第五章 バンドしようよ! 6

 私の人生において、スポットライトを浴びることなんて数えるほどしかないだろうしもしかして数えるほどもないのかもしれない。これが一生に一度の経験になるのかもしれないし、何十年後か私がすべて忘れたころにふらっとその時がやってきてしまうのかもしれない。

 今、こうして三百人くらいの高校生の視線を浴びながら壇上に立っていることも、みー君と神ちゃんと綾香と共にスポットライトを浴びていることも、がちがちに固まってピンクのギターを抱えていることすら全然現実味がなくて、巨大なスクリーンから映画がそのまま飛び出てきたような、逆に自分が映画の世界に飲み込まれてしまったような妙な感覚があった。わーわーという声援もきらきらと光るたくさんの目玉も、紙切れ一枚を隔てた異世界のような気がしていた。あまりにも煌びやかなその世界に足がすくんでそのまま逃げ帰ってしまいそうな私の存在をとどめたのは、緑とオレンジの配色眩しいタンバリンと肩から下げてマイクを陣取った渋谷道彦。

 みー君は、まるでコンサート会場のアイドルみたいに手を振りかざした。

「みんなー! のってるかー!」

『おーっ!』

「ニューヨークに行きたいか―!」

『おーっ!』

「おれにー、ついてこいー!」

『おーっ!』

 体育館全体が妙な盛り上がりを見せていて、みー君の意味不明な掛け声に疑問の一つもなしにくっついてくる。ニューヨークとか、そんなの全然関係ないし。

 タンバリンとマイクを抱えたみー君が神ちゃんと目を合わせる。

 神ちゃんのドラムスティックが唸る。 



 みー君は我儘で自分勝手で面倒なことばかり運んでくる疫病神のような奴だけれど、彼には間違いなく人を惹きつけるための才能だとか人を愛し愛されるための何かを先天的に持ち生まれ持ってきたような人間だった。

 ジュースを持てばそれを零し買い物に行けば迷子になるような欠点の多い人間だけれど、その分秀でた才能も多いし数多い欠点さえも愛嬌に代え節分の豆のようにあちらこちらにばら撒いていた。

 みー君の声は同世代の男の子に比べて高くて大きくて、ただ話しているだけのときは煩わしいうるさい以外の何者でもないのだけれど、その歌声はとてものびやかだった。切ない歌詞は涙が出るほど切なく歌い、盛り上がる部分は空高い場所から私達のことを見下ろしているのだろう神様に届くほどに天高く歌った。みー君の歌った曲は、私の作ったものとは違っていた。だからといって、他の誰かが作ったものではなかった。みー君は裏声を使わなかった。持ち前の肺活量と喉の強さを使い、本来の声で「歌の世界」を表現していた。みー君はこの歌を完全に自分のものにしていたのだ。私の作った歌詞に、わかるはずのない感情だとか見えるはずのない情景だとかを込めて歌い上げた。圧倒的な、強烈すぎる存在感をその場に示した。

 所詮は、素人の高校生によるその場限りのバンドだ。未来を目指し本気で活動をしている人間に勝てるはずもない。毎日を必死で生きるために命を削るプロの足もとにさえも及ぶはずがない。

 けれど、だからこそ私達は必死だった。もう二度とやることのない一度きりの、この場限りのバンドだから、だからこそ命を懸けて全てを懸けて全力で行わなければいけなかった。

 本来、バンドにおいて全体のリズムというのはドラムがとるはずのものなのだそうだけれど、残念ながらうちのバンドのドラマーは百年の一度ともいえるような天才的な音痴なので、代わりに綾香が指揮を執る。この四人の中で、実は綾香が一番音感に長けている。綾香は人の音を聞き人の声を聞き、全体のバランスを考えながら音を演奏することができた。そして、音を使い人を誘導しうまく引き立てることができた。綾香こそ音楽の道を選べばいいのだ。本人にその気があればだが。

 この場に綾香がいたということ、そして綾香に予想外の才能があったことは誰にとっても幸運だった。私にも神ちゃんにも他の人の音を聞いてそしてそれに合わせるなんて高等なことできるはずもなかった。そしてみー君に置いては、そんなことをしようなどという気の利いた気持ちの一つもなかった。

 みー君が気まぐれでタンバリンを鳴らしながら歌っている。




*****



 

何万の 何億の人に埋もれた君を 小さく光る君だけを見つけた

素晴らしいことだと思わないか?

体中のすべての星が跳ねあがったのがわかったんだ

「君が好きです」そう伝えればいいだけなのに 僕にはどうしてもそれができない

「臆病」が足元に絡みついて噛みついて 地面から離してくれないんだ

どれくらい距離を縮めたらいいのだろう 

今なら火星まで歩いて行けるくらいの気がする

そうしたら僕は両手にきっと たくさんの星と虹を抱えて戻ってくるよ

指先を弄るような些細な仕草も たまに刺さる小さな棘さえも

流す涙も 偽りさえも全て愛しい

まるで奇跡みたいじゃないか?

惑星ほどの距離を隔てて出会ったんだ

偶然でもなんでもいいよ 今ここにいることがすべてなんだ

……




*****



 自分で作った歌詞なのに、みー君が歌うことで全然違う曲みたいに聞こえた。もしかして、これもみー君における一種の魔力のようなものなのかもしれないと思う。星だとか奇跡だとか、超ありきたりでどこにでも見る歌詞だけれど、逆を言えば純粋でストレートでいいじゃないかなどと思えてくる。なぜなら、これはちゃんと私の中にある感情だとか気持ちだとかを現したものだからだ。決して頭で考えたりどこかから歌詞を頂戴したり辞典をひっぱり出して書き連ねたものではないのだ。紛れもなく目の前にある、私の知っている今現在いるはずの現実なのだ。

 神ちゃんのドラムは、不慣れだし実は時々リズムもあっていないし必死で鬼のような形相で叩いているけれど、いつものあの無表情に近いむっつりとした表情よりもずっとずっと人間らしくて味がある。みー君のタンバリンだって、ガキっぽいし玩具みたいだし正直高校生が持って遊ぶようなものじゃないけれど、最高にみー君らしくていいじゃないか。私だって、時々早くなったり遅くなったり安定しないし途中で三度も間違えた。けれど、この時の私はあの時吉住に襲われたときよりもずっと必死だったし一生懸命だったのだ。このときの十分にも満たないような人生において星の瞬きのような一瞬は、たった十七歳の私にとってこの瞬間に間違いなくかけがいのないものになったのだ。

 最後の一行を歌い終わったみー君が、また機嫌よく大げさなアクションでタンバリンを叩いて遊んでいる。遊んでいる? これもパフォーマンスの一種なのかもしれないけれど、残念ながら私の目にも誰の目にも、赤いTシャツを着た男の子がタンバリンをがちゃがちゃ動かして遊んでいるようにしか見えない。最初に綾香が弾ききり、私が終わり、神ちゃんのアンダンテで終了する。

 みー君は思い切りマイクを放り投げると、そのままダン! と床を蹴り上げて、空中でくるんと一回転を施した。そして着地。けれど、うっかり足を滑らせてそのままお尻から転倒する。ワンテンポ遅れて降ってきたマイクが見事みー君の頭に命中をして、『あいたっ!』という悲鳴がマイクに入って体育館中に響き渡る。観客全員大爆笑。

 頭に大きなコブを作りくらくらと星を浮かべるみー君は、綾香と神ちゃんに手伝われてようやくのこと立ち上がる。

『みんなー! てんきゅー!』

 そこでまた爆笑。てんきゅーとか、しかも発音がいいから余計に笑える。



 私は時々、人生だとか運命だとか出会いだとかいうのは、一体なんなのだろうと考えるときがある。

 偶然か必然が、もしくは天高く私達のことを見ている神様による悪戯か。こんな、みー君みたいな奴と出会ったことがただの神様の気まぐれだったというのなら正直たまったものではないのだけれど、友達とゲームをして連敗をした神様の腹いせ程度の嫌がらせだと思えばなんとなく仕方がないような気もしてくる。

 そもそも、すべての始まりは私がみー君と出会ったことから始まって、もしくは私とみー君が再会をしたあの日の夜から始まってしまったことなのだ。

 あの夜、うっかり私が唆されて吉住なんかと出かけなければ、そしてあそこで押し倒されてなどいなければ、そして雨が降って私が転んでスマートフォンや生徒手帳をぶちまけてさえいなければ、こんなことにはならなかったのだろう。

 人生において、いいことと悪いことどちらが多いのかと聞かれれば、私は即決で悪いことの方が多いに決まってるでしょとそう答える。けれど、そのあと間髪入れずにこういうだろう。

 そんなに、悪いことばかりでもないけどね。

 

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