1章 北天士
宿屋のくそ固いベッドのせいで少し寝違えたらしい。クシーはのっそりと身体を起こすと肩を回した。まったく、この街には傭兵が泊まれる宿屋が少な過ぎる。おかげでそれほど資金に困っていない自分たちがこんな安宿のボロ部屋に泊まらなければならない。
まぁ、多分同行者は何とも思っていまい。
そう思いつつ視線を下げる。同じベッドに金髪の若者が丸くなって寝ていた。これが同行者。この男は起こさないと起きないし、起こすのに多大な労力を用するので今は起こさない。起こす気にならない。
気分が良い時はその美しい寝顔を観賞したりつっついたりする事が無いでもないが、ぶっちゃけ戦場帰り二日目のくたびれてかつささくれた心には呑気に寝ている姿に怒りすら覚えるので、無造作に押しのけて自分はベッドから降りる。
窓から射し込む日差しはかなり高かった。今日の予定を考えるともう少し早く起きたかったのだが、疲れのあまり爆睡してしまったらしい。
Tシャツ一枚で寝ていたのでズボンだけ履いて、狭い部屋から扉を開けて廊下に出る。洗面所は廊下の突き当りで、そこには既に数人の男がいて、顔を洗ったりヒゲを剃ったりしていた。どれも傭兵らしい大男でむさくるしい。ついでに狭い。
女性としてはそうでも無いが、大男の中では頭一つ分は確実に背が低く、幅は確実に三分の一であるクシーは男共を押しのけて割り込むと蛇口をひねり、顔を洗う。次にうがい。
鏡に映る自分の姿を見て思わず唸る。栗色のショートヘアは渦を巻いて天を指しているし、肌はガサガサ、目の下には薄くはあるがクマ。大きな紺碧色の瞳には取り切れなかった疲れが色濃く浮き出している。これは酷い。これでも化粧をすれば十人中七人は振り返ると自負する美貌は見る影も無い。
まぁ、戦場から脱出して丸一日歩き続け、やっとたどり着いた街で宿を探してまた彷徨ったのだから、たかだか十時間の睡眠で疲れが取れなくても無理は無い。
「よう、その顔じゃぁ昨夜はお楽しみしすぎたんじゃねえのか?」
顔見知りの傭兵が軽口を叩くがじろっとにらむだけで返事はしない。寝癖直しに専念する。戦場を脱出してすぐに水浴びこそしたが、そろそろちゃんと髪を洗いたい。出来れば湯浴みもしたい。
返事をしないクシーの代わりに別の傭兵が言う。
「あんな化け物とそんな気分になれるもんかね。まぁ顔は良いんだろうが」
「何言ってんだ、俺なら戦場から引き上げてきた今ならどんな女も天使に見えるぜ」
「違いないが、どうなんだ?アレは。できるのか?」
下世話かつ失礼な問いではなくクシーはどうしても跳ね上がる髪の方にため息を吐きつつ、一応言った。彼の名誉のために。
「する時はするけどね。戦場から帰ってしばらくは血の匂いが抜けないからしたくない」
するとその傭兵はやや顔を引き攣らせた。
「そりゃ、あんな戦い方すればそうだろうなぁ」
別の男も大げさに身体を震わせて見せる。
「俺も敵の血で塗れた女はちょっと勘弁かもな。おっと、あんたの事じゃないぜ」
顔を寄せてくる髭面をクシーは右手で押しのけた。
「あなたに好かれたくなんかないからどうでも良いわ。あんまり私の連れを悪く言わないでね」
クシーは顔をぬぐうと手を振って、部屋に戻るべく洗面所を抜け出した。
「おいおい、告げ口なんてしないでくれよ」
冗談めいたセリフにしては声色に強い恐れが混じる。クシーは苦笑した。
「あんたが面と向かって暴言吐いたって彼は気にしないわよ」
部屋に戻ると彼は姿勢も変えずに寝ていた。静かな寝息。朝日に金髪が細やかに輝き、秀麗な眉目に陰影を作っている。
きれいかつ穏やかな光景だがクシーにはもう見慣れ過ぎてうんざりするような光景でもある。昨夜は遅くまで宿探しを強いられたせいで夕食はパンを一つ食べただけである。そろそろ空腹が耐えがたいし、今日は船に乗らなければならない。
そのためには彼をどうしても起こさなければならない。彼をおいて自分だけ先に食べるという選択肢は無かった。彼は放っておくといつまででも寝ているし、食事も食べさせないと平気で抜いてしまう。
つまり起こさなければならないのだが、これが大変な事なのだ。ゆすったりつねったりするくらいでは全く起きない。何しろ爆音かつとんでもない振動が持ち味の兵員輸送用のトラックの荷台でも熟睡出来る男なのだ。
クシーは意を決してベッドに歩み寄った。シーツの端を掴む。そして大きく息を吸った。
「おきろー!」
シーツを思い切り引っ張り、その上に載っているモノ、つまり彼をベッドの下に転がり落とす。
どかーんとかなりの音がした。階下から人が飛んできてもおかしくない。クシーは構わずシーツを下ろしてしばらく待った。
やがてベッドの向こうで金髪が起き上がった。不思議な事に寝癖もつかずサラサラなままの金髪に半ば隠されて緑玉色の瞳が薄っすら開いている。よし。成功。これでも起きないことがままある事を知っているクシーは小さくガッツポーズを作った。
「ガイア、おはよう」
彼、ガイア・ラリオスは特に何の感想も無さそうな無表情で二三回まばたきをしただけだった。
ガイアに身支度をさせると荷物を持ち、連れ立って宿を出た。今日はこれから次の戦場に行くために船に乗らなければならない。乗車券は既に買ってあるので時間が決まっている。そうでなければもう少しガイアを寝かせておいたも良かったのだが。
もっとも、ガイアは桁違いに寝付きが良いが、寝起きも悪くない。熟睡途中に目覚めさせられても特に眠そうには見えない。
滑らかかつ癖一つない金髪。柔らかでいて整った輪郭。まっすぐで高過ぎない鼻梁。肌の色は戦塵を潜り抜けてきたとは思えない程白い。
切れ長でやや釣り目気味の目には深い輝きのエメラルドのような瞳がある。女性で、十分に美人であると自負するクシーもため息を吐いてしまうような美貌。
もっとも、美人は三日で慣れるという格言通り、今更クシーはガイアの顔に見とれるような事は無い。中身を知れば猶更だ。とりあえず寝ていない事だけを確認すると(ガイアは立ったまま寝ていることが稀にある)彼女は彼の手を引いて町中を急いだ。
二人とも厚手の上着にこれもしっかりした造りのズボンという似たような格好である。上着の色がクシーは紺、ガイアはベージュという違いがあるだけ。二人とも巨大な背嚢を背負っている。そして、腰には剣を履く。
どう見ても傭兵という格好であり、朝の忙しい街中では異彩を放っている。もっとも、小さいとはいえ港があるこの街では傭兵は珍しい存在ではないらしく、注目を集めるほどではない。
船の時間まではまだ二時間ほどあるのにクシーが急いでいるのは船に乗る前に食事をしたいからだ。それと、船に乗っている間の食料も買わなければならない。その辺の食堂や量販店で買えれば良いのだが、こんな傭兵丸出しの格好では普通の店には入れないのである。
傭兵稼業など遊び人よりヤクザな商売である、というのが世間の認識だ。クシーたちが昨晩、宿を取るのに苦労した理由がこれで、一般人が利用する宿屋食堂などでは傭兵と知れれば追い出されても文句は言えない。クシーは体格も容姿もそれほど傭兵然とはしていないので、きちんとした格好をして化粧でもしていれば一般人の振りも出来るのだが、さすがに剣を履いていては傭兵にしか見えない。
結果、傭兵は傭兵専門の店を利用しなければならないことになる。その店は繁華街の奥深く、細い路地を行った先にあった。看板も出ていない木戸を押し開く。
中は意外に広い。テーブル席が7つ。カウンター席が5つ。漆喰で塗られた壁に先客の影が揺れている。味もそっけもない木で作られたテーブル席に付くと。近付いてきた給仕の少年に「定食を二つ、あとジョッキでビール」と注文を出す。
ガイアは当然のように無言。椅子に腰掛け、少し目を細めている。「寝ないでね」とクシーが言うと、少し首を傾げた。
「さっさと食べて、港に行かないと。あなた、寝ると起きないじゃない」
ガイアは無表情のまま、頷いた。もっとも、彼は感情も表情も薄いが全く無い訳では無いという事をクシーはこの一か月の二人旅で既に知っている。この反応はたぶん少し不満なのだろう。
「どうせ船に乗れば二週間はやる事無いんだから、存分に寝てればいいでしょ。起こさないから」
クシーの言葉にガイアは今度はほんの微かに満足そうな表情を浮かべた。そんなに寝るのが好きか、とクシーは心の中で毒づく。
やがて届いたパンとサラダと山もりの肉炒めというカロリー補給実用一点張りという定食が届き、クシーはビールに手を伸ばしながら給仕の少年に今度は船の中用の携帯食を頼む。船の中でも食事は出来るがかなり高価なため、基本的には焼き締めたパンと缶詰、水でしのぐ事になる。
冷たいビールに喉を震わせながら脂身多めの肉炒めとパンを交互にガツガツと食す。とても年頃の女性の食事では無い光景だが、戦場で一週間も戦闘糧食で耐え忍んだ挙句、これからまた二週間も携帯食での生活を強いられることを思えばこの程度の食事でも宝石並みの価値を持つ。ガイアとクシーはそれでも傭兵としてはそこそこ金回りが良い方だからその程度の我慢で済んでいるが、駆け出しの傭兵などは敗戦に巻き込まれた後などは町で残飯を漁る羽目になる事すらある。
クシーは立て続けにビールを三杯もお替りし、パンの追加も注文したが、ガイアはゆっくりと食べている。飲んでいるのはただの水だ。彼はあまりアルコールは嗜まない。昨日ほとんど飲まず食わずだったとは思えない程普通に食べている。その姿からは戦場であれほどの戦いをこなし、歴戦の傭兵を畏怖させたあの剣士の姿はなかなか想像できない。
変な奴だ。クシーは思う。
一か月前。戦場で死に掛けていたクシーをガイアは助けた。ようだ。
というのは、クシーが意識を取り戻したのはガイアと会った数日後の野戦病院での事で、ガイアは既におらず、彼女が病院に担ぎ込まれた経緯も分からなくなっていたからである。しかしながらクシーが意識を失った瞬間、彼がすぐそこにいた事は間違い無いし、おそらくは倒れる彼女をガイアが抱き留めてくれなければ、クシーはそのまま死んでいただろう。
クシーは二ヶ月に及ぶ療養の末、ようやく退院するとあの金髪の若者を探し求めた。もっとも、聞き込みを始めるとすぐに正体は判明したが。彼は有名人だったのだ。
ガイア・ラリオスというその若者を探しながら、クシーは自分がなんで彼を探しているのか考えたものだった。礼を言うため?それとも、文句を言うため?あるいは?
しかし、ようやくある街で巡り合った時クシーは何もかもどうでも良くなった。何しろガイアはその街の路地裏で、浮浪者宜しく毛布にくるまって寝ていたのだ。ボロボロの毛布にくるまって眠る金髪の美青年という何を狙っているのか分からないシュールな光景にクシーは呆然と立ち尽くし、絶句した。
後から聞いた話では、ガイアは戦場で傭兵指揮下にある時以外はほとんど浮浪者同然というかそのものの生活を送っていたらしい。傭兵として雇われていれば宿や食事の提供はあるのだが、契約が終われば自力で生活しなければならないのが傭兵だ。しかし、生活力皆無であるガイアは戦場から放り出されると宿を取る事も出来ずに野宿生活を送っていたというわけだ。宿もとれないのだから食事なぞ当然出来ず、次の戦場に向かうまではほぼ飲まず食わず(たまに見かねて恵んでもらえるものを食べてはいたらしい)だったのだそうだ。
ちなみに高名な剣士であり傭兵であるガイアの元にはエージェントが契約の話をひっきりなしに持ってくるので、実際には浮浪者生活は長くても一週間くらいで済んだらしいが。それにしたってあんまりと言えばあんまりな惨状である。
クシーは恩人の悲惨な姿にほとんど逆上し、引っ立てて宿に放り込み風呂にも入れて服を繕い、飯を食わせた・・・。
そしてそれから一か月。クシーはガイアの御守を続けてきたわけである。初めはこんな無能な男が良くもあの過酷な戦場で生き残り、クシーを助ける(動けない人間を背負いなどすれば行動は阻害されるし、戦闘など無論不可能だ)などという真似が出来たものだと呆れたものだ。だがこれまでに二度、戦場を共にした今ではその辺は疑問に思っていない。
そうなると、この何事にも無感動、無表情な男が自分を助けたという事に興味がわく。何度か直接訪ねたのだが、微かに困ったような顔をするだけで返事は無かった。おそらく、ほんの気まぐれだったのだろうとクシーは思う。
自分がガイアの面倒を見ているのも気まぐれだ。傭兵たるもの自分が最優先であり、いつ死ぬか、そこまで行かなくても戦闘能力を失って路頭に迷うか分からないのに他人の面倒など本来は見ている場合ではない。自分がガイアの面倒に飽きて離れればガイアはまたあの浮浪者生活に戻り、戦場で敵としてまみえる事もあるだろう。それだけの事。今はまだ、ガイアに借りた借りがまだ返し切れていない気がするし、まだガイアに興味がある。だから一緒にいる。
食事を終えて荷物を持ち、店から出ると二人は港へと向かった。
が、すぐにそれは中断されてしまった。路地の途中で数人の男に道を阻まれたからだ。どう見ても傭兵。しかも完全武装。手には町中であるのに抜き身で剣を持っている。クシーは眉をしかめ、一歩前に出た。
「何?私たち急ぐんだけど」
正面に立つ長身の、傭兵にしてはやや痩せた男が慇懃に頭を下げながら言った。
「それは失礼したが、急ぐ必要はありませんよ。あなた達はもう死ぬのですから」
いきなりの宣言にクシーの眉の角度が上がる。その雰囲気、殺気から彼らの目的は察してはいたが、どうもかなりの自信があるようだ。備えもあるのだろう。
クシーは素早く周囲を観察する。人二人が並べば一杯の路地で、前に5人後ろに2人。・・・ガイアと自分なら切り抜けられない事も無いが・・・。
「おやめなさい。これだけの人数であの北天士を狙う筈が無いでしょう」
つまりまだまだ人数がいるという事だ。もっともそれならばセオリーとしては細い路地で戦った方が有利ではあるのだが・・・。クシーはある懸念によりそれを断念した。
「目的は?」
「もちろん、北天士の首ですよ。天下一の剣士であり、莫大な賞金を懸けられてもいる。そこの、ガイア・ラリオス殿の首」
ガイアは指差されても表情一つ変えなかった。少し目を細めて―眠そうにも見える―している。だが、クシーには見えた。ガイアの緑玉色の瞳の端に紅の光がじわじわと混じり始めるのが。まずい。
「まさか、こんなところで戦う気じゃないんでしょう?早く案内しなさいよ」
クシーの言葉に男はやや鼻白んだようだった。
「おや、恋人を差し出すおつもりですか?そうすればあなたは生きて帰れるとでも?」
ガイアは自分の恋人ではないし、自分が心配しているのはそんな事ではない、とクシーは心の中で思ったが何も言わなかった。
男たちに囲まれて路地を歩く事数分。とあるビルの中に入った一行は階段を数回分登って小さなビルの屋上へと出た。
当然予想された事ではあったが、そこにも10人以上のどう見ても傭兵という連中が既に剣を手に待ち構えていた。ガイアの姿を見て歓声を上げる。
二人は促されて屋上の中央に進んだ。すると屋上への入り口からわらわらと20人以上の男たちがなだれ込み、二人を囲んだ。合計で30名以上。良く集まったものだ。ガイアの賞金て今幾らだったっけ?クシーが思い出そうとしていると、さっきの痩せた男が言った。
「さて、ガイア・ラリオス殿。あなたはこれからこのイマール・エイリツと一騎打ちをした、という事にさせていただきます」
変な言い回しだ。したという事にさせていただく?
「もちろん、あなたと一騎打ちなどして勝てるとは思えません。この人数で嬲り殺しにさせて頂きますよ。しかし、北天士は一人だけ。まぁ、他の皆は賞金を山分けという事で話はついております」
はぁ、なるほど。クシーは心の中で感心した。
天下一の剣士である事を示す、東西南北の方位を冠する天士の称号。ガイアはその一つ北天士の称号を有する。
通常、天士の称号は剣士同士の一騎打ちによって勝者に受け継がれる。その名誉は莫大であり、ガイア以外の天士は皆、大国に騎士団顧問などとして招かれて高い地位も得ている。
つまり、このイマール・エイリツという男は天士の称号を得たいのだ。しかしながら単独で戦うには不安があるので、人数を集め、その報酬および口止め料としてガイアに懸けられた懸賞金を分配する気なのだ。確かにその金額も莫大なものであり、この人数に一人頭で割っても傭兵が数年戦っても得られないような金になる事は間違いない。
見事な計算で、クシーは感心したのだが、もちろんそれにはとんでもない計算違いがある事にも気が付いている。
ガイアを相手に、人数を集めれば勝てると思うこと自体がとんでもない計算違いなのだ。
「さて、そろそろよろしいか?クシー・ルシメオス殿は、まぁ、巻き込まれたと思ってあきらめて頂こう。あなたのような手練れを見逃すのは危険すぎるんでね」
なんとまぁ、私の名前まで調べ済みとは。ずいぶん入念に準備をしたようだ。
エイリツが剣を掲げるとざわっと周辺に殺気が満ちる。クシーはこっそりため息を吐くと、自分も剣を抜いた。彼女の剣は細身で、こんな集団戦向きで無いのだがそれはあまり問題ではない。彼女はそそそっとガイアの背中に回り込むと、彼の背中にささやいた。
「一応、あたしを巻き込まないように気を付けてね」
返事は無かった。しかしその瞬間、一斉に周囲で地面を蹴る音がした。喚声が上がる。30人以上の傭兵たちが一斉に飛び掛かってきたのだった。
クシーは手に持った荷物を地面に投げ捨て、自分も地面を蹴った。
正面にいた傭兵が虚を突かれたような表情を浮かべた。まさかクシーが向かってくるとは思わなかったのだろう。クシーはその一瞬の隙を突いて加速した。腰に引き付けた細剣から強烈な突きが放たれる。
首筋を突かれた傭兵がのけぞる。クシーはそのままその男、既に死体、に肩から体当たりした。強烈な衝撃に跳ね返りそうになるのを強引にぶちかまし、死体を跳ねのける。その後ろには誰もいない。クシーはそのまま転倒しながら、受け身を取りつつガイアから離れた。
巻き込まれないように。
クシーの意外な行動に襲撃者たちは驚いただろう。が、元々クシーはおまけだ。クシーを追う者はおらず、そのままガイアに向けて一斉に襲い掛かる。本来であれば同士討ちを避けるためにこのような集団での襲撃には完全に囲まないとかある程度お互いの間隔をあけるとか攻撃に時間差を付けるとかのセオリーがある。しかしこの時欲望に目が眩んだ襲撃者たちは互いに振る剣が邪魔になるほどの密度でガイアに斬り掛かった。
そこにガイアは無造作に剣を振った。
右手で剣を鞘から払い、そのまま右足を踏み込んで横なぎに。どう見ても何の工夫も無い斬撃であり、完全武装。金属繊維と金属板で補強された戦闘服に身を固めた襲撃者に効果的な攻撃とは思われなかった。
ところが、ガイアの斬撃はその結果が普通では無かった。
ガイアの剣は襲い掛かってきた正面の3人の胴を横に通過した。同時にそれによってバラバラにされた3人分の人体パーツと大量の血液が爆発的に舞い散る。一瞬遅れてボキボキびちゃびちゃという嫌な音が響く。
その場にいる、殺気に満ちた襲撃者ですら一瞬動きが止まってしまう。あまりにも非論理的な光景を見て思考が停止したのだ。その中で剣を単に振り切っただけのガイアは剣を右から左に振り戻した。
それだけで今度は縦に並んだ二人の人体が袈裟掛けに両断され吹き飛ぶ。
「な・・・!」
その無造作な二振りで二歩分前進していたガイアはそこで振り向くと、両手で持った剣を振り上げ、振り下ろした。
片手であの威力である。両手で振られた剣は人を斬らなかった。直撃された男は瞬時に粉砕され、べしゃっと原形も残さず肉と血の塊になって地面に貼りついた。その衝撃波だけで周囲の傭兵が吹き飛ばされる。そこへガイアが踏み込み、目にも止まらぬ三連撃。バラバラになった手足や頭と言った元人間がその度に吹き飛び、血が煙となって舞い上がる。ガイアは普段着のベージュの上着もズボンも、背負った荷物も返り血で深紅に染まってしまっている。
あれじゃぁ船には乗れないな。風呂に入って着替えをしないと。あ、あのガイアの持っている荷物には食べ物が入っているのに!建物の隅に転がり出てガイアの戦いの圏内から逃れたクシーはそんな事を考えていた。ガイアを心配などしない。あれを心配するなど僭越という物だ。
ガイアの戦いぶりは人間とは思われない。というか、その筋力とスピード、それを支える肉体強度ははっきり言えば人間の限界を超えている。
人間の筋力というのはそもそも本来は筋繊維の太さに依存する筈である。故に筋力のある人間は筋肉が太くなる。つまり筋肉モリモリ体形になる筈なのだ。傭兵に大男でマッチョが多いのはこの理由による。
しかしガイアは一見してそうでは無い事が分かる。長身だが細身で、きちんとした格好をしていれば傭兵には見えないくらいだ。それであの筋力である。というか、どんな筋力自慢だろうが人間を蠅のように叩き潰すような真似が出来る筈が無い。つまり、ガイアのパワーは人間の常識を超えているのだ。
ちなみに、そのガイアの無茶苦茶な戦いに耐えられるようにガイアの剣は柄から刃までが一体成型で、芯材に重金属を用いた特別性である。あんな使い方をしてもなんとか保つ丈夫さを持つが、その分クシーには持ち上げられないくらい重いし、切れ味も悪い。
結論としては、あれは人間じゃない何かである、とクシーは結論している。ならば何者なのか。それの疑問もクシーがガイアから離れない理由でもある。
ガイアが剣を振るうたびに生きている人間がバラバラにされ、吹き飛び、叩き潰される。その阿鼻叫喚の様を見ながら、それでもクシーはガイアの戦いぶりは美しいと思う。まるで剣舞のように滑らかな動きと華麗な剣の軌跡。それは白昼夢のように、どこか現実感が無い。
それもほんの数分だっただろう。ガイアの動きが止まった時、立っている人間はガイアとクシーと、もう一人しかいなくなっていた。後はみなその辺で血と肉の破片になってしまったのだ。
イマール・エイリツは先ほどまでの余裕はどこへやらという呆然自失の表情で何やら口をパクパクさせていた。顔には飛び散った血が僅かに付いている。
ガイアは真っ直ぐにエイリツを見つめている。その緑玉色の瞳はには不思議な赤い輝きが混じる。返り血や脳漿や内臓を全身に浴びた凄惨な姿。剣を軽く振ると、エイリツに向かって血の海の中を一歩踏み出した。
「ひ・・・!」
まさに死神に見えたのであろう。反射的にエイリツは剣を上げたが、剣先は無様に震えている。ガイアが踏みだす度に後ずさるその姿からは北天士の位を狙う気概は既に感じられない。
遂に後ろに柵を背負うところまで追い込まれたエイリツは何かを求めるように左右を見、クシーを見止めた瞬間凶暴なまでに顔を歪ませた。クシーの方へ駆け寄ろうとする。おそらくは彼女を人質に取ろうとか、そのたぐいの事をしようとしたのだと思われる。
が、ガイアはそんなエイリツの隙を見逃しはしなかった。
赤い閃光のように飛び掛かったガイアの剣がエイリツの頭に向けて軌跡を描き、叩き潰した。それはクシーの5mほど手前であった。地面でバウンドした元エイリツだった死体はクシーの足元まで転がり、そこで盛大に血しぶきを噴出させた。
よける暇もなくそれを全身で浴びてしまったクシーは頭から足元までを真っ赤に染められながら思わず天を仰いだ。これではこのまま船に乗るわけにはいかない。どこか風呂付の宿を確保して身支度しないといけない。乗船券は無駄になるし、とんでもない無駄な出費である。仕方が無い。後でその辺の死体から迷惑料を回収しよう。
クシーはガイアを振り仰いだ。ガイアは既に剣を鞘に納め、いつもと変わらぬ無表情でクシーの傍にいた。何というか、地獄から這い上がってきたかのような凄まじい姿であるのにいつも通りの眠そうでそして美しい姿だった。
クシーは思わず苦笑して、ガイアの頬に手を伸ばし、そこの血を少しぬぐった。
「とりあえず、お風呂入りに行こう。ガイア」
聖戦帝国物語 宮前葵 @AOIKEN
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。聖戦帝国物語の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます