#2 黒髪のエルフ族

 今いるところより東の方角から始業を告げる鐘の音が聞こえた。この音が聞こえるということは着任初日に遅刻するということになる。

 ハイドはやってしまったなと頭を掻きながら西の方角へと目を向けた。

 そこには、まるでダンジョンの最深部にでもいそうな腕が四本、筋肉質で肌が黄金色に輝く人型の何かがいた。

 距離にして数百キロはある隣の島と言うには物がなさすぎる無人島。

 あれがアーウェルサを滅びへと導いている《脅威》のうちの一体か。

 なるほど、確かにあれがひとたび暴れればあの無人島は一瞬にしてただの岩塊へと変わり果ててしまうだろう。ただなんとなくそう思った。

 眼球への魔力の集中を解き視力を元に戻す。

 西の方角には怪物はおろか島の影すら見えない。ただ青白い空が広がっている。それだけ今いるこの島との距離があるということだ。だから、こちらからあの《脅威》に向かって何もしない。

 それでいいのかと思う。

 世界を終わらせてしまうほどの《脅威》を放っておいても。先に不安の芽を取り除いた方がいいのではないかと。

 距離があるためにこちらからは仕掛けない。まさかこちらが気づいていないわけはない。もしも気づいていないのなら、危険に対する察知能力は所詮それまでだということだろう。

 ―ゴーン、ゴーン。

 また鐘の音が聞こえた。

 事前に教えられた通りだとこの音は朝礼が始まる合図だ。この朝礼の中でハイドは新人の新任教師として生徒に紹介される手筈になっている。

 けれどもハイドはここにいる。学校の敷地でもなく校門の前ですらなく、軍事島『ミリフェリア』の玄関ともいえる南西港湾区画にいる。

 今から学校に向かえば朝礼の終わるころに到着するだろう。新人として、新任としていけない事であることは分かっているがその方が都合はいい。

 なにせ人前に立つことはあまり好きじゃないのだ。

 ではどうして教師という職に就いたのかと聞かれれば、それは教えるのが好きだからだと自信を持って答えることが出来る。

 教師は人前に立つ仕事なのに、好きなことをしたいという自身の願望が打ち勝ち好きなことと嫌いなことを同時にすることとなった。

 プラスマイナスゼロで釣り合いは取れているが、人前に立つというのはどれだけ経験しても慣れることが出来なかった。

 一つだけネタ晴らしをしよう。ハイドは新任であっても新人ではない。教師としては数年間業務をこなしている。ただ、これから向かう学校では新人として扱われる。だからハイドは新人の新任教師という立場にいる。

「ふぁ~、眠い」

 大きなあくびをし、ようやくカルベン兵士学校へと歩みを進める。

 煉瓦で舗装された道は森林へと続き、その先に学校がある。

 環境だけならいいところだな。

 空気が澄んでいて自然も豊か。周囲には目立った島もなくて静か。時々聞こえる鳥のさえずりが心地よい。

 ―ガサ!バキ!

 歩く右手側の森で全く心地よくない激しい物音がした。木が折れて何かが落ちたかのようなそんな音。なにか動物が落ちたのだろと気にせず歩こうとするが、森の中が少しだけ騒がしかった。

 歩みを止めて日の光が充分に入っておらず薄暗い森の中へと目を凝らす。

 視界の隅で何かがぴかっと光を反射した。

 何かあるのかもしれない。その好奇心に駆られ道を外れて光が反射した方へと進む。

 しばらく道なき道を進んでいると、

「あーもう、最悪。蔓が絡んじゃったし」

 少女の声が聞こえた。

 聞こえた方へと進むと、予想通り木から落下したのだろう。手足に蔓が絡み宙吊りになった緋色の髪の少女がいた。

「ってい!・・・ダメだ。切れない」

「何かお困りか?」

 蔓が切れずにもがく少女にたまらず声をかける。

 黒い軍服を身にまとっているということはこの先の学校の生徒なのだろう。

「だ、誰⁉って、黒髪のエルフ族?珍しいね」

「あぁ、よく言われるよ。いや、そうじゃなくてさ」

「は!動けない女の子の前に男性が現れる。このシチュエーションはまさか」

 ダメだ。人の話を聞いちゃいないし思考も危ない。関わらない方がいいと判断する。

「助けてあげようと思ったがやめておくか」

 自分も学校に行かなくてはならないのだ。何も見なかったことにしてさっさと向かうことにしよう。

「じゃ、達者でな」

「ちょ、ちょっと待ってください!冗談だから!お願い、助けて!あの、おいてかないで!」

 まったく、初めからそう言っていればよかったものを。

 ハイドは自身の右手に魔力を薄く纏わせ、手刀で少女の手足を拘束している蔓を切り裂いた。

 拘束するものがなくなり重力に従って地面に落下する少女は両手を地面につき一回転して着地した。大した身体能力だ。

「ふー、ありがとう!助かったよ!」

「ケガはないか?」

「うん!本当にありがとね!えーっと、黒髪のエルフ族さん!」

 にかっと太陽のように眩しい笑顔を浮かべて少女は言った。

「いや、別にいいさ。それよりも、いいのか?もう朝礼が始まってから結構時間が経っていると思うけど」

「は!急がなきゃ。また縁があればどこかで会おうね!」

 あわただしくそう言って近くに落ちていた黒いカバンを手に緋色の少女は木から木へと飛び移りながら森の奥へ姿を消した。そんな移動の仕方だからさっきみたいなことが起きたんだろうなと推測する。

 それにしても、『縁があれば』か。あの緋色の少女とはすぐにまた会うことになるだろう。まぁ、ただの勘だけど。

「さて、俺ものんびりはしていられないな」

 煉瓦で舗装された道へと戻り、散歩でもしているかのような軽い足取りで新しい職場へと向かう。

 黒髪のエルフ族。

 緋色の少女に言われた言葉が脳裏をかすめて離れない。

 確かに自分は黒髪であり、美男美女で名高いエルフ族であることに変わりはない。ただ、少女自身が言っていたように黒い髪を持つエルフ族と言うのは珍しい。見た目だけなら魔族にも、人間にも見える。なのに、あの少女はハイドを一目見ただけでエルフ族であることを見抜いた。

 こんなことは初めてだ。

 他の種族は持たない外見的特徴であるとんがり耳のせいだろうか。だとすればまだ納得できる。

 ―視界に大きな建物が映った。

 コンクリートとは少しだけ素材が違う。コンクリートよりも頑丈なアーウェルサ特有の素材で建てられたまるで要塞かと錯覚してしまうような威圧感。ここが新たな職場であるカルベン兵士学校。

 この場所に来るのは二度目ではあるがその迫力に息を飲まずにはいられない。

 すでに朝礼が終わった頃だろうか。建物についた窓から生徒の姿がちらほら見える。

 とりあえず学園長のところに行くか。

 初めてここに来たのはつい昨日のこと。新しい職場の下見ということで施設の見学をしに来ていた。そのおかげで建物の構造もしっかりと頭の中に入っていた。

 迷うことなく学園長室前にたどり着き、今一度着慣れていない軍服を正す。そして、一呼吸おいてから軽いリズムで二回ノックした。

「あいておる」

 しわがれた声の返答を聞きゆっくりとドアを開けて中へと足を踏み入れる。

「ハイド・ナムハです。この度は遅刻してしまい誠に申し訳ございません」

 深々とお辞儀する。

「よいよい。顔を上げなされ」

 ハイドはゆっくりと顔を上げて視線は少しだけ下げた。

 目の前に初老の学園長が立っているのだが背丈が一メートルもない小型なため自然と見下ろす形となる。

「一先ず腰をおろしたまえ」

「はぁ・・・」

 ハイドは戸惑いながらも勧められたふかふかのソファへと腰を掛ける。

 これから遅刻したことに関する長い長いお説教が始まるのかと思ったがどうやら違うらしい。

「ハイド君。もし明日、世界が終わるなら君は何をしたい?」

 ・・・は?

 思わず口に出そうになったその一文字を奥へと飲み込み思案する。いつ終わるかもわからないこの世界が、明日終わるなら?

「何もしないでしょうね」

「ほう、どうして?」

「世界が終わる前日の自分は翌日に世界が終わることを知らないと思うからです」

「えーっとね」

 何故だか学園長は困惑していた。おかしなことを言ったつもりはない。

「ハイド君。これはたとえ話だ。明日世界が終わるということを君が知っていたとしたらどうする?」

 もし知っていたとすれば?そう聞かれると考え方も変わってくるが。

「それでも何もしませんよ。死ぬ直前に会いたいと思う存在もありませんしね」

「それが、君の答えか」

 細い目をさらに細めた学園長の呟きに小さく頷いて答える。

「では、早速授業に向かってくれ」

 何とも急なことだなと思ったが、よく考えれば授業の開始を告げる鐘は鳴っている。時間的にはハイドが学園長室に足を踏み入れる直前くらいの話だ。

「昨日も説明したが、君の担当クラスは『アンカモ』だ」

「類まれな能力を兼ね備えた子たちのクラスでしたね?」

「そうだ。ほれ、早くいきなされ」

 学園長は細い目を開眼させた。

 その目を見た瞬間、背筋に悪寒が走った。理由は分からない。ただ、あの開かれた目に異様な雰囲気を感じ取った。

「失礼します」

 あわてて、けれどもお辞儀は忘れずにハイドは学園長室を飛び出した。

「・・・顔を見られて怖がられるのは心が痛いのぉ」

 学園長がそう呟いたことを誰も知らない。

 ハイドは学園長室を出たその足で隣にある職員室へと向かった。

 さすがに何の準備もしていない状態で授業などできるはずもない。だから教室に向かう前にハイドの机の上に置かれているという資料を回収することにした。

 事前に置いておくと昨日学園長に言われ、どうせなら今くれればいいのにと思いながらそれを口にすることはなかった。

 職員室には誰もいなかった。今が授業中のためだろうか。それにしても誰もいないというのはおかしな話だ。だが、そんなことを気にしている余裕もない。自分の机から封筒に入った資料を手にし、職員室から出ようと出入り口に向かう。

 すると、今まさに開けようとしていたドアがひとりでに開いた。まさか自動ドアでもあるまい。となると当然外側にはドアを開けた張本人がいる。

 それは少女だった。

 腰まで伸びる美しい銀髪。特徴的なとんがり耳。顔はどこか幼さを残しながらも美しい。吸い込まれるような碧眼。ハイドと違いエルフ族だと一目でわかる少女だった。

「黒髪の、エルフ族・・・?」

 少女が幾分不思議そうにつぶやいた。

「あなたが、新人の新任教師?」

 どこかたどたどしく、きれいで澄み渡るような声。

「あぁ、そうだけど」

 ハイドが答えると少女はくるりと背中を向けて歩き出した。

 ついてこい。そう言われているような気がしてハイドは黙って少女について歩き始めた。


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