彼女のいた工場


「うわあっ!」

 起きるとお寺の一室だった。

「はぁっはぁっ」

 呼吸が荒い。頭から首、背中にかけてじっとりと汗をかいている。

 障子が明るくなっている。朝のようだった。

「なんだよ、一体・・・」

 さっきまで見ていた夢は鮮明で、ほとんど思い出すことができた。

「なんなんだよ、これって確か、代峰さんの見てた夢・・・」

 そして唐突に思い出した。一年前に、ともちゃんは家に来て、母と何か相談していた。そして母が出かけた後に・・・何かあったはずだ。


 布団の横で何か音がした。ブーンと音がする。小さな黒い塊だった。それは飛ぼうとしては落ちて、羽音を響かせて床を転がっている。黄色と黒の縞模様がある虫だった。ミツバチだろうか。こいつの羽音で変な夢を見たのかもしれない。


 とりあえず起きることにした。普段は起きるのは遅い方なのだが、旅行だと早く起きてしまう事が多い。慣れた環境じゃないと寝れない質なのかもしれない。

 起き出して顔を洗っていると、何か音がする。行ってみると小さな台所のようで、広瀬さんが食器を並べてその上に魚を置いたりしていた。

「もう起きてきたか。おはよう。具合は良くなったかな?」

「はい。もう大丈夫です。朝ごはんですか?」

「うん。もう少しでできるから、志渡さんも起こして来てもらえるかな」


 優の部屋に行き、扉をノックする。

「優、おきてる?」

「うー、勇舞?今・・・起きた」

 中からぼんやりとしたいつもよりは低い声が聞こえてきた。

「広瀬さんが朝ごはん作ってくれてるから、もう少ししたら来て」

「本当?・・・わかった」


 昨日食事をした部屋に行くと、広瀬さんがご飯を運んでいた。俺がそれを手伝い、しばらくすると眠そうな顔の優もやって来た。昨日とは服装が変わっていて、ワンピースが黒いものになっていた。予め着替えを用意してきていたのかもしれない。用意がいいことだ。

 三人揃った所で朝食になった。

「いただきます」

 三人で手を合わせる。広瀬さんが手を合わせる姿は様になっていていかにも坊主だった。

 朝食は焼き魚と卵焼きにご飯と味噌汁とお新香だった。

 朝食はうまかった。広瀬さんは結婚していないようだから、自炊が多くて料理はうまいのかもしれない。ふと、メニューで気になったので聞いてみた。

「そう言えば、お坊さんて魚とか卵も食べていいんですか?」

「うん。いいよ。まあ、宗派によったりもするが、現代だと大体は普通に食べるよ」

「あ、そうなんですね」

「うん。自ら殺生することは禁じられているが、頂いたもの、出されたものはありがたくいただくというのが基本やね。健康的な意味もあるから、なるべく野菜中心ではあるけど」


 食事が終わると広瀬さんがお茶を淹れてくれた。

「さて、今日はお二人はこれからどうしますかな?」

「とりあえずは峰授祭に行ってみることにしますけど、それ以外はあまり考えてないです」

「例年だと、峰授祭が始まるのは午後からだったと思うよ」

「じゃあ、午後まではいるとして・・・その儀式っていつぐらいにやるか分かりますか?」

「あー、いつだったかな。私は去年、峰授祭にちらっと参加しましてな。儀式は確か暗くなってたからだったから、夕方遅くだったよ」

「そうですか。帰りのバス間に合うかな?優、時間知ってる?」

「んっと、一番最後のバスが夕方にあるけど結構早い時間だったよ。この村から出てるバスは本数少ないみたいだし。急がないと乗れないかも」

「そうか・・・そうなるとちょっとバス合わないかもな。その儀式の前に代峰さんと会えればいいけど、そうじゃないと儀式まで待つのか・・・」

 最初は日帰りの予定だったのに、今日帰れないと二泊になってしまう。

「まあ、もしそうなったら今日もここに泊まったらよろしい」

「いや、それは流石に悪いですよ。二日もなんて」

「いやいや、大したもてなしはないが、私も久しぶりの客人があったほうが賑やかでいい。はははっ」

「じゃあ、もしかしたらまたお世話になるかもしれません。優は大丈夫?」

「うん、あたしは大丈夫よ」

「あ、そうだ、それと、峰授祭って場所はどこでやるんですか?」

「代峰家の神社でやります。昨日、星村君たちが訪ねた代峰家から少し離れた場所なんだが、ちょっと口で説明しづらいから、後で地図のコピーを渡しましょう」

「助かります。あと、峰授祭って実際はどんな感じなんですか?」

「まあ普通に出店が出る祭りみたいなものだよ、そんなに規模が大きい訳じゃないし、あんまり若者が来る感じじゃないな。子供とか村の年寄りたちが多かった印象があるよ」


 食事の後、一回部屋に戻った。

 部屋の布団の上に座って、携帯の時計を確認する。まだ八時前くらいだった。結構話しながら食べてたつもりだったが、そんなに時間が経っていない。峰授祭があるのは午後になってから、しかも儀式が始まるのは夕方らしいので大分時間があった。

「勇舞いる?」

 部屋に優が入ってきた。

「これからどうする?例のお祭りまでここにいるの?どこかでかける?」

 優も同じことを考えていたらしい。

「そうだな・・・どうするか」

 ふと、布団の脇に黒と黄色の虫が目に写った。今はもう動いていない。そして今日の夢の内容を思い出した。

「そうだ、優、俺ちょっと行ってみたい所あった」


 出かける準備をしてから広瀬さんを探した。広瀬さんは庭で植物に水をやっているところだった。庭は二十メートル四方くらいの大きさで、すっきりとした白砂を中心として周囲に様々な植物が植えてあった。広瀬さんがこっちに気づいた。

「お、二人ともどこかでかけますかな?」

「はい。ちょっと気になる所があるんですが、場所を教えてもらいたくて」

「ほう。どちらへ行きます?」

「昨日聞いた、一年前に失踪した人が以前勤めていた工場なんですが」

 ともちゃんが失踪する前に何があったのか、もしかしたら何か分かるかもしれないと思った。

「妙な所に行きたがりますな。ま、場所は教えますよ」

 広瀬さんはお寺の事務室に入っていった。しばらくすると白黒の地図をプリントした紙を持ってきてくれた。

「これは村の地図や。ここが今いる寺で、ここが代峰神社。で、ここが工場。ただ、昨日も言ったけど、気をつけてな」

「大丈夫ですよ。ちょっと見てくるだけなんで」


「そうだ、この辺りって蜂が多いんですか?」

 別れ際、今朝の蜂と夢が気になったので聞いてみた。

「蜂?そりゃあ、田舎ですからな、都会に比べたら多いんでしょうけど。特別多いっていう感じは無いかな。ああ、ただ、この辺の気候とか環境は特殊らしいから、変わった種類の動物とか植物はいるらしいね。たまに、年に一二回くらい、学者とかが調査に村に来るっていう話を聞いてるよ。蜂で変わったのがいるのかどうかは知らんけど」

「そうですか。ありがとうございます」




 工場の場所はこの寺から結構遠そうで、歩いたら三十分くらいはかかりそうだ。だけど、特にやることもないし、他に移動手段もないので歩くことにした。

「ねえ、なんで工場なんて行きたがるの?」

 工場へ歩きながら優が聞いてくる。

「一年前に失踪したっていう人が、実は俺の親戚なんだ」

「えっ、そうなの?それって昨日出かける時に勇舞のお母さんが言ってた人?」

「うん、失踪する前までその工場に勤めてたみたいだからさ。ちょっとだけ行ってみようかなって」

「そっか、それなら気になるよね」

 墨相村は昨日と変りなく青い空と緑の田んぼを写している。地下鉄も無ければショッピングセンターもない。夏の日差しを遮ってくれる存在はない。だが、少し標高が高いせいか、涼しい風が吹いてくれる。

 歩きながら、ともちゃんのことを考える。彼女は薬とか化粧品に興味があったらしく化学系の学科に通っていたと言っていた。その後、化粧品メーカーに就職して研究開発していたという。そう言えば、うちに来るとき、母に化粧品とかサプリメントのサンプルを持って来ることもあった。

 失踪する時に何かあったかを思い出す。一年前に家に来ていた時はどうだっただろう。当時は気にしていなかったが、今思うと、どこか落ち着きがなかったような気がする。いらいらしたり、そわそわしているような所があったかもしれない。普段の彼女はそんなところはあまり見せなかったのだが。

 そして、失踪する直前は明らかに普段の彼女じゃなかった。どこかだるそうで、服装や雰囲気もなんとなくルーズだった気がする。


 最後に家に来た時、彼女は何か持ってきていた。赤黒い何か・・・

 だが、どうにもこれ以上は思い出すことができない。あの時、何かがあったはずなのだが。


「ねえ、あれがその工場じゃない?」

 しばらく歩いた後、優が大きな建物を指した。最近作られたような真新しい外観で、広瀬さんから渡された地図と位置もピッタリだった。

「そうみたい」

 それからさらに近づいていくと、辺りが塀で囲われており、門があった。

「あれじゃ中に入れないな」

 そもそも、何をどう調べるという計画もなかったのだが、流石に無断で侵入するわけにもいかない。近くに行けば何か分かるかもしれないと思ってきたのだが、このままだとどうすることもできなさそうだ。

「どうする?」

「んーと、そうだな・・・」

 工場をもう一度見る。建物の横に広いスペースの駐車場がある。今日も工場は稼働しているらしく、車がそれなりに停まっている。時計を見ると、昼にはまだ少し時間があった。

「仕方ないから正門の近くで少し待つか」

「待ってどうするの?」

「多分、昼くらいになったらご飯食べに誰か出たりするんじゃないかな。それで少し話とか聞ければいい。あるいは、何かの用事で出てくる人もいるかもしれないし」


 俺と優は近くにあった自販機のそばで話をしたりしながら適当に時間を潰した。一人だったら暇を持て余してただろうから助かった。付き合ってもらってる優には申し訳なかったが、意外と機嫌良さそうだった。


 しばらくして、昼近くになったのでまた工場の門の近くに行って待ってみる。

 戻ってみると、ちょうど門から出てくる車があった。車道のそばによって手を振ると、車は近くに止まってくれた。

「何かしました?」

 ウィンドウから見えたのは若い女の人だった。スーツを着ているようで、髪も短めで黒い。

 ついてると思った。昨日の経験からこの村に長く住んでそうな人、つまり中年や年配の人はちょっと危険だと思っていた。この人は就職でこの村にきた可能性が高そうだった。

「あの、ちょっと聞きたいことがありまして。良かったら少しお話してもいいでしょうか?」

「え、話?今、仕事中だから、あんまりそういうのは・・・」

「あ、じゃあ少しだけ。一年前にこの工場に宇佐美知香っていう人がいたと思うんですけど・・・」

 彼女の目が少し大きく開き、口元が僅かにこわばったように見えた。

「宇佐美さん・・・あなたたちは宇佐美さんと何か関係あるの?」

「俺、宇佐美さんの親戚で、結構仲良くて。だから、いなくなった理由が何かあるなら知りたくて」

「そう・・・そっちの彼女は何か関係あるの?」

「あ、彼女は別の件で一緒に来たのでともちゃんとは関係ないです」

「ともちゃん、ね・・・」

 つい、ともちゃんと言ってしまったので、繰り返されてなんとなく少し恥ずかしくなった。

 彼女は俺を見て少し考えていた。

 それから辺りを確認してから言った。

「車に乗って。ここじゃ目立つから」




 車を走らせながら彼女は話し始めた。

「宇佐美さんはこの工場の先輩だった。元々工場は女性社員がそんなに多い職場じゃないから、部署は違ったけど少ない女同士で仲良くしてたよ」

「そうだったんですか。あの、宇佐美さんは一年前ってどんな様子だったんですか?」

「うん、ちょうどいなくなる直前は変だったね」

「変?」

「うまくは言えないけど、何か悩んでるようなところがあったかな。後は、落ち込んでるかと思えば、急に明るくなったり。それと遅くまで残業してたね」

「遅くまで・・・仕事が忙しかったんですか?」

「私は宇佐美さんがその時どんな仕事してたか分からないけど、あの頃は日付変わるくらいまで残ってたらしいね」

「そんなに遅くまで?普段からそんなだったんですか?」

「いや、そんなに残ることはないよ。宇佐美さんは研究部門だったから、あんまり締め切りがある仕事じゃないと思し、普通はそこまで遅くなることはないかな。自主的に残業してたって可能性はあるかもしれないけど」

 自主的、と聞いて、ともちゃんの興奮した時の目の輝きを思い出した。

「あの・・・ともちゃんは仕事のこと、何か話してたりしませんでしたか?」

「そうねえ、研究開発に関することは社内でも割りと機密事項だからね。あんまり喋っちゃいけない規則だから、私に対してもそんなに話さなかったよ。ただ、この辺りの動植物は特殊だから、それ関係してる仕事とは言ってたかな・・・それと、関係あるかどうかはわからないけど、居なくなる直前、代峰の人、この辺りで一番偉い家の人なんだけど、そこの人と工場で会ってたのを見たことがあったよ。何をしてたのかはわからないけど」




「そう言えば、車に乗せちゃったけど、どこで下ろせばいいかな?」

 時計を見るともうそろそろ昼くらいだった。

「そうですね、どこでも良いんですけど・・・あ、どこか食べれる所ってありますか?」「この辺りでも何件かはお店はあるけど、そうね、蕎麦は好き?」

「はい。優もそれでいい?」

「うん」

 それから少しの間走ってから、村の中央くらいに戻ってから車は止まった。

「あそこにあるのが、この村では結構美味しい蕎麦屋さん」


 礼を言って車から降りて蕎麦屋に向かおうとした。

「ちょっと待って、お店でも宇佐美さんのこと聞くつもり?」

 そんなつもりは無かったが、言われて気になった。

「宇佐美さんは代峰に関わりのある男と付き合ってたの。はっきりとは分からないけど、何か・・・いなくなったことに関係しているみたい」

 またか。広瀬さんも昨日言っていたことだ。胸の奥がチクリとする。もうその話はあまり聞きたくなかった。

「そうですか・・・分かりました。気をつけます。ありがとうございます」

 苛立ちをごまかすように早く離れて蕎麦屋に行こうとした。

「あっ、この村だとあの家について話すのはあまり良くないみたい。だから、私もなんとなく、あなた達を車に乗せて話したの」

「そうだったんですか、でも、分かる気がします」

 昨日、何度か経験したのでそれは納得できる。

「あ、それとね・・・本当に噂程度なんだけど、あなたが宇佐美さんと親しかったみたいだから、言うけどね」

「まだ何かあるんですか?」

 早く離れようとしていたから、少し苛立った様子が伝わったかもしれない。

「宇佐美さん、まだこの村にいるかもしれないの」

 声が出なくなった。

 数秒してからやっと聞き返せた。

「・・・どういうことですか?」

「見たっていう人がいるの。でも、私が見たわけじゃないし、本当に噂」

「なんで、ともちゃんって分かるんですか?」

「宇佐美さんて、ほら、髪長く伸ばしてたでしょ?その人影、髪の長い女だったらしいの。それでちょうど失踪して少しした後にその噂が経ったから、宇佐美さんじゃないかって」

 なんとも言えない、妙な気持ち悪さが胸の中に渦巻いた。

 村の噂、巫女、代峰。

「じゃあ気をつけてね」

「あ、待ってください」

 最後に思い出したので聞いてみた。

「この辺って蜂って多いんですか?」

「蜂?さあ、普通じゃない?そう言えば、この辺りだと蜂を食べる習慣があるみたいね。私はそういうのは好きじゃないからあんまり知らないけど」

 ウインドウが閉められ、急ぐようにして車は走っていった。


 とりあえず蕎麦屋に入った。

 蕎麦屋は人の良さそうな老夫婦が経営している店で、手打ち蕎麦が売りのようだった。用心のため、代峰とともちゃんのことを聞くのはもちろん、話すこともやめておいた。

 まだ人は入っていないようで、それほど広くない店内の隅のテーブルに座り、俺と優はそばを注文した。出てきた蕎麦は香りが強く柔らかい。優は美味しいと言いながら食べていた。今日はまともな昼飯にありつけて優も満足だろう。

 店を出て振り返ると、窓際に主人がいるのが見えた。店では話しかけられなかったものの、薄気味悪い感じがした。

 胃の中に収まっている蕎麦が妙に気持ち悪く思えてきた。

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