第169歩: 家族みたいなもんなのに

 ファビねえが驚いて、口を閉じ忘れている。


「女の子よね?」

 幼なじみからの確認に、当たり前じゃないか、とアルルは言えなかった。

「メスではあるみたいだけど」

「つまり……女の子でしょ?」

「そう、なる、のか」


 ヨゾラの身体にが無いのは知っている。声だって女声だ。エレスク・ルーでドゥトーが「嬢ちゃん」と呼んだ時にも違和感はなかった。

 だが今、ヨゾラからの問いを受けてアルルは答えられない。例えば誰かにヨゾラを紹介するときに「しゃべる黒猫」とは言っても「しゃべる猫形の女の子」と言うだろうか。


「やっぱり、違うのかな?」

 幼なじみの腕の中から、ヨゾラが上目遣いに訊いてくる。しょっちゅう疑問を口にする猫だけれど、今回はどこか緊張しているようにも見える。

 アルル自身、違和感の正体がつかみきれていない。

「ええとなヨゾラ、ちょっと時間が欲しい。思ったより難しい質問だった」

「そっか」

「うん。お前を男の子とか女の子とか、そういうふうに言っていいのか一度ちゃんと考えてみたいんだ」

「アルビッコ?」

 ファビねえが半ば呆れたような声を出したのには、肩をすくめてみせる。

「いや、男女とかオスメスとかって、そもそも何だろうみたいな――ともかく、お茶いれるから居間で休んでてくれよ。立ちっぱなしで疲れたろ?」




 ファビ姉が座るところはいつも同じだ、とヨゾラは思う。この家に来ると、入口に一番近くて窓じゃないほうの場所に座る。

 アルルはその隣。ペブルはアルルの向かいがいつもの場所だ。


「あの子、昔からああいう所があるのよ」

 その、いつもの場所からファビ姉が言った。口調は静かで平坦で、ほんの少し不機嫌そうだ。

「急に難しいこと言い出すの」

 ヨゾラはその膝の上。背中を覆う手のひらがちょっと暑い。

「私は、あなたは、女の子だと思うわ」

「うん。他の人も、ファビねーみたいに思ってると思うよ。だけどファビねー『女の子なんだから』って言っただろ? そしたら、ちょっと不思議に感じたんだ。あたしは本当にキミたちの言う女の子であってるのかなって」

「そう……ヨゾラさんまでアルビッコみたい。でも、他人を呼ばわりはお行儀が悪いの」

「それはわかったってば」

 なんだかめんどくさい話になってきた。早くお茶こないかなとヨゾラが奥の様子を気にしたところで、ファビ姉が何かに気づいて声を出した。

 見上げたら、緑の瞳は窓を見ているようだった。ヨゾラもファビ姉の膝から伸びあがり、テーブルに前足をついて窓を見る。

「アルビッコ、誰か来てるわ」

 窓から村の子供が覗いていた。



 アルルが出ていく。ファビ姉がお茶を引き継ぐ。ヨゾラはなんだかヒマになる。

 やってきたのは見覚えのある顔ぶれだった。村はずれの分校に通う十歳そこらの子が五人。そのうちのひとり、さかなかごを持ったやつは、前にヒゲを引っ張ってきたやつ。

 だからわざわざ出ていきたくない。窓枠に乗っかって、ガラス越しに見るだけだ。


 アルルの呆れ声がした。

「お前ら用があるなら普通に戸を叩けよ」

「だって留守だったらつまんねーもん」

「窓から覗いたって留守ん時は留守だよ。泥棒みたいなことやってんなよな」

「アルビッコさんこそ、ファビオラさんと何やってんの?」

「お前らにゃ関係ない。で、どうしたんだ? オバケでも見たか?」


 アルルの質問に、子供はお互いに顔を見合わせると、一斉にと答えた。


「話聞きたくてさ! ウ・ルーにいたんだろ? どんなだったか教えてくれよ」

「分校で聞いたんだよ。なんかウナギの怪物が暴れて、港がぐちゃぐちゃにつぶれたって。ほんとなの? アルビッコさん怪物やっつけたってこと!?」

「すげー前にララカウァラでも洪水こーずいがあったんだろ? どっちがすげーかった?」

「ビッコさんの魔法、火ぃつけるとかクギ打つとか、そんなんばっかだろ? そんなんで怪物とかさ、どうやってやっつけたんだよ?」

「待て待て、待てお前ら」


 子供は待たない。さかなかごから細長くてヌルヌル光る生き物が取り出された。


砂摺すずりヤツメか。でかいな」

「だろ! でさ、怪物をどうやってやっつけたのか、こいつでやって見せてくれよ!」

 期待に鼻の穴を膨らませた子供に向かって、魔法使いは「だめだ」と返す。

「なんでだよ」

「遊びでやることじゃない」

「じゃあさ、魔法でこいつをシめてくれよ」

「銀貨五枚」


 また子供らが口々にわぁわぁと騒ぐ。それを青年が適当に追い返す。

 そうやってアルルが戻ってきたときには、ファビ姉がいつもの席でうつらうつらと居眠りをしていた。


「ファビね?」

 ヨゾラが声をかけたら、びくっとなって目を覚ます。そのまま、両手で顔を覆い「恥ずかしい」と声を漏らした。

 何が恥ずかしいのか、ヨゾラにはよくわからない。

 居眠りする前に準備は終わっていたようで、テーブルにはポットとカップが出ていた。アルルがお茶を注いで、顔を覆ったままのファビ姉に声をかけた。


「気にする事ないよ居眠りなんか。家族みたいなもんなのに」

 


 ヨゾラはファビ姉の「いつも」をそんなに知らないし、他人の家で居眠りする事がのも知らなかった。そもそも「はしたない」の意味も知らなかったけれど、居眠りなんてよくあるだろ、と思っていた。

 けれど、アルルは気になっていたのだと、後から聞いた。

 このぺたんこ鼻の魔法使いは、ファビ姉の様子がなんだかおかしいと感じていたのだと。


 初めてのジャムは素敵だった。四つ脚が跳ねてしまう甘さだった。


 夕方に、ファビ姉と入れ違いでペブルさんと蛙が帰ってきた。

 蛙が歯磨きとか虫歯とか言ったせいで、木の枝を割いたブラシみたいのを口の中に突っ込まれたけれど、だからといってジャムの幸せがなくなるものではなかった。

 

 幸せがしばらく続いて、ジャムの瓶が空っぽになった頃、噂が届いた。


 ファビ姉に赤ちゃんができたらしい。

 アルルが父親になるらしい。

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