儀式の秘密


 部屋に入れてもらうと、中は二十畳くらいの広さだった。机、本棚、ベッド、クローゼット、ソファとテーブルなどが設置してあり、簡単な流し台と小さめの冷蔵庫もあった。 代峰さんは今まで横になっていたらしく、パジャマ姿だった。

「とりあえず座って」

 俺と優はソファに腰掛けた。

「アイスコーヒーでいい?」

「何でもいいよ」

「あたしも」

 代峰さんは三人分の飲み物をテーブルにおき、その向かいに椅子を引いてきてそこに座った。

「本当に信じられない・・・カラカサ松まで来てくれたの?それに、あのメールちゃんと通じてたの?」

「うん、山の中を歩いて来たよ」

「松風が無茶な所通るから服がこんなになっちゃったよ」

 優のカーディガンはボロボロで、ワンピースはところどころ泥と、枝が引っかかった跡で茶色と緑色に汚れていた。優の顔と頭も汚れている。

 俺の服もひどい。優と同じくらい顔と頭も汚れているだろう。

「そっか・・・そうだよね、あんな山の中通ってきたら。ごめんなさい。でも、来てくれたことは・・・本当に嬉しいの」

 代峰さんは目に涙を浮かべている。

「あ、そうだ。志渡さん。これ。これのおかげで松風が迎えに行けたの」

 代峰さんは白い布を優に渡す。

「あっ、こないだ忘れていったハンカチ」

「返信はしてなかったけどメールは見てたから、志度さんが来てるってことは知ってた。それで松風を行かせたの。志度さんに懐いてたからきっと見つけるって思って」

「すごいな松風」

 優が撫でてやると、松風はその手をベロベロと舐めた。


 改めて代峰さんを見ると、やはり具合は悪そうだった。目は赤く充血しており、目の周りが腫れている。祭りでの印象通り、やつれていた上に、近くで見ると髪も艶がなく、乱れている。動きもぐったりとして億劫そうだし、下を向きがちで精神的に落ち込んでいるのが見て取れた。

 以前の、理性的で身だしなみが整っていた代峰さんと比べると痛ましくなった。

「代峰さん、何から聞けばいいのか分からないほど聞きたいことがあるんだけど」

「そうだよね・・・最初から話すね。でも私も分からないことがあるの。だから、全部知ってるってわけじゃないけど、知ってることを話すね」


「どこから話そうかな・・・私がこっちに来た時から順番に話すね。ちょうど、星村君と志渡さんがマンションに来た日、あの後、すぐに家から電話があったの。お母さんの具合が悪くなって、もう今年の峰授祭の儀式はできないって。その日のうちに迎えが来て、夜遅くにここに来たの」

「そうだったんだ。それで、お母さんはどうだったの?」

「お母さんは・・・もう立てないくらいだった」

「お母さんは病気か何かなの?」

「病気って言うより・・・体が弱ってるの。お父さんも、お母さんもこれは代峰の巫女の運命だって言ってた」

 運命。あの日、代峰さんが引き当てたカードだった。

「うん、星村君に占ってもらったときのカード、本当は心当たりはあったの。うちの家系の人は早死するって言うのは知ってたから。だからお母さんの具合が悪いって聞いたときはもしかしたらって思ったけど・・・信じたくなかった」

「悪い意味で占いが当たったね・・・ちなみに、早死が多いっていうのは本当なの?」

「それは本当・・・おばあちゃんは私が生まれた時にはもう死んでた。四十歳くらいで死んだみたいなの。そのおばあちゃんのお母さんも四十歳になる前に死んだって聞いた」

 広瀬さんの話は本当だった。だが、改めて聞くとあまりにも早過ぎる。

「それって原因は何かあるの?遺伝とか?」

 特定の病気なら遺伝が関係してそうだし、女性だけ発症する病気もある。

「ううん、遺伝とかじゃない。峰酒(ほうしゅ)のせいだよ」

 初めて聞いた言葉だったが、なんとなく見当がついていた。

「峰酒・・・あの儀式の時に飲んでたやつ?」

「うん」

「代峰さん、あれって何なの?」

 あの赤黒い液体、昨日代峰さんが飲んでいたもの。そして、恐らく、一年前にともちゃんも飲んでいたもの。

「あれが何なのか、はっきりとは分からない。ただ、代峰の血筋の者だけが飲むことができるらしいんだけど・・・あれを飲むと変になるの」

「変・・・そう言えば、儀式の時の代峰さん、ちょっと様子がおかしかったよね」

「あの時は、ちょっと前に少し飲んでたから。あれを飲むとだんだんぼーっとしてきて、それから気持ちが悪くなってくるの。お酒で酔った時に少し似てる」

「なんで酔った時って分かるのよ?咲季って高校生のくせにお酒飲んだことあるの?」

 優が笑いながら突っ込む。

「あ、私の家って神社だから行事があるとお酒飲んだりしてて・・・小さい頃からお酒を飲むことは、たまにあったの。でも、峰酒は・・・もしかしたら、子供の頃、何かで間違って飲んだことあるかもしれないけど・・・ちゃんと飲むのはこの間が始めてで、慣れないと危ないからって少しづつ飲んだ」

「慣れないと危ない・・・峰酒ってただのお酒じゃないよね?」

 あれは断じてただのお酒じゃない。

「うん、普通のお酒じゃないよ。最初にここに戻ってきてから、少しずつ飲む量を増やしていったんだけど、飲んだ直後の気持ち悪さはだんだん収まっていった。それでこの間、峰授祭の前に一度、あれを飲んだ状態で神託をさせられたの。神託っていうのは、うちに来て峰酒を飲んだ代峰家の巫女と色んな相談をすることなんだって」


 話しているうちに、代峰さんの目はぼんやりと宙をさまよい、儀式の時に似た表情になってきた。

「神託は練習と違って、たくさん峰酒を飲まされた。あれをたくさん飲むとぼーっとして、だんだん体の感覚が無くなっていく。それで、自分が自分じゃないような感じがしてきて・・・その状態で何か質問されて答えるの。何を聞かれているかはあまり覚えていないんだけど、その時は私はなんでも分かるようになって、何を聞かれても答えれるような気分になるの。それで私は勝手に答えているの」

 まるでシャーマンがトランス状態で予言を行うのと同じだ。

「神託の時、私は目隠しをしたまま儀式をする場所に連れて行かれるの。相談に来る人は、顔を見られたら困る人たちなんでしょうね。神託で私が峰酒を飲んで少しすると目隠しは外されるんだけど・・・終わると何も覚えてない。神託が終わると、私はそのまま意識を失っていて、気がついたら布団に寝かされてるの」

「ねえ、咲季、その神託に来る人って、もしかして、高級車に乗ってきたり、偉い人だったりするの?」

 優も広瀬さんの話を思い出したのだろう。夜な夜な高級車が代峰家に通うという噂。

「多分、そうだと思う。私は目隠しされるけど、お父さんがその人と話をしていて、気を使った言葉遣いとかになるのは聞こえたし。それに子供の頃、夜に車が来るのを見たことが何回かあって、あれは多分、お母さんが神託してて金持ちか偉い人が来てたと思う」

「ちなみに、代峰さんの家ってすごいお金持ちだけど、もしかしてそのお金って・・・」

「うん・・・額は分からないけど、そういう神託に来る人からはかなりもらってると思う。あるいは、直接的なお金じゃなくて何か別の形で見返りをもらってるかもしれない」

「神託の内容は覚えて無いんだね?」

「うん・・・答えてる時も殆ど意識がないし、終わると覚えてないの」

「そっか。もしかしたら、企業の社長が会社の重要な判断を聞きに来るとか・・・あるいは投資家が大規模な投資の成否を教えてもらうとか、政治家が相手なら適切な政策とか・・・そういう重要な判断を聞きに来てるのかも。儀式中の代峰さんはその質問に対して的確な答えを返せれるんじゃないかな」

「そうなのかな・・・でも、私は、会社とか政治とか分からないし、答えれるなんて思えないよ」

 そう言われると確かにそうだ。代峰さんは高校生だし企業経営や政治の相談に答えられるだけの知識と経験があるわけがない。

(だけど、わざわざ正体を隠して訪ねて来て大金を払う人がいる。代々続けているのも事実だ。トランス状態の代峰さんには何が見えるんだろう。それにしても・・・)

 例の昔話にますます似ていると思った。

 神への捧げ物を使うと、娘は不思議な力で色々なことを分かるようになる。その力で富を手に入れる。

(この場合、捧げ物は峰酒か。だとすると神の使いは・・・?)


「それでさ、咲季はなんで勇舞にたすけてってメールしたの?しかもあんな暗号で」

 優が尋ねると、代峰さんは優の顔をじっと見た。

「な、何・・・」

 突然見つめられ、優はたじろぐ。

「普段、携帯は取り上げられてて、メール返信するときは監視されながらだったから、あんな暗号を使うしか無かったの。儀式までは怪しまれたくなかったみたいで、返信できたの。助けはね・・・志度さん、私の顔、ひどいでしょ?」

 代峰さんの生気の無い顔が優に近づく。その目は充血して赤い。正直俺もちょっと怖かった。

「ん、うん・・・ひどい顔してるよ」

 優も戸惑いながらも正直に答えた。

「そうでしょ・・・神託とか練習で峰酒を飲むと、その時はぼーっとして気持ちがいいんだけど、元に戻った時がひどいの。頭が鈍器で殴られてるような痛みが続くし、体がだるくて起きれないの。目が腫れて視覚が歪むの。耳が変になって、音がすごくよく聞こえたり耳鳴りがしたり・・・とにかく、私の体がおかしくなってるの」

 代峰さんは震えながら次第に声が小さくなっていく。

 彼女の症状を聞くに、峰酒は体に負担をかけるものなのは間違いなさそうだった。

「お母さん・・・きっともう死ぬ」

「えっ」

 俺と優は驚きの声を挙げるが、代峰さんは白い能面のような顔で続ける。

「お母さん・・・この間帰ってきてから見たら、おばあちゃんになってたの。私が子供の頃は、若いお母さんってみんなによく言われてたのに・・・」

 代峰さんは暗い顔のまま笑った。

「ふふ・・・おかしいでしょ?だってお母さんまだ四十過ぎたくらいなのよ。それなのに、髪はもう全部白くて、歯もボロボロ。あんなに綺麗だったのに・・・」

 今の代峰さんの顔を見ながら聞いていると、真実だと実感できた。

「お母さん、もう立てないくらい体が弱ってるのに・・・それなのに・・・峰酒を飲むのはやめれないの。はは・・・もう峰授祭の儀式ができないから、巫女じゃなくなったから、神託はやらなくていいのにね。でも、仕方ないの。あれを飲むとその時だけは痛みも何も感じなくなるから、お母さんはあれを飲みたがるの」


 だんだん峰授祭の儀式の意味が分かってきた。あの儀式は巫女が神託を行えるかどうか、即ち峰酒を飲めるか、ということをアピールする場なのだろう。

 年に一度、代峰の巫女が健在かどうかをチェックする日。この一年の巫女の神託を保証する必要があったから、代峰さんが呼ばれたんだ。

 儀式としては祝詞を読むこと自体に意味はなく、峰酒を飲めることが大事なのだ。だから、周りの人たちは何杯飲めるかだけを気にしていたのだ。

「それでね、私も・・・こうしてると峰酒が飲みたくなってくるの。あんなにドロドロして気持ち悪いのに、嫌な匂いなのに・・・ひどい目にあうってわかってるのに、あれが飲みたくなるの」

(中毒性と体への副作用、ドラッグそのものだ。ただし、一瞬だけ得体の知れない知力を得ることができる、か)

「これが代々やってきたことだって、代峰の巫女の運命だって・・・お父さんもお母さんもそう言うの・・・それで、あたし怖くて、でも自分じゃどうしていいか分からなかったから星村君に・・・メールを・・・」

 気がつくと彼女は静かに泣き始めていた。

 主人を慰めようとしているのか、松風が悲しげな声を出しながら代峰さんに体をこすりつけているが、主人は泣き止んでくれそうにない。松風は困った顔を俺達に向けた。


 俺はなんと声をかければいいのか分からず困惑した。だが、優が動いてくれた。

「咲季、大丈夫だよ」

 優は代峰さんに近づいて抱きしめた。

「あたしと勇舞がいるし、咲季自身がしっかりしてれば絶対に助かるよ」

 優は力強い口調だった。

「ほら、勇舞の占いでもう一枚カードを引いたでしょ」

「うん、たしか、力・・・」

「そうでしょ。そして、そっちのほうが大事なカードって勇舞言ってたでしょ。力とは意思。運命より大事なのは咲季の気持ち」

「強い気持ち・・・」

「そう。咲季の気持ち。咲季はこれからどうしたいの?」

「あたし、あたしは・・・」

 代峰さんは少し考えていたがすぐに口を開く。

「あたしは・・・死にたくない。生きていたい。お母さんにも元気になってほしい。それと、もうこんな儀式とか神託はやめたい」

 まだ泣き声ではあったが、さっきよりは力強い声になっていた。

「よし!それじゃ決まりだね!今から三人で考えようよ!」

 優は大げさに声を出す。多少演技っぽいが、それでもこの場合は効果があった。

「ん、うん」

 代峰さんの目にはまだ涙が溜まっていたが、それでもさっきまでの表情よりずっとよかった。

 優がいてくれて本当によかった。

(俺よりもずっとアドバイスがうまいんじゃないか?)

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