第4話

 自宅で仕事のさなか、仕事用PCのメーラーがピロンと音を立て、新しいメールを受信したことを告げた。ポップアップウィンドウをクリックし、受信したメールを開く。送信者は、今回俺にwebサイトの構築を発注したクライアントだ。


「いつもお世話になっております。田所です」


 そんな決まり文句でメールは始まり、今回のwebサイト構築に関する確認事項が、いくつか記述されている。


 そのメールの文面に無言で目を通し、機械的に『全員に返信』ボタンを押した。返信先はクライアント一人だけだから、別に『全員に返信』ボタンを押さずとも、ただの『返信』ボタンでいいのだが……習慣というのは恐ろしい。CCに誰も入ってなくとも、俺の右手は『全員に返信』のボタンの上にマウスポインタを持っていく。


 相手の質問事項一つ一つに丁寧な返答を記述し、最後は『以上、よろしくお願いします』と締めくくった。


「……つまらん」


 あまりにビジネス然のメールに、いささかの不満を抱いた俺は、最後に余計な追伸を付け加えた。


追伸:田所様でもいいけれど、忍耐って呼んだらダメでしょうか?

   田所様も私のことを爺様と呼んでいただいても結構ですから

   あ、あと、いい加減忍耐お手製のケーキ食べたいです


 途端にビジネスメールがおかしなことになる。突っ込みを待つボケ担当の気分ってこういうものなのかと思いながら、俺は送信ボタンを押した。



 あの震災から3ヶ月ほど経過した頃の話だ。震災当日から時折メールを送っているが、忍耐からの返事はない。そんな状況だから、俺は、もはや忍耐のことは諦めていた。


 これだけ時間が経っても本人からのメールの返事がないということは……信じたくはないが、そういうことなのだろう。俺はそう思っていた。ただ、一縷の望みを託し、時折メールを送っては、返信がないことに気を落とす……そんな日々が、ずっと続いていた。


 そんな俺が気を紛らわせる為にやっていたこと。それは募金だ。コンビニに立ち寄り募金箱が目に入った時、俺は常に募金箱に小銭を入れていた。『ひょっとしたら、この小銭が忍耐の元に届き、力になるかもしれない』そう思い、俺はコンビニに寄る度に、財布の中の小銭を入れ続けた。本当は太っ腹に札を突っ込みたかったが、俺の生活も決して裕福ではない。小銭を入れるのが精一杯だった。


 そんなふうに日々過ごしていた、震災から三ヶ月ほど経過したある日のこと。退職のあいさつ回りに出ていた俺のスマホに、一通のメールが届いた。


『爺様、久しぶり。なんとか無事だよ。心配してくれてありがとう』


 そんなメールが、機種変更した俺のスマホに届いていた。慌てて送信者の名前を見る。送信者の項目には、これみよがしに『忍耐』の名前が光り輝いていた。


 心持ち、手が震える……うまくフリック出来ない右手で懸命にメールを打ち、俺は忍耐に返信をした。


『よかった! 無事だったんだ!! 返信がないから心配してたんだよ!!』


 力が入らない右手の親指で、送信ボタンをタップした。俺のメールは、無事に忍耐に届いたようだ。画面に表示されたメッセージは『送信できませんでした』ではなく、『送信しました』だった。



 忍耐曰く『まだしっかりとネットが出来る状況ではない』らしく、その日はそれでメッセージのやり取りは終了。次に忍耐と連絡が取れたのは、それからさらに数カ月後だった。その時にはすでにネットも開通していて、PCのメッセンジャーで忍耐とチャットを行うことが出来た。


『心配したぞ忍耐ぃいいいい!!』

『ごめんね。爺様のメールが受信出来たのが、メールを送ったあの日だったんだ』

『マジかい……』

『うん。ずっと大変だった。携帯も使えなかったし、一ヶ月ほど風呂にも入れなかった』

『そっか……やっぱ大変だったんだなぁ……』

『うん』


 あの地震で、忍耐の家は半壊したそうな。そのため、忍耐はおじいちゃんと共に避難生活を余儀なくされたのだとか。忍耐のことを気遣って詳しい話や避難生活の最中のことをあまり詳しくは聞かなかったが……


『でも爺様、一ヶ月ぶりの風呂ってのはめちゃくちゃ気持ちよかったよ』

『そら気持ちいいだろうなぁー』

『と言っても、身体を拭くだけみたいなものだったけどね』

『湯船には浸かれなかったのか……それは残念だ……』

『でもね。今までの人生の中で、一番気持ちよかった風呂だった!』


 明るくそう答える忍耐に、震災で苦しめられたという影は感じられなかった。思った以上に前向きに語ってくる忍耐に、俺は心底ホッとした。


 もちろん、忍耐はここ数ヶ月の避難生活の中で、俺の想像を絶する辛い目に遭っているのは承知の上だ。


 まず、あれだけ大切に思っていた祖父を亡くしたそうだ。オンラインゲームで知り合っていた頃から、忍耐は自分の祖父を大切にしていた。俺の『忍耐もこっち来なよ』というほとんど冗談な申し出に対し、『おじいちゃんをほっとけない』と真面目に答えるほど、忍耐は祖父を愛していた。


 その祖父は、あの震災の影響で亡くなった。その時の忍耐の悲しみは、想像に難しくない。


 それに加えて忍耐は、あの震災の影響で職を失ったらしい。勤めていた会社が無くなったそうだ。


 忍耐との付き合いも長くなったが、俺は、忍耐の口から仕事のグチというものを聞いたことがない。『大変だ』とは聞いていたが、『やめたい』というセリフを聞いたことがない。つまり忍耐は、その仕事に慣れ親しみ、ずっと続けるつもりでいたということになる。少なくとも、退職なんか考えてなかったはずだ。


 そんな人が、慣れ親しんだ仕事を失ってしまった時の失意は、どれだけ大きかったことだろう。


『大変だったなぁ忍耐……』

『でもね。その代わり、私も新しいことを始めたんだよ』


 だが忍耐は折れなかった。震災からの失意と絶望に負けず、新しいことをはじめた。


 職を失った忍耐は、かねてから考えていたお菓子職人の道を歩み始めたそうだ。住居を確保し、衣食住の心配がなくなった忍耐は、調理師専門学校の門を叩いて、パティシエになるためのコースを受講しはじめたのだそうだ。


『まじか!』

『そうだよー。今までは趣味だったお菓子作りを、これからは仕事にしていくのさ!』

『前から忍耐はお菓子作りが好きだったもんなぁ!』

『そのうち自分の店を持つから! それまで私はがんばるよー!!』


 奇遇なことに、静岡に戻った俺は、この頃ちょうど個人事業を始めていた。元々訓練校でプログラミングを教わっていた俺は、静岡に戻った後、地元の友人のつてでwebシステムの構築をセレクトショップから個人的に依頼され、受諾開発をした。


 それをキッカケにしてIT全般に関するコンサルタントとシステム開発をメインとする個人事業を開いたのだ。


 俺と忍耐の二人が、奇遇にも、似た時期に新しいことを始めていた。そのことが、俺は妙に嬉しかった。


『じゃあ爺様も新しいことをはじめたんだ』

『おう。奇遇にも』

『じゃあ私の店のサイトを作るときは、爺様に頼むよ!』

『どんとこい!』


 忍耐の店のwebサイトを俺が作る……そんな将来の約束が、いい歳をこいた俺の胸をワクワクさせた。


 そして同時に、身が引き締まる思いがした。忍耐が自分の店を作るまで、俺も個人事業をやめるわけにはいかない。忍耐のサイトを俺が作る……そんな夢を実現させるため、俺は絶対に個人事業を軌道に載せなければならない。


 あの震災を、歯を食いしばってくぐり抜けた忍耐のことだ。きっと奴は、そう遠くないうちに自分の店を持つ。それまで、俺がギブアップすることは出来ない。いつの日か忍耐のサイトを作る、その時まで。


 年甲斐もなく胸を高鳴らせ、俺は忍耐にメッセージを飛ばした。


『んじゃ約束だ。忍耐は自分の店を作れ。俺はそのwebサイトを作る』


 忍耐の返事も即座に飛んでくる。


『了解したよ。爺様もがんばって』

『忍耐もがんばれー!』

『おーう!!』


……

…………

………………


 そうして五年後。しんどいながらも軌道に乗りつつある個人事業だけでなく、パソコンの先生もやりはじめた俺の個人事業のwebサイトに、一通の問い合わせメールが届いた。



お問い合わせの種別:見積もり希望

お名前:田所製菓店

代表者様のお名前:田所

お電話番号:0225-XXX-XXX

メールアドレス:nin-tai@XXX.com

その他、ご質問等:


突然のメール失礼いたします。

この度、宮城で新しく製菓店を開くことになりました田所と申します。


ぜひとも御社に当店のwebサイトの構築をお願いしたいと思い、

以前よりずっと御社の連絡先を探しておりましたが、やっと見つけました。


尽きましては、御社でサイトの構築をお願いした際のお見積りをお願いいたします。


追伸:やっと爺様のサイト見つけた!

   約束を果たそうと思って、ずっと探してたんだよ!



 見た途端に血が沸騰した。一目見て、忍耐からの問い合わせだと分かった。やっぱり奴は、自分の店を建てたんだ。忍耐が約束を守ってくれた。俺を選んでくれたんだ。


 それにしても律義な奴だ。俺の本名は随分前に教えていたから、そこから辿って俺のサイトを見つけたのかもしれない。直接俺に連絡をくれればいいのに……でもそんなところが、律義でまじめな忍耐らしい。


 胸のドキドキが抑えきれない。気が逸る。うまいこと返信の文面が考えられない。顔がにやける。


「忍耐……忍耐……ウヒヒヒ……オホッホッホッホォオウッ……」


 気を抜くと変な声が出る。自分の部屋で一人で仕事をしてるから、客観的に見ると、今の自分が気持ち悪くて仕方ない。いい年したおっさんが、ニタニタと笑いながらメールの文面を考える……こんな気持ち悪いシーンがあろうか。


 ふざけたくて仕方ない……クソたわけた文面のメールを送って、また忍耐に『爺様がそんなんだから、私がしっかりしなきゃダメなんじゃないかっ』て文句言われたい……そんな衝動をなんとか押さえ込んで、俺は、新しいクライアントからのメールに返信した。



件名:お問い合わせありがとうございます

本文:

田所製菓店 田所様


お問い合わせいただき、ありがとうございます。

ノムラ事業所、ノムラと申します。


お見積りをご希望ということですので、

より詳しいお話をお伺いしたいと思います。


尽きましては、お手数をおかけしますが、

下記点に関してお答えいただければ幸いです。


①デザインやイメージ等はお決まりでしょうか。当方にお任せいただけますでしょうか。

②予算観があればお聞かせ下さい

③ご希望の機能、参考にしたいサイトはございますでしょうか。

④製菓店ということですが、具体的なメニューは何でしょうか。

⑤一体いつになったら私にお菓子を食べさせてくれるのでしょうか。

⑥私はチーズケーキが好きです。

⑦でもショートケーキもマドレーヌも好きです。というか甘いモノ全般が好きです。

⑧お支払いに関してですが、ケーキ1ホールを請求してよろしいでしょうか。

⑨お支払いの際は、請求書を送付ではなく、直接取りに伺ってもよろしいでしょうか。

⑩その際に、また魚の美味しいあの店に連れて行ってもらってよろしいでしょうか。


以上、ご教示いただければ幸いです。

特に⑤〜⑩に関しては、確実にお答えいただけますよう、お願いいたします。


以上、ご返信お待ちしております。


追伸:忍耐久しぶり! すんごいワクワクする!!



 無理だった……色々と我慢できなかった。送信ボタンを押した後、俺はワクワクしながらメーラーの送受信ボタンを繰り返し押し続け、忍耐からの突っ込みメールを待った。


「……早く返事よこせ。ケーキ食わせろっ」


 数分後に届いたメールには、俺からの質問に対する詳細な回答の最後に、『まったく……とんだプログラマーだよ爺様はっ!!』という突っ込みが入っていた。


終わり。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その名は忍耐 おかぴ @okapi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ