侵入
カラカサ松まで広瀬さんが送ってくれることになり、三人は車に乗り込んだ。万が一、寺に戻って来なくなることも考えて荷物は全て持った。車に乗っているのを見られたくないので、俺と優は後部座席で小さくなっていた。
お寺を出て、数分で目的地の近くにやってきた。
窓の外を見ると、辺りはいかにも山道という感じで、山側にはコンクリートの壁で落石防止してあり、谷側は目下に森があり、遠くに村が見えた。
「さて、地図上はこの辺りなはずだが・・・お、あそこから歩いて行くのかな。あそこにある登山道、あそこから進むと、途中に例のカラカサ松があるようです」
車から降りて三人で登山道を進む。
途中に登山の案内板が立ててある。その地図の中にカラカサ松が記載してあった。案内板に従って進むと、五分もしないうちに目的地に着いた。
当たりを森に囲まれた、少し小高い丘の上に、巨大な松があった。
「これは見事なものですな」
一本の太い幹から長い枝が四方に伸び、青々と生い茂った葉が力強い生命力を誇示していた。
優が近くまで行って見上げる。
「ひぇー、大きい~」
優との対比でよりカラカサ松の大きさが際立つ。恐らく高さは十メートル前後、一番長い枝は七、八メートルくらいにはなりそうだった。
近くに看板があり、カラカサ松の説明と、ここに山の神を祀っているということが書かれていた。これだけの巨木なら神聖なものとして祀られても不思議ではない。
「さて、この松が見事なのは来た甲斐がありましたが・・・肝心の咲季さんは?」
辺りを見回しても誰もいない。
置き手紙か何かがあるかもしれないと思い、松の周辺を調べてみた。だが、特に目を引くものはなかった。この松以外では、周りは森と登山道があるだけだった。
「うーむ、もしかしてこの松ではなかったのかもしれませんな」
「別の何かだったのかな・・・でも他にカラカサに相当するものなんてあったかな」
「あまりここに長居するのも避けた方がいいかもしれませんな、私の車が置いてあるので、見られると変に思われるかもしれません」
確かに、ここに居続けるのも危ないかも知れない。
引き返そうとした所で、俺の携帯が鳴った。親父からだった。
「もうすぐそっちに着く。何もないだろうな?」
「あ、ああ・・・こっちは大丈夫だよ」
「よし、すぐ行くからもう少し待ってろ」
「うん・・・」
この村から脱出できるかもしれないと思う反面、代峰さんとともちゃんのことを知るチャンスが無くなるかもしれない。
電話を切ろうとした時、広瀬さんの叫ぶ声が聞こえた。
「いかん!犬だっ!戻れ!」
「勇舞!早く戻って!」
黒い獣が森から現れ、こちらに向かって走って来るのが見えた。
優と広瀬さんは既に車に向かって走りだしていた。代峰家で防犯用に警察犬を飼っているという話を思い出した。俺も慌てて走りだす。
だが、黒い犬の早さは尋常ではなかった。あっという間に俺に追いつく。やられる、と思ったが、その黒い風は俺を追い越して、優と広瀬さんの方に走っていく。
「そっちに行った!危ない!」
俺が叫ぶと優が振り向く。そこに黒い影が跳びかかった。
「きゃあっ!」
優が悲鳴を上げて倒れる。広瀬さんは車に乗りかかっていたが、戻って優に駆け寄る。
「こりゃ!離れんかい!・・・ん?」
広瀬さんの動きが止まった。
優の悲鳴が止んでいる。
「うわっ!うっぷ、舐めるな!」
その黒い影は倒れている優の顔をベロベロに舐め回していた。
「お前!松風!」
黒い獣は短い尻尾を勢い良く振っていた。
「なんじゃあ?志渡さんはこの犬を知ってるのか?」
「この犬、松風って言って、咲季の犬なんです」
優は立ち上がり、興奮している松風を撫でながら少しづつ落ち着かせる。
「お前、なんでこんな所にいるの?」
松風は優の手を軽く噛むと、どこかに引っ張ろうとする。
「え、なに?なに?」
優がついてくるのを見ると、松風は噛むのをやめて走っていく。そして、こっちを向いて一鳴きした。
「ついてこいって言ってるの?」
優が少し松風の方に行くと、松風もそれに合わせて先に進む。
「やっぱり、ついてきて欲しいみたいよ」
俺達は顔を見合わせる。
「どうする?」
松風がまた一鳴きする。
一瞬考えたが、すぐに結論は出た。
「行こう。多分、代峰さんがここに松風をよこしたんだ」
このタイミングで偶然ここに松風がやってくるなんてありえない。何かの意図があるとしか思えなかった。
「広瀬さん、ちょっと行ってきます。これで代峰さんに会えるはずです」
「おお、分かった!だが、無理せんようにな。それと、何かあったらすぐに連絡をくれ」
広瀬さんに手を振ると、俺と優は一緒に松風を追った。
手に持っていた携帯から何か聞こえる。親父との通話を切っていなかったのを思い出した。
「あ、親父、まだいる?」
「やっと通じたか。一体何があった?」
「んっと・・・簡単に言えば、同級生に会えそうなんだ」
「本当かよ?叫び声聞こえてたぞ」
「ああ、大丈夫。ちょっといろいろあったけど」
「おい・・・俺が着く頃にはちゃんとその寺にいるんだろうな?」
「あ、ああ・・・どのくらいかかるか分からないけど、多分戻れるよ」
戻れる確証など無いし、どのくらい時間がかかるかも分からなかったが、それでも行くしか無い。
「おい、あと少しでそっちに着くんだ。大人しくしてろ」
「親父、これを逃すと、代峰さんに会えないかもしれない。それに、ともちゃんのことも何か分かるかもしれないんだ」
「知香か・・・お前、知香好きだったもんな・・・だが、お前が危険な方法は駄目だ。後で別の手段で調べることだってできるんだ」
「・・・親父、少し帰るの遅れるかもしれないけど、絶対戻るから」
もう説得するの無理そうだと思い通話を切ろうとした。
「待て、切るな!困った奴だな・・・チッ・・・絶対戻ってこいよ。もし、戻ってこれないなら定期的に連絡だけはよこせ。もし連絡が途絶えたらすぐに警察に通報するからな」
「親父・・・すまん。連絡はするよ」
「三時間、いや、最低でも二時間おきには何か連絡しろ。メールでも電話でもいい」
「うん、分かった」
松風はカラカサ松を過ぎて、森の中に入っていく。
「えぇ、ここ入るの?」
優はワンピースにカーディガンという格好だ。こんな茂みの中を通れば汚れと傷でボロボロになりそうだ。俺と優が少し立ち止まっていると松風が吠える。
「くそ、急かしやがって。これ、結構高かったのに・・・後で咲季に弁償させてやる」
優は苦い顔をしていたが、覚悟を決めて茂みの中に入っていった。
木の枝や植物を手で払いながら道なき道をしばらく進む。
やがて傾斜のゆるい谷のような場所に出た。後ろを振り返っても、もうカラカサ松も入ってきた所も見えない。だいぶ進んだようだ。
前方の松風は相変わらず元気で、谷を降りていく。
「もしこれで松風が遊んでるだけだったらどうしようね」
優が怖いことを言った。こんな森の深くまで進んだら帰るだけでも一苦労だし、戻れない可能性だってある。
だけど、松風のあの動きは明らかにどこかに誘導しているから大丈夫だろう。
「もしそうなら、松風をバリカンで虎刈りにしてやろう」
「あはは、それいいかもね」
昨日からしばらく笑ってなかったが、ようやく優の笑う顔が見れた。やっぱり優は笑ってる方が似合う。もし一人だったら、不安で心細いまま進むしかなかっただろう。いや、松風が懐いてるのは優だから、そもそも案内してくれなかったかもしれない。やっぱり優が来てくれてよかった。
やがて谷の反対側の斜面を登り、少し高い所に達すると、その下に長い塀と内側に建つ大きな日本家屋が幾つも見えた。
「やっぱり。松風は代峰さんの所に連れて行こうとしてるんだよ」
「ほんとだね。あの道路側の門があたし達が一昨日来た門だね」
松風の誘導に従って山を降りていくと小道に出た。それは整備された道ではなく、誰かが何度か通って、草を倒しただけの道だった。さらに進むと開けた場所が出てきた。
「なにこれ?畑?」
「なんだ・・・?」
俺と優は声を上げた。
目の前の光景が何か場違いに感じられた。
その開けた場所は山に囲まれた小さな盆地のような場所だった。そこに白い、巨大なビニールハウスが建っていた。幅は十メートル、長さは四十メートルもあるだろうか。
「何か栽培してるのかな?」
「そうかもしれないけど、これだけ大きいと中に何でも入るからなあ」
辺りを山と木で囲まれた自然の中、明らかに人工の作業場がある。まさしく不自然だった。
その白いビニールは厚く作られているようで、中がどうなっているのかは見えなかった。
近くには作業用具を入れてそうな小屋と、山に掘られた洞窟のようなものが見えた。
ビニールハウスに目を奪われて立ち止まっていたが、松風がこちらを向いて鳴いた。
「とりあえず、今は先に進もうか」
ビニールハウスの脇を通りすぎてさらに進むと、砂利などが敷かれてはっきりと道が出来ている。頻繁に人が通っているのだろう。
さらに進むと大きな日本家屋が幾つか建っているのが見える場所に出た。ついに代峰家の居住空間に着いたようだ。
「近くで見るとすごいねえ」
優が敷地内を見ながらつぶやく。一つ一つがやたらと横に長い家がここから見ただけで三軒はある。豪勢な日本家屋を見ながら昨日の昔話を思い出していた。
(もしや、これは神の使いを閉じ込めて作った富なのか・・・)
「さて、ここから先は見つからないように注意しないとな」
建物の影隠れて辺りを伺う。見つかればアウトだ。慎重に進まないと行けない。
松風は前方にいるが建物の影で止まってくれていた。人影が無いのを確認してから松風の元まで進む。
松風は俺達が追いついてもそれ以上は進もうとしなかった。
「松風、どうしたの?」
優が松風に話かけるが、松風は耳を立てて何かを伺っているようだった。
ややあってから突然走りだし、建物の影まで行くとそこで止まった。こちらを向いている。俺たちを待っているようだった。
「よし。俺達も行こう」
松風の元まで着くと、松風はまた耳を立てていた。
「もしかして、私達が見つからないようにしてるのかな?」
「そんな感じするな。こいつ相当頭いいぞ」
試しに今通って来た所をそっと覗く。屋敷の長い廊下が見えるが、そこを使用人らしき男が通るのが見えた。慌てて顔を引っ込める。
「やっぱり多分そうだよ。俺達が見つからないように移動してくれてる。それにこの辺りに来てから吠えなくなってる」
「本当にお前賢いね」
しばらくすると、松風はまた素早く移動して物陰に隠れた。
何度か移動した後、ある建物の勝手口に着いた。
松風はレバー式のドアノブに前足をかけて器用に開けた。
「おいおい、ドアまで開けるのかよ」
「すごいね」
もしかして松風は専門的な訓練を受けているのかもしれない。今は頼もしい反面、もし襲われたらと思うと恐ろしくなった。
松風が家に上がり、俺たちも靴を持って後に続く。外見は日本家屋だが内装はフローリングの床に障子という和洋折衷。最近新しく作られた建物のようだ。
松風は立ち止まらずに進み、二階に上がっていった。一応、警戒しながら進むがこの建物内には人があまりいないらしく、音などは聞こえなかった。
松風は二階のある部屋の前まで来るとドアをカリカリと引っ掻き、軽く中に向かって吠えた。
数秒して中で何か動く音がする。
やがて、そっとドアが開く。
隙間から血走った目が現れた。息が詰まりそうになるほど鋭い目つきだった。
「星村君・・・?」
目を見た瞬間は誰か分からなかったが、その声とドアの隙間から見える顔の輪郭から代峰さんと分かった。
「それに、志渡さん・・・」
「代峰さん」
「咲季」
「本当に、本当に来たんだ・・・」
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