腹と頬が疼き、背中に汗が滲む。ベッドの下に隠れたのは失敗だったかもしれない。こんな不利な体勢であの男に見つけられたらおしまいだ。
「何か用?」
「先ほど裏山の辺りで不審な者を見たという報告がありました。それと、この建物の勝手口が少し汚れていました」
カラカサ松の辺りで見られたのか?あるいは、敷地内に入ってから見られていたのか?
「それが?」
「咲季さんのお部屋を少し確認させていただきます」
ドアの開く音。
「おい、勝手に入るな!」
聞いたことのない代峰さんの荒い声。部屋に入ってくる足音。
ベッドの下からは男の足が見えた。
「この泥の汚れはなんでしょうか」
「松風だよ!さっき外に出てたからだよ」
「なるほど。では松風と共に何か入り込んだかもしれませんな」
逢坂の低い声は口調こそ丁寧だが、代峰さんのことを相手にしていなかった。
男の足がベッド脇を通り過ぎてクローゼットの前まで行く。
「やめろ!」
代峰さんの足も逢坂の足について行くのが見えるが、妨害はできずにクローゼットが開けられる音がする。優の手が俺の腕を強く握った。
「この中にはいないようですね、ではこの下は」
(やばい!)
逢坂がベッドの下を覗こうとした時だった。
松風の吠える声がして、逢坂に飛びかかるのがベッドの下からわずかに見えた。
「うっ!」
逢坂の悲鳴。松風が再び吠える。逢坂が松風を振り払おうとして、ベッドから離れていく。
松風の吠える声ともみ合う音が聞こえる。
「松風!やめなさい!」
代峰さんの声がしてからも少しは音がしていたがやがて静かになる。
松風の唸り声と男の荒い息が聞こえる。
「出ていけ!」
代峰さんの怒鳴り声。逢坂の足がドアの外に向かった。
「逢坂、こんな無礼なことをして、お父さんに言うからね。覚えておきなさい」
「・・・私はこの家のために動いております。それは咲季さんのお父様もご存知です」
ドアの閉じる音、そして足音が遠ざかっていく。
松風はしばらくの間唸っていたが、やがて静かになった。
「もう、出てきて大丈夫よ」
俺と優はベッドの下から這い出た。
「危ないところだった・・・」
「本当ね。松風ありがとう」
優は松風の所にいってわしゃわしゃと頭を撫でてやる。松風はまだ興奮した様子で息が荒かった。
代峰さんも呼吸が荒くなっていた。さっきのやり取りで一気に疲れたらしく、崩れるようにして椅子に座る。
「代峰さん、大丈夫?横になったほうがよくない?」
「ちょっと疲れただけだから。大丈夫」
昨日の儀式で大量の峰酒を飲んで本当は辛い状態だろう。
「それにしても、あの逢坂っていう男、逢坂家はこの家に代々仕えてるって聞いたけど、代峰さんの言うこと聞かないんだね」
「うん・・・ごめんね。危ないところだったよね」
代峰さんが申し訳無さそうになる。
「いや、そう言う意味じゃないんだ。ただ、使用人なのに主の家族の言うこと聞かないっていうのがなんか解せなくてさ」
代峰家の人間には忠実なのかと思っていた。
「逢坂家は確かに代々うちに仕えてるんだけど、私達に仕えているというより、代峰の伝統とか儀式を守ることが大事みたい。だから、私は最近巫女のことを教えてもらったばかりだし、まだ儀式を終えたばかりだから、あんまり認めてないみたい」
三人と一匹でテーブルを囲んでこれからのことを話し合う。
目指すのは、代峰さんの安全の確保、代峰さんのお母さんの回復、そして儀式と神託をやめさせることだった。
少し話して分かったのは、儀式と神託をやめさせることが先決ということだった。
仮に代峰さんがここから逃げ出したとしても、残されたお母さんは儀式と神託が続く限り危険だった。代峰さんが残った場合は、儀式と神託をやめさせないと歴代の巫女と同じ道を辿ってしまう。
「咲季のお父さんとお母さんにやめてもらえるように説得できないかな?」
それができれば最も望ましい。
「それは・・・難しいかもしれない。お父さんとお母さんの様子からすると、お金とか、他の人に必要とされてるとかじゃなくて、何か別の理由でやってるみたいなの」
「別の理由って何?」
「分からないけど・・・やめることは許されないって言ってた。理由はいずれ分かるって。でも、お父さんだけじゃなくて、お母さんも言ってるの」
(瀕死の巫女ですら、実の娘にもやめることは許さないと言っているのか・・・まさに呪いじみてる)
代峰さんの母親まで言っているなら、説得するというのは難しそうに思えた。少なくとも、すぐにやめさせるのは難しそうだ。
「そう言えば、その峰酒って、どこにあるの?」
ふと気になって聞いてみた。
「神託をする部屋の近くにあると思う。いつも練習の時にすぐ持って来るから」
「・・・もしかしてさ、峰酒が無くなったら神託は出来ないんじゃない?」
全ての元凶は峰酒な気がしてきた。あの赤黒い液体。あれさえ無くなれば代峰さんの危険は無くなるのではないか。
「いや、単純に今ある峰酒を全て破棄しても、また手に入ったら続けられちゃうな・・・峰酒ってどこから手に入れてるか知ってる?」
「分からないけど、どこかで買ってるんじゃなくて作ってると思う。外からそれっぽいものを仕入れたりしてるのは見たことないし、あの匂い・・・普通に売ってる食べ物から作ってるものじゃないと思う」
「なるほど・・・この家で作ってるとして、どこか分かる?」
「少なくとも、この辺りの建物じゃないと思う。あの匂いがあれば気づくと思うし」
「ねえ、咲季、裏山からここに来る途中に変なビニールハウスが建ってる所あるけど、あれって何か関係ある?」
優に言われ、山の中には似合わない、不自然なビニールハウスをさっき見てきたのを思い出した。
「あのビニールハウスは昔からあるけど・・・出入り口には鍵がかけてあるし、近づかないようによく言われてたから」
「それって、怪しくない?この家で作れそうな所って他に無いよね?」
「確かにそうかも。もし作ってるとしたら、あそこかも」
「他に作ってそうな場所って無いの?」
「うん。この家だとあそこ以外は入ったことあるから。別荘とか、専用で作る場所が外にあるかもしれないけど・・・」
(別荘という感覚が普通にあるのはさすがだな)
「よし。じゃあ決まりだね。とりあえずはビニールハウスを調べよう。もし峰酒を作っているなら・・・どうにかして作れない状態にしよう」
それで代峰さんとお母さんはしばらくは神託ができなくなるはずだ。
ただ、峰酒が簡単に作れるようなものだったら、すぐにまた再開されてしまうだろう。その場合は残念だが簡単に実行できる手段は思いつかない。特殊な製法をしていて、すぐには再開できないことを祈るのみだ。
深夜になるまで代峰さんの部屋に潜み、それから動くことにした。
まず、代峰さんが家の事務室に行き鍵を取ってくる。ビニールハウスの鍵が必要だが、多分そこにあるはずということだった。
次に、神託の部屋の近くの峰酒の保存庫へ行き、今ある峰酒を奪う。
その後、例のビニールハウスへ行く。中に入り設備を確認して、もし峰酒を作っているなら、なんとかして破壊し峰酒を作れなくする。
最後に、俺と優はそのまま山に入り、カラカサ松まで脱出する。そこで予め親父に連絡しておき、待っておいてもらうことにする。
アバウトな予定であり、穴が多いが、今の状況で俺達三人に実行可能な計画としてはこのくらいだろう。
親父にはメールで連絡をして、深夜にカラカサ松に来てもらうように伝えた。そして、広瀬さんにもメールで連絡して、親父と会ってもらって何かあれば協力してくれるようにお願いした。広瀬さんからは二つ返事で了承してもらえた。
それからは夜までは代峰さんの部屋で待機した。
既に外は暗くなっていたが、動き出すにはまだ早い。窓から見える建物の灯りが全て消え、それから少し時間を置いてからにしたい。
「あたし、小学校の頃は、家がお金持ちだってのは分かってたけど疑問に思うことはなかったの。でも、少しづつ、変だなって思うことは多くなってきた。だってこの村に住んでる他の家はみんなお金持ちってわけじゃないし、周りから変な目で見られることが多くなってきて・・・それで中学校から離れた所に通ったの。でも、代峰なんて目立つ名字だし、簡単に分かっちゃって・・・みんなよそよそしくなるんだ」
「それで市内の高校に来たの?」
「うん。さすがに長野市はこの村からだいぶ離れてたから、代峰を知らない人も多いし、普通に接してもらえるようになって嬉しかったけど・・・ただ、中学から家から離れてたから、あんまり家に帰らなくなって、家の様子があんまり分からなくなって。それで、お母さんのことを最近は見なくなってた」
「そうだったんだ。中学くらいの時は咲季のお母さん元気だったの?」
「うーん・・・その頃はまだ普通だったと思うけど、でも、よく寝込んでた。その頃から急に具合悪くなっていったのかも」
「ねえ、咲季、お母さんとか、その前の巫女もそうかもしれないけど、なんで病院に行かないの?」
「それは・・・きっと家の秘密を守るためだと思うの。峰酒は普通の人にとっては毒で、私達しか飲めないみたいだから・・・代峰家の秘密が関わってるんだと思う。昔から続けてるから巫女の処置は自分たちが一番分かってるっていうのもあると思う」
確かに峰授祭の時、男たちがそんなことを言っていた。
そしてもう一つ、病院に行かない理由が思い当たった。
「もしかしたら、病院に行かないんじゃなくて、行けないんじゃないかな?」
「え?なんで?」
「峰酒は違法な成分が入ってると思う。それで病院に行くと調べられてしまうから都合が悪いんじゃないかな。代峰さんの症状を聞く限り、麻薬とか、そういう類のものが含まれている可能性が高いと思う」
「・・・あたしもなんとなくそう思ってた。普通のお酒であんな変な感じになったりしないし、お母さんだって、あんなに酷い状態になったりしない」
「ちょっとまって、勇舞。麻薬って?なんかやばくない?そんなものをこれから盗んだり、作ってる所を壊すの?私達ってバレて捕まったら・・・」
優は顔が強張っている。
「捕まったらやばいかもな」
「志渡さん、星村君、やっぱり、さっきの計画はやめにする?二人とも危ないかも・・・普通にここから帰ったほうがいいよ」
確かにそれも一つの選択だが。
「でも、その場合、代峰さんはどうなるの?きっとこのままだと神託は続くよ」
今度は代峰さんの顔が強張った。
「代峰さん、さっきの気持ちを思い出して。強く思って。やり遂げるって」
すこしの沈黙の後、固い表情のまま代峰さんはゆっくり頷いた。
「やっぱり・・・やるしかないね。家に逆らうことになっても、あたしは自分とお母さんを守りたい」
「じゃあやっぱりやるしかない。俺は協力するよ。だけど、優は普通に帰るってこともできるよ」
それを聞いて優はむっとした表情になった。
「何よ・・・あたしもやるよ。今更一人で帰れって言われてもそっちの方が嫌だし」
不機嫌そうな顔をしながら手が少し震えていた。多分、怖いのだろう。
「そうか、ありがとう。優。大丈夫、うまくいくからさ」
「本当かよ・・・」
もちろんうまくいく保証なんて何もなかった。だが、なんとか優だけでも無事に帰ってもらう手段は考えておかないといけなかった。
待っている間に、ここまでやってきたもう一つの目的を思い出した。
「ところで、代峰さん。あの逢坂と・・・一年前に付き合ってた人って知ってる?」
「逢坂と?・・・そう言えば、確かに一年くらい前に誰かと一緒にいる姿見たかも。星村君の言ってる人かどうかは分からないけど」
「そう、その人ってどこで見たけたの?」
「えっと・・・家の敷地内にいたかも。逢坂と一緒に歩いてるの見た気がする」
「その人のこと、何か知ってる?」
「いや、ちょっと見ただけだし、逢坂にも聞いたことないから。星村君の知ってる人?」
「ん、うん。そうなんだけど、まあ、もし知ってたらと思っただけだから」
やっぱりともちゃんはここに来ていた。彼女にも少しづつ近づいている気がした。
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