#5 残酷なる未来

 こつ、こつ、こつと断続的な足音が廊下から聞こえる。それはレイネスのいる医務室の前で止まり次いでコンコンと軽いノック音。

 キー、と扉が開く音。こつ、こつとまた足音がして誰かが医務室へと入ってきた。

 まだ授業の終わりを告げる鐘は鳴っていない。となれば今この場にいない医務室の養護教諭が帰ってきたと考えるのが妥当である。

 しかしそれは違う。

 レイネスの優秀な耳はただ良いだけではない。これは今まで生きてきて培った能力だが、音を聞き分けることが出来るのだ。つまり、誰が来たのかをカーテンの内側にいながらほぼ正確に知ることが出来る。

 つい最近聞いた足音。間違いない、と思う。

 レイネスの聞き分け能力もほぼ正確なのであって絶対ではない。

「ん?誰もいないのか?」

 そんな不安はこの一言で払拭された。声を聞けば間違えるはずもない。同族で黒髪の新人で新任の教師。ハイド・ナムハだ。

 授業中であるはずの彼がどうしてこんなところに来たのだろう。わざわざ心配でもしに来たのだろうか。いや、そんなの授業が終わってからするべきことだ。じゃあどうして?

「レイネス?いないのか?」

 やはり自分に会いに来たというのは間違いなさそうだ。

 音を立てないよう布団へと潜りさっさといなくなれと念じる。念じたところでどうにかなるわけでもなく勢いよくレイネスのいるベッドを囲むカーテンが開けられた。

 ここまでくると逃げられるわけもなく、布団までめくられた。

 そこには白い歯をみせて笑うハイドが立っていた。

「やっぱりいたな?ここだけカーテンが閉じていたから怪しいと思ったんだよ」

 ネタ晴らしをするようにけけけと笑って言った。

「病人を起こしてまで、授業中の先生が、何の用?」

「それを説明する前に二つ訂正しろ。まず、お前は病人じゃない。次に寝ていない。どうだ?違うか?」

 首を横に振った。間違っていない。仮病がばれていたということか。けど、何かがおかしい。医務室に行けばと言ったのは他でもなくハイドだ。ハイドの目にはレイネスが具合悪そうに映っていたのではないのか。

「今更連れ戻しに来たの?」

「別に連れ戻しに来たわけじゃない。ただ、なんつーか、あの教室にいづらくてな」

 どこか悲しそうな顔をして言っている。

 自分がいなくなった後の教室で何が起きたのかをレイネスは知らない。遮蔽物の多い室内で一つの音を聞き取るのはいくら耳が優秀でも難しい。

 だから何が起きたのかを知るためにはこの男から直接聞くしかないわけだが、聞く必要はあるのかと考えてしまう。

 この男に何かあったとしてそれは自分には何の関係もないことだ。

「なぁレイネス。もしも、もしだ。明日、世界が終わるなら、たまたまそれを知っていたとすれば、お前は何をする?」

 突拍子もないことを聞かれ、レイネスの脳裏に今朝聞いた会話がフラッシュバックする。

 あの時は自分に関係ないし無意味な会話をしているなぁと思ったが、いざ自分に聞かれてみてもそれは変わらず、無意味なように思えた。だから、

「特に、何もしない。今は、まだ」

 と答える。

「俺と似たようなことを言うな」

「え?」

「いや、こっちの話。じゃあさ、それはどうしてだ?」

「それは・・・」

 思わず返答に困ってしまう。この男にこんな話をする意味はあるのかと考えてしまう。

「あー、言いたくないならいいや」

 ハイドは乾いた笑みを浮かべその場から立ち去ろうとする。

「次の授業は魔力講習だ。元気なら着替えて校庭に」

「待って!」

 ハイドの言葉を遮りレイネスは思わず声を上げた。

 今まで出したことがないような声量に自分も驚きながらもすぐに落ち着きを取り戻し話す。

「今はまだ、戦う力がない。だから、もし明日、世界が終わるなら、私は何もしない。けど、戦う力があるのなら、《脅威》に立ち向かって、ギリギリまで対抗して、死に抗ってみたい」

「・・・そっか」

 今の話を聞いてハイドがどう思ったのかレイネスには分からない。いくら耳が優秀でも聞こえない音は聞き取れない。心の声は知りようもない。

 ただ、彼は悲しみのような、怒りのような、呆れのような、説明しがたい複雑な表情を浮かべ、

「やっぱりそうなんだな」

 と小さく呟いたのだった。

 その呟きにどんな意味が込められているのかレイネスは考えようとしなかった。考える必要はないと思ったから。

 そして、一つ分かった。彼はこの学校についての理解が出来ていないということ。

「先生、よく聞いて。この学校に通う生徒はみんな、兵士になりたくてここにいる。《脅威》と戦いたいがために、入学して日々精進している。仮に戦って死んでもそれは悲しいとは思わない。むしろ、望んでいる」

 だから、死ぬ前に《脅威》と戦いたいとレイネスの願いは不思議なことじゃない。

「なんとなくそんな気はしていたさ。恐らく、ラプトにもシオンにも同じ質問をしたら似たような回答が返ってくるんだろうな。いや、シオンは意味が分からずに首を傾げそうだけど」

「かもね」

 ハイドは答えながらもやはり複雑そうな表情を浮かべていた。兵士になりたいと願う子供をよく思わないのは前任の担当教諭に似ている。

「向いてないんじゃない?」

「え?」

「この職場」

「驚かせんなよ。教師が向いてないって言われるかと思ったろ」

「先生の授業、まだ受けてない。教師として向いているか向いていないかは、判断のしようがない。けど、やっぱりここは」

「向いてないのかもな」

 ハイドがレイネスの言葉を引き継いで言う。

 さっきのような複雑な表情ではない。もっと単純な表情。どこか諦めてしまったかのような。そんな気がした。


 ハイドはため息をついて目の前の少女を見た。

 少しだけレイネスと話そうと思ったが、話したことによりこの職場が自分には向いていないということを思い知らされた。まぁ、まだ初日で向くかどうかを確かめる材料なんてないんだけど。

 兵士となり《脅威》と戦って死ぬ。それを子供たちが望むのは残酷すぎやしないだろうか。もっと他に明るい未来だってあるはずなのに。特に、特殊組の生徒たちは。

 もしも明日、世界が終わるなら何をしたいか聞いたのはただの気まぐれによるものだった。学園長とそんな話をし、こいつだったらどう答えるのか。ただそれが気になっただけ。

 結果、ハイドは何もしないと答え、レイネスもまた何もしないと答えた。ただ、彼女は今の話をした。今と未来とで選択肢を変化させた。

 力のない今は何もできずにただ黙って死を待つ。力をつけた未来では《脅威》に抗って散る。

 死ぬことに変わりはない。違うのは命の使い方。

 前者は無駄に生命を失い、後者は自分のやりたいことをしたのちに生命を失う。

 ハイドの選択は圧倒的に前者だ。

 死ぬ前に会いたいと思える存在がいないことを言い訳にただ黙って死を受け入れると言った。その考え方は今でも変わらない。けど、死ぬギリギリまで抗うってのもなかなかカッコいいなと思った。そう思わされた。このエルフ族の少女に。

 わかったことがある。今目の前にいるエルフ族の少女、レイネス・メリケルは心に何かを抱えている。それは確かであるということ。それから、しっかりと生きようとしている。ちゃんと目的をもって生きている。

 世界が終わる。これが起こるとすればその原因は八割がた《脅威》によるものだろう。《脅威》から世界を守るためにカルベン兵士学校がある。

 カルベン兵士学校の生徒たちはみな兵士になることを望んでいる。その結果がどうなるにせよ、兵士になりたいと思っている。ハイドはその兵士になりたがっている子供たちを、生徒を導き立派な兵士にする教師だ。

 迷っちゃいけない。教師が迷えばそれに付き従う生徒にも迷いが生じる。ここに着任した以上はやらなければならないのだ。

 ―ゴーン、ゴーンと授業の終了を告げる鐘が鳴る。

「レイネス、次の授業には来い。俺のこの学校での初めての授業だ。そこで教師として向いているのかそうじゃないのか。お前の目で見極めてほしい」

 そう言い残し困惑するレイネスを置いてハイドは医務室から出た。

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