ドリー・スープ

ネコ エレクトゥス

第1話

 俺はドクター・パラケルスス・アグリッパ。砂漠に囲まれたある生物研究所の所長を務めている。それがどこの国かということについては言う気はない。もっとも賢い人間なら気付いているかもしれないが。

 ところで俺たちの研究しているのは総合生物生成学といって昔は胚性幹細胞研究や遺伝子解析と呼ばれた分野で、生物の成り立ちの根源を探りその研究結果を医療現場や製薬会社に提供するというものなのだが、実際のところこの分野でできることはもうあらかたやってしまった。そして次の研究対象は何かというと、当然クローン人間だ。


 実はクローン人間も技術上可能なことは研究し終えているというのが現状だ。ではいったい何が問題なのかというとその核心はここにある。俺は今ランチを食べ終わった後なんだが、俺の食べていたのが『ドリー・スープ』。そう、クローン羊のスープだ。

 俺たちの研究の先人が最初に取り組んだのがこのクローン羊だったんだが、この研究が加速度的に進んだ結果一つの問題が生じた。人口が爆発的に増加したため食糧難が社会問題になったんだ。そこで一躍脚光を浴びたのがこの哀れな子羊ドリーちゃんという訳だ。当時もクローン羊を食用にすることの是非が世界中で議論されたんだが、俺たち科学者の与えた答えはこうだった。遺伝的に欠陥のあるクローンを生み出してそれを種として固定すること。つまり羊のように見えるが羊より劣った細胞の塊を大量に生産したってことだ。これなら誰も気を咎めることもない。少なくとも俺たちは羊を殺していない。

 で、俺たちが今何を研究しているかというと、頭のいい人間なら察しが付くと思うが、人間より劣った人間を種として固定すること、これが現在のクローン人間研究の最大の課題だ。まず何をもって劣っているかという線引きが非常に難しいうえに、その細胞の塊も目的をもって生み出されなければならない。そしてその目的ももはや医療用にとどまらない。

 先日俺はあるパーティーに招かれたんだが、そこには政財界の大物が多数出席していた。その場で話題になったのはこんなことだった。

「今我が国と関係の深いある国で放射線汚染の深刻化している地域があって、そんな環境で仕事ができる放射能に対する強い耐性を持ったクローン人間は生み出せないだろうか、もしそれが可能なら産業界にとっても人類にとっても大きな期待が持てる。何故なら人類はあらゆる宇宙空間に適応する道が開かれ、それは最終的に全人類の幸福につながるものだからだ。」

 それに対し俺はこう答えるしかなかった。

「残念ながら今のところはノーです。」


 だがはっきり言って俺は全く悲観していない。というのもこれは極秘なんだが(といっても気づいている人間もいるだろうが)、俺たちは劣った細胞の塊を研究することと並行して優れた細胞の塊の研究も進めているからだ。それについて文句のある人間のいることも知っている。しかしこの研究はどっちが欠けても成り立たず表裏一体なのだ。それなら俺たちに出来なかったこともいずれ才能と野心を持った誰かが成し遂げてくれるだろう。人類の進歩ってのはそういうことじゃないのか?少なくとも俺はこの研究に携わり、そこに一歩を刻んだことを誇りに思っている。




      実験動物の、実験動物による、実験動物のための……、

 実は上の『ドリー・スープ』なる文章を書いたのは少し前のことなのだが、最近ではクローン人間に対する考え方がちょっと変わってきた。

 クローン猿を生み出した中国人たちだが、彼らに対しこんな批評があったのをご存知だろうか。

「人類史上初めて兄弟姉妹や叔父叔母の存在を知らない一群が形成されている。」

 彼らもまた実験動物だったのだ。一人っ子政策の問題だけでなくそもそもソヴィエトと共に共産主義国家なるものが一つの実験だった。彼らはその子供なのだ。それではその対極のアメリカを見てみると、アメリカなるものもヨーロッパ人の夢や希望が生み出した広大な実験場だったと言える。実験動物が世界の主役を握っている訳だ。

 そこでこういう文章を書いてる自分自身を省みてみると、僕らはテレビを見るのが当たり前になり食品添加物を大量に摂取している初めての世代と言うこともできる。僕自身もまた実験動物であった。


 自然界に目を転じると、世界はクローン生物で溢れている(それをクローン生物と呼ばないのは僕らの偏見に過ぎない)。彼等の世界は差別もなく皆平等だ。それなら真の「差別のない平等な社会」なるものはクローン人間にだけ許されるのではないか。僕らは積極的にクローン人間生産に賛成すべきなのかもしれない。

 ただやっぱりそんな世界には住みたくない(それもまた偏見か)。


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ドリー・スープ ネコ エレクトゥス @katsumikun

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