峰授祭
「勇舞、もうそろそろいい時間じゃない?」
部屋で横になっていると優がやってきた。時計は十五時くらいを指している。もう峰授祭が始まってる頃だし、これから行って少し出店でも見て回れば、例の儀式の時間にちょうどいいくらいだろう。
広瀬さんはまだ戻ってきていなかった。
お礼と連絡先を書き置きして出かけることにした。
広瀬さんから貰った地図を頼りに代峰神社に向かう。同じく祭りに行く人もちらほらと見かけた。子供が浴衣で向かっている姿も見かける。
「ああ、お祭りだから浴衣だよね。知ってたら、あたしも持ってくれば良かったなあ、なんて」
「優も浴衣とか着たりするの?」
「するよ!去年も着てたよ!」
「あ、そうなんだ。俺、優が浴衣着てるの見たこと無かったから」
「もう・・・去年言ったじゃん、みんなでお祭り行こうって。そしたら勇舞だけ来なかったじゃん」
「え?そうだっけ?・・・ああ、そう言えばそうだった。ごめん。あの時はコンクールに出す作品がギリギリまでかかっててさ・・・」
それで優とクラスのやつらと一緒に市内の祭りに行けなかった。
「じゃあ、去年行けなかった分、今日はその代わりってことで」
「なによそれ・・・まあいいけどさ」
我ながらよくわからないことを言ったが、優は微妙な顔をしながらも納得してくれた。
代峰神社に着くと予想以上に賑わっていた。
神社は広く、屋台も二、三十店くらいは出ているようだ。
「人、結構多いんだね。この村にこんなに人いたのかな?」
「多分、近隣の村とか街からも来てるんじゃないかな?」
広瀬さんはそんなに若者は来ないと言っていたが子供連れの家族は多かった。この辺りでこうしたイベントは多くないだろうから、子供にとっては楽しみなのかもしれない。あるいは、デジタルな娯楽に囲まれた現代では逆に貴重な機会なのかもしれない。
儀式の時間までは普通に屋台を回ることにした。綿飴、イカ焼き、たこ焼きを食べて腹が一杯になった。おかげでだるくなって歩き回るのも少し億劫だった。
優も同じだけ食べてたはずだが、元気に射的や輪投げを楽しんでいた。流石に運動が得意だけあってこういうのは得意らしい。金魚掬いもやりたそうだったが、掬っても持って帰るのが難しそうだったので渋々諦めていた。
ともあれ、優のおかげで祭りを楽しむことができた。
一通り、店を回り終えてからはベンチで休憩していた。
しばらくして日が落ちて来た。空が次第に夕焼けに染まり、屋台の灯りが際立つ。いかにもお祭りという雰囲気になっている。
神社の中心部を見ると、一段高いステージが用意されており、人が集まっているようだった。
「そろそろ儀式が始まるんじゃないか?」
「そうかもね。いこっか」
ステージはそれほど大きくなかったが、意外に人が集まっており、前に行けなかった。 少し離れた場所から見ることになった。ステージの周囲で楽器を出したり人が出入りして準備をしている。もう少しで始まるようだ。
辺りを見回すとステージと離れた出店のある辺りは相変わらず賑やかだ。
これから始まるであろう儀式に全く関心が無い人も多いようだ。それはそうだろう、広瀬さんの話からするに、ちょっとした芝居をするだけだ。見て面白いものでもなさそうではある。
(逆に言うと、それでも儀式をするんだな)
もちろん、伝統的な行事というのもあるだろうし、祭りの主旨でもあるからやるに越したことはないだろう。
だけど、代峰さんを急に呼び寄せてまで準備をするほどのものなのか?今年は中止にするのでは駄目だったのだろうか?
ふと、ステージに集まっている人を観察すると、高齢者が多いように見えた。村の伝統行事なのであれば高齢者が多いのは当然かもしれない。
だが、そうした中、所々にスーツ姿の人物がいるのが目立った。祭りにふさわしくない、妙な感じがした。
ふと、駐車場の方を見る。神社の石段の下の方に見える駐車場には高級車が何台か停めてあった。俺たちが神社に着いた来たときには無かったはずだ。出店の方にはスーツ姿は無い。
(もしかして、あの男達は儀式を見るためにわざわざやってきた?)
「去年のはもう・・・今年は大丈夫か・・・」
「今回は代峰の娘らしい。今年から始めたらしいが・・・どうだろうな」
「見てみないことには・・・若えから量は飲めるだろうが・・・」
すぐ前にいた老人達が小声で話しているのが聞こえた。
はっきりとは聞こえなかったが、代峰さんと儀式のことを話しているのは分かった。
周囲で賑やかな祭りの音がする中で、ステージ周辺は妙な静けさがあった。話し声などあるが、誰も大きな声で話すものはいない。儀式が始まるのを待っている。
(単なる村の形式的な行事じゃなさそうだな・・・)
妙な雰囲気は優も感じているらしく、さっきとは変わって表情が固くなっているようだ。
しばらくして、ステージ脇に設置された太鼓が、ドン、と鳴った。一斉に話し声が消える。
ステージの端から神主らしい姿の男が上がってくる。戴冠し、大きな袖の装束で、いかにも儀式という格好だ。あれが代峰さんのお父さんだろうか。
神主はステージ中央まで来ると話し始めた。
「皆様、お集まりいただきありがとうございます。これより峰授の儀式を執り行います。この儀式は古来より続いているもので、山の神から恵を授かり、この地が繁栄するようにとの願いが込められた儀式です。便利な暮らしを手に入れ、自然の有り難み忘れることが多くなった現代であります。それ故に、自然と神への感謝を忘れぬよう毎年欠かさず執り行っております。僅かな時間ですので、どうぞ最後まで御覧ください」
神主はそう言うとステージの端へ引っ込んだ。
ステージ脇から太鼓や笛が鳴り、ステージ端から面と衣装をまとった人物が出てきた。面は大きな二本の角を生やし、口からは赤黒い牙が覗いている。衣装は金と黒の縞模様の着物だった。これが山の神なのだろう。
(この姿は神というより、まるで鬼か魔物って感じだな)
秋田のなまはげのように鬼化した神もいるが、どういう経緯でこの姿になったのか少し気になった。
神はステージの中央へ進んだ。
再び楽器が鳴り、神主が出て来る。神主は大きな赤い盃を両手で持っていた。神主の後を追い、一つの影が舞台の袖から現れる。
「ねえ、あれ咲季じゃない?」
「そうみたいだな、だけど・・・」
俺も優も一瞬、彼女が代峰さんかどうか確信が持てなかった。
元々少し痩せているくらいだったのだが、さらに痩せて頬がこけていた。その頬は不自然に感じるくらい白い。表情は虚ろで彼女の大きな瞳は焦点を結んでいないように見えた。
彼女の無事を確かめるためにここまで来たのだから、姿が見えれば安心できるはずだった。だが、彼女の様子は安心とは程遠かった。
衣装もどこか異質だった。袴は普通の赤く巫女らしいものだったが、小袖は白ではなく、黒く染められたものだった。
俺達の戸惑いをよそに儀式は進んでいく。
笛や太鼓が鳴る中、彼女は神主に付いてゆっくりとステージ中央まで進んでいく。
中央まで来ると、彼女はこちらを向いて正座をした。
正面から見えて、はっきりと代峰さんだと確信できた。
その表情はぼんやりとしており、周りに集まっている人達も視界に入っていないようだった。俺と優に気づいた様子も無い。
神主は山の神の前にひざまずき、祝詞を唱え始めた。祝詞特有のゆっくりと、大きな声だった。
「かしこき~おおやまの~おおみかみ~
今神の~みまえに~うやうやしく~捧げ~
かしこみ~かしこみ~もうす~
このみに~恵みを~たれたまへ~
飢えぬよう~寒からぬよう~
家を守り~身を守りたまへ~
みまえに捧げ~かしこみ~かしこみ~もうす~
おおみかみの~あつき~みたまのふゆを~かがふらしめたまへ~」
唱え終わると盃を神に向かって両手で差し出す。
神は腰に下げていた容器を持つと、液体を盃に注ぎ始めた。
お神酒だろうか。あれを神からの恵みと見立てて巫女が飲み干すのだろう。広瀬さんから聞いたとおりだった。
注ぎ終えると、神主はそれを代峰さんに渡す。
代峰さんは盃を傾けて飲み干していった。盃の端からこぼれた液体が喉を伝って落ちていく。
彼女の白い喉に一筋の赤が描かれる。一瞬、代峰さんが血を流しているのかと思ったが、それが液体の色だと気づいた。ドロドロとした濃く赤黒い液体が喉を染めた後、吸収されるように黒い小袖の中へ消えていく。だから上着が黒いのかと妙に納得した。
(それにしても、あれは酒なのか?)
あんな色合いの飲み物を俺は知らなかった。
(いや、どこかで見たことがある気がする・・・)
代峰さんはそれを飲み干すと盃を神主に返した。神主は盃を受け取ると彼女の耳元で何かを囁いた。
すると、代峰さんが祝詞を唱えだした。
「かしこき~おおやまの~おおみかみ~
今神の~みまえに~うやうやしく~捧げ~
かしこみ~かしこみ~もうす~・・・」
先程神主が唱えていたものと同じ祝詞だった。予想していたより力強い声で唱えられ、彼女のこんな声は聞いたことがなかったから少し意外な感じがした。
「みまえに此の身を捧げ~かしこみ~かしこみ~もうす~
おおみかみの~あつき~みたまのふゆを~かがふらしめたまへ~」
唱え終わると、神主は再び神に盃を差し出し、液体を注いでもらう。
「二杯目か・・・」
前にいた老人がつぶやく。
代峰さんは再び盃を受け取ると、それを飲み始める。同じことを何度か繰り返すのだろうか。
盃を傾ける彼女の手が震えている。そのせいか、新しい赤黒い筋が彼女の喉に刻まれる。
胸がざわついてくるのを感じる。
(あれは・・・そんなに飲んではいけない)
何故かあの液体は危険なものだと感じた。どこかで見た気がする。それほど昔ではないはずだ。あれを飲んでいる、代峰さんの虚ろな、大きな目、長い髪。
その姿でともちゃんのことを思い出した。
(そうだ!あれはともちゃんが家に持ってきていた!)
唐突に思い出した。一年前にともちゃんが家に来たとき、つまり最後に会った時に、持ってきたものにそっくりだ。
(あの日、ともちゃんはあんな感じの液体を持ってきて、それから・・・)
だが、あの日の記憶がどうしても思い出せない。あの日、ともちゃんの失踪に関わることがきっとあったはずなのだが・・・
代峰さんが二杯目を飲み干すと、その姿はまるで口から大量の血を吐いているようだった。
顔が赤くなっている。あれは酒なのだろうか?
彼女は少し体が震えているようだったが、再び祝詞を唱え始めた。
「かしこき~おおやまの~おおみかみ~・・・」
先程と同じ祝詞を再び唱える。
声の調子が先程より少しおかしい。声が震え、途中で息継ぎをしながらだった。それでも最後まで祝詞を唱えきった。
彼女が唱え終わり、神主が再び神に盃を差し出すと、群衆にざわめきが起こる。
「三杯目か・・・」
「よう飲むな・・・」
「大丈夫か・・・」
盃を受け取った代峰さんは一瞬だけ躊躇ったが三杯目を傾け始めた。はっきり見て取れるほど手が震えている。
「ねえ、咲季、大丈夫かな?」
「・・・大丈夫じゃない気がする」
止めなければいけないと感じているが、人混みのせいで彼女に近づけそうにはなかった。
俺が何もできずにいるうちに、代峰さんは三杯目を飲み干した。
血のような色に染まった口と舌で再び祝詞を唱え始めた。
その声はむしろ二回目よりもしっかりした声になっていた。
「かしこき~おおやまの~おおみかみ~・・・」
声の震えや息継ぎも目立ったものがない。淀み無く、澄んだ声が祭りの喧騒の中、しっかりとステージ周辺には響いていた。
「みまえに此の身を捧げ~かしこみ~かしこみ~もうす~
おおみかみの~あつき~みたまのふゆを~かがふらしめたまへ~」
祝詞を唱え終わると辺りは一瞬静まった。
ややあって、神主と代峰さんは立ち上がり、こちらに向けて一礼した。周りからはまばらな拍手の音が聞こえてくる。
やがて神、神主、代峰さんはステージの袖に引っ込んでいった。
それで儀式は終わりらしく、集まっていた者は離れていった。
離れていくときに、誰かが小声で話しているのが聞こえた。
「あれなら期待できそうだな」
「去年の巫女より・・・」
俺と優はそこに立ったまま、ステージ近くに二人だけなった。
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