幕間

 国際人工知性機構IAIAは表面上、国際原子力機関IAEAのように、超高度AIの拡散抑止と国際協調における橋渡し役を担っている。

 だが、裏の顔は実質的な現代の魔女刈り執行機関だ。人類を超えた知性を制御するための対価は、深い闇と暴力によって贖われている。



 東京の葛飾からさらに南へ下ると、ハザードで壊滅し、そのまま廃墟として放置された区画が現れる。ここは普段人気もないため、密会には好都合の立地だった。特に、夜間は顕著だ。

「私みたいな末端の末端のさらに末端みたいな代理人エージェントに、『アストライア』の端末が接触してくるなんてどういうことよ」

 人影がそう独り言を言うと、闇の中からさらにもう一人人影が現れた。

「代理人に序列などありませんよ。適材適所、状況に合わせて依頼するだけです」

 そう、涼やかな男性の声が告げた。端末で照らすと、茶髪のにこやかな表情をした好青年の顔が現れた。彼は直接光を当てられているのに眩しそうな表情すらしない。

「フリくらいでいいから、少しくらいは人間らしくしなさいよ」

「hIEだとすでにバレているのにですか? この機体はヒギンズの行動適用基準AASCを借用していますが、わざわざそうした振る舞いを取らせる必要もないのですよ」

 彼女が女だから、こうして女性に優しそうな男性型hIEをアストライアはあてがったのかと思うと苛ついた。それはアストライアの要求を飲ませやすくしようというアナログハックだからだ。

「何か邪推しているようですが、最初の段階で誘導が切れることは予想されていましたから、hIEの外見は然程考慮されていませんよ。一般人に見つかったときに言い訳がききやすいものを選んだだけです」

 自分の考えを言い当てられて更に苛ついた。だが、この苛立ち自体AIにとっては誘導の一部だということもわかっていた。

「超高度AI『アストライア』の端末である、高度AI『リーブラ』がIAIAとアストライアの意向を伝えます。現時刻を持ってあなたのスリーパーの任を解きセプターに繰り上げます。任務は今と変わりませんが、状況次第ではあなたに実行力として介入してもらうことになります」

「私に実行力を期待するなんて、どれだけ人手不足なの」

 彼女は普段潜伏してたまにIAIAに情報を流すという程度の、スパイとしてもほとんど仕事はしない類の代理人だ。

 そんな人間にこんな提案があること自体異常だった。

 男性型hIEが申し訳なさそうな顔をして続ける。

「事実、人手不足なのです。IAIAは上海で人員を失いすぎました。その補填も最優先で行っていますが追いついていないのが実情です。貴方にこのような提案をすること自体、我々としても不本意です」

 上海事案は行動適用基準AASCの急速な拡大に危機感を覚えたIAIAが、中国にAASCを導入させないための暗闘だったと言われている。この時IAIAは大きな損害を被った。

「それで、私に何をさせようっていうの。HALとその周りに人類未踏産物レッドボックスの悪用の気配はないわよ」

 HALは人類未踏産物を限定使用している。それは、IAIAに監視されるということでもある。

「英国政府への内偵の結果、HALが使用している人類未踏産物の漏出が確認されました。これを受けアストライアは現状をレベル5に設定。また、オーバーマンが漏出に関与している疑いがあります。

 技術的特異点シンギュラリティを超えて人類の危機は安くなった。超高度AIが生み出す人類未踏産物が人智を超えていて理解不能なのに、顕著な何らかの利益を生み出してしまうからだ。

 人類未踏産物のひとつひとつがパラダイムシフトを起こすポテンシャルを持っていて、世界に三十基以上ある超高度AIがそれらを生み出し続けている。規制し、制御し続けなければ、特定の個人や団体が力を持ち過ぎ、世界情勢が不安定化し、うっかりすれば人類が滅びる。

 IAIAと超高度AIの中で唯一外界に開放されているアストライアは人類の守護者でもあるのだ。

 自然と表情が険しくなる。人類未踏産物の漏出はしばしば起きる。それでも、IAIAは迅速に処理する。ここまで手をこまねくことはない。

「オーバーマンなんて、まだいたのね」

 オーバーマンとは人間が自分の人格や記憶をデータ化して、不老不死の存在となったものを指す。

 オーバーマンはIAIAにとって抹殺対象だ。IAIAの歴史はオーバーマンとの戦いでもある。不老不死となり、人間の社会規範や倫理に縛られないオーバーマンは危険に過ぎ、いずれ怪物となって人類社会を脅かす。そうさせないためにIAIAはオーバーマンをAIと定義し、すでに人間ではないとしてこの二十年間徹底的に駆逐してきた。

 未だにIAIAの追跡から逃れるオーバーマンがいることが意外だった。

「オーバーマンはゴキブリのようなものです。いくら駆除してもどこからともなく湧いてくるのですから」

『リーブラ』が笑顔で毒を吐いていた。

 オーバーマンになりたい人間はどこにでもいる。そして技術自体はあるから、力があり手段を選ばなければなれてしまう。

「アストライアにとってオーバーマンとの戦い自体、未来に渡って続くことは既定路線なのですよ」

 超高度AIだから語れる未来だった。

 人間ならば長すぎる戦いと、果ての無さ故に徒労感に蝕まれいずれ戦いをやめてしまうか、もっと過激なものを掲げて、自分が戦っていたものと同じ穴にはまる。機械だから作業の様に戦い続けられるのだ。

「オーバーマンがHALの運用データを狙う可能性があります。あの人類未踏産物を限定的とはいえ一年以上使用した運用実績に惹かれてこちらの網に掛かる可能性が否定できません」

「つまり、オーバーマンがこっちに現れるかわからないってこと?」

「そういうことです。他にも幾つか候補があり、HALは目立ちすぎているため可能性としてはむしろ低いのです。そのため主要な代理人は他の候補地に割り振られています」

「それで私かー……」

「今の所不自然でない形でHALの側にいれるのはあなたしかいません。こちらの動きを気取られるわけにはいかないのです」

「でもIAIAが動いてる事自体は気取られちゃってるでしょ」

「今回のオーバーマンは出し抜くことが好きでたまらないようです。わざと尻尾を掴ませ、その上で相手の思惑を上回ることにスリルと快感を感じるようですね。今回、漏出が露見したのもわざと見つけさせたのでしょう」

「それであの人類未踏産物を奪うの……?」

「はい、そんな嗜好にもかかわらず相当に臆病なようです。つまり歪んでいますが、ゲームで勝ち続けたいと考えるタイプですね」

「ああ、そういう……」

 絶対的有利盤面を作っておいて、勝ち続けることに悦楽を感じるのだ。相当に歪んでいるが、オーバーマンになってしまう時点で何らかの極端な欲求があるのがしばしばだ。

 呆れて気付いた。そうした人物像があるなら先程の話は全く事情がことなってくる。

「ねえそれ、こっちに来る可能性高くない? 出し抜くのが好きで、臆病なんでしょ。明らかにIAIAの脇の甘いここはどうなのよ」

 青年の顔が変わらない微笑みを浮かべた。

「ネズミにせよゴキブリにせよ駆除する時は餌を用意してそちらに誘導しますよね?」

「さっき語ってみせたのは建前か……」

 どうも諦めるしかないようだった。確かに適任は彼女しかいなさそうだった。

「建前ではありますが、他の代理人は本気で他の候補の調査を行っていますよ。それと、流石にオーバーマン相手に丸腰というわけにもいきませんのでこちらを受け取ってください」

 そう言われて球形のものを握り込まされる。

「端末に使用方法を送っておきました。人類未踏産物ですので取扱には気をつけてください。相手が明らかにIAIA条約に違反している場合のみ使用できます。それ以外の場面ではあなたが刑事責任を問われるのでご注意を」

「いやいやいや、人類未踏産物って」

「上海の教訓です。少なくとも実行力が乏わなければ、人命が失われてしまうのだという反省から来ています」

 絶句するしかなかった。IAIAとアストライアは想像以上に上海の一件を重く捉えていたのだ。

 その間に青年のカタチをしたhIEが歩き出す。

「それでは。人類の命運はあなたの双肩にかかっています」

 そして残されたのは人影が一つ。


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マシナリー・ボイス 馬祖父 @tekeru

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