第五章 バンドしようよ! 7
私達の出番が終わり、みー君がすぐにいなくなる。
どうせいつもの気まぐれだろうとその場では誰も気にしないのだが、いつまでたっても帰ってこないのでさすがにちょっと心配になって別れて探しに行くことに決める。
どうせ、出店でチョコバナナを食べていたりジュースを飲んだりしているのだろうと思ったのだけれど、どこにもいない。五味くんも知らない。スマホを鳴らしても出ないので、くたくたに疲れた足を引き摺り学校中を探し回る。そして、もういい加減探すのをやめてやろうかなどと思い始めた矢先、私はみー君のことを発見する。
私が屋上にいるみー君を見つけたのは本当にたまたまだ。三階を歩いていたら、ひどく冷たい風だとか空気だとかが私の肌を擦りつけた。おかしい。窓も空いていないのに、この風はどこから入ってきているのだろうと思っていたら、屋上の入り口が開いていた。聞いた話では、何年か前受験に失敗をしたノイローゼの先輩がここの屋上から飛び降り自殺をして以来、立ち入り禁止になっていたのだ。
開いている理由は一つしかない。半分くらい開いた扉を覗いてみると、冬空の下座り込んだ赤Tシャツのみー君がタンバリンを叩いて遊んでいた。すでに制服に着替えた私。私はみー君の背中に声をかける。
「みー君、みー君何してるの」
十二月の風が、汗の乾いた肌に沁みる。ぶるりと体を震わせ、問いかけた。
「急にどっか行っちゃうから心配したよ。皆で探してたんだよ」
みー君は顔も上げないし声も出さない。私は少し腹が立ちいらいらとして、思わず大きな声を上げる。
「ねえ、みー君! 話聞いてるの!?」
そこまでいって、ようやくのことみー君が反応を示す。肩越しにこちらを振り向く。
「さっきさぁ、家から電話があって」
「家?」
「うん、そう。あのねー」
そこで一度脱力をするようにして手を止めて、タンバリンを下に置いた。
「モーがさ、死んじゃった」
そこで一瞬の空白。
私は意味がよくわからずに、思わず聞き返す。
「は?」
「だからぁー。死んじゃったんだって。ほんと、すぐさっき」
「しょうがないなぁ」なんて少しだけ困ったように笑う、みー君。
私はようやく事を理解して、「モー」のことを思い出す。モー。十年前にみー君が拾ってきた愛犬。飼い主とは全然違う、大人しくて賢くて理知的な白と黒の牛模様の犬。
なんて言ったらいいのかわからずに、けれど一歩近寄るとみー君はひらひらと両手を揺らして
「あ、でも、事故とかじゃなくて、老衰で。もうずっと元気なくて、ほとんど寝てるばっかりだったから。もう、駄目なのかなー、とか正直ちょっと思ってたんだけど」
ふぅー、と眺めに息をついて、背中を丸めたまま首だけを反らす。
「動物がさぁ、おれたちより先に死んじゃうことは知ってたんだ。もう、十年くらい飼ってるから、いつ死んじゃってもおかしくないよなぁ、とか、あって。でも、なんか、なんかさぁー。実感なくてさぁー」
肺の底から深く深く息を吐き、体を丸める。
「今までさぁ、もう、小学校の頃からずっとずっと一緒にいたわけじゃん?いたわけなのね? 昨日もその前も、その前もずっとずっと。家に帰れば迎えてくれるし、朝昼の散歩も、ご飯やるのもおれの役だったんだけどなんか――なんかさぁ。そういうの、もうやらなくていいんだなー。とか思うと、すごく変な感じでさぁ」
みー君の口からぽつり、ぽつりと話される言葉は、まるで本の中にある物語を伝えるかのようで、先ほどの舞台演奏よりも映画の中よりもっともっと現実感がなく夢見心地のようだった。今さっき寝ていて、こういう夢をみたよー。夢の中でこんなことをしたんだよー。というような言葉だった。
みー君は、ずっと入口辺りに佇んでいる私のことに気がつき、手招きをした。
「そんな所に立ってないで座りなよ」
こっちこっちというように、自分の隣を叩くみー君。
これでいいのかなどと思いながら、促されるがままに着席する。
「それでさー。家に帰ると、もう、犬小屋もからっぽで、餌やりも散歩もしなくていいとかさぁ。形あるものはいつか壊れるじゃないけど、ああ、なんか、動物ってやっぱ、いつかそのうち死ぬものなんだなぁとか、ずっとそのままじゃないんだなぁとか思うと、思ったら急に、ほんと急に――なんかこう――」
そう淡々と話すみー君の声には、もう、つい先ほどまでの強烈で圧倒的な存在感などどこにもなかった。山林に流れる澄み切った水のようで、今こうして見上げている十二月の晴れた冬の空のような、掴みどころのないふわふわとしたものだった。
「悲しいと、涙が出るじゃん。でもおれ、涙出てないの。おれってやっぱり、ちょっと薄情なやつなのかなぁ」
そんなことない。それに、大げさに泣き喚いたみー君なんて見たくない。
なんて私が言うと、みー君が少しおどけた調子で「ひっどーい。泣いたおれとか、もしかしてちょっとかわいいかもよー?」なんて言うから、私は頭を小突いてやる。するとみー君が大げさな表情を作って、
「ひっどーい。おれ、これでもちょっと落ち込んでるんだよー?慰めてよー」
なんて言うから、私は少し鬱陶しくなる。
「慰めるってどうすればいいのよ」
「ひざまくら」
「……はぁ?」
「傷ついたから、膝枕して慰めて」
真顔でいうみー君に、今度こそすっとんきょんな声を上げる私。
「嫌だ! だってそれ、セクハラじゃない!」
全力でそれを断ると、みー君がまた唇を尖らせてぶーたれた表情を作り上げた。いくら私とて、そんなどこぞの中年のおっさんのような要求を飲むわけにはいかないのだ。
けれど代わりに、隣に寄り添ってぎゅぎゅと体重をかけてやる。すると、みー君が珍しく驚いた顔をしたので、ついでに腕も組んでやる。
「え? なに? どうしたの?」
「癒してあげてるの」
そう言うと、みー君がまた少し驚いて、笑った。「すげー、あいちゃんがおれに優しー」とか言うから、「それじゃあ、私がいつも優しくないみたいじゃない」と抗議をすると、「そんなことないよー」とか棒読みするから私はまた少し腹を立てる。でも、みー君が少しだけ寂しそうな顔をしていたからやめた。
私は、オレンジと緑のタンバリンを手に取って言う。
「みー君、なにか歌ってよ」
「えー?」
「レクイエムだよ。レクイエムってわかる? 鎮魂歌」
真剣な口調で言うと「それくらいわかるよー」とそう言われた。私は、意味もなくタンバリンをがちゃがちゃ叩く。
「そうだねー。じゃあー、しゃぼん玉とかでいいのかなー」
なんて言うみー君の声がいつもと同じで明るいから、私は知らない。
家に帰ったみー君が家族中に心配されるほど号泣をして、お風呂に入っているときも寝ているときもずっと泣いていて、声を枯らして目を真っ赤にしてしまうことを。どうして最後の一瞬に十年共にした愛犬の傍についていてやれなかったのかということをいかに悔やみ、悲しんだのかということを。そして、この先の自分の進路だとか将来だとかについて新たに希望を固めたということもまだ知らない。
もしかして、この先永遠に知らぬままになるかもしれないことなのかもしれないけれど、それはそれでいいのかもしれない。
そもそもみー君という人間は、普段の所業が災いし実はあまり知られていないし本当は誰も知らないのかもしれないけれど、必要以上に自分のことを他人に話さない人間なのだ。今回のことは恐らくみー君の家族以外、家族さえも、下手をしたらみー君さえも知らないし、もしかしたらあっという間に忘れてしまうことなのかもしれない。
しかしそれはそれでいいのだ。自分の行いだとか志だとかそういうものは、本来人に見られてどうこうするようなものではないのだから。大体、人生というものは知っていることよりも知らない方が圧倒的に多いのだ。
そのうち、ずっとみー君を探していた綾香と神ちゃんがやってきて私達を見つけるのだが、気を利かして声をかけようとはしない。けれどずっと内側から私達のことを見ているものだから、みー君が先に気が付いて声をかける。
もう十二月も半分くらい過ぎかけているから、きっとすぐに冬休みになる。冬休みは短いから、それもきっとあっという間もなく過ぎてしまうのかもしれないけれど、そこもみー君クオリティ。きっとまたあれをしたいここに行きたいと面倒な要求を押し付けてくるのだろう。私はその時のために、ある程度対策を練っておかねばならない。とはいっても、愛嬌のあるキャラクターのような顔を持つこの男は、私の予想が付かないような斜め四十五度の角度から鋭く切り込みを入れるようにしてやってくるのだろうけれど。
だから私は、ある程度何が来ても大丈夫なように覚悟をしておかねばならない。そして、十年前の初恋を実らせなければならないのだ。
fin.
アウトローに捧ぐ シメサバ @sabamiso616
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