第172歩: 尻尾

〝親愛なるシェマ・クァタ殿

 元気か? ケト卿ともども、無事にアヴァツローには着いただろうか。

 俺たちは無事に地元まで帰ってきたよ。ちなみに村の名前はだ。あんまり使う機会も無いと思うけど、せっかくだから覚えてくれ〟


 

 ──ひとまとまり書き、アルルはインク吸取器ブロッターで文字を軽く押さえた。

 吸取器を揺らしながら、昨日のペブルとのやり取りを思い出す。



「幽霊と違うんか?」 と父は言った。

「ちゃんとした会話もできたし、違うと思う。幽霊にしては、行動がしっかりしてたよ。白いってだけで、あとは普通の女の子と見分けはつかなかった」

 五月マイゥの最終日。土地神のおやしろに繁る草に、アルルは大鎌を振る。

 ペブルは丸太組みのささやかな社殿の階段に座って膝を伸ばし、小さなたちへ「わりぃがヨソへ行ってくれ」と声をかけて、アルルの話を反芻した。

「ふん。で、その白い女の子の姿をしたがおの友達の……おー、シェマっつう娘さんに付きまとってると」

「そう」

 ざん。

 右から左へ大きく振った鎌が、三日月形に新たな刈り跡を残す。草いきれが立つ。汗を拭う。

「はっきりした被害や影響は今まで無かったらしいんだ。ただ、高波の直前や直後とか、白うなぎアンケリアスに出くわす前とかに遭っててさ。例えば水や海に関係する凶兆だったりするかな」

「あーん……でも、見え方が定まってないんだろ?」

 そこにヨゾラの声が割り込んでくる。

「そいつね、人によって男の子だったり、女の子だったり、白くなかったりするみたい。あたしとアルルは、まっしろ白い女の子に見えてた。……おい蛙! そのバッタあたしの!」

「決断が遅いのですよ猫」

 離れた草陰で、虫を追っていたらしい。

「ベロ伸ばせるのずるいぞ!」

「猫はご自身の牙や爪を卑怯とおっしゃるのでございますか?」

「おら仲いいな」

 ペブルが猫と蛙をいさめて、そのまま使い魔に問いかけた。

「ホップよ、何か心当たりあるかい?」

「不定形で、しかしヒトの形をとり、誰でもえるものでしたら、ヌマ乙女おとめが挙がりましょう。あとは東方のミカガミワライか。しかし、坊ちゃんの見たものとは結び付きませんな」

「だよなぁ。どっちも海のモンじゃあねぇし、つきまとうたぐいのものでもねぇし。息子むすこぐみよ、他に手がかりはないんか?」

「息子組って親父」

「あたしお願い聞くって言われて、ブラシもらえた」

「あん? その白いのからか?」

「ううん。しっぽ髪から」

「ああん?」


 アルルが経緯を説明すると、ペブルは大きな手を額に当てた。


「──いまいちこう、やることの定まらんだなあそいつぁ。シェマって嬢ちゃんだけじゃなく、他にもちょっかいかけるってのぁどういうこったか」

 額をぱらぱらと指で叩く。

わりぃなアル坊、どうにもコレだっつうのが思いつかん。ナニモノなのかわからんにしても、ずいぶん前に学院から帰る船で見たってんだろ? その船が無事だったんなら、凶兆だとか悪いだってのは取り越し苦労に思えるがなぁ」

「うーん……」

 アルルは鎌を止める。

 左にたまった青草の小山に「糸」を飛ばし、固まりで浮かせてめぼしい草を選り分ける。腰の籠に放り込んでいく。

「白イラクサがけっこうあるよ。カランカさんが使うかな」

「じゃあ今夜のスープはソレんなるか。エカんとこにも持ってってやんな。……しかしヨゾラちゃんといい、そのしろむすめといい、引きが強えなアル坊。今年は収穫祭のとみクジ当たるかも知らんぜ?」

「──富クジにはまだ『不思議なもの』がついてないんだろ? 俺の引きは関係ないんじゃないかな?」

「そこぁ、お前ぇ、今年ツくんだよ。おの引きで」

「そしたら魔法使いが独り勝ちして、そのうちクジなんか無くなっちまう」

「かーっ、世の中せちがれえなぁ」

 満足げに与太話を締めたペブルに、ヨゾラが疑問を投げかけた。

ってなにー?」



 手紙の続きをしたためる。



〝例の白い女の子について親父に訊いてみたんだけど、見当はつかなかった。親父って、海竜の時にもいろいろ調べて手紙くれた人な。

 その昔「不思議なものたち」の本を作るのに関わったぐらいだから、正直かなりアテにしていたんだけどさ、そう都合よくはいかなかった。引き続きうちの細々とした蔵書なり他の伝手なりあたってみるよ。

 ただ、白い子には数年前にもう遭ってて、でも高波まで何事もなかったんなら、凶兆ってことはないんじゃないか、って。それもそうかと思うけど、どう? 何かわかったらまた知らせる〟

「ねーアルルー」


 

 書く手を止めて顔を上げた。


「どうしたヨゾラ」

「雨だー。たいくつだー」

 仰向けに転がり、長い尻尾を前足でこねながらヨゾラがごねる。

 外は細かく重い雨。自室の窓から見える景色もけぶって、北側の森も霞んでいる。

「気持ちはわかるけど、降ってくれなきゃ困る。六月ジュオの雨は麦染むぎそめの雨だ。これが止んだら夏が来るぞ」

「そめ? 色が付いてるの?」

「色は、無い。けど、この時期の雨を境に、麦の色が変わるんだ。もうすぐ畑が金色に染まって、そしたら、みんなソワソワし始めるよ。収穫祭で開ける麦酒オゥルの樽だったり、とれたての麦を挽いて作るパンの事だったり、育てた豚を潰して作る腸詰めのことだったりでさ」

「おまつりやるんだ!」

十月オイトボロの初めだ、楽しみにしときな」

「四か月も先じゃないかー。遠いよー。あたしはいま退屈なんだー」

「天気には勝てないよ。ホップが外で天水浴てんすいよくしてるぜ、一緒にやってきたらどうだ?」

って、あいつ雨ん中で立ってるだけだろ? 濡れるのヤだし蛙もヤだ」

「一緒にやってみたら仲良くなれるかもしれない」

「やーだー」

「じゃむまで我慢しろい。手紙書いたら遊んでやるから、もうちょっと待てって」

「はーやーくー」

「うーるーさい」

 吸取器で余分なインクを取り、ペン先をインク壷にひたす。



〝別件。こないだヨゾラに「あたしは女の子なの?」って聞かれたんだよ。

 それで考えてみたら、女の子ってどういう意味なのか分からなくなった。動物のオスメスと、人間の男女って同じなんだろうかとか、じゃあ猫の形をしてて、ヒトの言葉を話すヨゾラは、どう扱ったらいいのかとか。

 例えばフラビーには妹がいて、その子は結婚して子供も産んだんだけど、なんだか「女の子」って感じがある。俺が年上だからだろうか。

 うーん。書いたら、考えすぎな気もしてきた。でもせっかくだから、ちょっと意見を聞かせてくれないか。たとえばシェマも、自分の事を「女の子」だと思うことはあるのか?

 この事もそのうち定例の報告に使うつもりだよ。遅くなったけど、優先調査権の事を教えてくれてありがとう〟



「その手紙、しっぽ髪に出すんだろ? ケトきょーも読むのかな」

「なにか書いといて欲しいことあるか?」

「んー、わかんない。げんきなのかな。何してるんだろ?」

「わかった。書いとく」

「えっ?」

「『えっ?』てお前。気になるんだろ?」

「うん……。わぁ、なんだこれ。これって、出したら返事がくるんだよね?」

「向こうが書いてくれれば、そう」

「……すごい。ふしぎ」

 手紙を見るのは初めてじゃないだろ、とは言わずにおいた。ヨゾラが尻尾を抱いたまま、仰向けで天井を見つめ、また「すごい……」と呟く。

 紙に吸取器ブロッター、ペン先にインク、手紙には締めの文。



〝ヨゾラからケト卿へ「元気なのかな。何してるんだろ?」だそうだ。

 じゃ、二人とも元気でな。

 アルル・ペブルビク=ララカウァラ”



 できた、と一息ついてペンを置く。

「アルル、いいこと思い付いた!」

 と緑の瞳をまんまるにしてヨゾラが言う。

「ピファちゃんにも手紙書く!」

「字書くの俺だけどな」

 すると黒猫は抱えた尻尾の先を左右に振った。

「違う違う。あたしが書くの。書き方教えてよ。できる気がする、こいつで!」

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