#10 《灰色の脅威》は必然に―

 ハイドはその時知る由もなかったが、《灰色の脅威》がいたあの島で実践遠征が行われていた。

 話は島が消し飛ぶ一時間前へと遡る。


「今日で何日目だっけ?」

 黒髪で長髪の青年が隣に立つ獣人族の兵士に聞いた。

「一ヶ月くらいだ。何回も言わせんなよ、バセッタ」

「ん、ごめん」

 軽い調子でバセッタは謝る。そんな明るそうな見た目とは裏腹に、

(早く帰りたいな)

 目の前に《灰色の脅威》がいるのにもかかわらずそんなことを思ってしまう。

 連続勤務三十日目。普通に学校に通っていたなら九日は休める。なのに、実践遠征では休みなんてない。休むことが許されず、戦場とはそう言うものなんだと、わざわざ自ら《脅威》のところに行き学ばされる。

 バセッタは特殊能力の制御が可能になり魔力も開花したことにより急遽実践遠征と言う形で《脅威》と戦うことになった。

 魔力が開花しその時は喜んだのにこの仕打ち。不運だなと思いつつもアーウェルサ最恐最悪の種族と呼ばれる魔神族たる自分ならともしかしたらと言う淡い思いもあった。

 だが、その思いも実践遠征が始まったその日のうちに砕かれた。

 特殊能力により《脅威》が魔力を発動することが出来なくなった。それだけで勝てると思ってしまっていた。

 甘かった。たったそれだけのことで《脅威》は《脅威》とはならない。相手がとんでもない力を持ちどうしようもできないから《脅威》は《脅威》なのだ。

 バセッタが魔力無しに特殊能力を使えるように、あいつにもあった。それが特殊能力なのかはわからないが、魔力を封じたうえで一般兵を石に変えた。兵だけじゃない。周辺にあった木も花も大地さえも石に変え、喰らった。

 あれは絶対に忘れることのできない一生モノのトラウマになったのは間違いない。

「バセッタ!よく聞け。実践遠征は今日で終了とする。飛空艇が準備できるまで耐えてくれ」

「了解」

 遠征の指揮官であるドラゴン族龍人種の言葉に答え、先が五つに分かれた赤い槍を両手で構える。

 帰れるのは嬉しいがその前に傷の一つでもつけておきたい。

 灰色の奴の体には魔力によるダメージが入らない。なぜかは不明だが何かしらの耐性があると思われる。次に、打撃・斬撃も意味を為さない。手にしている槍で突いても同じだ。

 血は出ないし、ついた傷も瞬時に回復してしまう。魔力によるものではなく体の特性。

 そんなの相手によく今まで生き残ってきたものだと自分をほめたくなるが、それは無事に帰還してからだ。

「バセッタ!来るぞ!」

 兵の誰かが叫んだ。

 わかっているよ、と心の中で舌打ちし右にステップ。

 さっきまでいたところがなんの前触れもなく石化した。

 ついで巨大な足が上げられ地面が大きく震えた。大きな地割れが起こり数名の兵士が巻き込まれた。彼らには悪いが助けてあげる余裕はない。

「『エムディメントウィング』」

 魔力で漆黒の翼を出現させ空高く舞い上がる。

 目の前には四つ目の細い顔。ぎょろっとした目でバセッタを見ている。

 その目はどこか自分たちのことを嘲笑っているようでいて、お前たちみたいな雑魚が敵うわけがないと言っていつようだった。

 実際その通りだとは思う。きっとこの生物にとって自分たちは虫けら程度でしかない。もしかすると、虫けら以下ただのごみにしか見えていないかもしれない。

「その虫けら以下のごみがお前を倒せたらどうする?」

 通じるはずないとわかっていながら笑ってそう言ってみる。

「グギ?」

 こちらの言葉を理解したのか《脅威》は小さく音を漏らし、首を傾けた。

「なんてな。せめて、お前の眼の一つはいただくぞ」

 バセッタは自身の周りに魔力を展開した。黒い靄、自身の闇の魔力が体を取り巻き鎧となる。

「『エムディメントアーマー』」

 ただの鎧ではない。防御力はもちろんのこと身体能力を飛躍的に上昇させる。

「いくぜ」

 手にした槍へと魔力を込める。

 赤かった槍は黒く変色した。これにより槍の一時的な強化も完了。下準備はすべて終わった。あとは、殺るのみ。

 予備動作もなしに槍を前に突き出し突撃する。それに気づいた《脅威》が背に生えた翼で大きな風を起こす。しかし、その風を切り裂きながら進むバセッタには効果を成さず長い首を貫いた。さらに切り返して長い胴体へとその身を沈めて貫通し、最後に細い顔の原型がなくなるまで突き刺し続けた。

 血は出ない。体液もない。こいつの体には消化器官といった臓器の類も見受けられない。この体に侵入し分かったことだ。

 奴の体は濃密な魔力だった。魔力そのものが体を形成していた。確かこんな特徴を持つ生物がいたような。そうだ、魔性生物だ。

 何とも言えない違和感がバセッタを襲う。

 自身の特殊能力は他の魔力を無にすること。相手が魔力の塊であるのなら、この特殊能力が発動した時点で体が消滅していてもおかしくないはずだ。否、《灰色の脅威》にバセッタの特殊能力は通じていなかった。

「嘘、だろ?」

 ふっとバセッタの体から力が抜け重力に従い落下した。

 フラフラになりながらも立ち上がり、自身に起きた変化に気付いた。さっきまで有り余っていた魔力がすっからかんになり、鎧は消え、槍も元の色に戻っている。さらにとてつもない疲弊感に襲われる。

 『アブゾーブ』と言う魔力がある。それは魔力を吸収する魔力なのだが、それだけだと『ドレイン』と何の変わりはない。『アブゾーブ』の恐ろしいところは体力も吸収するところにある。それは『ドレイン』の魔力にはできない事だ。そのことを、経験も知識も浅いバセッタは知らない。

 もしそのことを知っていて且つ相手がその魔力の塊だと気づいていれば《灰色の脅威》に突っ込むなんてことはしなかっただろう。

 原型を取り戻した四つ目の顔がバセッタを見下ろす。

(まずい。殺され―)

 灰色の足がバセッタの腹に食い込んだ。

「グッ、ガッ・・・」

 バキバキとあばら、肋骨の折れる、いや粉砕される音が直接鼓膜に響く。一瞬の浮遊感。飛ばされたバセッタの体は細い木に当たり、勢いを止めずに倒し続け数メートル先の大木に背を打ち付けて止まった。

 体が動かない。意識が朦朧とする。

 ―ゴゴゴゴ、と地面を揺らす轟音が響く。

 視界の隅に飛空艇が映った。

(あぁ、俺は見捨てられたのか)

 そう理解するのに時間はかからなかった。バセッタは彼らが無事に帰るための捨て駒だったのだ。

 悔しさで涙がにじむ。《脅威》を前に自分がいかに無力で力不足なのかを実感した。現実を突きつけられた。

 ―視界に映る飛空艇が突如石化した。

 どうやら《灰色の脅威》はこの島から誰かを逃がすつもりはないらしい。

 ざまぁみろ。内心そう思いながら静かに目を閉じた。

 バセッタの傷は深い。回復する手段も持ち合わせていない。そもそも魔族は光に弱いため再生力が高いとされている。恐らく、成人だったらこの傷も回復していただろうがまだまだ幼体であるバセッタにはかすり傷を完治する程度にしか再生能力はない。ただ黙って死を待つしかなかった。

 結局、帰ることはできなかった。もう一度だけ、ほんの少しでいいから、あの変わった連中の多いあのクラスの奴らと過ごしたかった。あいつらは元気にしているんだろうか。シオンがよくわからないことを言って、ラプトがそれを止めて。それだけでクラスは明るかった。そうだ、あの静かなエルフ族。あの子はクラスに馴染めているんだろうか。

(結局、あの子とだけは話せなかったな)

 それだけが、未練だった。

 少しミステリアスで、努力家で、誰よりも兵士になることを目指していた。そこにいつしか惹かれていた。

「レ・・・イネ・・・ス」

 その名を呟きバセッタ・ロスノフは息絶えた。

 そして《灰色の脅威》に吸収され亡骸も消えた。

 その灰色の脅威はハイドの見ていた破壊活動を行った。

 このことを知るものはどこにもいない。名もない島で。一人の生徒が《脅威》と奮闘し息絶えたことを。

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