第171歩: 友人の娘、友人の娘の娘

「えっ、えっ、どうしたんすか!?」

 戸惑いつつもエルクが、素直な歓声を上げた。

「どうっておぇ、いやあ、どうってワケでもなくてな。アレよ、グーちゃんが転がるようになったっつったろう? 大っきくなっちまう前に、いちど描いとかねえとって思ってよ」

 ペブルが顎をぼりぼりとかいて、相好を崩す。

「おー、わぁ。すっげ嬉しい。ペブさんホントに!?」

 エルクがペブルへ身を乗り出すので、二人に挟まるアルルはひょいと間から抜け出して、涼みに向かった。

 出がけにちらりと振り返る。二人が手を上げて、アルルも手を上げ返す。


 また後で。ごゆっくり。押し出されるみたいに腰掛けから降りる形になったけど別に気にしてない。

 そんな意味を込めた。


 エルクは結婚してから少し太ったように思うけれど、相変わらず二の腕や太ももの筋肉が盛り上がっていて、蒸し風呂の薄暗い明かりにつやつや光る。



 収穫祭で三連覇、キメそうだな。



 そんなことを思いながら外に出た。夜がアルルの肌から火照りの膜を吸い上げていく。

 目の前には桟橋と湖。

 あの日は、アルルが釜落としの当番で残っていた。アルルとエルクの他には誰もいなかったので、かなり気ままに蒸し風呂を使った覚えがある。


 二年前だ。夏だった。エルクは湖面にプカプカと背浮きしていて、アルルは桟橋に寝転んでいた。


 ──ビッコ、おれさー。


 湖面から不意に話しかけられた。昼間の名残が西の地平線にまだほんのり残っていて、残りの空は夜だった。友人の声は空に面して、茫漠としていた。


 ──たまにさー、思うんだよ。

 ──あー、この村でずっと畑やるんだろうなーとかさ。

 ──おれ、おめーみてーな、トクベツな才能ってのかな、そういうのないからさー。


 これで、ちょっと言い合いになった。

 友人が珍しく自らを卑下したのも気に入らなかったし、その引き合いに出されたのも嫌だった。

 お前はそれだけの体格と筋力に恵まれているのに。俺が魔法フィジコを使わなければできないような仕事を、両の腕で、頑丈な体で、やれてしまうというのに。

 ふざけんなよ。


 そんな事を言ってしまった。友人は「怒んなよビッコ。まだ話があんだよ」と言った。


 ──おれは、誰かを幸せにするとかさ、そういう事できんのかどうか、わっかんねーんだ。

 ──や、わかってるよ? 腕っぷしはある。畑仕事だって、おれはバッチリやる。

 ──でも、このままでいーのかとか、ララカウァラでいーのかとか、つべこべ考えた。

 ──でも、収穫祭でイチバンとれたら、ちったぁ納得できそうな気がすんだよ。

 ──ここで生きてく。ここで、畑やって生きてくってのに、決心つきそうな気がすんだ。

 ──だから、おれさー、収穫祭でイチバンとるわ。

 ──イチバンとって、フビッカに結婚申し込むわ。


 アルルは、さっき腹を立てたのが急に恥ずかしくなって、勝てよ、と言った。


 収穫祭当日、さくけ、はやりと続く三種競技の最後、干し草投げは決戦投擲とうてきにもつれ込んだ。


 何も知らないフーヴィアは「エルク、すごいやる気ね!? がんばれー!」と呑気に酪蘇アメマイトカルキを口に含み、事情を知るアルルは下手に声が出せないほど緊張していた。

 だから、エルクの最後の一投が勝ちを決めた瞬間に、思わず叫んだ。

 後で父に「有り金ぜんぶ賭けてたんかと思った」と言われた。

 賭けたのはエルクだ。金ではなく、決心を賭けた。アルルは見ていただけだ。しかし、友人が人生を決めようとする瞬間を前にして、アルルは震えた。


 エルクはその場で、淀みなく、力強く、飾りけなく、言葉にした。

「フーヴィア・イォッテ! 君を愛している! おれと結婚してくれ!!」

 誰もが唖然とするなか、フーヴィアは両肩にかかるの赤毛よりも顔を真っ赤にして、気丈に答えた。

「そういうのは! 他に人がいない時に! あらためて!!」


 もうそれは承諾の返事じゃないかと、アルルは思った。


 エルクは続けた。

「じゃあ、いつにする!?」

 

 結果、「求婚予定日」という単語がララカウァラで流行はやった。予定日が近づくにつれて当事者同士がギクシャクして近しい人間は気を揉んだし、酒飲み連中の中にはこの求婚がうまくいくかどうかで賭けた者もあったらしい。求婚場所となった村外れの果樹林には近づかないようにという暗黙の協定が結ばれたけれど、途中までの道を心配して、エカおばさんがフーヴィアを送っていった。


 その様子を目にした誰かが「こりゃほとんど結婚式だな」と言ったのをアルルは覚えている。

 しばらくして果樹林から出てきたエルクとフーヴィアがしっかり手をつないでいて、それを遠目に見てアルルは少し泣いた。



 そんな二人の間に産まれたグッカの絵を、父が描くという。

 父の、イォッテ家への思い入れは深い。



 幽霊退治で訪れた父によくしてくれたのが、結婚前のイォッテ夫妻、エカ・アウララとダヴィー・イォッテだったらしい。

 その何年後か、家の前で赤子を拾って途方に暮れるペブルを助けてくれたのも、二人の幼い娘を抱えたイォッテ夫妻だったと。

 何より父は、ダヴィーおじさんの最期をみとっている。

 アルルにとってそうであるように、またはそれ以上に、父にとってエカおばさんはただの隣人ではないし、イォッテの三姉妹はただの隣家の娘ではないのだ。



 グッカの話に相好を崩した父の顔は、アルルも見たことがなかった。どちらかと言えば強面の父が、あんなに人のさそうな顔をするのか。


 アルルは桟橋から湖へと、雑に飛び込んだ。

 水音は泡音になり、皮膚が冷水に張り詰めて、体幹に残る蒸し風呂の熱。


 ──俺にも祖父がいたら、あんな感じになったのかな。

 ──やっぱり親父も、孫の顔とか、見たいんだろうか。


 肺の空気をあぶくに吐き出す。背中が浅い湖底につく。

 思う所はあるが、悩んだところで祖父ができるわけではないし、子供が産まれるわけでもない。


 ──気がかりが、多いな。


 ヨゾラの調査。ヨゾラの出生地についての調査。ウ・ルーで見たまっしろ白い女の子。ファビねえのお腹の子と、その父親。折られた「翼」の修理もそろそろ終わらせてしまいたい。

 ウ・ルーから帰ってきて、いつのまにか一週間が経ってしまった。いい加減に本腰をいれていかないと、時間ばかりが経ってしまう。


 ぶくぶくと気がかりの数だけを吐き出すと、アルルは浮上して、桟橋のはしごを登った。


 父が涼みに出てきていて、腰掛から苦笑をみせた。

「アぁル坊、ガキじゃねえんだ、なに飛び込んでいやぁがる。あんまり長居してもエル坊に悪い。そろそろ出ようぜ」

 アルルは頷き、父の長大な体躯の皺に老いを見て、言いようのない寂しさにとらわれる。その寂しさを押し隠して、言った。

「親父、調べたいことがあるんだ」

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