聖戦帝国物語

宮前葵

序章 戦場の出会い


 青い空。

 クシー・ルシメオスは呆然と、見上げた。地面に大の字になりながら。

 呆れたことに、美しいと思った。爆煙と、粉塵との隙間から見上げた空は妙にくっきりとして、どこまでも深く、輝いていた。

 これが、私が一生の最後に見る色なのだろうか。クシーは思った。それがこんなに美しい色であるなら、それも悪くない。彼女は我知らず微笑んだ。

 彼女は単に寝転がっている訳では無かった。

 先ほど、間近に落ちた砲弾に吹っ飛ばされて、ゴロゴロ転がった挙句に着弾痕に落ちてその底に倒れているのである。そうしている間にもそこら中に砲弾が落下し、爆発し、穴の底に横たわるクシーに土砂を降らせた。下半身は半ば土砂に埋まりつつある。

 失敗したなぁ。戦艦が頭上を占位しつつあるのに気が付かなかったなんて。空中で戦艦同士が戦いつつ地上でも陸上戦闘が行われる複合戦闘時には、敵艦が頭上に来ないように気を配るのは常識である。それを怠ったのだから自分のミスだ。まぁ、味方が総崩れになり敗走する中でそこまでの気配りが出来なかったとしても仕方が無いと言えば仕方が無い。

 身体は動かなかった。痛みを感じないのは麻痺しているからか、あるいは首の骨でも折って感じられなくなっているのか。無傷というわけはあるまい。と、他人事のように考える。

 このまま寝ていれば運が良ければ砲弾が飛び込んできて粉微塵。運が悪くても土砂が埋めてくれて窒息するだろう。そうでなくとも放っておけばあと少しで死ぬだろうし。まぁ敗残兵狩りに見つかって凄惨な目に合わされる心配は無さそうだった。若い女性であるクシーにとってそれはなかなか重大な懸念材料であったからほっと一安心だ。

 やすらかな、気分だった。傭兵になって4年。遂に悪運が尽きたというのに、特に恐怖も感慨も沸いてこなかった。傭兵稼業では死は身近なものだった。昨日まで酒を酌み交わした仲間が今日には死体になる。あるいは以前に共に死線を越えた兵士を敵としてまみえて斬り殺す。血まみれの地面に倒れ伏し、自分に襲い掛かってくる刃を間一髪で交わした経験もある。死はいつだって枕元に蹲っていた。それが遂に自分に覆い被さり地の底に連れて行こうとしている。それだけの事だった。

 目がかすみ、青空の色が薄くなった。これが暗くなり、闇になった時、自分は死ぬのだろう。クシーはそう思い、その時を早めるべく瞼を閉じようとした。

 閉じようとした。その時に、空の色が再び変わった。

 日が差したのかと思った。

 まぶしいと思った。何かが輝くような何かが視界に入っていた。ほとんど失っていた視界にそれは無視出来ない存在感を示し、青空さえを意識の外に追いやった。何が起きたのか、良く分からないままクシーはそれに、その光に必死に集中しようとした。

 最初は光にしか感じられなかったそれが、次第に輪郭を現した。

 それが人型になり、光の正体が風に吹き煽られる金髪であることが分かると、クシーの意識は次第に覚醒した。兵士の本能が勝手に身体を緊張させる。同時に、麻痺していた身体の感覚がよみがえり、それは激痛として意識される。クシーは呻きながらもその人物を見つめた。

 自ら発光するかのような金髪が兎に角印象的であった。更に白を基調にした戦闘服を纏っているために余計に光が反射しているようだ。戦場でこんな目立つ服を着るなんて、クシーはこんな状態であるのに少し呆れた。

 雰囲気的には男性。しかし顔立ちを見たクシーは少し自信が無くなった。

 整った、流麗な顔立ちだった。美しいと評してもいい。高い鼻梁、滑らかな頬、そして切れ長の瞳・・・。

 視線が交錯した瞬間、クシーは全身の毛が逆立つような気分がした。息が詰まり、恐怖で、止まり掛かっていた筈の心臓が跳ね上がった。冷汗が噴き出す。

 深い緑色。あるいは血の色のようにも見える、不思議な色合いの瞳。それが表情を浮かべずにクシーを見下ろしていた。

 あれは死だ。

 クシーは直感した。あれが、あの美しい死神こそが私の死だ。だからこそこんなに恐ろしいのだ。全身を覆う激痛よりも死を意識させるその若者に、クシーは心底恐怖した。ねばつく汗を浮かべながらも動くことは出来ないクシーを、死神は無表情に見下ろしていた。そして、ぽつりと言った。美しく、意外と優しい声だった。

「君は敵か?」

 敵?意味が分からなった。死が、そんな事を聞くのか?

 クシーは戸惑い、しかしながら一瞬で理解していた。自分が、敵であると答えたならそれは確実に自分に止めを刺すだろうという事が。抜き身の剣が右手で光っている。

 いや、剣のよりも金髪の輝き、そしてその瞳の深淵の方がよほど恐ろしい。そして、その表情。無。吸い込まれるように、あるいは鏡のように深い。

 彼は、長くは待たないだろう。そして、彼が剣を振り下ろすにしろ、そのまま立ち去るにしろ、自分はここで死ぬ。

 それに思い至った瞬間、クシーの心の中に強烈に湧き上がるものがあった。

 生きたい!死にたくない!

 途端に全身に激痛が走り、目がかすむ。しかし、それこそがまだ生きている証拠である。そして、もう彼は死神には見えなかった。

「た、たす・・・けて」

 クシーの口から弱弱しい声が漏れた。死神改め救いの天使に向かって。必死に声を届けようとする。

 しかし、輝くように美しい若者は、透明なまでな無表情を変えない。じっと、緑と紅が混じったような不思議な色合いの瞳でクシーを見下ろしている。その姿はあるいは裁定者の姿だったのかも知れない。

 クシーを裁く。何を裁くというのか。

 そして、クシーは唐突に理解した。

 彼は、クシーが生き残るに足るかどうかを見ている。生きる者であるかどうか、生きる意志がある者かどうかを見ているのだ。

 彼が「敵か」と聞いたのはそういう意味だ。戦場において、戦士の敵は死である。死に囚われた者、生を諦めた者は周りを巻き込んで奈落に落ちる。

 生きる者、生きて戦い続ける者。死に抗い続ける者。彼はクシーがそういう存在であるかどうか裁定するためにここにいる。

 生きる意志を見せなければならない。

 クシーは両肘を地面について身体を起こした。激痛が脳髄を直撃し、無意識に絶叫が迸る。意識が遠のくが懸命に耐える。霞み滲む瞳に白い若者の姿が揺れる。

 おそらく全身の数か所の骨折。数倍の打撲。右腕に負った裂傷からは未だに出血。歯を食いしばり、動かない脚を無理やりに引き摺って、クシーは幽鬼のごとく立ち上がった。虚ろな目がそれでもしっかりと若者を睨みつける。

「わたしは、・・・まだ、戦える・・・」

 睨む向こうの若者は、相変わらずの無表情で何の感想も無さそうにクシーをただ見ていた。しかし、ぽつりと返ってきた言葉は意外に優しい声色だった。

「そうか」

 その言葉を聞いた瞬間、クシーに限界が訪れた。

 視界が暗転し、膝が砕け、地面に叩きつけられる・・・。

 しかし、意識を失う直前に、クシーは何故かもう自分は大丈夫であると、確信していた。

 降臨歴4754年。

 これがクシー・ルシメオスと白い若者、ガイア・ラリオスの出会いであった。



 

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