第五話「祈りは現実の否定なのか?」 7

「まだ、響くな」

 紗希が歩きながら右手で頭を押さえる。

 二人はトンネルのような通路を歩いていた。コミュータが二台すれ違えそうな幅があった。

 天井全面にLEDライトが嵌め込まれているのか、通路はかなり明るい。

 病院の地下にこんな場所があるなんて、彩花は想像をしたこともなかった。

「私、も」

 彩花も耳鳴りがするし、頭痛もあった。

「というか、僕はどんどん酷くなっている気がするんだ」

 紗希は目をつむって頭を振る。

「大丈夫?」

「はは、心配してくれてありがとう。でもかなたを助けに行かないと」

 気丈に振る舞っているのだろう、紗希は彩花に向かって笑った。

「紗希はどうして」

 着いてくるのか。

「友達なんだから、助けに行くだろ」

 こともなく紗希が言う。

「いや、責任を感じていないこともない。僕がこなたに指輪さえ渡さなかったら、こうなっていなかったかもしれないから」

 それは考えすぎだろう、と彩花は思ったが、紗希が真面目な顔をしているので言わないことにした。

「それより、彩花はどうして? かなたは別に友達ってわけじゃないだろ」

「……なんだかよくわからない」

 彩花は本心をそのまま言った。

「なんだそりゃ」

「わかんないけど、行くしかないみたい」

「まあ、そうだな」

 紗希も同意した。戻る道がなくなっている以上、先に進む以外にやれることは何もなくなってしまった。

「誰かいる……」

 通路の先、二人の行き先を塞ぐように、誰かが立っていた。

 人影はゆらり、と揺れている。

 彩花はその人影を二度見た記憶がある。

 一度目は教室で。

 二度目は紗希からのデータで。

「蘇我、さん?」

 入院着を着ている蘇我は答えなかった。

 蘇我は紗希を睨む。

「あなたが久慈彩花ね」

「いや、僕は紗希。彩花はこっち」

 紗希が横にいる彩花を指さす。

「そう、もうどちらでもいいわ」

「いや、全然よくないだろ」

 呑気に紗希が突っ込む。

「あなたたちを、私は排除する」

 蘇我が左手を上に伸ばし、人差し指に嵌められた自身の指輪を見せる。

「待て待て、話をしよう」

「グリモワール! ゼパール!」

 紗希の言葉にはまるで耳を貸さず、蘇我が詠唱をする。サークルが現れ、グリモアが姿を見せる。

 蘇我のグリモアは、馬にまたがる騎士だ。騎士は両手で大剣を掲げている。彩花のサミジーナのものよりも二回りは大きい剣だ。

「おい、話を聞けって」

「あなたがいるから」

 蘇我は彩花を睨みながらも、グリモアに指示できるように構えている。

「ちっ、ダメだなあれ」

 話をする余地はないらしい。

「あなたたちも」

「わかったよ。グリモワール、レラージュ!」

 前口上をする暇がなかった紗希が最低限の詠唱をしてレラージュを呼び出す。

「ここは、僕に任せて下がっていて彩花」

「でも」

「相手は一人だ」

 相手が一体ならこちらも一体が原則だ。

「ゼパール、攻撃」

 蘇我の宣言通り、ゼパールが近づいて剣を振るう。

 後ろにステップして、紗希が距離を取り避ける。

「おいおい、まだだって」

「容赦はしない」

「話を聞けよ……」

「ゼパール、攻撃を続けて」

「この距離じゃ、ちょっと危ないな」

 紗希がレラージュとともに後退していくが、その分蘇我も詰めてくる。

連続的な攻撃がレラージュを襲うが、なんとか避けている状況だ。

 遠距離型のレラージュにとって、距離が近づきすぎるのはマズい。離れられないまま、レラージュはただ避け続けることに専念していた。

「これじゃ、キリがないぞ」

「やっぱり私が」

「いや、もう仕方ない」

 交代を申し出た彩花を紗希が断る。

「よそ見していいの?」

 余裕とも思える蘇我の言葉に紗希が返す。

「わかってるよ」

「あなたを倒して、後ろのもまとめて倒すわ」

「随分軽く見てくれるじゃないか」

「ゼパール、分解」

 下手から大きくゼパールが剣をかち上げる。

 動きが大きかったので、レラージュは少し身体を逸らすだけでよかった。

「つっ」

 はずだった。

 レラージュがゼパールの剣に弾き飛ばされて、レラージュに避けるように指示をしようとした紗希が壁に身体を打ち付けた。

 紗希はすぐに起き上がり、体勢を立て直す。

「ただの剣じゃなかったのか」

 避けたはず剣は、そのままバラバラになって、一本のしなやかなムチのようになり、レラージュを打ち据えたのだ。

「ゼパール、戻して」

 蘇我の命令で、伸びたムチがまた一つの剣に戻った。

「形状変化か、まあ、剣じゃないから切られなくて済んだけど」

「紗希、大丈夫?」

 背中を打った紗希を心配して彩花がそばに寄る。

「大丈夫じゃない、右腕を超打った。けど、まあなんとか」

 身体についた埃を払いながら、紗希が体勢を直す。

「蘇我幹、話をしよう」

「その必要はない。時間稼ぎはさせない」

「まあまあ、いいじゃないか」

 手をひらひらさせて紗希が蘇我に話しかける。

「僕たちは、ここを通れればそれでいいんだ。というか、今は帰れればそれでいいんだ。かなたがいるならできれば連れて、だけど」

 率直に状況を紗希が説明する。

「黒井かなたね、たぶんいるはずよ」

「そうか、それはよかった。な、争う利点はどこにもないだろ?」

「私は、あなたたちがここを通ることを阻止できればそれでいいの」

 やはり話がかみ合わない。

「交渉決裂だなあ」

「最初からそうよ」

「それは誰の命令なんだ?」

「私の、意思よ」

「それなら……」

「祈は久慈彩花、あなただけなら通してもいいって言っている。でも私はどちらも通すつもりはない」

「そうか、それじゃあ彩花だけ通して僕はここで待つっていうのは? 一条がいいって言っているんだろ?」

「だから、私は、通さない!」

「完全に聞く耳もたずか」

「ゼパール、攻撃」

「わかったよ」

 近づけば大剣が、離れようとすれば剣はムチになってレラージュに襲いかかる。距離が取れればレラージュが有利になるが、通路が狭いために方向が限られて大きく離れることができない。

「ほどほどに厄介だな、それ」

 息を切らせて紗希が言った。

「溜めが必要なんでしょ、それはさせない」

 蘇我の言うように、弓を引くには若干の時間がかかる。この距離でゼパールの剣を避けつつ狙いを定めることはできない。

 近距離ながら合間を縫ってレラージュも矢を放っているが、多少傷をつけるだけで致命傷には到底届きそうもなかった。スキルを使う溜めはまったく与えられていない。

「その通り。だから、下がりたいんだが」

 彩花にはレラージュのライフは見えないが、剣でバッサリと切られていない代わりに、何度もムチで打ち据えられている。

「このままじゃだめだな」

 紗希も残りライフを意識しているようだ。大けがはしない代わりに、じわじわとライフが削られている。

「仕方ない、あれをやるか」

 紗希が動きを止めた。

「レラージュ、詰めろ」

「……死ぬ気?」

 突然の紗希の命令に、蘇我も一瞬戸惑ってしまった。しかし、その次の瞬間には、勝ち誇った顔でゼパールに言う。

「ゼパール、振り下ろせ!」

 大剣を振り上げたゼパールが、レラージュの頭をかち割ろうとする。

「取った!」

 彩花は思わず目を伏せたくなったが、紗希はそれすらも見越しているようだった。

「それが取ってないんだな」

「なに」

「レラージュ、『受け止めろ』」

 レラージュが構えている細い弓が、ゼパールの大剣を正面から受け止める。

「馬鹿な!」

 突拍子もなく見える行動に、蘇我が驚く。

 当然のように、強い力に耐えられなくなった弓が二つに折れた。

 勢いを失っていない剣は、そのままレラージュへと向かう。

 しかし、紗希は冷静に命令する。

「レラージュ、右に避けろ」

 レラージュが指示通り右に移動する。剣はレラージュの左腕を深く切りつけていった。

「ギリギリだな」

 ただ弓を壊しただけの紗希の指示はまったく無駄な行動のように思えた。

「『投げろ』、レラージュ!」

 紗希がそう命令した。

「なっ」

 蘇我がたじろいでゼパールの動きも止まってしまった。

 命令を受けたレラージュは、右手に持った弓の片割れ、金色に輝きだしたそれを、大きく振りかぶってゼパールに投げつけた。

 矢となったレラージュの弓の破片がゼパールを貫く。

「これ、一回きりだけなんだよね」

 その勢いで蘇我の身体を矢がすり抜けて消失した。

「こ、こんなことで。ゼパール! ゼパール!」

「一撃必殺、エクストラスキルなんでね。決まれば勝ちみたいなもんなんだよ」

 蘇我がゼパールを再び動かそうとするが、ゼパールは床に降りて倒れていた。

「よしよし、よくやった」

 紗希が戻ってきたレラージュの頭を撫でるような仕草をする。

「勝てばなんとやら、だ。一度壊すとこの勝負は捨てたみたいなもんだからな」

「なんで、私が」

 蘇我が膝を落とす。

「いや、いや、まだ私は」

 両腕で身体を抱きしめて、蘇我が震え出す。

「祈、ごめん……」

 そしてそのまま前に倒れた。

「どうしよう」

 彩花が倒れた蘇我を気にするが、紗希はあまり気に留めていなかった。

「まあ、このまま寝かせておいても大丈夫だろ」

 蘇我は意識を失っているのか、ピクリともしない。

「本当に、大丈夫かな……」

「それは僕たちが気にしても仕方ない」

「そうだけど」

「まあ、先に行くしかないんだ。行こう」

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