第五話「祈りは現実の否定なのか?」 8

「なんか、おかしくないか」

 頭を押さえながら、紗希が言う。

「何が?」

 頭痛は彩花もかなりあって、本当は歩くのもおぼつかないほどだ。

 それ以上に紗希は酷そうだった。ときどきふらふらと足元から崩れそうになっているのを見ている。

「さっきのことだよ。裁定者が来なかった」

「それは、思った」

「裁定者がいないのに、あいつは攻撃してきた」

 ゲーティアのルールに則っていれば、裁定者がゲーム開始の宣言をしてから、各々のグリモアが動かせるはずだ。

 その裁定者が来る前にそれはできない。

「今までは、そういうことがなかった」

「他にゲームをしているところがあったとか?」

「そんな話は聞いたことがない。裁定者はゲームキャラクターだぞ。いくつだって複製できるはず」

 何かが間違っている。

 何かがデタラメなんだ。

「それに彩花、振り返ったか?」

「え、ううん」

「蘇我幹の姿がどこにもなかった。隠れる場所なんてないのにだ」

「そう、なの?」

「ああ、あと、これを見て」

 紗希が左腕を見せた。

「これ、いつ?」

 二の腕の辺りの服が裂けて、血が滲んでいた。

「大丈夫なの?」

「傷自体は大したことはない。ただこの傷がおかしい」

「どういうこと?」

「蘇我のグリモアをレラージュが避けたとき、剣が僕の腕を掠めたんだ」

「でもそれって」

 ゲーティアのルールの一つ、グリモアはプレイヤーを『絶対に』傷つけることができない。ただの仮想現実の存在なのだから当たり前だ。

 そのルールが破られている。

「わからない。ただ、この先はもう少し気をつける必要がありそう」

 通路が終わり、いつの間にか一枚のドアが現れる。

「開けるぞ」

 一言言って、紗希はドアを開け、中に入っていった。それに続いて彩花もドアを抜ける。

 無機質なフロアに出た。

 大病院の大部屋のようだと彩花は思った。

 なぜなら、左右に何台ものベッドが並べられていて、人らしきものが寝かされていたからだ。

「なんだ、この部屋」

 紗希は彩花と顔を見合わせるが、彩花もどう答えていいのかわからない。

 一番近いベッドは空だった。

 それが誰かを待っている棺桶のような気がして、彩花は身震いをする。

「おい、こっち」

 反対側のベッドに行っていた紗希が彩花を呼ぶ。

「来てみて」

「か、かなた」

 眠っているのはかなただった。あれから搬入されてきたのだろう。

 口には呼吸器がつけられ、頭からいくつもの電極が伸びて、ベッドの脇に置かれた装置に繋げられている。両手両足にも同様に電極がつけられているようだ。

 かなたの指輪からもコードが伸びている。

「僕には大丈夫なようには見えない」

「私も」

 外傷は見当たらないが、この様子が大丈夫だとは思えない。

「こっちは、こなたか」

 かなたの横のベッドに寝かされていたのはこなただった。

「でも、さっき、あそこで」

 ニーナと戦ったとき、確かにあのフロアにこなたはいたし、会話もしたし、グリモアもいた。

「僕はこなたには会っていない」

「えっ」

 同じフロアを通り抜けてきたはずの紗希がこなたに会っていないのはありえない。

 こなたはあまり動けるような体調ではなかったはずだ。それともこなたが来る前に通ってきたのだろうか。

「彩花、こっちに来てみて」

 移動していた紗希が手招きして彩花を呼ぶ。

「……どういうこと?」

 そのベッドを見て、彩花はどんどんわけがわからなくなる。

 そこに寝かされていたのは、さっき戦ったはずの蘇我幹だ。

「僕に聞かれても困る」

「別人、じゃないよね」

「本人だと思う」

 他に隠し通路がなければ、先回りして蘇我がここに来ることは不可能だ。

 見る限り、かなたと同じように意識を失っているようだ。

「ちょっと、いや、かなり変だ」

「うん」

 ドアに向かって歩きながらベッドを確認していく。

 空いているベッドもあったが、他にも寝かされている少女もいった。彩花の顔見知りもいたし、知らない顔もあった。

「ははは」

 先に次のドアにもっとも近いベッドまで行った紗希が、なんだか変な笑い声を出した。

「いよいよおかしくなってきたな」

「どうしたの?」

 彩花は紗希のそばに立ち、眠っている人物を見る。

 その顔を見て、彩花はぎょっとする。

「……もし、毎日見ている鏡が嘘をついていないのなら」

 冗談にもならないことを言って、紗希が続ける。

「これは、僕だ」

 眠っていたのは、紛れもなく紗希だった。

 彼女は他の少女たちと同じように病院の入院着のような簡易な組み合わせの服を着て、身体のいたるところからコードが伸びていて、ベッドで眠っている。

 表情もなく、ベッドの上の紗希は眠っている。

「これが僕なら、僕は誰なんだ?」

 独り言のような紗希の言葉に彩花は答えることができない。

「おーい」

 立っている紗希が、眠っている紗希の頬をペチペチと叩くが、彼女が起きる様子はない。

 少し待ってみたが、反応はないようだ。

「紗希、それはやめた方が」

 頭から伸びているケーブルを引き抜こうとする紗希を彩花が止める。

「よくわかんないけど、やめた方がいいと思う」

 彩花はこの異常な状態では、極力なにもしないのが正解だと思った。

「そうだな、僕もこれ以上自分を見ていたくない」

 紗希が顔を背けて彩花を見る。

「どうやったらみんなを起こせるのか、その方法を調べなくちゃ」

「そうだ、そうだね、それを目的にして、先に行こう」

 紗希が、次へと続くドアを開ける。

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