第165歩: 猫の魔法使いと
──いっ、忙しかったの。
宴会の場で、昨夜の酔っ払いはそんな言い訳をした。なぜ手紙の宛先が「ララなんとか」だったのか訊いてみた時のことだ。
──届いたんだから、いーじゃない。
実際、なかなか臨時の魔法使いが見つからず、不在になる人員からの引継ぎも受けねばならずと、
彼女は船に乗った。
時々強い風の吹く、まるで
アルルくん、ヨゾラさん、元気で!
フラビーみたいにしようとしたら、フラビーに全力で止められた。
そう言って
麦藁色のしっぽは三日月サルーンに寄付したという。つけ毛になるのか、かつらになるのか、いずれにしても誰かが装うために使われるのだそうだ。
行っちゃったね、とヨゾラが言った。
行っちまったな、とアルルは応えた。
「あたし、さみしいや」
足元の背負い鞄の上で、ヨゾラがぽそっと呟く。
何も言わずにアルルはしゃがんで、猫の背に触れた。
「アルル。一ヶ月って、長いね」
同感だった。
今度はちゃんと来なさいよ、と手紙をもらったのがずいぶん前に感じられた。
「あたし、しっぽ無しのこと忘れないと思う。いいことも、やなことも、たくさんもらったよ」
「髪型変わったからって呼びかた変えなくてもいいんだぜ。何があったんだよ、いやなことって」
「悪いことじゃないんだ。やだったけど、だいじなこと。あとは言わないから、聞かないでね」
黒猫の背がいつのまにか大人びている。これも、その「たくさんもらった」もののせいなのかもしれない。
ヨゾラがこちらを見た。
「ちゃんと、話せた?」
「──昔を思い出してたわけじゃない、ってのは、伝えたよ」
昨晩。
宴会のさなか、魔法協会の面々がそろっている中を、恥も外聞もなく彼女を連れだした。
猫はついてこなかった。
「……もどろうよ。アルルくん」
シェマが困惑した声を出す。遠くに
「ごめん、シェマ。少しだけでいいんだ。少しだけ、聞いてくれ」
「だって私、明日には帰るのに」
牽制してくる。酔っていても、彼女は察しがいい。知ってる。だから先回りさせない。
「俺は昔を思い出したりなんかしてない」
「ヨゾラさんから聞い」
「思い出したりなんかしてない。俺が見たのは、俺が見てたのは、今のシェマだ」
彼女が言葉を探す。その間にも、ウ・ルーで知った彼女の姿が口をついてあふれてくる。
「協会で報告書かいてたり、新聞読んでたり、ハリハリムシが苦手だったり、サルーンで髪を切ったり、買い物つきあってくれたりさ。塩切れ起こしてもあきらめなかったり、酔っぱらってよくわかんない話始めたり、あんなデカいもの相手に必死で戦ったり、井戸端で星を眺めてたりする、俺がぜんぜん知らなかった、今のシェマなんだ」
「待って、待ってよ。やめてよ」
「やめない。なに考えてるのか知らないけど、なんで急に──線を引こうとするんだよ」
うつむいて、彼女は目を合わせてくれない。
「アルルくんこそ、どうして、こんな急に」
「急なのも、やり方が下手クソなのもわかってる。ごめん。でも今度は、後悔したくないんだ。ちゃんと話さないまま、また、離れ離れにはなりたくない。せめて聞いてくれないか。俺を見て。シェマ、頼むから」
彼女が顔を上げる。蜂蜜色の瞳に、強い光がある。切ったばかりの髪から、ハッカ
「俺は君が──」
けれど、先輩の先回りは完璧だった。
言おうとした言葉は、彼女の唇に吸い込まれた。
麦藁色の睫毛が目の前で伏せられていた。
薄い唇の離れぎわ、吐息の熱にスグリ酒の匂いがした。
「言わないで、お願い。言葉にしないで」
その後、シェマから聞いた話だ。
──私ね、結婚相手を選べないの。
沈黙を振り払って明るく、彼女は言った。
──私の姓、書類の上では『クァタ』じゃないのよ。
告げられたのは、アヴァツローの岩塩富豪の姓だった。
五歳の時に両親と兄が行方不明になり、先代、つまり祖父も十歳の頃に事故で死んだのだと。
その時に、彼女は自分の未来を差し出した。自らの結婚を、本家の手札として加えさせた。そうやって、庇護と援助を得て育った。
まだ、子どもだったじゃないか。
何も知らなかった。見えている彼女が全部だと思いこんでいた。
──古いしきたりの燃え残りみたいな、ニセモノのお姫さま。それが私。
──意地悪されているわけじゃないの。学院にだって行けたし、交換派遣にだって来られた。
──だけど帰ったらもう、わがままは言えない。私は家族を守るわ。
──だから、きみとは、一緒になれない。
──私は私を幸せにするから、きみも、どこかで幸せでいて。
──ごめんなさい。
「そっか」
聞き終えて、ヨゾラが言った。
「──せつないね」
アルルは少し笑う。いくらかの自嘲も込めて。
「いつの間にそんな言葉覚えたんだよ」
「キミの知らないところで、だよ」
船の帆柱が、水平線に沈んでいく。
「行こうか」
黒猫ごと、鞄を背負って立ち上がる。アルルは一度だけ水平線を振り返った。
カッコ悪いのは百も承知だ。でも今度は、銅貨を捨てずにいてくれればと思う。
アルルとヨゾラは、外港を後にした。
一方その頃、船の上では
ウ・ルーの街並みが見えなくなっても、だらだらと沖に続く北半島をあるじが遠い目で眺めている。
「いろいろと、あったわね」
今から
「よいのかな?」
「いいわ。アルルくんには、きっといい人がいるわよ」
「であるな」
「……適当ね」
「私はあるじを心配しておるのだよ。なぜそうも本家とやらに忠義だてるのか。なんとなれば祖母上も連れて、いつの間にかいなくなれば良かろうに」
「だめよ。おばあさまは、待っているのだもの。いつか帰ってくると信じて、待っているのだもの。あの家でなければだめなのよ。それに──次の縁談は、前みたいな人じゃないかもしれないわ」
「交換派遣に口添えしておきながら、一年たたずに他の女と添い遂げた男か。本家の人間はロクなのを連れて来ぬよ」
甲板で他の乗客が華やいだ声を上げている。
あるじは海に目を落としたと思ったら突然、あーあ! と北半島へ大きく声を投げた。
「バっカみたい! あの時、適当にあしらってもよかったのにね! ちゃんと話したら、猫を相手に罪悪感なんか覚えたりして! 何もかも中途半端! バっカみたい! せっかく一緒にいたのにね! 自分勝手になれたらね! もっと素直だったらよかったのにね! ああ、ああ! あーあーああ!」
他の客が、すい、と離れていくのも構わず、水夫たちが好奇の目で見てくるのも構わず、小娘のように北半島へ八つ当たりをしている。
ヨゾラ君と話そうが話すまいが、アルル殿は袖にしたのであろうに。一緒にはなれないと最初からわかっていたのであろうに。
だからかわいらしいというのであるよ。
ひとしきり大声をあげたあるじは、それでいくぶんか落ち着き、ややあってぽつんと例の気がかりを口にした。
「アルルくんとヨゾラさん……本当にあり得るのかしら」
「私には、あり得ぬと思う方が信じられんがな。なにをそこまで迷っておる」
使い魔の身にしてみれば、悩む理由がわからない。
まるで、使い魔が不幸であるようではないか。
「私の推測が正しいなら、やっぱり辛い話よ。アルルくんにも、ヨゾラさんにも。特にあの子には酷だわ」
「だから伝えられなかったと? しかし、私の立場から言わせてもらうのであればな、いまさら伝えようと伝えまいとアルル殿のする事は変わらぬよ。ヨゾラ君を助け、
だいたい、あるじは私によく言うではないか。
「使い魔とはそういうものなのであろう?」
下唇を軽く噛んで、あるじが小さく頷く。
「我があるじよ、
「そうね──もう少したって、落ち着いたら、そうするわ」
「見送りだけならまだしも、カケス銅貨までしっかり渡してきおったな、アルル殿は」
「……うん」
ここで瞳を揺らすのか。まったく、かわいらしいものだよ、この猫の魔法使い殿は。
ふむ?
「ところであるじよ」
「なに?」
「あるじが猫の魔法使いであるならば、ヨゾラ君はどうなるのであろうな?」
なにそれ、とあるじの片眉があがった。
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