第166歩: あたしの故郷

 ヨゾラははしゃいでいた。

 背負い鞄の上が、本当に久しぶりだ。


 アルルは寄り道ばかりして、ウ・ルーを出たのは午後の三刻かそこらだった。



 まず、魔法協会に報告書を出した。

 昨日の事があって、アルルも協会の人も、めちゃめちゃ気まずそうにしてた。

 縦長ハマハッキがいて、わかるよ、って顔を作ってアルルの肩に腕を回してた。なんでも、したからまだまだウ・ルーにいるらしい。

 魔法協会でハイオルトの小島を調べるそうだ。あの暗い道の事もアルルは報告してて、関係ないけど縦長とアリスコさんが仲良くなってた。



 次に、フラビーのとこに行った。フラビーはお客さんの髪を切っていて、少し待たされた。別の髪切りの人からすごい顔で睨まれたのは、何だったんだろう。


「ビッコ、なんかあった?」

 ってフラビーにしては穏やかな声を出してた。

「──フられちまった」

 とアルルはひとこと言って、頭をなでられそうになってた。

 フラビーはいろいろ言いたそうにしていたけれど、結局「小麦の刈り入れには帰るから。ね」と仕事に戻って行った。



 お昼にを食べた。赤身の、つるっとしたやつ。

 ずっと食べたい食べたいと思っていたけれど、よく考えたら食べるの三回目だった。今回は、安心して食べられたから忘れないはず。喉の中をするっと通り抜けていく感じと、その後でと上ってくる匂いがおいしかった。



 最後。理由はよくわからないけど、馬車鉄道に乗った。

 バシャテツ道じゃなかった。

 うなぎが燃やされた日にはもう走っていたはずだけれど、今日、お昼を食べたら突然アルルが「乗ろうかな」と言い出したのだ。

 もうウ・ルーで行くところなんかないのに、ぐるっと乗った。

 アルルの膝の上で、コンコンコンコン、という鐘の音を聞いて、前から後ろへ流れる街の様子を眺めていたら、アルルがいきなり腰を浮かせた。おかげで落ちかけた。

 ぺたんこ鼻の魔法使いが目をまん丸にして、おじさんと、おばさんと、赤い服の女の子を見ていた。

 向こうも気づいた。おじさんと女の子がそろって「あっ」という顔をしていた。

 その二人には覚えがあった。


 波に流されながら、お父さんを呼んでいた女の子。

 娘じゃない、と言って真っ青な顔をしたおじさん。


 なんで一緒なのかはしらない。あっ、てなるのが精一杯で、そのまま、その人たちは街並みと一緒に後ろへ流れていった。

 気づいたらアルルが泣いてた。

 ときどき思い出したように揺れる馬車鉄道の中で、外を見て、顔を片手で覆って泣いてた。

 うれしいのかもしれない。かなしいのかもしれない。せつないのかもしれない。

 馬車鉄道がもういちど外港に着くまで、ずっと泣いてた。

 ぺたんこ鼻で、茶色くて、よく泣く、優しい魔法使い。

 泣き終わって、ひとつ大きく息を吐いて、こう言った。

「帰ろう、ヨゾラ」




 鞄の上で、ヨゾラがはしゃぐ。

 それを背負ってアルルは歩く。

 だいぶ陽も傾いている。

 頭の後ろから話しかけられるのも、久しぶりだ。

「花だ! あれなんの花?」

毒一ドクイチ

「くだものなる?」

「ならない。毒だってば」

「え、こわい。死ぬかな?」

「死にはしないよ。痒くなる」

「へえ。お、道の魚。背びれだけ見える奴いるんだけどさ、あれなに?」

「道の背びれは『辿たど』だな。ついて行くとどこかに出る」

「どこかって?」

「誰かがクソした所とか」

「なんだそれ」

「そういうなんだから仕方ねぇ、と親父は言ってた」

「あれ? 道まちがってない? こんな所通ったっけ?」

「通ったぞ。だいぶ草も伸びて、雰囲気が変わったんだよ。この辺りは夏ごろ来ると綺麗なんだよな。小さい花がたくさん咲いてさ。俺も十歳ごろから──この話、したな?」

「した。それで、カケスが来て」

「干し果物をお前がせびった」

「知ってる? あれ食べると牙まで甘くなるんだぜ?」

「知ってる。俺は奥歯が甘くなる。干し果物歴で俺に勝てると思うなよ? あー、食いたくなってきた。帰ったらうちにあったりしないかなぁ」

「へへへへアルルん

「何がおかしいんだ」

「ペブルさん元気かな」

「親父、頑丈だから」

「蛙がうるさくなくなってるといいなー」

「ホップは二十年かかさず口うるさいぞ。あきらめろ」

「えー、やだー。リクハルドさん元気かな」

「元気だろ。幽霊だけど。今日はもうちょっと行ったら野宿にするぞ」

「三回寝たらララカウァラだ」

「二回だし少しは歩けよ」

「ララカウァラララカウァラララカウァララカウァララカウァララカウァララララカウァあれ?」

「耳のそばでやめろ。何だってんだ」

「ねえねえすごいよアルル。ララカウァラって繰り返すと繋がる。始まりがなくなる。ちょっともっかいやってみる」

「忘れてくれないかその発見」

「キミの故郷ふるさとの名前おもしろいね」

「そんな褒められ方したの初めてだよ」

「みんななんて褒めるの?」

「何にもないですね」

「そんなことないよ。いろいろあるよララカウァラ。きみの故郷、良いところだよ。リスおいしいし」

「そりゃ良かった。お前の故郷は何が旨い?」

「んー」


 ヨゾラは少し考える素振りを見せた。


「あたし思うんだけどさ」


 アルルの肩に、ぽん、と手応えを残して黒猫が飛び降りた。少し驚いて、アルルは足を止めた。ヨゾラは降りた先からさらに進むと、振り返って止まった。


「あたしが生まれたのはシュダマヒカだったけど、でもそれは、ヨゾラになる前のあたしだよ。ヨゾラのあたしが生まれたのは、シュダマヒカじゃないよ」


 それは、つまり──

「エレスクの河沿い?」


「ちーがーうー。怒るぞ、最後まで聞いて。あたしが『帰ろう』って思うとき、そこはさ、ウ・ルーの部屋だったりアルルんだったり、それか、誰かの馬小屋だったり、色々なんだ。だけど、そこには絶対キミがいるんだ。ヨゾラのあたしはキミんとこで生まれたんだ」


 だからさ、とヨゾラは言った。


「キミがあたしの故郷ふるさとだよ」


 不覚にも、胸が詰まった。

 巣に帰る鳥の群れが、夕暮れ空を横切った。

 数歩先でヨゾラが牙をむき出し、にっ、と笑った。



「それじゃあ、あたしを迎えにこーい」



「お前、なぁ」

 歩き出す。手を出す。ヨゾラが飛び乗ってくる。


 長く長く影がのびる。

 夕暮れはまだ終わらない。

 ララカウァラへは、まだ遠い。







〈猫の魔法使いと魔法使いの猫 了〉

〈第二部 完〉

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