#9 《灰色の脅威》は突然に―

 その日の授業を難なくこなしその放課後。ハイドは学園長室に呼ばれ朝と同じようにソファへと腰掛けていた。

「あの、学園長。話とは?」

 ここに来てから五分。一向に話そうとせずコーヒーをすする学園長に話題を振る。

 ゆったりとした動作で手にしたコーヒーカップをテーブルに置き細い目を見開いた。

 背筋に走る悪寒。今度は逃げることなく観察する。

 その目に、光はなかった。

 ただ無機質に輝くことのないプラスチックのような赤い目がそこにあるだけ。

「ハイド君。君をここに呼んだのは君のクラスにいるバセッタ・ロスノフ君のことだ」

「はぁ」

 まだ会ったことがないために曖昧な返事になってしまう。

「現在実践遠征中の彼だが、彼含め戦場に向かったものとの連絡が途絶えた」

「え?まさか、死んだとか言わないですよね?」

 連絡が途絶えたのだからその可能性が極めて高いということになる。

「何ともいえん。そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん。ただ、こうなった以上討伐対象がどうなったのか。いつ帰ってくるのか。本当に帰ってくるのかもわからない」

 ただ淡々と感情を込めることなく報告する学園長。

 機械族なのだから仕方のないことかもしれないが、事務的に言われるとその分心に来るものがある。

 トリアはバセッタがいれば《脅威》に勝てるかもしれないと言った。それを聞きやっと自分の担当するクラスの生徒たちを兵士に育てることの決心がついたというのにその彼が生きているのかもわからない状況となった。なんだか今日は心の揺れる一日だ。

「ハイド君。君のクラスの生徒たちには伝えないでくれるかな?まだはっきりとしたことがわかっていないからね」

「はい、わかりました」

 そう返答し学園長室から出る。

 目が合った。学園長室の前で静かにたたずむレイネスと。

 いくらドアがあるとはいえレイネスの優秀な耳は今の会話を拾ったのだろう。

「大丈夫か?」

 ハイドからすればよく知らない奴が音信不通になったというだけだが、レイネスからすれば同級生が、ある程度顔の知っている奴がいなくなったのだ。大丈夫なわけない。

「大丈夫」

 なのに、こんな時でもレイネスは強がって見せている。泣きたいときは泣いてもいいのに。必死にこらえている。

「聞くつもりは、なかった。けど」

「気にするな。けど、口外はするな」

 こくりと小さくレイネスは頷いた。

 そんなレイネスを連れこの学校の屋上へと向かった。

 空は日が傾き始めオレンジ色に染まっていた。こんな気分じゃなきゃきれいだということも出来ただろうが、今のこの状況にはふさわしくないなと苦笑する。

「なぁレイネス。俺は教師としてどうだった?」

 それは午前中に確かめてくれと頼んだこと。授業が終わってすぐに聞こうと思っていたのだが学園長に呼ばれレイネスを待たせていた。

「今、それを聞く?まぁ、いいけど。・・・先生は向いてないよ」

 ボソッと、息を吐くように小さく言った。

「先生は、生徒の気持ちを分かっていない。私は、一人でいたいのに、そうさせてくれない」

「当然だ。兵士は基本的には団体行動。だからクラス内でもある程度の絆を深めておかなくちゃならない。それが、この学校のやるべきことでも」

「違う!確かに兵士には団体行動が必須。けど、そこに絆なんて必要ない。友情も、愛情も、必要ない」

 なるほど。こういう考えの生徒がいるとは思いもしなかった。だが、

「なんでお前は泣きそうな顔をしていた?友情や愛情が必要ないと思いながらもそれなりに思うところがあったからそんな顔をしていたんだろ?」

「違う。泣いてなんか」

「まだ強がるか。俺はここにきてやっと一日目を終えようとしている新任だ。けど、お前の担当の教師だ。教師が一人の生徒に対して干渉しすぎるのもどうかと思うが、俺はお前のことを知りたい」

 気持ち悪い。そう言ってやろうと思った。

 勝っているであろうこの手足を使って叩きのめしてやろうかと思った。

 レイネスにはどっちも、できなかった。

 同族だからか、ハイドがあまりにも簡単に壊れてしまいそうな悲しみに暮れた表情だったからかは分からない。ただなんとなく、この教師にならと言う思いが芽生え、直ぐに枯らす。

 他人と過度な干渉をしてはいけない。

「まだ、信頼できない」

「そうか。じゃあ信頼されるように頑張らなきゃな」

 頭を掻きながらハイドが笑う。

 レイネスはそれを見ないように目を逸らし、不意に聞きたいことが思い浮かんだ。

「ねぇ、先生。聞きたいことがあるんだけど」

「なんだ?俺の生い立ちについてか?何も面白いことはないぞ?」

「違う」

 別に興味ないし。

「先生は、もし明日、世界が終わるなら、何をしたいの?」

 今朝聞かれ、こちらからは聞かなかった実現するはずもなく無意味な質問。

「んー、そうだな」

 ハイドは悩む。今朝なら簡単に答えられたはずの質問に答えられずにいる。何もしないか、トリアのように戦うことを選ぶか。ハイドは、

「ギリギリまでお前らを兵士に育てる。そして、抗う」

「私たちを、使って?」

 そう言われると胸が痛いが、

「その時は俺も一緒になって戦うさ」

「ふーん。弱いけど、頑張って」

「弱いけどは余計だ」

 そう言いレイネスへと笑いかける。

 レイネスも口元を緩ませた。・・・気がした。

 逆光のせいで表情が上手く読み取れないんだよ、こんちきしょう!

 レイネスはそんなハイドの心の叫びをうっすらと耳にした。

 だが、気のせいだろうと緩ませた口元を固く結ぶ。

 いくら聴力がよかろうと、所詮は耳がいいだけのこと。心の声など聞こえるはずもない。だとしたらあの悲鳴にも似た悲痛な叫び声は一体何だったのだろうか。それを考えて、やめた。考えても無駄なような気がした。

 ため息を一つつき、ハイドを呼ぼうとしたその刹那。

「ギュオオーン!」

 どこか遠く。かなり遠くで何かが吠えた。頭が痛い。

「レイネス?どうかしたか?」

 ハイドには聞こえていなかったようだ。レイネスの耳が優秀であるためにその轟音を拾った。

 頭痛を必死にこらえながら聞こえた方を指す。レイネスの意識があるのはここまでだった。

 気を失ってしまったレイネスの体を抱きかかえ指された方へとハイドは目を向け魔力を集中させる。

 魔力を使えば視力に限界はない。何かが見えるまで魔力を集中し続ける。

 十キロを超え、百キロを超えた二百キロほどの地点。

「なんだ?あいつ」

 灰色の体。六本足。大きさは高さ十メーター、横幅三十メーターほどだろうか。長い首に細い頭。翼のようなものも生えている。

 迷うまでもない。アーウェルサを襲う《脅威》だ。そいつが一つの島で破壊活動を行っている。

 口から炎を吐き、足踏みで地を揺らし、翼で風を起こし森が飛ぶ。

 ハイドがその姿を視認してからわずか五分。その間に一つの島が消えた。それでも物足りないと言わんばかりに《脅威》は口を大きく開けて体を震わせた。

 島が一つ消し飛んでもなおハイドは観察を続ける。

 《脅威》の小さな頭がこちらに向けられた。四つの目。びっしりと生えた牙。その白い牙には赤いものがこびりついているように見える。まさか、生き物を喰らったのか?そう考えていると背筋に悪寒が走った。・・・見られている?四つの目がハイドを見ているようにしか見えなかった。

 慌ててハイドは目への魔力集中を解いた。

 現にこちらから向こうが見えていたのだからその逆があっても不思議じゃないということをすっかりと頭から抜け落ちていた。

 気のせいだ。気にすることはないと自分に言い聞かせ、レイネスを背中に乗せてハイドは医務室へと向かった。


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