第165歩: 猫の魔法使いと

 ──いっ、忙しかったの。


 宴会の場で、昨夜の酔っ払いはそんな言い訳をした。なぜ手紙の宛先が「ララなんとか」だったのか訊いてみた時のことだ。


 ──届いたんだから、いーじゃない。


 実際、なかなか臨時の魔法使いが見つからず、不在になる人員からの引継ぎも受けねばならずと、四月アブリュウの前半は大変だったらしい。そんな中でアルルを思い出したものの「ララカウァラ」がどうしても思い出せず、忙しさの勢いでそのまま手紙をだした、とシェマは釈明した。



 彼女は船に乗った。



 時々強い風の吹く、まるで三月マーソに戻ったような肌寒い朝。濡れ石の黒と船体の焦茶に鮮やかな紫を差して、彼女の巻布ストールがなびいていた。


 アルルくん、ヨゾラさん、元気で!


 王族ネコガトヒアウを従え、船の上から大きく手を振ったシェマに、もうはなかった。


 フラビーみたいにしようとしたら、フラビーに全力で止められた。

 そう言ってあけのさす頬で笑う昨日の彼女の肩口で、髪先がさらさら踊っていたのが瞼の裏から離れない。


 麦藁色のしっぽは三日月サルーンに寄付したという。つけ毛になるのか、かつらになるのか、いずれにしても誰かが装うために使われるのだそうだ。

 

 そとみなとを出た大型船は岬の灯台を過ぎ、水平線に消えていく。


 行っちゃったね、とヨゾラが言った。

 行っちまったな、とアルルは応えた。



「あたし、さみしいや」

 足元の背負い鞄の上で、ヨゾラがぽそっと呟く。

 何も言わずにアルルはしゃがんで、猫の背に触れた。

「アルル。一ヶ月って、長いね」 

 同感だった。

 今度はちゃんと来なさいよ、と手紙をもらったのがずいぶん前に感じられた。


「あたし、しっぽ無しのこと忘れないと思う。いいことも、やなことも、たくさんもらったよ」

「髪型変わったからって呼びかた変えなくてもいいんだぜ。何があったんだよ、いやなことって」

「悪いことじゃないんだ。やだったけど、だいじなこと。あとは言わないから、聞かないでね」

 黒猫の背がいつのまにか大人びている。これも、その「たくさんもらった」もののせいなのかもしれない。

 ヨゾラがこちらを見た。

「ちゃんと、話せた?」

「──昔を思い出してたわけじゃない、ってのは、伝えたよ」



 昨晩。

 宴会のさなか、魔法協会の面々がそろっている中を、恥も外聞もなく彼女を連れだした。

 猫はついてこなかった。



「……もどろうよ。アルルくん」

 シェマが困惑した声を出す。遠くに殿でんおおの灯が揺れる。

「ごめん、シェマ。少しだけでいいんだ。少しだけ、聞いてくれ」

「だって私、明日には帰るのに」

 牽制してくる。酔っていても、彼女は察しがいい。知ってる。だから先回りさせない。

「俺は昔を思い出したりなんかしてない」

「ヨゾラさんから聞い」

「思い出したりなんかしてない。俺が見たのは、俺が見てたのは、今のシェマだ」

 彼女が言葉を探す。その間にも、ウ・ルーで知った彼女の姿が口をついてあふれてくる。

「協会で報告書かいてたり、新聞読んでたり、ハリハリムシが苦手だったり、サルーンで髪を切ったり、買い物つきあってくれたりさ。塩切れ起こしてもあきらめなかったり、酔っぱらってよくわかんない話始めたり、あんなデカいもの相手に必死で戦ったり、井戸端で星を眺めてたりする、俺がぜんぜん知らなかった、今のシェマなんだ」

「待って、待ってよ。やめてよ」

「やめない。なに考えてるのか知らないけど、なんで急に──線を引こうとするんだよ」


 うつむいて、彼女は目を合わせてくれない。


「アルルくんこそ、どうして、こんな急に」

「急なのも、やり方が下手クソなのもわかってる。ごめん。でも今度は、後悔したくないんだ。ちゃんと話さないまま、また、離れ離れにはなりたくない。せめて聞いてくれないか。俺を見て。シェマ、頼むから」


 彼女が顔を上げる。蜂蜜色の瞳に、強い光がある。切ったばかりの髪から、ハッカだいだいを甘くしたような香りがする。


「俺は君が──」


 けれど、先輩の先回りは完璧だった。

 言おうとした言葉は、彼女の唇に吸い込まれた。

 麦藁色の睫毛が目の前で伏せられていた。

 薄い唇の離れぎわ、吐息の熱にスグリ酒の匂いがした。


「言わないで、お願い。言葉にしないで」


 


 その後、シェマから聞いた話だ。


 ──私ね、結婚相手を選べないの。


 沈黙を振り払って明るく、彼女は言った。

 

 ──私の姓、書類の上では『クァタ』じゃないのよ。


 告げられたのは、アヴァツローの岩塩富豪の姓だった。

 めかけの孫、本家の形ばかりの養子なのだと。

 五歳の時に両親と兄が行方不明になり、先代、つまり祖父も十歳の頃に事故で死んだのだと。

 その時に、彼女は自分の未来を差し出した。自らの結婚を、本家の手札として加えさせた。そうやって、庇護と援助を得て育った。

 まだ、子どもだったじゃないか。

 何も知らなかった。見えている彼女が全部だと思いこんでいた。


 ──古いしきたりの燃え残りみたいな、ニセモノのお姫さま。それが私。

 ──意地悪されているわけじゃないの。学院にだって行けたし、交換派遣にだって来られた。

 ──だけど帰ったらもう、わがままは言えない。私は家族を守るわ。

 ──だから、きみとは、一緒になれない。

 ──私は私を幸せにするから、きみも、どこかで幸せでいて。




 ──ごめんなさい。




「そっか」

 聞き終えて、ヨゾラが言った。

「──せつないね」

 アルルは少し笑う。いくらかの自嘲も込めて。

「いつの間にそんな言葉覚えたんだよ」

「キミの知らないところで、だよ」

 船の帆柱が、水平線に沈んでいく。


「行こうか」

 黒猫ごと、鞄を背負って立ち上がる。アルルは一度だけ水平線を振り返った。

 カッコ悪いのは百も承知だ。でも今度は、銅貨を捨てずにいてくれればと思う。



 アルルとヨゾラは、外港を後にした。




 一方その頃、船の上では王族ネコガトヒアウがこっそりと溜め息をついていた。


 ウ・ルーの街並みが見えなくなっても、だらだらと沖に続く北半島をが遠い目で眺めている。

「いろいろと、あったわね」

 今から故郷くにへ帰るというのに、ずいぶん寂しそうに笑うものだ。

「よいのかな?」

「いいわ。アルルくんには、きっといい人がいるわよ」

「であるな」

「……適当ね」

「私はあるじを心配しておるのだよ。なぜそうも本家とやらに忠義だてるのか。なんとなれば祖母上も連れて、いつの間にかいなくなれば良かろうに」

「だめよ。おばあさまは、待っているのだもの。いつか帰ってくると信じて、待っているのだもの。あの家でなければだめなのよ。それに──次の縁談は、前みたいな人じゃないかもしれないわ」

「交換派遣に口添えしておきながら、一年たたずに他の女と添い遂げた男か。本家の人間はロクなのを連れて来ぬよ」


 甲板で他の乗客が華やいだ声を上げている。


 あるじは海に目を落としたと思ったら突然、あーあ! と北半島へ大きく声を投げた。


「バっカみたい! あの時、適当にあしらってもよかったのにね! ちゃんと話したら、猫を相手に罪悪感なんか覚えたりして! 何もかも中途半端! バっカみたい! せっかく一緒にいたのにね! 自分勝手になれたらね! もっと素直だったらよかったのにね! ああ、ああ! あーあーああ!」


 他の客が、すい、と離れていくのも構わず、水夫たちが好奇の目で見てくるのも構わず、小娘のように北半島へ八つ当たりをしている。


 ヨゾラ君と話そうが話すまいが、アルル殿は袖にしたのであろうに。一緒にはなれないと最初からわかっていたのであろうに。

 だからというのであるよ。


 ひとしきり大声をあげたあるじは、それでいくぶんか落ち着き、ややあってぽつんと例の気がかりを口にした。


「アルルくんとヨゾラさん……本当にあり得るのかしら」

「私には、あり得ぬと思う方が信じられんがな。なにをそこまで迷っておる」


 使い魔の身にしてみれば、悩む理由がわからない。

 まるで、使い魔が不幸であるようではないか。


「私の推測が正しいなら、やっぱり辛い話よ。アルルくんにも、ヨゾラさんにも。特にあの子には酷だわ」

「だから伝えられなかったと? しかし、私の立場から言わせてもらうのであればな、いまさら伝えようと伝えまいとアルル殿のする事は変わらぬよ。ヨゾラ君を助け、まもるまで。文字通り、命に代えてもな」


 だいたい、あるじは私によく言うではないか。


使?」


 下唇を軽く噛んで、あるじが小さく頷く。

「我があるじよ、わらわの件もあるのだ。私としては、そちらに注意して欲しい所であるぞ。気になるのなら、手紙でも出せばよかろう?」

「そうね──もう少したって、落ち着いたら、そうするわ」

「見送りだけならまだしも、カケス銅貨までしっかり渡してきおったな、アルル殿は」

「……うん」

 ここで瞳を揺らすのか。まったく、かわいらしいものだよ、この猫の魔法使い殿は。

 ふむ?

「ところであるじよ」

「なに?」

「あるじが猫の魔法使いであるならば、ヨゾラ君はどうなるのであろうな?」


 なにそれ、とあるじの片眉があがった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る