第173歩: 白イラクサ
「いつにもまして落ち着きがありませんね」と天井から蛙に言われて、「キミには関係ないだろ」とヨゾラはしっぽを股の下へぎゅっと巻き込んだ。
付け根からお尻の周りに、どうにもヘンな感じがあるのだ。まるで蜘蛛かなにかの糸がまとわり付いて、動くのをいちいち邪魔されてるような感じだ。アルルに「
うー、むー、ふー、と曲げたり伸ばしたりしてみるのだけれど、あまり効果もない。気分がすっきりしないから、気づけば床をガリガリやっていて「爪とぎは爪とぎで、ってぇ約束だ」とペブルに注意されたりした。
面白くない。
「慣れない事したからな。一晩寝て起きれば治るよ」
アルルが湯気のたつスープ鍋を調理場から運んでくる。「何をやったんだい?」と尋ねる父親の深皿が白イラクサのスープで満たされ、良く言えばすっきりとした、悪くいえば青くさい匂いが部屋に漂う。
ヨゾラは左を見上げて答える。
「字を書こうとしたんだ」
「ほお!」と大きな声のペブル。
「ヴコ」と喉を鳴らす
「パン」とテーブルにパンの籠を置くアルル。
「ヨゾラちゃん、文字ってか。使い魔連中でも字を書こうとした奴ぁいたっけかな。どうでえ、ホップ?」
「私の知る限り、いらっしゃらないかと」
「だよなぁ。で、どうだったよ? なに書いた?」
「んー、頑張ったんだけどね、なんにも書けなかったんだよ。結局アルルに書いてもらっちゃった」
「尻尾でマルは描いただろ?」アルルがパンとスープを床に置いてくれた「なんにもって言わない。ピファちゃんだ。マルひとつでも喜んでもらえるよ」
「だーってさぁ、もっとやれると思ったんだよ。しっぽの先にインクつけて、ちょちょいって」
ほほう、と低くペブルが唸る。
「てっきりそのおててでやったんかと思ったぜ。尻尾とはまた、面白ぇ事を考えつくもんだな」
「ほんとはさ──」
とヨゾラはしっぽを宙にうねらせる。
本当はインクをしっぽの毛につけようと思っていたのだけれど、汚れるからとアルルに止められた。かわりに
他にもいろいろ、かいぜんのよちが多い。
──改善の余地。
そうそう。
「──まぁ根気よくやるこったよ。アル坊も字の練習するたんびに手が
「泣いたの?」
「泣いてはない」
「お懐かしゅうございますな」
「泣いてないっての」
主張を曲げないまま、ぺたんこ鼻の魔法使いは話題を変えた。
「せっかくのカランカさん料理だ。冷めるまえに食べようぜ」
アルルが周囲の魔力を取り込み、ペブルもそれに続く。ヨゾラのヒゲが魔力の流れを感じ取る。
「ありがたくいただきます」
「お裾分けに感謝する」
魔法使い二人がゆっくり魔力を解放した。じんわりと染み出る碧い光。ヒトの体を通した魔力は、「不思議なものたち」から魔法を借りる代償になる、とはヨゾラも聞いたことがあった。
だからこれは、カランカさんに対してのせめてものお返しなのだと。
カランカさんのたっぷりと広い背中は、今も調理場の隅に覗いていた。
ヨゾラは思う。
あたしも「不思議なもの」だとアルルに言われたけど「ヒトの体を通った魔力が欲しい」なんて思ったことはあったっけ?
天井を見上げれば、ヒトの形をしておらず、しかしヒトと話ができるものがもうひとりここにいる。
ホップが小振りな姿で魔力燈に張り付き、光に寄ってきた羽虫に舌を伸ばしている。あいつも、ペブルさんの体を通った魔力が来ると、嬉しかったりするんだろうか。
聞いてみたら、なにか教えてくれるかな。
でも、あいつあたしのこと好きじゃないみたいだしなぁ。
ヨゾラがぼんやりと天井を見ていると、ペブルが言った。
「アル坊、ちと頼まれてくれるか?」
「なに?」
「アザミを採って来てくれ。根っこ干すわ」
「ファビ姉に?」
「おう」
魔法使い親子の短い会話に「あざみ?」とヨゾラは訊いた。
アルルは白イラクサの葉っぱを口に入れそびれて、はみだしたのをずるっと吸い込んで、蛙に一言叱られてから、答えた。
「アザミは、棘のある花でさ。根っこを干して薬にするんだ」
「何の?」
「ご婦人の……いろいろの」
「いろいろ」
「アル坊、ヨゾラちゃん相手に何を恥ずかしがってんだお
「や、だってメシ時に生々しい話もさぁ」
「さらっと言やぁいいんだ。生理不順の薬になるってよ」
「せいりふじゅん?」
パンでお皿をふきながら、アルルが言った。
「昨日、ファビ姉が言ってたろ? いろいろ困ってるってさ」
言われてヨゾラは思い返す。
昨日。
お社で採った白イラクサをエカおばさんの所へ届けに行って、アルルは草で青々とした籠を
ファビ姉はアルルよりずっと噂に困っていて、水汲みに行くのもおっくうなんだそうだ。他の人と会えば、なんとなく「あの噂の話は?」と話題にされるので「そんな噂のようなことは何もありません」とやんわり否定をしなければならないし、中には「むしろいい機会だからいっそ」と言ってくる人もいるんだそうだ。
エカおばさんも大いに困惑しているようだけど「まぁでも、アルビッコちゃんなら、その、ねぇ?」という立場らしい。
アルルは「いやぁ、それは」と困り、ファビ姉も「そうよね」と眉を顰めていた。
ただ、それとは別に、なんだか体がむくんだり、熱っぽかったり、急に眠くなったりするのにも困っていて、アルルにひそひそと「月のものもね」と耳打ちしたりしていた。
「――それで、アザミの根っこがさ、ああいう、ファビ姉の困っている事に効くんだよ」とアルルがパンを飲みこむ。
なるほど、いろいろだ。
翌朝には雨も上がって、アルルと一緒にアザミとりに出かけることになった。
同じ日、見知らぬ二人組が森の小道を抜けてやってきた。
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